紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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兄弟の日々

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 イーハオの家は、クージンの城外にあった。
 城外にも人家や商店が集まっている区域があるのだが、その中の貧民街のような一帯に、イーハオの家があった。

 半分崩れかかっているようなボロ小屋が密集して立ち並ぶ中、外の路地には薄汚れた半裸の住民らが土の上に座り込んで酒を飲んでいたり、寝そべったり、ぼーっと空を見上げたりしている。
 その中を奥へと進んで行くと、周囲と同じような一軒のボロ小屋がある。それがイーハオの家だった。

 入口に戸は無い。簾とも呼べぬような藁が垂れているだけである。そこを潜って中に入ると、小さな男の子が嬉しそうに駆け寄って来た。

「お兄ちゃん、お帰り!」

 イーハオは、にこっと笑って答えた。

「アルハオ、ちゃんとご飯は食べたか?」
「うん、全部食べたよ」

 と言って、アルハオは薄暗い奥の木卓を指した。その上には、たった一つ、空になった木椀があった。

「よし、偉いぞ」

 イーハオはアルハオの頭を撫でた。
 さっきの泣きべそをかいていたスリの少年から一転、面倒見の良い兄の顔となっている。
 それを見て、リューシスらは微笑ましい気持ちとなった。
 しかし、すぐにリューシスの胸に小さな痛みが広がった。
 バルタザールと仲の良い兄弟であった幼少の頃を思い出したのである。

 ――兄上、こんなに食べられないよ。少し食べて。

 ――駄目だ。全部食べないと大きくなれないぞ。

 遠い記憶の彼方にある朧な光景。もう二度と戻らぬ日々。
 込み上げて来る切なさに、リューシスは思わず目を伏せた。

 だが、アルハオの言葉で我に返った。

「後ろの人達は誰?」

 目を上げると、アルハオが少し怯えたような顔でこっちを見ている。

「さっき、知り合ったんだ。ええーっと、名前は……」

 イーハオがリューシスを見ると、

「リュ……リュースだ」

 リューシスは、咄嗟に偽名を言った。

「リュースさんか」
「そうだ。こっちはネイマン。で、この変なマーオンがシャオミンだ」
マーオンじゃなくて神猫シンマーオンだよ」

 シャオミンが口を尖らせた。
 イーハオが笑って、

「とても良い人たちなんだぞ。見ろ、こんなにお金をくれたんだ」

 と、リューシスの財布である革袋を持ち上げて見せた。

「でも、悪い奴らに追われててさ。だからちょっとの間だけ、うちに隠れることになった」
「そうなんだ」

 と答えたアルハオ、目を輝かせて、リューシスの頭上に浮いているシャオミンを見ていた。
 初めて見る神猫シンマーオンに興味津々の様子である。

「さあ、汚いところだけど中へ入って」
「悪いな」

 中は、五メイリ四方ほどの狭い空間で、土間である。下には一面、筵を敷き詰めてあり、部屋の隅に様々な物を入れてある箱が積まれてある。そして中央には木卓がある以外、何もなかった。
 リューシスは奥の方へ行くと、筵の上に座った。と、気が抜けたのか、途端に朦朧とし始め、堪えきれずに横になった。

「あれ、どうしたの?」

 イーハオが驚いて駆け寄ると、ネイマンが代わりに答えた。

「ちょっと変な病になっちまったみたいでな。ずっと熱があるんだ。誰かいい医者知らないか?」
「医者? う~ん、いいかどうかはわからないけど、一人知ってる。いつもお酒ばかり飲んでる変な人なんだけど、機嫌が良い時にはタダで診てくれるんだ」
「酒ばかり? まあいい、知ってるんなら、ちょっと連れて来てくれねえか?」
「わかった! でも、いつもどこにいるかわからない人だから、ちょっと時間がかかるかも知れないよ。いい?」
「まあ、仕方ない。なるべく早く頼むぜ」
「うん」

