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崩壊の兆し
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「何と言うことだ――」
サイフォンは、しばし呆然としていたが、そこは彼も経験豊富な七龍将である。
すぐに気を取り直すと、シュエリーに言った。
「このままでは七龍将としての面目が立たん。いや、俺のことはどうでもいい。北方高原と繋がる要衝であるハルバン城を奪われることは、ローヤン帝国自体の危機にも繋がる。急ぎ、ハルバン城奪還に向かうぞ」
だが、シュエリーが待ったをかけた。
「向うは一万、我らは一万五千、我らの方が数は上ですが、この程度の差ではハルバン城は落とせません」
「そんなことはわかっている。だが、奴らは籠城戦は不得手である上、自分達の騎兵の力に絶対の自信を持っている。我らが奪還に来たと知れば、必ずや打って出て来るはずだ。そこを撃破し、一気にハルバン城も奪い返すのだ」
サイフォンは猛って言ったが、シュエリーの白い顔には憂いが走った。
「それは止めた方が宜しいかと思います。サイフォン様は軍の指揮に優れておりますが、それでも五千程度の差ではマンジュ一角馬軍団に勝つことができるかどうかはわかりません」
「そこを勝てるような作戦を練るのが、参謀役であるお前の役目だろう」
シュエリー・ユーの家は、代々ローヤンの将軍職を務めて来た名家であり、彼女の父親フーチェン・ユーも現役時代には十四紅将軍を務めていた。
父親のフーチェンは兵法に通じた智将として知られ、その血を受け継いだのか、シュエリーは女性でありながら子供の頃より用兵術に興味を持ち、またその才能に恵まれていた。
成長すると、自然とアンラードの士官学校に入り、卒業後は当時としては珍しい女性武官となった。最初は、女性が何故武官に? と言う白い目で見られたりもしていたが、彼女は父親から受け継いだ軍事の才能を存分に発揮し、めきめきと頭角を現してあっと言う間に十四紅将軍にまで昇進した。
だが、彼女は、どこか掴みどころのない不思議な性格の変人でもあった。
今もサイフォンに策を求められると、
「ええ~、そんな……」
シュエリーは、子供が嫌がるような表情を見せた。
「何か作戦は無いか?」
「そうですねえ……」
シュエリーは渋々、と言った感じで思案したが、しばらくして、笑いながら言った。
「作戦はありません。あはは」
「おいおい、あはは、じゃ困るぞ」
「だって浮かばないんですもの」
シュエリーはまたも笑ったが、直後には真剣な顔となってハルバン城の方角を見ながら言った。
「この辺り一帯も含めて、ここからハルバン城までは何も無い平野が続くのみ。マンジュの騎馬軍団が圧倒的に有利です。少なくともマンジュの二倍から三倍の兵力で臨まねば勝つことは難しいでしょう」
「そうだが……だからと言ってこのままでは……」
「とりあえず、アンラードの丞相に事の次第を報告し、援軍を求めましょう」
「それしかないか……だけど気が進まねえな。ハルバン城を奪われておいて何もせずに報告じゃ、丞相は激怒だろう。叱責が来る上に降格は間違いなしだぜ」
サイフォンが肩を落として溜息をつくと、シュエリーは、ぱっと顔を明るくしてけらけら笑った。
「ああ、それはいいですね! 代わりに私が七龍将になれるかも知れない!」
「良くねえよ、馬鹿!」
「あはは、冗談です。でも、そこまで酷い叱責も降格も無いと思いますよ。そもそもマンジュに加勢させると言う戦略を取った丞相にも責任があるのですから。とりあえず、更なる兵力が無いと戦うのは無理ですから、急ぎアンラードへ使いを出しましょう」
「そうだな。仕方ない」
早速、サイフォンは早馬を出した。
マンジュの背信、そしてハルバン城陥落――
サイフォンからの知らせを受けたアンラードの朝廷には激震が走った。
