紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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バイランとの別れ

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 アンラードから脱出し、そのまま逃走するリューシスらと親衛隊の一団。
 後から変を知り、リューシスを慕って駆けつけて来た親衛隊の者らを加えながら疾駆する。

 リューシスは、北のスウィーダ門から出たものの、アンラードの北には裾の広いグイリン山がそびえている為、西方に進路を取った。
 しかし、脱出に成功したとは言え、まだ安心はできなかった。

 すでに後方に小さくなっているアンラードの西のいくつかの城門から、ローヤン近衛軍と思われる騎兵の一軍が突出し、こちらを追って来ているのである。

 濛々と砂塵を上げて迫り来るその軍勢、ざっと見ておよそ二千はいる。
 しかもそれだけではない。出仕の時間になり、出て来た来た兵士らが後から後から続々と駆け付けて合流し、その数はどんどん増え続けている。
 更に、アンラードの上空に百騎ほどの飛龍隊が飛び立ったのも見えた。

 この先は一面の原野である。ところどころに森林があり、浅い川なども横たわっているが、基本的には平坦な地が続く。
 隠れられるようなところはない。このままでは、いずれどこかで追いつかれるであろう。

 イェダーが堪らずに、小高い宙空をバイランに跨って飛翔するリューシスに叫んだ。

「殿下、このまま逃げているだけではいずれ追いつかれましょう。そして追いつかれた時には我らは人馬ともに疲労の極み。その状態で戦っても勝ち目はございません。今ここで立ち止まり、奴らと一戦いたしましょう」

 だがリューシスは首を横に振った。

「奴らは二千以上はいる上に、続々と兵が合流している。対して俺達は二百ちょっとだ。とても勝負にならない」
「殿下の采配ならば何とかなるのでは?」

「馬鹿言うな。忘れるなよ、用兵の基本はあくまで敵よりも多くの兵を揃えてから戦うことなんだ。寡兵で大軍に勝つと言うのは華々しいが、滅多にできるもんじゃない。しかも、二百対二千なんて勝てるわけねえだろ。古の名将ウーズン・スン、覇王マンドゥー・ツァオだってそんなのは無理だ。ここは逃げるしかない」
「でもどうするんだよ? イェダーの言う通り、このままじゃすぐに追いつかれちまうぜ! 奴らはついに飛龍隊まで出して来たんだ」

 ネイマンが苛立ったように声を荒げた。
 リューシスは無言で後方を振り返った。
 大地を鳴らし、地上の激流の如く迫るローヤン近衛軍騎兵は、更に数を増している。

「…………」

 リューシスは唇を引き結び、前を向いた。
 その顔に、わずかに暗い色が走ったのを見逃さなかったバーレンが言った。

「殿下、何か考えがあるのではございませんか?」

 だが、リューシスは厳しい表情で前を向いたまま、答えなかった。

「何だよ、何か策があるのか? なら言えよ」

 と、ネイマンが促す。
 しかし、リューシスはやはり沈黙したままだ。
 バイランを操る手綱を握ったまま、険しい顔で前方を見つめている。

「どうしたリューシス! こんな時に躊躇っている場合かよ!」

 激したネイマンの言葉で、リューシスはやっと口を開いた。

「考えは、あるにはある。だがこれは……あまりに卑怯だ」
「卑怯?」

 バーレンら三人が怪訝そうな顔となる。

「ああ」
「どんな策ですか?」

 バーレンが問うと、

「策と言えるほどのものでもないが……」

 と、リューシスはまだ躊躇う。
 そこで、イェダーが言った。

「殿下。我々はすでに殿下の為に国賊となることを厭わず、命を捨てる覚悟で殿下をお救いし、こうしてお供して来ているのです。全ては殿下に生きのびて欲しいが為です。今更どんな命令が下ろうとも、我々は恨みません」

 するとリューシスは頷き、覚悟を決めた表情となった。

「わかった。じゃあ言うぞ。ここは全員散らばるんだ」
「散らばる?」
「ああ。このまま一つに固まって逃げていたら、いずれどこかで追いつかれる。そして追いつかれた時には、まとめて殲滅されてしまうだろう。だがここで俺達が散らばれば、奴らも兵を分散せざるを得ず、一人一人が生き延びられる確率が上がるだろう。そして……」

