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しおりを挟むノアと共にシュナが群れへと戻れば、もう既に全員が集まっており、ノア! とウォルの隣に居るテアが腕を振って名前を呼ぶ。それにノアがぱっと手を離し、テアの側へと寄った。
その離れた手の感覚が妙に虚しく、まじまじと己の手を見てはわきわきと動かしたあと小首を傾げたシュナはしかし、ようやく帰ってこれた。と群れの仲間の顔を、ゆっくりと見た。
サァァ、と流れゆく、春の香りが混じった風。
若葉を芽吹かせる木々の葉音に、慣れ親しんだ群れの匂い。
大きな広場を中心に各々の小屋が連なり、飼っている牛の鳴き声が、遠くの方で聞こえる。
その懐かしい風景は何一つ変わっておらず、シュナは胸に迫る想いにうっすらと目に涙の膜を張りながらも、姿勢を正した。
「……シュナ」
シュナを見ては、涙を流し近付いてくる母親。
その少しだけ細くなったような気がした背をシュナもしっかりと抱き締め、口を開いた。
「……只今戻りました。母上」
「……シュナ、ずっと待っていました。無事に、帰ってきましたね」
「……はい」
涙で濡れた声で、しかし凛とした優しさで母親が背伸びをしてシュナの髪の毛を梳き、シュナも未だ目尻に涙を浮かべながら、ゆっくりと頷いた。
出ていった時と同じよう、兄のロアン、親友であり従兄弟であるリカードとアストルが並んでいて、しかしその顔は一年前とは打って変わり誇らしげに、そして安堵に溢れている。
その他の群れの仲間達もシュナに祝福の言葉を投げ掛け、シュナは照れ臭そうに笑ったあと、そっと肩を叩いてきた父親へと顔を向けた。
すっと母親が身を離し、父親と真っ直ぐに向かい合うシュナ。
シュナと同じ、深く暗い、意志と力強さに溢れた眼差しがシュナを射抜く。
そして徐に頷いたあと、群れ全体に響くよう大きな声で、シュナの父が宣言した。
「洗礼式を乗り越え今こうして群れへと戻ってきたシュナを、今日この場で一人前のアルファとして認める事を誓う。若きアルファ、シュナに最大の敬意を」
パックアルファが発した厳かな声が群れに響き、シュナが数秒黙ったあとゆっくりと頭を下げれば、割れんばかりの歓声があがる。
それは温かく、激しく、だがその歓声に紛れ小さく「……良く帰ってきた、息子よ」というパックアルファではなく一人の父親として囁いた穏やかな声がシュナの身を幸福に浸し、シュナもまた、小さく「……はい、父上」と呟いた。
それからシュナが連れてきたノアとテアにパックアルファであるシュナの父親は目を向け、そして穏やかに微笑んだ。
「良く来た。少年達」
そう言いながらノアとテアの肩を叩き、しかしシュナに真っ直ぐな眼差しを向け、何があった。と問いただしてくる。
その眼差しにシュナもしっかりと見つめ返し、だがここでその話をするべきではないと、普段大掛かりな狩りの作戦を立てたり群れでの決まりごとを決定する際に使う会議小屋へと、視線を向けた。
「ロアン」
シュナの意図が分かったのか、父親がゆっくりとロアンの名を呼ぶ。
それにロアンは身を正し、それからウォルのようにまだ第二性も分からない小さな子やベータのアストルなどを呼んでは、シュナが帰ってきた事、そして新たな仲間を迎え入れる為の準備をしようと、笑顔で声を掛けた。
そして、それとは別にパックアルファであるシュナの父親と、それから母親、大人である叔父や叔母達、そして去年アルファとして第二性が芽生え今年洗礼式を行う予定のリカードも参加して良いと見なされたのか、それぞれが会議小屋へと向かっていく。
もちろんシュナもすぐに向かわなければならなかったが、しかしシュナはノアとテアへ顔を向けた。
「ロアン兄さんやウォルが安全な部屋に案内してくれるだろうから、そこでゆっくり休め」