ハルバン城は北方高原からローヤン領への扉のようなものであり、ここを奪われることは屋敷の門を破られて侵入されるに等しいからである。
だが、マクシムは落ち着いていた。
大広間に居並ぶ群臣たちがざわめく中、大声で言った。
「諸君、そのように騒ぐことはないぞ。私はこのようなことも起こり得ると想定し、予め対策も取ってある。実は、南方タイピン州各地の軍を集めて密かに北上させ、ハルバンに近いジャリッド城に入れて待機させてある。その総数およそ一万人。そこへ、すでにいつでも出陣できるように準備してあるアンラードの近衛軍から一万人も出せば、マンジュ族の連中は駆逐できよう」
群臣たちの間から、おおっと声が上がった。
だが、紅い煌びやかな玉座に座っているバルタザールが不快感の混じった声を上げた。
「待て、丞相。タイピン州の軍を動かしただと? 予はそのようなこと聞いていないぞ。何故予に許可を取らぬ」
マクシムはすぐに振り返り、膝をついて丁寧に頭を下げた。
「陛下、申し訳ございませぬ。極秘、且つ急ぎのこと故に、私の独断にて行わせていただきました。陛下に御伺いを立てて会議を開くとなると動きが遅くなってしまいます故。しかし、おかげでこの事態に対応できるのです。どうかお許しくださいませ」
すると、若いバルタザールは苦々しい顔で黙りこくるしかなかった。
そこへ、七龍将軍ビーウェン・ワンが眉をしかめながら進み出た。
「丞相。タイピン州の軍を動かしたのはまずいのではありませぬか? 南のザンドゥーアとは和平を保っているとは言え、タイピン州が手薄になったことを知れば、どう動くかはわかりませぬぞ」
「その言、もっともだ」
マクシムは振り返ると、言った。
「だが心配は無用。今、ザンドゥーアはその更に南の隣国ジャンガンと激しく争っている上に、国王が重い病に臥せっている。我らがローヤン領との間に広がる広大なナンフー湖を越えて侵攻して来ることはできないはずだ」
「なるほど」
群臣が皆、納得して頷いた。
だがその時であった。
一人の取次の者が慌ただしく駆けつけて来て、大広間の入り口に跪いた。
「丞相、大変でございます!」
皆が一斉にその方向を振り向いた。
「タイピン州より急ぎの知らせです。州都であるタイピン城が、反乱勢力によって占拠されたそうです!」
取次の者が色を失った顔で言うと、「何だと」と、群臣たちの間に衝撃が走った。
マクシムは耳を疑った。これは全く予想もしていなかったことである。
一瞬呆然とした後、訊いた。
「誠か? 陛下の御前であるぞ。偽りを申せばその首が飛ぶこと、わかっておろうな?」
取次の者は青い顔を横に振った。
「偽りではございませぬ。タイピン城の城主代理役マンチェン・リャン将軍は反乱軍の首領によって直接討たれ、生き残った兵士らはそれぞれ近隣の城へと逃げております」
「誠か……」
マクシムは言葉を失ったが、すぐにまた訊いた。
「反乱勢力が潜んでいたと言う情報は無い。その者らは一体何者だ? 首領の名は何と言う?」
取次の者は、自らを落ち着かせるように大きく一呼吸してから、言った。
「彼らは、あのビルサ帝国のトゥオーバー族の末裔と称しており、その首領はアーシン・トゥオーバーと名乗っております」
「何? トゥオーバー族?」
その言葉に、大広間が騒然となった。
「リューシスに感謝しないとな」
驚異的な力で胸甲の上から長剣を突き刺した時、アーシン・トゥオーバーは笑いながら呟いた。
心臓を貫かれたタイピン城主代理、マンチェン・リャンは、激痛に呻きながらもアーシンを睨むが、言葉が出ない。
「あいつのお陰で俺達一族の宿願を果たす機会がやって来たんだからな」
アーシンは言いながら、長剣を一気に引き抜いた。
血が大量に噴き出し、マンチェンの鎧に垂れた。
マンチェンは膝をつくと、やがて自らの血だまりの中に倒れ込んだ。
アーシンはそれを一瞥もせずに振り返った。
タイピン城政庁の大広間は、アーシン配下の者たちの足下に沢山のローヤン兵士らの死骸が転がり、床はもちろんのこと、壁や柱にも血が飛び散っていると言う凄惨な光景であった。
