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それからの二人

亮の両親に初めて会う話1

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「すっごく似合ってるよ太一!」

 そう鼻息荒く見つめてくる亮に、太一はガチガチな体のまま、本当かよ。とじろりと亮を睨み付けた。



 突如亮に告げられた言葉により、まさかのまさか亮の両親と会うことになった太一は、優雅な朝を迎える事はなく。
 一人物凄く緊張し、それは亮の両親と会う約束をした二時間前の今でも変わらず、むしろ段々と緊張が増し吐き気さえ催してきた太一は、しかし何かの時の為にとつい最近買っておいた自身の持っている服のなかで一番まともで高価な服を身に付けていた。


 白シャツの上にジャケットを羽織り、細身スラックスパンツ姿で姿見の前に立つ太一。
 その姿に、隣に並び立ち先ほどの言葉を投げ掛けてきた亮が、本当だって。と太一の肩を抱く。
 そんな亮の肩にぐりぐりと額を押し付け、しかし太一は珍しく弱音を吐いた。

「……やっぱ反対されたりしたらどうしよう」

 自信なげにそう呟く太一の、いつもより更に小さく見えてしまう体。
 それがひどく愛らしく、ぎゅっと抱き締めた亮は安心させるようゆらゆらと揺れながら、太一の旋毛にキスをした。

「……ごめんね。面倒なことになって」
「面倒とか思ってねぇよ。俺だってお前の両親に会いたかったし、ちゃんと挨拶しに行かなきゃって思ってたから、会うとかそういうのは嬉しいんだけど……」
「だけど?」
「やっぱ受け入れられないって思われたら、どうしようって……」

 亮を見る限り、こんな心優しい人間に育ててきた両親が最初からオメガだというだけで自分を差別はしないだろうとは思っている。だが、由緒正しい家柄のオメガどころか叔父夫婦と絶縁するよう家を出てしまったため、太一は正しく天涯孤独の身であって。

 それにオメガとしても不完全で劣等な自分を見れば、やっぱり落胆してしまうのではないか。

 そう心の中で呟き俯きながらも、ぎゅっと亮を抱き締め返す太一の体は、微かに震えていて。
 そんな太一の不安を感じ取った亮は更に優しく包み込み、不安を蹴散らすよう何度も何度も髪の毛やこめかみ、目尻に口付けては笑った。

「俺は太一みたいな真っ直ぐで綺麗な人に会ったことない。太一は世界一素敵な人だよ。愛してる。それに誰がなんと言おうと俺は太一の全部を愛してるし太一から離れないって決めたから、一生ずっと一緒だよ」

 そう穏やかに微笑みながら、亮がとびきり甘い台詞を吐いてくる。
 その言葉に、不安そうな表情をしながらもキスを受け入れていた太一はようやく眉をハの字に下げつつ、だから大袈裟で重すぎんだよお前は。なんてそれでもどことなく安心した笑みを浮かべた。


「ていうか本当に反対なんてされる訳ないから安心して。むしろ喜んでくれてるし、ただ純粋に太一に会いたいだけだと思うから」
「……だといいけどなぁ」
「そうだって。それに、多分一時間も話したりとかはしないと思うし、そんなに身構えなくていいからね」
「え、そうなのか?」

 亮の言葉に太一がすっとんきょうな声をあげ、抱きついたまま亮を見上げる。
 その下から見つめてくる顔が可愛らしく、最高の角度だ。なんて心のなかで悶えた亮が堪らず太一の少し反り返った可愛らしい上唇をかぷりと噛みながら、うん。と呟いた。
 そんな亮の突然のキスに小さく声を漏らした太一は柔い愛撫にくすくす笑いながらも、受け入れるよう薄く口を開いた。


 見上げてくる瞳がとろんと蕩け、伏せられる睫毛。
 その美しさに吸い寄せられるよう、ちゅ。と唇を這わせ食み、薄く柔い感触が気持ち良くてずっと触れていたいくらいだと、亮が角度を変え何度も何度も唇を押し付ける。
 そんな亮に笑みを湛えたまま背伸びをしてはキスに応える太一の、小さく漏れる声。
 それが部屋に響き、亮が太一の腰をすりすりと撫でながら、もっと。と求めるよう体を抱きすくめれば反射的にするりと亮の肩に腕を回した太一だったが、しかしそんな事をしている場合ではない。と顔を離した。

「……っ、りょ、もう出ねぇと、」
「……まだ大丈夫だよ」
「だめだって」

 こつんと額を合わせ目を伏せる太一に、まだもう少しキスしていたいと亮がねだったが、このままでは時間も忘れ亮を求めてしまうと、太一が亮の体をそっと押す。
 そんな太一にムッとしたよう抱き締める腕に力を込めた亮は、そのまま太一の唇にがぶっと噛み付いた。

