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第1章2 無名の怪物
28. ファーストブレイク
しおりを挟む遥は残り時間が一分十秒になったのを確認するとつかさにボールを託した。
これより先は一本たりとも落とせない。落とさなかったとしても相手に決め返されてしまえば意味がない。
ボールを手にしたつかさが密集地帯を切り裂いていく。当たり前のようにシュートを決め、おまけにファウルまでもらってきた。
一分六秒で時計が止まる。
最初からこのプレーをしてもらえばよかったと、遥は落ち着かせるために使った時間をもったいなく思った。
念のため伝えにいく。つかさの耳元で、
「できるだけ時間使って」
「うん。わかってる」
審判がオフィシャルにファウルを伝え終わってから、つかさはゆっくりとフリースローサークルに入った。
味方をを少しでも長く休ませるため、ボールを受け取ってからもドリブルしたりボールにスピンをかけて手のひらで転がしたりとめいっぱい時間を使う。
ルール上フリースローは五秒以内に打たなくてはならないと定められている。そのルールに抵触する五秒ぎりぎりでつかさはボールを放った。
リラックスした柔らかいフォームから危なげなくシュートが決まる。
三点プレーの成功で点差を一桁の九点とした。
東陽に動揺は見られない。変わらず速いパス回しからアウトサイドにフリーの選手を作られミドルシュートを打たれた。
「ごめんズレた!」
シューターがボールをリリースした瞬間叫んだ。
インサイドではリバウンドのせめぎ合いが始まる。
ズレたとの報告通りシュートはリングに弾かれた。
ぽーんと大きく跳ねたボールはインサイドでポジション争いをしていた者たちの頭上を越え、フリースローライン近くへ飛んでいく。
絶好のポジションにつかさがいた。その近くにいた敵も飛ぶ。
つかさがリバウンドを掴むと確信したのか、スタートを切った早琴が右サイドを駆け上がる。しかし警戒されているのでそれよりも早く敵が一人戻り始めていた。
でも。失敗続きの早琴に対する油断か、あるいは点差による気の緩みか。そんなゆったりした戻り方では甘いと遥は思った。
早琴に走られるのを警戒するのであればもう少し早く、あるいは全力で戻るくらい万全を期さなければいけない。
つかさがリバウンドを掴んだ。体勢はあまりよくない。着地してから早琴へ繋げようとしてもおそらく間に合わない。
遥は早琴とディフェンスの位置を視界の端で確認しながらその逆サイド――左サイドから若干斜め方向に走りながらパスを求める。
「つかさちゃん!」
左手を前方に出す。空中から送られたパスが綺麗にそこへおさまる。パス体勢に移るのとタイミングを合わせるため、二歩走りながら胸の前でボールを構える。
早琴ちゃんの走りは絶対無駄にさせない!
〇
なけなしの力をふり絞り早琴は走る。
前のめり気味に腰を上げた岩平が固唾をのんで静止する。
早琴は一瞬後ろを振り向く。遥がパスを中継していた。
速攻に備えて背走していたディフェンスに早琴はあっという間に追いついた。慌てて体の向きを変えようとした敵は足が絡まりそうになる。
とうとう横並びになったとき、ゴールまでの距離がさほどないことに気づいた。
少しでもパスが遅れた場合、早琴にはシュートまで持っていく技術はない。さらにディフェンスとの距離がほとんどないことから精密なパスが要求された。
早琴に得点のチャンスがあるとすれば速攻。だがそれは右、左とステップを踏んで右手でのレイアップシュートに持ち込められればの話。もたもたしてしまえば追いつかれてシュートを打つことすら難しくなる。
早琴が後方に顔を向けながら右手を前に伸ばすのと同時、遥がバウンドパスを出した。
わずかに後ろを走る敵は通させまいとバウンドしたボールに手を伸ばす。
あ、取られる。
早琴の思いに反しボールはその指先すれすれを通過。道を切り開き早琴の走る前方のスペースへ抜け出た。無理に手を伸ばしたディフェンスは体勢を崩している。
捕球できるか不安になったが、ボールが胸の高さまで跳ね上がってきた。全速力で走っているのにとても取りやすかった。
タンタン、と右足から踏み出し左足で体を押し上げる。
ふわりと体が浮き上がる感覚があった。こんなのは初めてだった。いつものジャンプした感覚ではない。飛び上がった瞬間体重が軽くなったとか重力が軽減したかのような感覚。
そして時の流れもゆっくりに感じた。床から足が離れてからゴールに近づいていくその間がいつもの何倍も長く感じる。
成功、失敗のマスがいくつもある目押し型のルーレットがあるとすれば、普段の早琴であればレイアップの難度は高速で回るルーレットを成功マスで止めるようなもの。びたっと止まるときもあれば滑るときもある不安定なものだ。
しかし今は低速。滑ることも緩急の変化もない。
外す気がしなかった。
「いけーっさっこちゃん!」
ベンチからの声。
レイアップは置いてくるだけでいいという真意、そしてその感覚がはっきりとわかった。
「いけ……おっし!」
岩平が胸の前で右の拳を握る。ベンチとコートに立つ味方が歓喜に沸く。
「いやったーっ!」
「ふおおおおっ、早琴さんが決めました!」
もなかもスコアをつける環奈も飛び上がるように立ち上がり、ハイタッチを交わす。
初得点。シュート練習では味わえない、しばらく浸っていたくなるような快感。ボールがリングを通過しネットに絡まる感覚が身体に流れ込んできた。
早琴は心の中でつぶやいた。
これはやめられないなあ。
〇
速攻から早琴のレイアップが決まり七点差。
チームの得点だからもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、遥は早琴の初得点が自分のことのように嬉しかった。
ベンチから、コート内の味方から、歓声が湧き上がる。そこには経験の浅い選手や実力は劣るが練習に真摯な選手らが得点したとき特有の悪意のない笑いが含まれていた。
独特の盛り上がりに東陽側はどういう選手に決められたのかを再認識する。そして目を背けるのだ。大丈夫、今のはたまたま。点差もまだ余裕がある。
だが一種のお祭りムードが一気に流れを呼び込む。
東陽の攻撃。
ドリブルを始めた相手に対し、つかさは一度ディフェンスの手を緩めるとみせかけてから再度プレッシャーをかけた。
すると相手は慌てた。笛が鳴る。
「ダブルドリブル!」
「え、マジ」
流れは目に見えない。だがそれは間違いなく存在する。
目まぐるしく攻守が入れ替わるバスケットボールは流れのスポーツと言われる。いかに流れを呼び込めるかで勝敗が決まると言っても過言ではない。
流れを奪われたチームが普段ならありえないミスを連発することは往々にしてある。流れを味方につけたチームはその逆だ。一度流れを掴めば点差が十点であろうと二十点であろうと、時間さえあればあっという間にひっくり返してしまう。
流れというのはそれほどまでに強力で恐ろしい。
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