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第1章
14. 朝練
しおりを挟むぴーんと張り詰めた朝の空気はひんやりとしていた。こんな日はいつもとは違う一日になりそうな予感がする。
遥は七時までに学校に到着できるよう家を出た。制服のブレザーを羽織っていても少し肌寒い。
高校生活四日目の今日、初日の新鮮さはまだそれほど薄れていない。けれどあの日以上に今朝は学校までの道のりが新鮮で清々しい。
昨日、一昨日と目にしていた生徒がぞろぞろと登校してくる姿もこの時間には見当たらず、辺りはしんとしていた。
どこかでキジバトが鳴いていた。早朝から活動している気分が一層強くなる。
正門から入り直接体育館へ向かう。
なんだか視界がぼやけるように感じた。
朝靄だとすぐにわかった。靄がかかった学校は非日常が始まりそうな気分にしてくれた。
人の気配を感じた。ちらっと後ろを向く。舞がすぐ近くまで来ていた。
「おはよ」
「おはようございます」
舞の挨拶は爽やかで自然だった。だから遥も同じように形式的ではない挨拶を返すことができた。
舞が隣に並ぶ。そのままふたりは歩き始めた。
体育館の正面入口の錠が開いていたのですぐに中へ入ることができた。
まずは部室で練習着に着替える。
高校一年生からすれば三年生はとても大人びて見えた。接しづらくても無理はない。知り合ってから日が浅ければなおのこと。部室には舞と二人きり。気が詰まる。落ち着かない。誰か来て。気まずさが渦巻きやすいシチュエーション。部室までの道すがら、遥に不安がなかったと言えば嘘になる。
予期に反して遥は落ち着いていた。鞄から練習着を取り出しながら、緊張していない自分を不思議に思った。
同じ目線で話してくれるからなのかと思ったが少し違う気がした。調子を合わせてくれているふうではない。先輩というより同学年と一緒にいる感覚に近かった。それでも昨日今日の付き合いだ。どこかぎこちない距離感はある。
遥が着替え終えたタイミングで部室のドアが開いた。
環奈と早琴が眠気を感じさせない挨拶をして入ってきた。
「先行ってるね」
「あ、私も行きます」
ドアが再度開いた。もなかと杏だった。
遥と舞、それから着替える必要のない環奈の三人は一足先にコートへ向かった。
遥は壁面に折り畳まれたバスケットゴールを展開させる。ゴールは床と平行にゆっくりと伸びていく。
反対側のゴール下では環奈が同じ作業をしていた。その隣には舞がいて時折笑みを浮かべながら何やら話している。
部内で電車通学をしているのは三人。その内の二人が舞と環奈。もう一人は早琴だ。舞は昨日、電車組が自分だけではなくなったことを喜んでいた。その他の部員は徒歩か自転車で遥とつかさが徒歩だった。
ゴールの準備を進めながら、つかさは朝練に出てこられるのだろうかと考えた。朝練は無理でも、せめてHRには間に合うといいけど。
つかさの家は学校まで徒歩十分圏内にあるとのことだった。それでも朝に弱く中々起きることができず、入学日から昨日まで三日連続で遅刻している。
世話役を買って出ようかと思わされるほどに、つかさには日常生活においてどうにも放っておけない危なっかしさがあった。しかし行動には移さなかった。遥を思い止まらせるやりとりがあったからだ。
モーニングコールしましょうか。提案したのは環奈だった。なんなら迎えに行きますよ。とも言っていた。
これに対しつかさは礼を言いつつもすっぱりと断った。その声音にはつかさの意志のようなものが宿っており、今は口を出さないほうがいいのかも、と遥は考えを改めたのだった。
ゴールを出し終えた遥は個人練習を開始する。ボールケースから一球取り出しリング下へ向かう。
昨日の練習は遥に衝撃を与えた。これまで疑いもしなかったものが覆された。
『4スタンス理論』。簡単に言えば、何をするにも人にはそれぞれ先天的に適した体の使い方があり、それらは大まかに四つに分類されるというものだ。
つま先の内(A1)か外(A2)。かかとの内(B1)か外(B2)。自然とどこに重心をかけているかで分けられる。
タイプチェックの結果、遥はB2(かかとの外側)タイプであることが判明した。
シュート時はどうボールを持っているかと岩平に聞かれた。
遥は実際にボールを持つ。初めてシュートを教わった頃から今までフォームの変化こそあれ、ボールの持ち方だけはずっと同じだった。
手のひらにはボールをつけず親指・人差し指・中指の三点で支えるように構えた。シュートを打ってみるよう言われた。
「打ちやすいか?」
「はい、まあ。これに慣れているので」
「べったりつける必要はないけど手のひらもボールにつけて打ってみて」
「え」
