あやかし娘とはぐれ龍

五月雨輝

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激闘の果てに

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 屋敷の中には灯りがついていない。
 増蔵の姿もすでに見えない。
 ゆみは真っ暗な廊下の中で立ち止まり、耳をピンと立てた。
 庭の乱戦の音がけたたましく響く中、屋敷内の足音を探る。

 ――あっちだ!

 板や畳を踏む音を聞き取り、ゆみはそちらの方へ走った。
 書斎の前を通り、その隣の間を抜け、料理の間へと入った時、砂を踏む音が聞こえ、次に重い戸を開ける音が聞こえた。
 ゆみは料理の間から中廊下へ出て、更にその外の中庭に出た。
 向こうに、戸が開けっ放しになっている土蔵があった。
 ゆみは中庭を疾走し、土蔵の中に飛び込んだ。

 増蔵は、やはりそこにいた。
 しかも、奥の壁際に猿ぐつわを噛まされた上で縛られている園江と源之介に向かって、正に匕首を振り上げているところであった。

 ゆみは跳躍して増蔵の背に飛び掛かり、十本の爪を立てて思いっきり引っかき下ろした。
 増蔵は呻き声のような悲鳴を上げ、背中を仰け反らせた。

「なんだっ!」

 増蔵は振り返り、白猫のゆみを見ると、

「さっきもいたおかしな猫か? この野郎!」

 増蔵は激昂し、ゆみに向かって匕首を伸ばした。
 ゆみはさっと躱して積んであった薪の上に駆け上がると、そこから更に飛び上がって増蔵の頭を引っかいた。

 ――父上が来てくれるまで……。

 ここで増蔵が源之介たちを手にかけるのを邪魔しつつ、龍之介が来るまでの時間稼ぎをしなければならない。


 だが、龍之介は熊田十蔵に押されていた。

「本龍。今日で三度目だが、認める。貴様は強い。これまで数多くいた天野道場の門弟の中でも上位を争うほどかもな。とてもあの時のチビと同じ人間とは思えねえ」

 熊田十蔵は、上段に構えながら龍之介に言った。

「だけどもうわかっただろう? 俺には勝てねえ」

 十蔵は不敵に笑った。

「…………」

 龍之介は平正眼に構え、乱れた呼吸を整える。
 熊田十蔵はまだ息は乱れておらず、余裕があった。
 熊田の斬撃はとにかく重い。まともに受けると腕や身体が押され、反撃に出るのが遅れるので受けに回りがちになってしまう。
 大上段に構えているので胴はがら空きであり、そこを上手く突ければ良いのだが、熊田は長身巨躯であるが故に間合いが遠く、飛び込んで攻撃するのも困難であった。

 ――早くこいつを斬って源之介たちのところへ行かねえといけねえのに……ゆみだって危ねえ。

 龍之介の中で焦慮が膨れ上がる。

 ――だが、焦るな、焦るな……焦りは命取りになる。そして自信と余裕も……。

 龍之介は、ふうっと大きく息を吐くと、剣尖の先に熊田十蔵の目を見据えた。
 と、再び十蔵が大上段から激しく斬り込んで来た。
 龍之介は斬り上げで防ぐ。
 再び十蔵が上段からの真っ向斬り、龍之介は撥ね返して後方へ飛び、間合いを取る。

 ――この上段からの唐竹割りが厄介だ……だけどきっとここが隙になるはずだ。

 龍之介は再び息を吐くと、構えを解いて右手で剣をだらりと提げた。

「なんだ貴様?」

 十蔵が目を怒らした。

「なめてるのか?」
「そうじゃねえ」
「では諦めたか?」

 十蔵は冷笑すると、飛び込んで来て再び上段から斬り下ろした。
 龍之介はパッと飛び下がってそれを躱す。

「野郎……」

 十蔵はぺっと唾を吐き、再び上段から激しく斬り込んだが、またも龍之介は飛び下がって躱し、次に右に回り込んだ。
 十蔵はまた追いかけて斬り下ろし、返す刀で斬り上げたが、その二太刀とも、龍之介はとんとんと飛んで躱した。
 龍之介は剣を構えていない分、躱しやすかった。
 一歩間違えれば斬られてしまう危険性もあったが、龍之介はこの戦法に賭けた。
 だが、これが数度続くと、十蔵が怒鳴った。