疲れただろう。と労うような瞳で見つめながらシュナが、また後で。とリカードに続くよう歩き出したが、しかし二人はその横にぴたりと寄り添って、一緒に歩いてきた。
「な、なんだ?」
「俺達の事を話すんですよね? なら俺達も行きたいです。シュナさん」
シュナの手をするりと取り、ぎゅっと握りながら言いきるノアにシュナが何かを言い掛けたが、しかしそれは反対の手をぎゅっと握ってきたテアによって、阻止されてしまった。
「それにもう子どもじゃないですよ、俺達。何があったのか、ちゃんと自分達の口から説明出来ます」
にしし、と明るい顔で笑うテアがシュナの腕をぶんぶんと振りながら言ったが、その笑顔も態度もまさしく子どものようで。
そんな二人の態度に、随分と人懐こい奴らだったんだな。とシュナは初めて会った時の警戒が嘘のように両手を握ってくる双子に目を細めたあと、分かった分かった。という風に笑った。
***
「──そして、僕たちはシュナさんに助けられました」
しん、と静まり返る会議小屋のなか、凛としたノアの声が響く。
この小屋には本来、アルファや成人を過ぎた者しか入れない。だが、シュナに着いてきたノアとテアが必死に、どうか自分達の口で説明させてください。と懇願した結果、特別に良いだろう。と許可が下りたのだ。
小屋はそれほど広くはなく、部屋の四隅と中央に置かれたロウソクだけが灯る小屋は、薄暗い。
その中でシュナの父親が一番奥の真ん中に座り、その横に母親、そしてそこから血が強い順に叔父や叔母達が左右に別れ座っている。
それはやはり厳粛さがあり、シュナは本来父親に一番近い右の列の先頭に座るのだが、今回は小屋の中央に座らされたノアとテアを守るよう、その二人と同じよう中央に座っていた。
そんな緊張感が漂う部屋の中、しかしノアが今まで自分達がどうやって生きてきたか、そしてあの醜悪な群れに捕えられていた事を、きちんと包み隠さず話した。
だがシュナに守られるよう後ろに座っているノアの声はやはり緊張し少しだけ震えていて、後ろを振り返り大丈夫だと背を擦ってやりたい衝動を抑えながらシュナは息を飲み、ずっと真剣にノアの話に耳を傾け黙っていたパックアルファが何を言うかと、身構えた。
「……そうか」
ぽつりと、だが慈しむような声でパックアルファであるシュナの父親が呟く。
そして先ほどと同じよう、シュナの後ろに居るノアとテアに向けて、穏やかに微笑んだ。
「ノア、そしてテア、辛い事を話してくれてありがとう。……二人とも、良く生き抜いた。そなたらは今日からこの群れの仲間であり、家族だ。もう何者にもそなたらを脅かさせないと、誓おう」
威厳に満ち充ちた声で紡がれたパックアルファの言葉はノアとテアの骨身を震わせ、しかし何の嫌悪も訝しげさもなく受け入れ歓迎すると言ったパックアルファに、二人が粛然とした様子でゆっくりと頭を下げる。
その光景に皆一様に微笑みながら頷き、シュナは誇らしさに満ち足りた息を吐いた。
そうして和やかな雰囲気になったが、それからパックアルファはアルファだけ残るように言い、それに従ってアルファ以外の者は全員会議小屋を出るため動き始めた。
それは狩り、或いはアルファでしか出来ぬ事をする為の話し合いだと皆が理解していて、シュナは困惑しているノアを振り返り、そっと微笑んだ。
「良く頑張ったな。もう休んでこい」
そうシュナが柔い声でノアに囁き、それから無意識に腕を伸ばす。
その長く武骨な指がノアの頬を擦り、されどノアも抵抗する事なく自らもシュナの指に頬を寄せ、うっとりと目を閉じていて、そんな二人をテアは嬉しそうに目を輝かせながら見ていた。
それからノアは名残惜しそうな表情でシュナを見たが、シュナが何も心配する事はない。というよう小さく頷けば、渋々といった様子でテアと一緒に外に出ていき、残ったシュナは一度深呼吸をしてから、前を見据えた。
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