 その先、リューシスは言わなかったのだが、察したバーレンが代弁した。

「散らばれば、奴らは殿下がどこに行ったのかがわからなくなりますな」
「…………」

 リューシスはまたも無言のまま答えなかったが、少し考えた後、溜息をついた。

「いや、やっぱりやめよう。部下を囮に使うような卑怯な作戦だ」

 だが、ネイマンが言った。

「今更そんなこと考えるな。さっきもイェダーが言ったが、全てはお前を逃がして生かす為に行動しているんだ」
「その通り。殿下が捕まってしまえばここまでの全てが無駄になるのです」

 と、バーレンも同意し、またイェダーも大きく頷いた。

「私は決して卑怯とは思いません。殿下が逃れ、生き延びることが我々の目標なのです。であれば、隠れるところもないこの平坦な地では、殿下が今言った策が最上です。躊躇うことなくこの策を採るべきです」

 三人にこうまで強く言われ、リューシスは決断した。
 一旦、進軍を止め、全員に言い渡した。

「いいか、よく聞いてくれ。こうしている間にも敵はどんどん迫って来るから一度しか言わないぞ。俺達はこのまま固まって動いていても、いずれどこかで追いつかれ、包囲されて全滅してしまうだろう。だからここで、俺達は一旦全員散らばることにする。敵を惑わせ、分散させる為でもあるが、この方が皆が生き延びられる確率が高い。皆、思い思いの方向に逃げろ。その際には、二、三人までなら一緒に動いても構わん」

 すると、親衛隊からこんな声が上がった。

「しかし、思い思いの方向に逃げると言っても、追手を撒いて逃げ延びた後はどうすればいいんですか? そのままどこかに隠れているんですか?」
「いや、うまく敵の追跡を撒いたら、その後はランファンに向かえ」

 ランファン、それはローヤン領内の北西部にあるリューシスの領地である。
 リューシスは、そこに王として封土を受けていた。

「ランファンは小さいが俺の領地だ。城や砦もあれば、少ないが兵もいる。皆でまずランファンに集まるんだ。全てはそれからだ。いいな?」
「承知仕りました」

 全員が力強く答えた。

「では皆、行けっ! ランファンで会おう!」

 そして、皆その命令通りに散らばって行った。

「バーレン、イェダー、お前らもそれぞれ部下を連れて逃げろ。ネイマン、お前は俺と共に来い」

 リューシスは早口でそう命じた。そして、

「じゃあ、死ぬなよ。必ずランファンで会おう」

 と言って、バイランを走らせようとした時、バーレンがそれを止めた。

「お待ちください。バイランは置いて行く方が良いのでは?」

 言われて、リューシスは気が付いた。

「ああ、そうか……」
「我ら全員が騎馬の中で、殿下一人だけ龍に乗っているのは奴らも知っています。奴らにしてみれば、龍に乗っている者だけを追えばいい。これでは、散らばる意味がなくなります。しかもバイランは珍しく希少な白い龍。あまりに目立ちすぎます」
「そうだな……」

 リューシスは躊躇いの表情となった。バイランは、子供の頃から、日常を共に過ごして来たことはもちろん、戦場でも共に戦って来た、仲間とも親友とも言えるような大切な存在なのである。
 簡単には離れ難い。特に、このような時には尚更である。
 しかし、バーレンの言う通りである。珍しい白龍と一緒では、どこに行っても目立ち過ぎ、リューシスの居場所が簡単にばれてしまうであろう。
 リューシスはバイランの背から下りて、

「バイラン、少しの間お別れだ。お前はアンラードの龍場に帰れ、いいな?」

 と、頭を優しく撫でた。
 飛龍民族であるローヤン人は、龍を何よりも大事にする。龍場に戻って来れば、朝敵となってしまったリューシスの愛龍とは言え、必ず大切に保護するであろう。

 まだその場に残っていた兵士二人がやって来て、一人が馬から下りて、もう一人の馬に二人乗りとなった。
 こうして空いたもう一頭の馬の背に、リューシスが飛び乗った。
 だが、そこへ、バイランが唸りながら寄って来た。
 空のような青い瞳でリューシスを見て、悲しそうな鳴き声を上げた。離れるのを嫌がっているようであった。

