怪奇短編集

木村 忠司

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とある廃墟ビルディングにて 〜天国と地獄編〜

第九話

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「やってることただの犯罪だって!奥に行った女の子たちも誘拐してきて監禁してんじゃないの?」レイカが老人に問いかける。

「おやおや犯罪者扱いとは心外だねぇ。そもそもここにやってきたの君たちの意思じゃないのかい?不法侵入した君たちを私は怒るどころか寛容に接しているつもりだがね」

「そ、それは勝手に入ったことは誤りますけど・・・」レイカのアガった剣幕がトーンダウンした。

「君たちを冷遇するどころか、元いた世界では得られなかったことも大抵ここで叶えることが出来る。私は君たちはを歓迎すると言っているんだ。もちろん他の娘たちも避難してきた君たちを喜んで受け入れるだろう」

「夢を叶えて欲しいなんて言ってないです。ただ帰りたいだけです・・・」レイカは強く訴える。

「なにも宣伝してないのに君たちのような若者たちが次から次へとここへやって来る理由を私はちゃんと知っている。聞けば皆この私のビルディングを心霊スポットだと聞いて来るのだという。未知の存在もしくは死後の存在の真偽を突き止めたいという、人間が根源的に持っている生と死についての飽くなき好奇心と、知ってか知らずか自分が存在する現実の世界から異界へ逸脱してみたいという隠れた陰の願望とが表裏一体になってやって来るのだ。つまり無意識の死への渇望と生への執着。私はそんな君たちのアンビバレントな願望を叶えてあげようと言っているのだよ」

「いや別に、私は異世界転生したいなんて思ったこと無いです」レイカは首を振る。

「異世界?昔は異世界ではなく異界とよんだったはずだが、今は異世界が通例なのかね?」老人は首をかしげる。

「細かい事はよくわかんないですが今はそうみたいです」

「なんだかややこしいねぇ。今の若者はエモーショナルなシナリオをエモシ、気持ち悪オタクをキモオタ、ゆるいキャンプをゆるキャンとかなんでも短くすると聞いていたんだが、なぜ異世界と長めに言うのだね?なぜなのかなぁ?異界転生、いや異転物ではダメなのかい?」

「なんでかわかんないけど・・・短すぎるんじゃない?」レイカは首をかしげる。

「よくわからないねぇ。君たちの物事についての基準は曖昧でいつも理解に苦しむ。ともかく異世界転生の物語が命和の時代では受けているらしいねぇ。なんでも現実の世界で憂き目にあっている人間があるとき死と再生、または魔法の力によって異世界に転生するとかしないとか」

「そうです。異世界モノは見る読むだけで間に合ってます」レイカは続けざまのしつこい質問にウザそうにしながら答えた。

「異世界モノってのは、生まれ変わった先の異世界で出会った人間たちと友情や愛を語らい、困難を乗り越え自己実現するサクセスストーリーが多いと聞いたがそれは本当かね?」

「はいそうだと思いますが、今は単純な成り上がりハッピーエンドは飽きられて、別の世界線の亜種系ストーリーが次つぎに生まれてますけど」レイカが説明する。


「レイカ君もけっこう詳しいじゃないか。私も、娘たちから日本の人民たちで流行していることんついていろいろと聞かされているのだよ。なんでも異世界転生とか、なろう系とかいうバカバカしい話がどういうわけか、取っては捨てられる公衆便所の紙ほど消費されているらしいね。いったいぜんたい何故そんな精神病院の便所の落書きみたいな妄想話が受けるのか私には理解できなくねぇ・・・。とにかく今も次から次に日本のどこかのトンマの頭のなかからウジ虫みたい生み出されているんだろう?」

「たしかに転生沼に一回ハマると抜けられないって友達が言ってましたけど・・・めちゃくちゃ言いますね」レイカは呆れた表情を浮かべる。

「そうかい、今の若い連中はトンマが作った沼に落ちまくっているわけだ。まぁ仕方がないか、岩盤保守から支持される国葬される総理大臣が、実は彼らが憎むべき朝鮮の反日カルト宗教の手先になっていた、そんなアベコベな国なのだから当然だろう」