「ビルサ帝国復興はここから始まるのだ」
アーシンは、顔に付着した返り血を指で拭いながら言った。
サイフォンは、しばし呆然としていたが、そこは彼も経験豊富な七龍将である。
すぐに気を取り直すと、シュエリーに言った。
「このままでは七龍将としての面目が立たん。いや、俺のことはどうでもいい。北方高原と繋がる要衝であるハルバン城を奪われることは、ローヤン帝国自体の危機にも繋がる。急ぎ、ハルバン城奪還に向かうぞ」
だが、シュエリーが待ったをかけた。
「向うは一万、我らは一万五千、我らの方が数は上ですが、この程度の差ではハルバン城は落とせません」
「そんなことはわかっている。だが、奴らは籠城戦は不得手である上、自分達の騎兵の力に絶対の自信を持っている。我らが奪還に来たと知れば、必ずや打って出て来るはずだ。そこを撃破し、一気にハルバン城も奪い返すのだ」
サイフォンは猛って言ったが、シュエリーの白い顔には憂いが走った。
「それは止めた方が宜しいかと思います。サイフォン様は軍の指揮に優れておりますが、それでも五千程度の差ではマンジュ一角馬軍団に勝つことができるかどうかはわかりません」
「そこを勝てるような作戦を練るのが、参謀役であるお前の役目だろう」
シュエリー・ユーの家は、代々ローヤンの将軍職を務めて来た名家であり、彼女の父親フーチェン・ユーも現役時代には十四紅将軍を務めていた。
父親のフーチェンは兵法に通じた智将として知られ、その血を受け継いだのか、シュエリーは女性でありながら子供の頃より用兵術に興味を持ち、またその才能に恵まれていた。
成長すると、自然とアンラードの士官学校に入り、卒業後は当時としては珍しい女性武官となった。最初は、女性が何故武官に? と言う白い目で見られたりもしていたが、彼女は父親から受け継いだ軍事の才能を存分に発揮し、めきめきと頭角を現してあっと言う間に十四紅将軍にまで昇進した。
だが、彼女は、どこか掴みどころのない不思議な性格の変人でもあった。
今もサイフォンに策を求められると、
「ええ~、そんな……」
シュエリーは、子供が嫌がるような表情を見せた。
「何か作戦は無いか?」
「そうですねえ……」
シュエリーは渋々、と言った感じで思案したが、しばらくして、笑いながら言った。
「作戦はありません。あはは」
「おいおい、あはは、じゃ困るぞ」
「だって浮かばないんですもの」
シュエリーはまたも笑ったが、直後には真剣な顔となってハルバン城の方角を見ながら言った。
「この辺り一帯も含めて、ここからハルバン城までは何も無い平野が続くのみ。マンジュの騎馬軍団が圧倒的に有利です。少なくともマンジュの二倍から三倍の兵力で臨まねば勝つことは難しいでしょう」
「そうだが……だからと言ってこのままでは……」
「とりあえず、アンラードの丞相に事の次第を報告し、援軍を求めましょう」
「それしかないか……だけど気が進まねえな。ハルバン城を奪われておいて何もせずに報告じゃ、丞相は激怒だろう。叱責が来る上に降格は間違いなしだぜ」
サイフォンが肩を落として溜息をつくと、シュエリーは、ぱっと顔を明るくしてけらけら笑った。
「ああ、それはいいですね! 代わりに私が七龍将になれるかも知れない!」
「良くねえよ、馬鹿!」
「あはは、冗談です。でも、そこまで酷い叱責も降格も無いと思いますよ。そもそもマンジュに加勢させると言う戦略を取った丞相にも責任があるのですから。とりあえず、更なる兵力が無いと戦うのは無理ですから、急ぎアンラードへ使いを出しましょう」
「そうだな。仕方ない」
早速、サイフォンは早馬を出した。
マンジュの背信、そしてハルバン城陥落――
サイフォンからの知らせを受けたアンラードの朝廷には激震が走った。
ハルバン城は北方高原からローヤン領への扉のようなものであり、ここを奪われることは屋敷の門を破られて侵入されるに等しいからである。
だが、マクシムは落ち着いていた。