「んぅ!? っ、ふ、りょ、ん、」

 些か乱暴に唇を塞がれ、驚き抗議の声をあげた太一だったが、その声すらあますことなく奪い取るよう唇を触れ合わせてくる亮に、太一は次第にとろんとした瞳をしては、ゆっくりと目を閉じてしまっていた。

「んっ、は、んむっ、んぁ……、」

 ゆるりと口を開けた太一の唇の隙間に舌を捩じ込ませた亮に、ぴくりと跳ねる太一の体。
 それに気を良くした亮は満足げに微笑み、太一の薄い背を抱き締めたまま、くちゅりと舌を絡ませた。

 先程までガチガチに緊張していた様子の太一は、もうすっかり亮とのキスに夢中なのか、亮の首に回した腕に力を込め亮の舌にちゅうちゅうと吸い付いては、甘い吐息を溢している。
 その快楽と愛に従順な太一の姿が愛しく、後ろ髪を優しく梳きながら亮が太一の腰のラインを撫で柔らかく小さなお尻に手を伸ばしかけた、その時──。

 ジリリリリリリッと突如鳴り響く音に、二人はぱちっと目を開けた。


「ぁっ……」
「っ、はぁ……」
「……」
「……アラーム、鳴っちゃったね」
「……さっき時間ないって言った」
「……うん」

 名残惜しむよう太一の舌先を甘噛みしてからちゅっと唇を離した亮が、こつんと額を合わせ呟いた言葉。
 それに瞳を伏せ小言を言いつつも、太一も名残惜しそうに一度鼻先をすりっと擦り合わせてくる。
 そんな可愛らしい姿に亮は堪らず太一を強く抱き締めながら、薄い肩にぐりぐりと顔を押し付けた。

「はぁ~~……!! 行きたくない!! そのまま太一とイチャイチャしてたい!!」
「……ふはっ、ばぁか」

 まるで大型犬がじゃれてくるような態度の亮にふっと笑い、太一がその頭をくしゃりと撫でてやる。
 その優しい態度がより一層愛おしくて、口を開けた亮は、目の前にある艶かしくて細い首筋をかぷっと噛んだ。

「んあっ」
「……帰ったらいっぱいシようね」
「……っ、」

 小さく歯が当たっただけなのにも関わらず、敏感な首を優しく食まれ、びくんっと背中を反らした太一が睫毛の先を震わせる。
 痺れるような甘さが全身を貫き、ハッと熱い吐息を溢しながら小声で、……そうだな。とだけ返事をした太一だったが、一度瞳を揺らし、それから亮に甘えるよう首に回した腕に力を込め、胸元にぐりぐりと顔を押し付けた。
 それはまるで、今まで自分に興味すらなさそうだった猫が突然心を開き懐いてきてくれたようにも感じ、ンンッ!! と亮は心のなかで馬鹿みたいに悶えては、太一をぎゅうぎゅうときつく抱きすくめ、ああ行きたくない!! とやはり馬鹿みたいに叫んだだけだった。




 ***



(……まじで胃が痛くなってきた……)

 顔面蒼白になった太一がぽつりと心の中で呟き、ちらりと足元を見る。

 亮に連れられやって来たのは、今まで生きてきて一度も足を踏み入れた事もなければ踏み入れる事すらないと思っていた、高級レストランで。
 そして、こちらです。と通された個室だろう扉の前でガチガチに緊張した太一が小さく息を吸い込んだ、その時。
 そっと隣に並ぶ亮に手を握られた。

 弾かれたように顔を上げた太一の視界の先には穏やかに微笑む亮が居て、まるで何も心配する事はないと言いたげなその優しい顔に、太一がホッと息を吐く。
 だが亮は痛いほど緊張している太一の様子をずっと見ていた為やはり申し訳なさそうな顔をしては、やっぱりまた今度にしようか? と呟いたが、太一はぎゅっと亮の手を握り返し、ぶんぶんと首を横に振った。

「もう俺は何からも逃げたくない」

 ぽつりとそう呟いた、太一。

 何からも逃げたくない。

 その言葉に含まれている意味に、亮が表情を曇らせる。
 自分では計り知れぬほど、今まで太一は何度もオメガに生まれたというだけで諦めざるを得ない状況に追い込まれてきたのだろう。
 そんなどうしようもなさをまるで自らのせいだと言うような太一の口振りに亮は眉を下げ、その薄い体にどれだけの辛さを詰めて生きてきたのだろうか。と一度鼻を啜ったが、それからぎゅっと太一の自分よりも一回り小さい掌を強く握り返した。

「……俺がずっとずっと、側に居るから」

 太一の今までの生き方を逃げだなんて言って欲しくはなかったし、逃げだなんて思ってもいないが、ぬくぬくと生きてきた自分がそう易々と言える言葉でない事も、亮は分かっていて。
 だらこそ精一杯今の自分が言える最大の言葉をかければ、……うん。と嬉しそうに表情を弛めた太一の無垢な笑顔が愛らしくて、亮は一度深呼吸をしてから目の前の扉に手を掛けた。