「何のこと?」レイカはぽかんとして尋ねる。



「とにかく一般市民か国家の権力者か立場は無関係に、ハメられたと知らずに沼にハマっているのだよ。その心は、現実よりも仮想世界の主人公に自我を投影させて、己の内面に潜む劣等生や秘めた裏の顔シャドウの願望を登場人物に代償的行為させてリビドーを昇華させるのだろう。そうするとドーパミンが放出されるからねぇ、気分が良くなる!そうて更に次の物語を欲するわけさ。時に荒唐無稽で馬鹿げている話であっても沼にハまった人間はある意味正気を失っている訳で、より強い情動の揺らぎさえ得られれば自分は満たされると思い込むようになる。なんと愚かな!フハハハ!」

「はぁ・・・」レイカは気のない相づちを打った。

「異世界モノが異常に生み出される理由は、この二、三十年のインターネットの普及のせいだろう。昔現実社会で当たり前だった人間の通しの交流は、疎ましくも億劫な事に成り下がってしまったからだよ。生まれて自然に一番近い幼い子供たちだけがまともだよ。しかし彼らも成長し物心がつくと、この歪んだIT社会に適応するようになる。そうすることで適応障害は避けても、今度は人格障害や発達障害に変わる。これを地獄と呼ばずしてなんと呼ぶべきかね?」

「人格障害とか発達障害とか突然出るのおかしいでしょ?そんな意味で使われる言葉じゃなくない?」ヨウコが尋ねた。

「よしそれならばより具体的に話をしよう・・・・。前の時代では当たり前に人間と人間が当たり前にしていた取っ組み合いはハラスメントと云うらしいしスキンシップはセクハラと糾弾される世の中だろう?だから物語の中の登場人物に投影させてバーチャルに妄想のみででこなしてしまうのではないかね?昔ならば多少擦り傷をおったとしても当然の切磋琢磨と呼ぶべき人間活動だったものが、いまやSNSでさらされることを危惧して、リスクとコスパが高く付くものに成り果て、人々に敬遠されるらしいからねぇ? SNSを使いこなし他者に繋がってるつもりでありながら、その副反応として現実世界においては人間不信を植え付けられるなどなんと愚かで浅ましいと思わないかね?しかしこれは日本だけでなく今やIT化した世界全体の問題だ。疑心暗鬼な世で人々は本音を晒せない。情報過多で五里霧中の人々は真実がわからなくなる。一方でそんな混乱を薄ら笑い匿名の仮面を着けたインターネット性人格障害者たちが跳梁跋扈している。やれやれ昔は雨降って地固まる、喧嘩の後の兄弟名乗り、災い転じて福と成す、といったものだが、それらは今ではまったくのナンセンスというわけだ」


「けどさインターネットもSNSも社会も、べつにそれが悪いわけじゃないよ。使い方がおかしい人がいるだけだよ」真面目な顔でレイカが反論した。

老人はレイカの言葉に少し驚いた表情を浮かべる。

「さてそれはどうだろうねぇ?君たちはインターネットは便利と言いながらも、まるで自分で自分の首を真綿で絞めているようなものではないかね?確かにいま君たちの生活においては、インターネットはインフラとして確立してもはや絶対に手放せないものだろう。いま君は使い方が悪いだけ、と言ったが例えばそれは、匿名でウラ垢を作り自らの内面深部に潜む後ろ暗い欲望に酔う性倒錯者とそれを見て悦ぶ者たち、または自己愛を暴発させたネトウヨと呼ばれる者どもがサイバー空間を我が物顔で冷笑する輩の事を言っているのだろう?しかしはたして彼らがユーザーのなかの一部の少数派と言えるものかねぇ?

「それは冗談とかストレス発散とかでやってるだけでしょ?」レイカが反論する。

「ところがインターネット中で旨くジキルがハイドを演じて楽しんでいるつもりでも、それを続けているうちにいつの間にか本来の自分も乖離してしまうものだ。人間の精神は二進数ではないのだからねぇ。つまりそういう使い方をする者にとってインターネットとは緩やかに自我や精神を破滅させるさながら悪魔のようなものだ。本人は知らずして契約してしまった悪魔によって精神の監獄に追い込まれるというわけだ」

「精神の監獄・・・」ヨウコがつぶやく。

「ところで君たちは、何か怖いもの見たさでここにやってきたのだろう?だがそもそも自分達の住む世界こそ真におぞましくも恐ろしい世界だとは思わないのかね?現実社会から目を背けるために、若者どころかいい歳をした男女さえも異世界転生の物語に精神を没入させているのたからねぇ。他人を排除した自己完結型ドーパミン生成に勤しみ、人間を人間たらしめる尊い精神の源泉を仮想現実に浪費するというのはもはや悲劇と言うしか無いね。いや喜劇と呼ぶべきなのかな?フハハハハッ」

