あやかし娘とはぐれ龍

五月雨輝

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押上村の廃寺

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 しかしその時であった。松倉町の方から激しい物音がしたかと思うと、

「喧嘩だ! 誰か来てくれ!」

 と、大声で喚きながら一人の男が猛然とこちらへ走って来た。
 龍之介はその男を横目で見ると目を瞠り、

「おめえ……」

 と言いかけたが、相手の男が意味深に目配せしたので口をつぐんだ。
 その男は忠兵衛組の伝吉であった。
 伝吉はそのまま与四郎へ走り寄り、

「もしかして八丁堀の旦那じゃねえですかい? 向こうの居酒屋で男二人が喧嘩してるんでさ、止めておくんなせえ」
「喧嘩だと?」
「へえ。えらい勢いなもので、客は逃げちまうし店の親父も迷惑だしで、どうしたらいいもんかと」
「む……」

 与四郎は困った。普段であれば引き連れている小者をそっちに行かせ、与四郎自身はこのまま龍之介に当たるのだが、今日は小者を連れていない。

「旦那しか止められねえ、早く来てくだせえ」
「くそ……仕方あるまい」

 与四郎は恨めしそうに龍之介を見て、

「龍、そこで待っていろ。と言っても無駄だろうが」

 と、無念を引きずりながら松倉町の方へ走った。
 伝吉は「あそこの真ん中の店です」と、案内するように与四郎の後をついて行ったが、それは振りだけで、すぐに与四郎に気付かれないように駆け戻って来た。

「おめえは確か忠兵衛組の伝吉とか言う……どういうことだ?」

 龍之介が目をぱちぱちさせると、

「いや、実はこの辺にうちのシマを荒らしてる例の連中が出没してるらしいとの噂を聞きまして、今日子分二人を連れてあちこち回ってたんですよ。で、もう日も暮れるので向こうの居酒屋で飲んでましたら、見覚えのある二人の同心がそこのお屋敷を見張っているようでしたので、もしやあの連中と何か関係があるのか、と思って見ていたんですよ。そうしたらあの二人が急に店を出て走り出したんで、俺たちも出て行って見て見たら、はぐれの龍さん、あんたが囲まれているところだった。で、事情はわからねえが、何か手を打って助けた方がいいんじゃないかと思いまして、子分二人にわざと芝居喧嘩させた、ってわけです」

 伝吉が説明すると、龍之介はふっと笑みを見せた。

「そうだったのか。おかげで助かったが、わざわざ俺を助けなくても良かったのによ」
「いえ、親分からは、龍之介さんが何か困っているところを見たら助けろ、と言われてますので」
「へえ、そうか。あの親父、かなり義理堅いんだな」
「親分は仇も忘れねえが、恩はそれ以上に忘れねえ人です」
「侠客か。ま、とにかく助かった、礼を言う」

「何かあったんで?」
「おめえらの賭場を荒らしていた連中な、やっぱり秋野屋を襲った奴らと同じだった」
「え、本当ですか」
「で、その尻尾を掴んだんだが……ああ、いけねえ、悪いが話はまた今度だ。俺は早くここを離れて奴を探さねえと。もう一人の同心に捕まってるかも知れねえが」

 と、龍之介が走り出そうとしたところ、伝吉が、「待ってくだせえ」と言って、

「龍之介さん、奴らは俺たちの敵でもある。追うんなら俺もお供しますぜ」
「好きにしろ」

 二人は、睦助を探して夜空の下を駆け出した。

 松倉町の西の方は、寺社地と町屋が混在し、道が複雑に入り組んでいる地域である。
 西へ逃げた睦助が杉内彦左衛門に捕まっていないとすればその辺りを逃げている可能性が高い。
 龍之介は、松倉町で伝吉の子分二人の芝居喧嘩を仲裁している与四郎に見つからないよう、迂回してその一帯に向かった。
 すると、松浦家の屋敷の向かい、表町の間の通りに入ってすぐに、杉内彦左衛門とその小者二人が話し込んでいるのを見つけて、近くに置かれていた大八車の物陰に隠れた。