 ……キィ、と小さく軋む扉。

 途端に室内の明るさが目を焼き、それでも真っ直ぐ前を見据えたまま、亮と太一は共に一歩足を出した。





「──父さん、母さん」

 広々とした部屋の中、程よく品よく装飾が施された白いテーブルの前に腰かけていた亮の両親が扉が開いた瞬間立ち上がったのか、真剣な眼差しで二人を見ている。

 まるで、時が止まったかのように見つめ合う、四人。

 その数秒の、だがその場に居る全員には一生にも感じた沈黙を破ったのは、がっしりとした体躯を上質なスーツで包み、老いを感じさせぬ端正な顔をした亮の父親だった。


「……亮、それから、太一君」

 渋く、深みのある声が静かな部屋に響く。

 世界的に有名な近衛グループの社長であり、自分にとっては一生縁のない人だと思っていた、正しくアルファの貫禄を漂わせた亮の父親に名前を呼ばれ、太一が一瞬体を強張らせる。
 そんな太一を見て、亮の両親は深く深く、ゆっくりと頭を下げた。

「突然呼び立ててすまない。……ただ、どうしても一目会いたかったんだ」

 そう話し、それから顔を上げた二人はとても穏やかな顔をしては、小さく微笑んだ。


「……息子を、私達の関係を変えてくれた君に、どうしてもお礼が言いたくて」

 厳格だが、どこか穏やかさの滲む声と眼差しを太一に向けた、亮の父親。
 その言葉を太一がきちんと理解する前に、またしても亮の父親は言葉を続けた。

「……君に出会えて、亮は、私達親子は変われたと思っている。太一君、亮と出会ってくれて、亮を選んでくれて、ありがとう」

 そうはっきりと言い放ち、太一を真っ直ぐ見つめる、二人の眼差し。

 亮と良く似た綺麗な美しい瞳をした亮の母親と、亮と良く似た体躯をしまごうことない自信に満ち溢れたアルファである亮の父親が、頭を下げている。

 ありがとう。と誠心誠意を込めて頭を下げ自分を慈しむような眼差しで見つめてくる二人に、……何が起こっているのだろうか。と呆けた表情をしたあと、それから数秒後、太一は堪らずぐしゃりと顔を歪め、ぼろっと涙を溢してしまった。


 ……何か返事しなければならないのに。
 ……まだ自己紹介すらしていないのに。
 ……泣くつもりなんて、なかったのに。

 そう思うのに、それでも喉がひりつくように痛くて、胸が苦しくて、とてもじゃないが言葉をまともに紡げそうにもなく、太一は情けなく圧し殺し切れなかった嗚咽を小さく溢しただけだった。


 身寄りもなく、みすぼらしく泥水を啜るよう生きてきたオメガの中でも底辺である自分。
 アルファには勿論ベータにですら蔑まれ、汚ならしい物を見るような目で見られる事が当たり前で、そしてそれが世の常識だと自分ですら疑わなかった世界。
 そしてこんな自分なんかに突然息子を奪われたにも近く、だからこそ、亮の側に居させてくださいと頭を下げ続ける為にここに来たのに。

 そう密かに決意してここに立ったというのに、その常識も、その無駄だった決意もがらがらと目の前で音を立てて崩れて行く気がした太一は、足元を見た。

 ぽた、ぽた、と無様に落ちては美しいカーペットに染みを作っていく、大粒の涙達。

 それを止める術すらなく、太一は小さく呻きをあげたまま、緊張していた糸がぷつっと切れてしまった。とみっともなく足元に落ち続ける自分の涙を歪んだ視界で見つめ泣きながら、それでも必死に喉を抉じ開け、情けなく息をひきつらせ、口を開けた。


「……お、俺の方こそ、亮さんに、出会えて、変わった、んです、……俺のほうこそ、あり、がとうっ、ございますっ……」

 なんとも弱々しく、最後の方は消えてしまいそうな小さな声でありがとうと返し、深く深く、太一が頭を下げる。
 ろくに言葉も紡げず、年甲斐もなく泣きじゃくりながらそう返す事しか出来ない自分をやはり情けないと思いながらも、それでももう、太一にはそれ以外に言える言葉など、どこにもなかった。



 隣でぼろぼろと泣き頭を下げる太一を見て同じようにぼろっと泣いた亮が、こんな時になんて声をかければいいのか、分からない。と情けない顔で太一の手を強く強く握り、それでも、泣かないで。と言うように太一の腕を引いては抱き締め、両親を見た。

 ──二人が誰かに頭を下げる所を見るのは、亮も生まれて初めてだった。


「……太一を泣かせないでよ」

 そう憎まれ口を叩きつつも嬉しそうに笑い泣く亮と、そんな亮の腕の中で声を殺して泣く太一を見ては両親も小さく口元を弛め、……そんなつもりはなかったのだけど。と小さく呟いた亮の母親も、どことなく綺麗な瞳を美しく潤ませているように見えた。


 その空間には、ただただ、愛しかないように思えた。




 
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