「ねぇヨウコ!この人になんか言ってやってよ」レイカは憤りを露わにしながら、ヨウコを振り返り助けを求めた。少女の眼差しには、この老人への強い不信感が滲み出ていた。

「もしかしてレイカくんにはちょっと難しい話だったかな?」老人は口元を緩めながら、その鋭い眼光をレイカに注ぐ。

「じゃあ、オジさんがこの世界で作っている物事が、いわゆる異世界モノではないって言うなら一体何なのよ?」ヨウコは真剣な表情で尋ねた。少女のまなざしには、老人への疑念が浮かんでいる。

「君は旧約聖書に出てくるノアの方舟を知っているかな?」老人は穏やかに問いかける。

「知ってますけど....たしかノアっていう名前の古代の男がいて、彼が神様から預言をもらって、大洪水が来るから大きい船を用意して避難しろって言われる話でしょ?」ヨウコは淡々と説明する。

「さすがヨウコくん!ノアは大きな方舟を作ってまもなくやって来る大洪水を前に、様々な植物の種子をかき集めより多くの種類の動物を自分の船に乗せて種の保存を図ったという神話だ」老人は語気を強めて語りかける。

「それでそれがどうしたって言うの?」レイカが反発的に尋ねる。

「そのノアとは、つまり私のことだ。おそらくノアが信託を受けたという存在は、この右手に持つ杖を創った偉大な存在の声だったのだと私は考えている。そして私がここに作り上げたものは、ノアの用意した船のように、いま世界規模で起きている異常気象・・・いやもっと甚大な結果をもたらす黙示録的な世界の崩壊から人々を安全に避難させるためのシェルターなのだよ」

老人は自信に満ちた表情で語り続ける。

「なぜそんなことを?だれに頼まれてもいないのに」ヨウコはすこし感情をあらわにして尋ねた。少女の瞳には疑問と不安が宿っている。

「私にはこの杖によって、この世界が間もなく迎える大災厄についての預言が与えられているのだ。それは人類にとって最悪の事態となるであろう、地球規模の環境破壊と文明の崩壊だ」

老人は深刻な表情で続ける。

「しかし、私にはその災厄から人々を救い、新しい世界を築く使命があると感じている。だからこそ、ここに異世界を創造し、避難場所を用意したのだ。まさに、新たなノアの方舟なのだと言えるだろう」

老人の言葉に、ヨウコとレイカは言葉を失う。二人の少女の表情には、複雑な思いが浮かび上がっている。

「ノアだって神の信託を受けただけで誰かに頼まれてはいない。傍から見て気が違ったかのように突然種を集め始め無理やり動物を船に載せたのだ。そして私は、やって来た君たちの何人かを安全なシェルターに隔離してあげているというわけだ。私がこの杖の力を見出したことはある意味信託を受けたも同義。私はその意に従ってこの場所を創りだしたのだ。逃げ遅れた地球上の人類が滅亡したとしても、この世界に避難した人類は存続するわけさ」

「なにそれ?都市伝説!?話が飛びすぎててヤバ過ぎるんだけど!!」レイカが呆れ果てたように叫んだ。

「ていうことは...いま、この世界にいる男性はおじさんだけじゃない?それってつまり...」ヨウコが慎重に尋ねる。

「君は本当に頭の回転がいいねぇ。私が雄の役割を果たすしか無いのかもね。もういい歳なんのだがフフフフ」老人は憑かれたように笑う。

「自分の娘って言っているのになにそれ?結局本当は自分の欲望じゃん!?」レイカが憤りを露わにする。

「私は本心から彼女たちそして君たちのことも、本当の娘のように愛するのだ。別に種の保存のために必要に迫られたとしても無理強いすることはしないさ。必要なことは神が導くように自然と物事は動いてゆく。特に日本には空気の神がいるのだからね」