「馬鹿野郎、まんまと逃げられやがって」

 彦左衛門が身を縮めている小者二人を叱りつけていた。
 どうやら完全に睦助にまかれてしまったらしい。

「良いのか悪いのかわからねえが、睦助は逃げたらしいな」

 彦左衛門らの様子を見て、龍之介は腕を組んだ。

「そいつの居場所は知ってるんですか?」

 伝吉も彦左衛門らを窺いながら龍之介に訊いた。

「ああ、奴は本郷の坂本って言う旗本のところで中間をしている」
「本郷か、遠いな」
「だけど、そこで奉公していることは俺に知られてしまってる。奴はのこのこそこへ帰るような馬鹿はしねえだろう。となると、もう夜でもあるし、一旦身を隠す為に、奴がさっき言っていた押上村の繋ぎをつける場所に向かったかもな」
「押上村なら近い。その可能性は高いですね」

 だが一口に押上村と言っても、その範囲は非常に広い。
 龍之介は忠兵衛組の伝吉と共に業平橋を渡り、西尾家の屋敷の裏を回ってから押上村に入ったが、そこからどうやって睦助の言った「繋ぎをつける場所」を探せばいいのか、皆目見当もつかない。
 しかも今は夜である。
 月明りしか無い暗闇の押上村の中で、龍之介と伝吉は困り果てていた。

 すると、後ろの方で小動物が動いたような草ずれの音がしたかと思うと、急に「父上!」と大きな声が響いたので、二人は驚いて飛び上がりそうになった。
 振り返れば、そこには少女姿のゆみが立っていた。

「ゆみか、いきなり驚かすんじゃねえ!」

 龍之介は左手でどきどきしている胸を押さえながら、右手の人差し指でゆみのおでこを弾いた。

「へへ、父上が驚いたの面白かった。けどごめんなさい、急いでたから」

 ゆみは可笑しそうな笑みを浮かべた後、すぐに真剣な顔になった。

「おまえ、どうしてここに来た? 俺がここにいるってわかって来たのか?」
「シロになると、何かある時にはその場所が大体わかるんだよ、何となく」
「それにしても神田からここまでよく一人で来られたな」
「途中まで、おるいさんが呼んでくれた駕籠で一緒に来た」
「るいも? るいはどこにいるんだ?」

 龍之介はゆみの後方に目を凝らしたが、

「おるいさんは橋の向こうの茶屋で待っててくれてるよ。父上、押上村の全徳寺ってところに行く?」
「全徳寺? そんな寺があること自体知らねえよ」
「そっか。これからその全徳寺で、父上に何か関係あることが起きるよ! だから父上が押上村にいるはず、ってわかったんだ」
「本当か?」
「うん、シロの勘でそれがわかったから、この押上村まで急いで来たんだ」

 猫状態の時は異常に勘が働くことは、龍之介もすでによくわかっている。
 今、この状況でゆみが、押上村全徳寺で龍之介に関係のあることが起きると言う。それはすなわち――

「睦助たちはその全徳寺ってところにいるのかも知れねえな。よく知らせてくれた、えらいぞ、ゆみ」
「えらい? じゃあ天ぷら買ってね」
「……まあ、いいだろう。伝吉さん」

 龍之介は、伝吉を見た。
 伝吉は、ゆみが猫に変化できることを知らない為、今の二人のやり取りの意味がよくわからずに不思議そうな顔をしていた。

「伝吉さん、全徳寺って知ってるか?」
「全徳寺なら確かに押上村にあります。ですが春頃に廃寺になっちまいましたぜ」
「廃寺? それならますます怪しい。場所は?」
「大体の方角なら。こっちでさ」

 伝吉が暗闇の先へ案内に立った。
 全徳寺は、西尾家の屋敷から更に東へ向かった畑地の中にぽつんと存在していた。
 敷地全体が小さく、本堂自体も小ぢんまりとしていた。これで僻地の村の廃寺なら目立つことはない。

「なるほど、盗賊のねぐらや繋ぎに使うならうってつけだ」

 龍之介は納得しながら、少し離れた場所から様子を窺っていると、本堂や庫裏に微かに灯が明滅しているのがわかった。

「廃寺なのに明かりがある。誰かいる」

 そう言った伝吉の横顔を、龍之介はじっと見て、

「伝吉さん、あんたは信用できる人だと見た。今から見ることは、決して他の人には言わねえでくれないか? 奉行所にも訴えないで欲しい。約束できるか?」
「え? 何だかよくわからねえが、俺は口は堅い。それに、親分を助けてくれた龍さんの頼みだ、守りますよ」
「よし。まあ忠兵衛の親父には言ってもいいが。……ゆみ、あの寺の音を探ってくれ」