「バイラン、少しの間だけだ。落ち着いたら必ず迎えを寄越すから」

 鞍上からリューシスが優しく言ったが、バイランは何か訴えるように鳴くだけであった。

「殿下と一緒に行きたいって言ってるよ……」

 バイランの言葉が少しわかるシャオミンが悲しそうに言った。

「でもな……バイラン、駄目なんだ、少しの間だけだから。お前が一緒だと目立ち過ぎちまうんだよ」

 リューシスは懸命に諭したが、バイランは聞かないようであった。
 しきりに甘えたような鳴き声を上げ、顔をリューシスの身体にくっつける。

「殿下、急ぎませんと。敵軍が……」

 バーレンとイェダーが、焦りの声を出す。
 振り返れば、砂塵の中のローヤン近衛軍の姿が大きくなって来ている。

「仕方ない、行こう。バイラン、わかってくれ、アンラードに戻るんだ。いいな?」

 リューシスはもう一度バイランに言うと、ネイマンと共に馬を走らせた。

「では、ランファンで」
「おう」

 バーレンとイェダーが、それぞれ部下と共に別の方向に走って行った。

 リューシスとネイマンはそのまま西の方へ走る。
 だが、白龍バイランはやはり追って来てしまう。
 バイランは不安そうな鳴き声を上げながら、リューシスらの上空を飛びながらついて来ていた。

「これじゃリューシスがここにいるってバレバレだな」

 ネイマンが苦笑する。
 リューシスが頭上を見上げて悲痛に叫んだ。

「バイラン、頼むからアンラードの龍場に戻ってくれ! そのうち必ず迎えを寄越すから、な?」

 だが、バイランは上空からリューシスの顔を見て、ますます悲しそうな声で鳴くばかりである。
 飛龍はとても頭の良い生き物である。人間の言う事をよく理解し、忠実に聞く。これほど言っても命令を聞かないのは非常に珍しい。

「駄目なんだ、聞いてくれ!」

 叫んだリューシスの目尻から涙が零れ、風の中に散って行った。
 バイランの青い瞳も光っていた。
 それを見て、ネイマンが驚いた。

「まさか、泣いているのか? 龍が泣くなんて初めて見たぜ」

 過ぎて行く風の中に、バイランの泣き声が切なく響く。

 リューシスは、辛そうに目を閉じて唇を結んだ。その後、馬を止めた。

「バイラン!」

 頭上を見上げ、愛龍の名を呼んだ。
 バイランは応えて、空から舞い降りて来た。
 リューシスは下馬すると、バイランに駆け寄って、その首を優しく抱きしめた。

「バイラン、お前が一緒だと目立ち過ぎちまうんだよ。そうなると俺は捕まってしまい、殺されてしまうんだ。だから悪いけど連れて行けないんだ。でも安心しろ、落ち着いたら俺は必ずまたお前を呼ぶから。それまで少しの間だけ我慢するだけだ。な?」

 そしてリューシスは首から手を放すと、バイランの青い瞳を見つめながら言った。

「大丈夫、離れてても俺達は友達だ。昔からずっと、この先もずっと。そうだろ?」

 すると、バイランがじっとリューシスの目を見つめた後、一声鳴いた。
 悲しそうな響きは無かった。顔からも不安げな色が消えている。

「わかったみたい」

 シャオミンがほっとしたように言った。

「わかってくれたか、ありがとうな」

 リューシスは再び馬に乗ると、バイランに寄せて、その頭を撫でた。

「必ず迎えを寄越すからな」

 バイランは唸るような鳴き声を上げて答えた。
 そして翼を羽ばたかせて舞い上がると、リューシスとは反対の東側へと飛翔して行った。

「あいつ、囮になろうとしてくれているのかな?」

 リューシスが馬を走らせながら振り返る。

「多分そうだと思う」

 リューシスの肩の上に止まっているシャオミンは、飛び去って行くバイランの後ろ姿を見つめた。
 シャオミンも辛い。この神猫にとっても、バイランは友達であり、同じ主人に仕える仲間でもあった。

「しかしお前、今のはまるで恋人同士のやり取りじゃねえか」

 ネイマンが、からかうように笑った。

「ローヤン人にとって龍は恋人以上だ」

 リューシスは真面目な顔で答える。

「はは、言うねえ。元嫁のフェイリンの姫は、バイラン以上になれなかったから別れたのか?」

 リューシスの眉がぴくりと動いた。
 瞼の裏に、可憐な金髪の美少女の笑顔が浮かぶ。

 だが、リューシスはすぐに皮肉そうな顔となった。

「今、そんなくだらないことを言っている場合かよ、急ぐぞ」

 先に散って行った他の者らの後影は、すでに彼方の山の陰や森林の奥へと小さく消えて行っている。

 リューシスとネイマンも、更に速度を上げ、西の方向へと疾駆した。
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