 イーハオは、返事もそこそこに飛び出して行った。
 時間がかかるかも知れないと言ったが、イーハオはすぐに戻って来た。

「運が良かったよ。城外の酒場でお酒飲んでた」

 イーハオの後ろから、少し土に汚れた道服を来た中年の男が現われた。
 黒髪のハンウェイ人で、無精髭を生やしている顔は赤く、身体からは酒の香がしている。

「折角いい気持ちで飲んでたと言うのに」

 男は不機嫌そうにぶつぶつと文句を言っている。その割りにはちゃんと来るあたり、医者としては真面目ではあるらしい。

「いいじゃん。今度お酒奢るからさ」

 イーハオがなだめると、男は鼻で笑った。

「ふん。奢る金など持っていないであろうに何を言うか」
「あるよ。これを見ろ」

 イーハオは、得意気にリューシスから貰った財布を取り出し、中から金貨数枚を出して見せた。
 男は驚いて目を瞠った。

「おお、すごいな……」
「診察代もここから出すよ」
「そうか。わかった。ではどれどれ、見てやろう。奥のあの男か」

 男は途端に上機嫌になり、奥に横たわっているリューシスに歩み寄った。
 だが、リューシスの顔を見た瞬間、医者の男はまたもや驚いて目を丸くした。

「おや? この方は……」

 その声で、リューシスは閉じていた目をうっすらと開けた。
 視界に入った男の顔を見て、リューシスもまた「あっ」と声を上げた。
 驚きながら、半身を起こした。

「お前は……チャオリーか?」
「貴方様は、もしやリュー……」

 と言いかけたチャオリーの口を、リューシスが慌てて押さえた。

「俺はリュースだ」

 リューシスは、チャオリーに鋭い目を向けた。
 口をもごもごさせながらチャオリーが頷くと、リューシスは手を放した。

「リュースさんですか。なるほど」
「チャオリー、こんなところで何をしている?」

 リューシスは、青白い顔でチャオリーに向き直る。

「まあ、流れ流れて……病人を診てやりながら気ままに暮らしてるんでさ」

 その二人のやり取りを見て、イーハオが不思議そうに聞いた。

「リュースさん、チャオリーさんを知ってるの?」
「うん、その……以前、アンラードにいた時に知り合いだったんだ」
「へえ、凄いね。見かけに寄らないなあ。リュースさんは色んな人と知り合いなんだ」
「まあな」

 リューシスは苦笑いした。

 このチャオリーと言う中年の男、元々はアンラードの皇宮侍医の一人であった。
 だが、ある時、突然皇宮を飛び出し、行方をくらましてしまった。その理由は未だに不明であるが、噂では、ローヤン皇家のとある重大な秘密を知ってしまい、その為に命を狙われることとなり、逃亡したと囁かれている。

「まさかこんなところで会うとはな」

 リューシスは、しげしげとチャオリーを見た。

「ええ。私も同感です。」

 チャオリーは苦笑いした。

「今、何をしている?」
「はは……その話は後にしましょう。とりあえず、私は医者で、診察を頼まれたのです。まずはお身体を診てみましょう」
「そうだな。頼む」

 チャオリーは、携えて来た医療道具を広げると、リューシスの身体を診始めた。
 だが、その顔に次第に驚きの色が広がって行った。

「これはなんと……」
「どうした?」

 リューシスは思わず不安げな顔となる。
 しかし、チャオリーは案に相違して感嘆の声を上げた。

「いえ。病とは違うことです」
「うん?」
「殿下の体内に強い天精ティエンジンが満ちています。これは素晴らしい」
「そんなにか? 確かに最近、自分でも天精ティエンジンの巡りがやけにいいとは感じていたが」
「ええ。専門の天法士ティエンファードでもなかなかここまでにはならないのではないでしょうか? これは術の威力もかなり強いことでしょう。殿下、何か特別な修行でもされましたかな?」
「ははは、相変わらず遊び回っているだけの俺が天法術ティエンファーの修行なんかするわけないだろう」
「そうですか……となると、これは何なのでしょうな? 何もせずにこれほどの天精ティエンジンが備わるわけはないのですが」

 チャオリーは顔をしかめ、ぶつぶつ言いながらリューシスの身体のあちこちを触った。
 実は、チャオリーも天法術ティエンファーを使える一人であった。そして医者である。それ故に、今のリューシスの身体の状態は学術的にも興味深かった。
 だが、はっと我に返り、本来の仕事を思い出した。

「おっと、いけませんな。病の方を診なければ」

 チャオリーは再び、真剣な顔となってリューシスの診察を始めた。
 程なくして、何が原因かはっきりした。

「これは風邪や疲労などではありませんな。ウーゾ病です」
「ウーゾ病?」
「ストレスや疲労が溜まっている時に、傷口などから雑菌が入り込むことによって発症する病です。風邪に似ていますが、ただの風邪とは違います。放っておくと脳漿がやられます。危ないところでしたな、あと二、三日診るのが遅れていたら、どうなっていたことか」

 チャオリーは笑いながら言ったが、リューシスやネイマンはぞっとして背筋を寒くした。

「まあ、しっかりと治療をすれば問題ございませんよ。とりあえずこの薬を飲んでください」

 と、チャオリーは紙包みを取り出し、リューシスに渡した。そして紙と筆を取り出し、紙に何か書きつけると、それをイーハオに渡した。

「もう一つ薬を調合して飲む必要があるが、あいにく今、材料となる物を持っておらん。イーハオ、お前、市場に行ってここに書いてある物を買って来てくれ。ついでに、何か精のつく食べ物も買って来てくれ。そうだな、ジマン鶏の肉が良い、薬効があるのでな。一羽丸ごと買って来てくれ。あと、白菜と人参、牛蒡、そしてニンニクとショウガ、香草シアンツァイ、クコの実、クミンの種、などなど、ここに書いてある香辛料全部だ」
「わかった」

 イーハオは書きつけを手に、買い物に出て行った。
 アルハオは、先程からシャオミンと何か会話をしていたのだが、仲良くなったらしく、家の外で遊んでいる。

 その様子を微笑ましそうに眺めた後、チャオリーは真面目な顔となり、リューシスに向かって両手をついた。

「お久しゅうございます」
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