「撃ち合え、本龍!」

 十蔵は苛立ちと怒りで顔を真っ赤にし、龍之介を追いかけては上段からの真っ向斬りと斬り上げを繰り返す。

 ――もう来たか。

 龍之介は見抜いた。
 熊田十蔵の斬撃の速度が遅くなったことを。軌道は流石にぶれないが、威力も速度も落ちて来ている。

「てめえはもうここで終わりだ」

 龍之介が静かに言うと、

「ぬかせ!」

 熊田十蔵は咆哮しながら再び真っ向から斬り下ろして来た。
 龍之介は躱さず、斬り上げで撥ね返した。手に衝撃は無い。十蔵の剣の重さは明らかに落ちている。

「おのれっ」

 十蔵が再び斬り込む。
 三度、四度、撃ち合いとなって剣花が青白く弾ける。

 そして五度目、刃が十文字に激突した後、二人は位置を逆にしてパッと離れた。
 しかしその間合い、わずかに一間。
 熊田十蔵、振り返るや再び得意の唐竹割りを浴びせようと上段に剣を上げた。
 だがその時には、神速で間合いを詰めて来た龍之介が懐に飛んで来ていた。
 十蔵が目を瞠った瞬間、龍之介は低く飛びながら右一文字に十蔵の腹を斬り裂くと、向こう側に下り立った。
 龍之介が振り返ると、熊田十蔵も上段に構えた剣を振るわせたまま、ゆっくりと振り返った。
 その腹からは血が溢れている。

「斬りやがったな……本龍……」

 致命傷を受けながらも、十蔵は折れない闘志に目を血走らせていた。
 一歩、二歩、と巨躯を揺らしながら歩いて来る。

 龍之介は再び平青眼に構えた。
 だが、遂には熊田十蔵の膝も折れた。
 剣が転がり落ち、十蔵は両手をつきながらも龍之介を睨み上げていたが、やがてはその顔も落ちて砂利の上に突っ伏し、広がる血だまりの中に動かなくなった。

 ――性格はあれだが、凄い男だった……。

 龍之介は倒れた十蔵を見下ろしながら、乱れた呼吸を整えた。
 庭を見回せば、まだ斬り合いは続いていたものの、与四郎の活躍で増蔵一味が全滅するのはもうすぐだと思われた。

 ――まずい、急がねえと。

 龍之介はゆみのことを思い出し、縁側に飛び上がった。
 以前、数年は住んでいた屋敷なので間取りは把握している。

「ゆみ、どこだ! 源之介!」

 龍之介は大声を上げながら暗い屋敷の中を走り回った。

「増蔵、どこにいやがる!」

 一旦玄関から外に出て長屋を見回したが、何も気配は感じられない。
 再び屋敷内に戻り、部屋から部屋へと走る。
 すると料理の間に来た時、中庭の方から物音が聞こえた。

 ――土蔵か!

 龍之介は廊下から中庭に飛び降りた。


 その頃、ゆみは必死に増蔵を食い止めていた。
 増蔵が源之介と園江を殺そうと匕首を振り上げる度、白猫のゆみが増蔵の顔を引っかいたり、脚を噛んだりして邪魔をする。
 その為、増蔵は先にゆみから仕留めようとしていた。

「この化け猫が!」

 増蔵は匕首を振り回してゆみを狙おうとするが、ゆみは人間の意思を持った猫である。
 すばしっこく逃げ回っては増蔵を爪で攻撃する。
 増蔵の顔面も脚も腕も、血がにじむ引っかき傷だらけになっていた。
 しかし、ゆみもまた疲労が重くなって来ていた。
 薪の上に逃れ、小さな身体で激しく呼吸をする。
 それでも闇に光る両目は増蔵から放さない。
 だが、増蔵がにやりと笑った。

「そのままそこにいやがれ」

 薪の上に逃れたのを良い隙だと見て、増蔵が源之介に向かって匕首を振り上げた。

 ――あっ!

