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番外編
その後 4
しおりを挟む悪路に苦戦しつつも、昼前に何とか病院に着いた二人は無事に検査を終え、木製の古びた病院の長椅子で自分達が呼ばれるのをただじっと待っていた。
「大丈夫か?」
「はい……」
隣に座るノアの顔色はずっと悪く、手を握り指で甲を撫でながらシュナが心配そうに顔を覗き込む。
それに弱々しく返事をし、だがこてんとシュナの肩に頭を乗せたノア。
そのふわふわとした柔らかい金色の髪の毛が頬を擽り、ノアの甘い桃の香りと共にふわりと漂う、ミルクの優しい匂い。
それがやはり不可解で、しかしシュナはもう片方の手で背中を擦り、ただひたすらにノアの体調が少しでも良くなるようにと願った。
それから程なくし、呼ばれたノアとシュナの名前。
それに弾かれたよう顔を上げた二人を、可愛らしい女性が安心させるように優しく微笑んでは、中にお入りください。と診察室の中へと案内してくれた。
木の扉をコンコン。とノックし、それから扉を引くシュナ。
中にはロアンやテア、それからシュナ達も検査の為に何度もお世話になっている優しい顔をした初老の医者が座っており、お座りなさい。と二人に丸椅子に腰掛けるよう示した。
「久しぶりだね、シュナ、ノア」
「お久しぶりです。先生、今回も検査は何の問題も無かったんでしょうか」
ゆっくりとノアを先に座らせたあと隣に座り、ニコニコとシュナ達を見ている医者に間髪入れずそう問いかけ、シュナがじっと見つめる。
その言葉と気迫にまみれた表情に医者は毎回いつも悲しそうに頷くだけだったが、だがしかし今回はにこりと微笑んでは、首を振った。
「シュナ、そんなに怖い顔をしてはいけないよ。お腹の中の赤ちゃんがびっくりしちゃうからね」
そう言っては机の上のカルテをもう一度見たあと、二人を交互に見た医者がゆっくりと口を開く。
「長い間ずっと頑張ってきて良かったね、二人とも。おめでとう。ノアは今、妊娠四週目だ」
皺の寄った目尻がより垂れ下がり、本当におめでとうと言う風に笑う医者。
だがその言葉は正に二人にとって青天の霹靂であり、お互い理解が出来ないと目を丸くし固まるだけだった。
「……え、」
「……」
「え、でもこの間した検査薬では陰性で……、」
「今はまだ本当に初期の段階だからね。簡易の検査薬では陰性だと表示される事があるんだよ」
「……妊娠、」
「ああ」
「……じゃ、じゃあやっぱり、ノアの匂いが変わったのは、」
未だ一言も発しないノアが、ぼんやりと足元の床板を見つめている。
その横で唖然としながらも質問をぶつけるシュナに医者は優しく微笑んでいたが、しかしシュナが発した匂いという部分に、目をぱちくりと瞬かせた。
「ほう、ノアの匂いが違って感じたのかい?」
「は、はい……。甘い、ミルクみたいな匂いがずっと微かにしてて、でも誰に聞いてもそんな風に感じた事はないって……、だから俺が勝手にノアが妊娠してれば良いって脳で作り上げた匂いなのかと……、」
「いやいや、希にだが、匂いに対して敏感な人はパートナーの匂いの変化を感じるらしいよ。人によって様々だが、今シュナが言ったようにミルクの匂いだったり、ベピーパウダーの匂いだったりするみたいだね」
「っ……」
医者の言葉に、自分の鼻がおかしくなった訳ではなかった。とシュナが息を飲む。
それから、今しがた告げられた言葉を、ゆっくり脳の中で反芻させた。
……妊娠。ノアは今、妊娠している。
それがじわじわと身に染み、何が原因で子どもを授かれないのかと検査に来た筈なのに、まさか長年望んでいた夢が叶っているなんて。とシュナがまたしても息を飲んでは、ノアの背中に腕を回す。
それでもノアは未だ呆けており、そんな二人を見た医者は、忘れ物したから取ってくるよ。と言い残して、そっと二人きりにしてくれるよう部屋を出ていった。