 龍之介は、先程から鬱陶しそうに周囲の蚊を叩いているゆみに言った。
 ゆみは伝吉を見て一瞬戸惑ったが、頷いて夜空を見上げると、白猫に変化した。

「うわっ……」

 伝吉は仰天したが、すぐに落ち着いて、

「なるほど、こういうことでしたか。さっきのお二人のおかしな話も腑に落ちました。神田、本所辺りを騒がせている化け猫ってのはこの娘さんだったわけだ……」
「そういうことだ。秋野屋の事件でこうなっちまった。だけど、化け猫になったからと言っても、こいつは何も悪さはしてねえ。人にも危害は加えてねえ。だから、他には言わねえでくれ、頼む」
「わかりました、決して言わねえ。安心してくだせえ」

 伝吉は胸を叩いた。

「よし。じゃあゆみ、頼む」

 龍之介が言うと、白猫のゆみは早速耳をピンと立てた。
 そしてすぐに元の少女の姿に戻ると、

「いたよ! あのロクって男の声が聞こえた!」
「人数はどれぐらいいる?」
「ちゃんとはわからないけど、十人以上はいると思う」
「十人以上か……」

 龍之介が腕を組んで考え込むと、伝吉が言った。

「こっちも人数がいりますね。俺は本所へ帰って親分に報告します。で、明日うちの者たちも連れて来るので、皆で乗り込みましょう」
「いや、遅い。今、斬り込む」

 龍之介はきっぱりと言い切った。伝吉は驚いて、

「今って……相手は十人以上だ、いくら龍さんでもそれは無理だ。あの熊田って男もいるかも知れねえ」
「だが、睦助の野郎は自分の正体と自分たちのことを俺に知られた以上、あの寺どころか江戸にいることも危ないと思っているはずだ。早ければ明日にでも江戸から飛んでしまう可能性がある。その相談を今頃あそこでしているかも知れねえ。奴らがまだ残っていて、しかも目の前のあそこに集まっている今のうちに、奴らを斬るんだ」

 龍之介は淡々と、しかし熱さを込めた口調で言った。
 十人以上の盗賊が集まっている僻村の廃寺に一人で斬り込む……その大胆不敵さに、伝吉は唖然とした。

「だけど十人以上はやっぱり厳しいものがある。どうしたものかな」

 龍之助が腕を組むと、伝吉は唾をごくりと飲み込んで、

「……斬り込むなら俺も行きます」
「おいおい。無関係のお前を巻き込むわけには行かねえよ」
「いやいや、さっきも言ったように、俺たちの敵でもある。関係大有りです。俺にも加勢させてください」

 と言って、腰の脇差をぐいと傾けた伝吉の目は、真剣そのものであった。

「そうか……なら伝吉さん、あんたは俺の背後を守ってくれるか? それだけでも前の敵に集中できるからかなり助かる」

 龍之介は立ち上がった。

「任せてくだせえ」

 伝吉も表情を引き締めて立ち上がった。

「ゆみ、おめえは猫になってどこかに隠れてろ」
「わかった。父上、気をつけてよ」

 ゆみは不安げな顔をしている。

「ああ」
「死なないでよ」
「俺があんな連中にやられるかよ、心配するな」

 龍之介はゆみの不安を吹き飛ばすかのように笑った。
 そして三人は全徳寺に向かった。
 全徳寺は、山門は瓦が崩れ、参道はあちこちに亀裂が走り、隅には雑草が伸び放題で正に廃寺であった。
 龍之介と伝吉は奥を窺いながら山門を潜り、ゆみは猫に変化してその後をついて行ったのだが、その様子を遠くの畦道から注視している目があったことには気付かなかった。

「あそこが秋野屋を襲った盗賊どものねぐらか」
「そのようですね。龍はよく見つけたもんだ」

 それは、勝田与四郎と臨時廻りの杉内彦左衛門たちであった。
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