大広間に居並ぶ群臣たちがざわめく中、大声で言った。
「諸君、そのように騒ぐことはないぞ。私はこのようなことも起こり得ると想定し、予め対策も取ってある。実は、南方タイピン州各地の軍を集めて密かに北上させ、ハルバンに近いジャリッド城に入れて待機させてある。その総数およそ一万人。そこへ、すでにいつでも出陣できるように準備してあるアンラードの近衛軍から一万人も出せば、マンジュ族の連中は駆逐できよう」
群臣たちの間から、おおっと声が上がった。
だが、紅い煌びやかな玉座に座っているバルタザールが不快感の混じった声を上げた。
「待て、丞相。タイピン州の軍を動かしただと? 予はそのようなこと聞いていないぞ。何故予に許可を取らぬ」
マクシムはすぐに振り返り、膝をついて丁寧に頭を下げた。
「陛下、申し訳ございませぬ。極秘、且つ急ぎのこと故に、私の独断にて行わせていただきました。陛下に御伺いを立てて会議を開くとなると動きが遅くなってしまいます故。しかし、おかげでこの事態に対応できるのです。どうかお許しくださいませ」
すると、若いバルタザールは苦々しい顔で黙りこくるしかなかった。
そこへ、七龍将軍ビーウェン・ワンが眉をしかめながら進み出た。
「丞相。タイピン州の軍を動かしたのはまずいのではありませぬか? 南のザンドゥーアとは和平を保っているとは言え、タイピン州が手薄になったことを知れば、どう動くかはわかりませぬぞ」
「その言、もっともだ」
マクシムは振り返ると、言った。
「だが心配は無用。今、ザンドゥーアはその更に南の隣国ジャンガンと激しく争っている上に、国王が重い病に臥せっている。我らがローヤン領との間に広がる広大なナンフー湖を越えて侵攻して来ることはできないはずだ」
「なるほど」
群臣が皆、納得して頷いた。
だがその時であった。
一人の取次の者が慌ただしく駆けつけて来て、大広間の入り口に跪いた。
「丞相、大変でございます!」
皆が一斉にその方向を振り向いた。
「タイピン州より急ぎの知らせです。州都であるタイピン城が、反乱勢力によって占拠されたそうです!」
取次の者が色を失った顔で言うと、「何だと」と、群臣たちの間に衝撃が走った。
マクシムは耳を疑った。これは全く予想もしていなかったことである。
一瞬呆然とした後、訊いた。
「誠か? 陛下の御前であるぞ。偽りを申せばその首が飛ぶこと、わかっておろうな?」
取次の者は青い顔を横に振った。
「偽りではございませぬ。タイピン城の城主代理役マンチェン・リャン将軍は反乱軍の首領によって直接討たれ、生き残った兵士らはそれぞれ近隣の城へと逃げております」
「誠か……」
マクシムは言葉を失ったが、すぐにまた訊いた。
「反乱勢力が潜んでいたと言う情報は無い。その者らは一体何者だ? 首領の名は何と言う?」
取次の者は、自らを落ち着かせるように大きく一呼吸してから、言った。
「彼らは、あのビルサ帝国のトゥオーバー族の末裔と称しており、その首領はアーシン・トゥオーバーと名乗っております」
「何? トゥオーバー族?」
その言葉に、大広間が騒然となった。
「リューシスに感謝しないとな」
驚異的な力で胸甲の上から長剣を突き刺した時、アーシン・トゥオーバーは笑いながら呟いた。
心臓を貫かれたタイピン城主代理、マンチェン・リャンは、激痛に呻きながらもアーシンを睨むが、言葉が出ない。
「あいつのお陰で俺達一族の宿願を果たす機会がやって来たんだからな」
アーシンは言いながら、長剣を一気に引き抜いた。
血が大量に噴き出し、マンチェンの鎧に垂れた。
マンチェンは膝をつくと、やがて自らの血だまりの中に倒れ込んだ。
アーシンはそれを一瞥もせずに振り返った。
タイピン城政庁の大広間は、アーシン配下の者たちの足下に沢山のローヤン兵士らの死骸が転がり、床はもちろんのこと、壁や柱にも血が飛び散っていると言う凄惨な光景であった。
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