……しん、と静まり返る、室内。
その中でノアの背中を擦りシュナがノアを見つめていれば、唖然とし表情を強張らせたままだったノアの瞳から、ぽろりと涙が一粒流れ落ちたのが見えた。
「ノア、」
「……あか、ちゃん……」
「っ、あぁ、赤ちゃん」
「……ほんとに、赤ちゃんが、俺のお腹に、」
そう呟き、恐る恐る自身のお腹に手をそっと這わせるノアの唇も体も、震えていて。
そんなノアを横から抱き寄せたシュナは、目の奥が熱くなるのを感じつつ、そうだよ。と呟いた。
「っ、あか、ちゃん、俺と、シュナさんの、子ども……」
「あぁ」
「──ふ、ぅっ、うぅ……、あか、ちゃん、……ひぐ、うぅ、」
長年待ち続けて、望み続けてきた、赤ちゃん。
それが今自身のお腹のなかに産まれたばかりだとようやく実感してきたのか、ノアが嗚咽を溢しながら泣きじゃくり、シュナの体を強く強く抱き締め返す。
その髪の毛に鼻先を埋めこめかみに口付けたシュナは、ノアの体から溢れ出る幸せの匂いと目の前で起こっている素晴らしい奇跡のような出来事に圧倒されながらも、しっかりとノアを抱き締めた。
「……ありがとう、ノア、ありがとう……」
「ひぅ、うぅ、シュナさ、」
「愛してる。愛してる、ノア」
「っ、ひっく、うぅ、あい、あいしてます、シュナさん、あいしてる、」
「……愛してる、ノア」
ありがとうと呟き愛してると囁くシュナの腕のなか、涙で濡れた声を絞り出し、愛してると返すノア。
それが健気で愛しく、シュナはこの世界で最も美しい人が今自身の腕の中に、そしてそのお腹の中に自分との子が居ることが未だに夢なのではないかと思いながらも、涙で滲む視界のなか、幸福さに溺れ続けた。
***
それから、十分後。
戻ってきた医者がシュナとノアの泣き腫らした顔を見つつ、優しく穏やかに微笑みながら今後の検診の予定を立ててくれるのを、二人は手を握りながら熱心に聞いた。
そうして次の検診の予定を取ったあと群れへと戻る道すがらも、シュナは運転しながらもノアの手を離す事はなく。
ノアの体調が悪かったのは妊娠していたからなのかと体調不良の理由を知れて少しだけ安心し納得したと同時に、自身の鼻がおかしくなった訳ではなかったとやはりシュナは弛む頬を抑えられぬまま、助手席で未だに小さく鼻を啜るノアを見た。
「ほんとに、ほんとに赤ちゃんが居るんですよね……」
夢を見ているのではないか。とやはり不安そうに、だがノアは先程から握っていない方の手でお腹をずっと撫でていて。
今は平らだが、瞳を伏せ優しい表情で自身のお腹を撫でているノアは神秘的であり美しく。
その神々しさすら感じるノアの姿にシュナは畏敬の念を抱きながらも、夢じゃないと言いたげに掌をきつく握り返した。
森へと続く山道は凸凹としていて、その振動にやはり体調が良くないノアの顔は蒼白かったが、しかしその表情はキラキラと輝いている。
それが嬉しく、シュナがまたしてもだらしなく頬を弛めていれば、そういえば。とノアが口を開いた。
「俺からミルクの匂いがするって、本当ですか?」
「ん? あぁ、まぁ、うん」
「いつからですか? ていうか何で教えてくれなかったんですか」
「いや、言ったよ。最初に。お前がロイドと牛乳絞りして牛乳がかかったからだって言ってた日」
「えっ、あの日からですか!?」
「ああ。その後もずっとしてたけど、検査薬では陰性だったし、余計な事は言わない方が良いかと思って、黙ってた」
「……その匂いって、今もずっと、するんですか?」
「しっかり嗅げば、する。お前の甘い桃の匂いに混じって、柔らかいミルクみたいな匂いが微かにずっとしてる」
「……そう、ですか」
シュナがはっきりと言い切った言葉に、ヒュッと息を飲み泣きそうになりながらも、満面の笑みを浮かべるノア。
その、確かに自身の中に赤ちゃんが居るという事が匂いでも証明されていると喜んでいるノアはやはり美しく、シュナも同じようふにゃりと犬歯を見せてはにかんだ。