 ゆみは反射的に動いた。
 増蔵の手首を引っかこうと、薪の上から飛び掛かった。
 しかしそれが罠だったらしい。
 増蔵が残忍な笑みをこちらに向けたかと思うと、匕首をゆみに向かって振った。
 刃がゆみの胸から腹を抉った上、ゆみの猫の身体は斬撃の勢いで壁まで飛ばされ、どさっと落ちた。

 それを見ていた源之介と園江、猿ぐつわを噛まされているものの、何とか声を発そうともがく。

「へっ、ざまあ見やがれ」

 増蔵は吐き捨てると、

「さて、次はおめえら二人の番だ」

 と、匕首を握り直した。
 そして真っ直ぐに源之介に突き出したーーだが、

「うっ」

 増蔵が悲鳴混じりの呻き声を上げた。
 背中に剣が突き刺さっていた。
 間一髪、駆けつけて来た龍之介の剣だった。
 増蔵が憤怒の顔で振り返った。

 龍之介は剣を引き抜くと、袈裟がけに増蔵の肩から腹まで斬り下ろした。

「くそっ……」

 増蔵はそれでも匕首を龍之介に向けようとしたが、再び龍之介が右一文字に斬ると、増蔵は言葉も発せずに崩れ落ちた。

「大丈夫だったか? 怪我はないか?」

 龍之介は源之介と園枝の猿ぐつわを外し、縄を切った。

「父上……父上!」

 源之介は泣きながら龍之介に抱き着いた。

「恐かっただろう……よく頑張ったぞ。でももう安心だ」

 龍之介は源之介の頭を撫でながら、

「園江……どのも、無事で何より」

 元妻にも声をかけた。

「ありがとう……ありがとうございまする」

 園江も泣きじゃくりながら礼を言った。

「うん、うん」

 龍之介は、ほっと一安心したが、ハッとゆみのことを思い出す。

「ゆみは? ゆみはどうした?」

 周囲を見回すと、戸の横の壁際で血を流して倒れている白猫を見つけた。

「ゆみ!」

 龍之介は絶叫し、ゆみに駆け寄った。
 目は開いている。まだ生きていた。
 だが、横にして見れば腹から真っ直ぐな斬り傷があり、血はまだ流れ続けている。

「ゆみ、人間に戻れるか? おい、ゆみ!」

 龍之介は大声で問いかけたが、返事はなく、人間に戻りもしない。

「死ぬなよ」

 龍之介は羽織の裾を剣で斬り裂くと、その布切れでゆみの腹の傷を縛った。
 そしてゆみを抱き上げると、土蔵から走り出た。

「医者へ……猫を見られるかわかんねえが、医者へ連れて行ってやるからな!」

 龍之介はゆみを抱きながら中庭から屋敷の中へ入り、さきほど斬り合いをしていた庭へ駆け戻った。
 そこでは、すでに勝負は終わっていた。
 忠兵衛組と与四郎たちにより、増蔵一味は壊滅させられていた。
 血の臭いが立ち込める中、ゆみを抱えた龍之介は、与四郎と忠兵衛に大声で訊いた。

「この近くに医者はいないか? 誰か知らないか?」
「医者……? この辺りでは知らんな……」

 与四郎も忠兵衛も伝吉も、返り血まみれの顔を振った。

「くそっ、仕方ねえ」

 龍之介は自ら探しに行こうと、ゆみを抱えたまま駆け出した。
 だが、そこで気付く。
 先程までは感じていた、ゆみの心臓の鼓動が感じられない。
 龍之介は愕然として立ち止まった。
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