手のひらは浮かせる。それが遥の常識であり体にすりこまれたことだった。
岩平はタイプ別の特徴を説明した。手であれば、つま先(A)タイプは指先、かかと(B)タイプは指の付け根で握ったりするのが力が入りやすいということだった。
「まあいいから一回打ってみな。指先で押し出す感覚も忘れたほうがいいかも」
遥は指のつけ根あたりで包み込むようにボールを支えた。
なぜだかしっくりきた。少しの力で遠くまで飛ばせそうな気がした。
力を抜き軽くシュートを放つ。少し勢いが強くなったボールはゴールには入らなかった。
「どうだった」
「こっちのほうが打ちやすいです……」
信じがたいことだった。何千、何万とシュートを放ち、慣れ親しんだ打ち方よりも初めて試した打ち方のほうが打ちやすいなんて。
かたっと、なんの引っかかりもなくピースがはまったかのようだった。これまでの打ち方は正しいピースの組み合わせではないが押し込めば一応ははまるもの。その感覚に慣れてしまっていたからそれが最適な組み合わせだと思い込んでいた。
岩平が従来の打ち方も決して悪いものではないと言った。ただそれで打ちやすいのはつま先(A)タイプの人間に多いのだと。
思い返せば改善前の打ち方ではブランク明けには決まってぎこちなくなっていた。もしかするとそれは、その打ち方は合わない型だという体からのサインだったのかもしれない。
打ち方の変更に伴い、遥はシュートフォームもこれまでの2モーション(ジャンプ後ボールを頭の上でセットしてから打つもの)から、1モーション(継ぎ目のない流れるようなシュートフォーム)に変更した。
Bタイプは1モーションのほうが打ちやすい場合が多いらしい。試してみると好感触だったので採用することにした。
今朝の練習はその新フォームを体に馴染ませることが目的だ。
ひとまず今は遠くからのシュートは行わない。リングから二、三歩離れた近い距離からワンハンドのセットシュート(ジャンプをしないシュート)を中心にフォームと感覚を確かめながら何本も繰り返す。
力を抜いて楽に構える。手首も柔らかく。無駄な力はいらない。最終的にはこれらを無意識に行えるように。
遥の放ったボールがリング手前に当たって手元に戻ってきた。
届かなかったのは単なる力加減のミスだ。問題は、軽く曲げた膝を伸ばしながら上体を起こすのが一、肘を伸ばすのと連動して手首を返すまでが二、と動作が分離していたことだ。外から見ればそこまで極端な動きにはなっていないものの、遥からすれば動きの繋ぎ目で停止している感覚だった。
これじゃだめ。流れるような動きで一つの動作に。遥は修正を試みる。
力を抜いてもう一度シュート。
またリング手前に当たったが、今度はリングの内側に弾んでネットをくぐった。
今のは中々によかった。しかし手首のスナップを意識しすぎていた。つまり手で打っていた。
意識的にスナップを利かせる必要はない。手首の力を抜き、肘をつき出してやれば自然と手首が返りボールにスピンをかけることができる。
遥は脱力し手首を振った。
力みを抜いてシュート体勢に入ろうとしたとき、リングに弾かれたボールが自分の近くに落ちてきた。
遥は自分のボールを右手で持ったまま、空いている左手で力なく弾んでいるボールをドリブルして引き寄せた。早琴が申し訳なさそうにしている。
「ごめん」
「いいよ」
遥は投げ返す。早琴はバウンドして戻ってきたボールを受け取った。
「ありがとう」
遥は改めてシュート体勢を取る。
その後も一定の距離から何本もシュートを打ち続けた。
ちょうど片付けが終わって引き上げようとしていたときだった。つかさが制服姿で体育館に現れた。
「間に合わなかった」
「でもいつもと比べたらずいぶん早く来られたね」
環奈たちも集まってきてつかさを褒める。
朝早くから学校に来ていてもHRに間に合わなければ遅刻とみなされる。そんな事態を避けるため、遥たちは時間に余裕を持って体育館を後にした。
「朝練に出てくれば遅刻しなくてすむね。明日からも起きられそう?」
「明日はもう少し早く起きられそうな気がする」
ふと、アメリカではどんな調子だったのかと疑問に思った。高校生活初日から続けて遅刻。本人も朝に弱いことを認めている。もしかすると前の学校では遅刻数がとんでもないことになっていたのではないか。
遥は率直に聞いてみた。
「向こうの学校では遅刻したことはなかったわ」
意外な返答に疑問は深まった。つかさは続けた。
「毎朝起こしてもらえたから」
「今は一人で起きてるってこと?」
「うん。これからは自分のことは自分でできるようになりたいから」
そういうことだったんだ。環奈のモーニングコールを断った理由が理解できた。
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