そうして、幸せな気持ちで二人が群れへと帰ったあと。
車から降り手を繋いだまま帰ってきた二人を心配そうに待っていたテアは、泣き腫らした顔をしているノアを見ては慌てて駆け寄り、シュナの手からノアを奪った。
「ノア! なんで泣いてるの!?」
そう叫びながらノアの顔を手で掬い、また何も問題はなかったって言われたの? とテアが泣きそうな顔をしたが、しかしノアが悲しみではなく幸せそうに眉を下げ笑っているのを見て、目をぱちくりと瞬かせた。
「ノア?」
「テア、俺、妊娠してるって」
「……え、」
「やっと、俺達にも赤ちゃんが来てくれたんだよ」
「……ほ、ほんとに?」
「うん」
「ほんとにほんとにほんとに!?」
「ふはっ、うん」
ノアが微笑みながら妊娠したと告げれば、呆けていた表情から一変、テアが鼻の穴を膨らませながら詰め寄り問いかける。
それにクスクスと笑いながらノアが頷けば、テアは途端に端正な顔をぐにゃりと歪ませ、それから大粒の涙をぼろぼろと流し始めた。
「……ノ、ノアァ……」
「わっ」
ノア、と名前を呼びながら、ノアに力強く抱きつくテア。
長い間子どもが欲しいと嘆きひっそりと泣いていたノアに気付いていたテアが、感極まったように泣きじゃくってはノアをきつく抱き締める。
その抱擁にノアも同じくまたしても泣き出し、けれども二人とも笑顔で額と鼻先を擦り合わせた。
「おめでとう、おめでとうノア……」
「……ん。ありがと」
「……へへっ、俺、叔父さんになるんだぁ」
「そうだよ」
「そっかぁ……そっかぁ」
「うん」
「おめでとう、ノア」
「ありがと、テア」
お互いの名前を呼びながら、ぎゅむぎゅむと喜び抱き締め合うノアとテア。
それを横目に、安静にするんだよと言った医者の言葉からか、きつく抱き締めすぎなんじゃないか。なんてシュナがソワソワとしだす。
しかし兄弟の仲を裂きたい訳では勿論なく、なんとか耐えて唇を尖らせていたシュナだったが、テアが更に力を入れて抱き付いたのを見て、もう駄目だと慌ててテアの腕の中からノアを奪い返した。
「あっ、ちょっとシュナさん、何するんですか!」
「きつく抱き締めすぎだ」
「そんなきつく抱き締めてないですよ!」
「いや、苦しそうだった。それでなくてもノアは今安静にしないといけないんだよ。ノア、しんどくないか? 小屋に戻ろう」
そっと体を抱き締め、休もう。と促すシュナに涙の跡を頬に残したまま、されどテアが呆けた表情をする。
それから、先程の感動がシュナのせいで消えてしまったと言わんばかりに、テアがくわっと口を開いた。
「いや過保護過ぎるでしょ!」
「どこがだ。ノアは今が一番大事な時期なんだぞ」
「そりゃそうですけど! でもまだ全然足りない! 返してシュナさん!」
「返すってなんだ! ノアは俺の番いだぞ!」
「それでも変わらず俺の兄弟でソウルメイトです!」
ノアを挟んで、返せ、返さない。の押し問答を繰り広げるテアとシュナ。
そんな二人の声に、何だ何だと群れの皆が続々と集まってくる。
その中には勿論アンを腕に抱いたウォルや、カインと手を繋いでいるロアン、そしてリカードとアストルと一緒に遊んでいたのだろうロイドが走ってくるのが見え、ノアは何故か胸が幸福さと温かさで詰まって苦しいと息を飲み、涙をポロっと溢しながらも、笑った。
「あはっ、あははっ!」
その弾けるノアの朗らかで美しい笑い声が、五月の爽やかな風が吹く群れの中で、悠然と響いていた。
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※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
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