「空気の神?」レイカがきょとんとした表情で尋ねる。

「そう、日本で一番強い力を持つ神だよ。古事記にも出てくる名前の無い神だ。日本人ならば誰もが気付かず知らない間に操られてしまう、そういう神だ」

「名前のない神?」ヨウコが訝しげに問う。

「名前などどうでもいいのさ。ただ私はただそれを空気の神と読んでいる。そして名前は知らなないが日本人なら誰もが逆らえない絶対神だ。水は上から下へと無理なく流れるが、空気の神が命じれば、日本人は無意識に汲み上げてでも上から下へと運ぶ、そういう神だ。それはともかくして、君たちが居た世界はさし迫った危機的状況にあり、将来に避けられない破滅が待っていると分かれば、つまり事態の深刻さを理解すれば、私の言っていることが正しく救済であると納得すると思うよ」

老人は説得力のある口調で語りかける。

「私はこんなオジさんもう無理だよ。わけわかんないし、私の答えはシンプルに帰りたいだけ!ヨウコは?」レイカは泣きそうな表情でヨウコに尋ねた。

「この人の言ってることは一理あるとは思う。けどオジさん突然そんなこと言われても、あなたの事もここの世界の事もよく知らないし、勝手に入ってきたのは確かに悪かったけど、家に帰りたいって気持ちもわかるでしょ?」ヨウコは慎重に言葉を選んで応答する。

「ああ分かるさ。しかし私は君たちの命の守ろうとしようと言っているのだし、ここに君の満足できる部屋も環境も用意しようと言っているのだよ。そしてなりよりもこのビルディングは人類の未来を守るための大義ある場所だ。その意味を敏い君なら理解出来るはずだと私は確信しているのだがねぇ?」老人は説得的に語りかける。

三人の間に沈黙が流れる。レイカとヨウコは複雑な表情で老人の言葉を受け止めている。果たして、この異世界に留まるべきなのか、それとも現実世界に戻るべきなのか。二人の少女の心は揺れ動いていた。

「イヤ!私はやっぱり帰りたいし帰してください!!」レイカは強い口調で懇願する。

「あなたの言っている意義が重要だとか言われても、やっぱりそうなんですかって言えない。この世界とおじさんの持つ魔法の杖が超古代文明的な力みたいなことはわかったけど...そもそも種の保存とか言うなら私たちみたいな若い女の子よりも大人のほうがいいと思うんだけど」ヨウコが慎重に意見を述べる。

「なるほどね...確かにヨウコくんの見解も一方で正しいかもしれないねぇ。若くて健康な人間が種の保存には最適だろうとおそらく君らくらいの若い女性が理想的だと考えていたのだが、種の保存のためにはもっと成熟した年代の女性も確かにいいのかもしれないねぇ。まぁそれはそれとして...一つ私から提案しよう。君らのうち一人は帰そう。しかし一人は残ってもらう。これが私の譲歩する条件だ」老人は冷静に提案する。

「え?なんで?ひとりだけ?」レイカは思わず声を上げる。

「そうだ。どちらか一人は残ってもらう。残ってもらうにしても必ずしも永久に留め置くつもりはない。他にも候補はやって来るだろうし、しばらく体験期間と思ってくれればいい。しかしながらそのうちここが気に入ると思うし、この場所が安心安全で豊かな生活をする最善策であると理解してくれるだろうと思うがね」老人は説得的に語る。

「わかりました。それじゃあ、私が残ります。レイカは帰してやってください」ヨウコは決意を込めて言う。

「え?」レイカは思わず声を上げた。

「ヨウコ君ならそう言うと思っていた。君は友人を思いやる心も持ち合わせているようだ。立派な決断だと私も思うよ」老人は頷く。

「ヨウコ!マジで言ってるの?」レイカが叫ぶ。

「うん、私なら大丈夫だよ。この場所に興味が出てきたし、それにあんたならわかるでしょ?」ヨウコは優しい眼差しでレイカを見つめる。

ヨウコはレイカに二人にしかわからないほどの短



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Murayamadai
途切れた残りを

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くるみ
ヨウコはレイカに二人にしかわからないほどの短い時間の目配せをする。

「レイカ、私は大丈夫よ。この場所に留まることにした。おじさんの言うことも一理あるし、ここでいろいろ学べそうだし。あなたは無理に引き留められることはないから、安心して帰っていいから」

ヨウコは優しい口調でレイカを説得する。

「でも、ヨウコ...一人で大丈夫なの?」レイカは心配そうに尋ねる。

「大丈夫、私に任せておいて。ここにいる間、おじさんに迷惑をかけないよう気をつけるし、できるだけ早く帰れるように頑張るから」

ヨウコは微笑みながらレイカの手を握る。二人の少女の視線が交わる。

「わかった。でも、絶対に約束してね。必ず帰ってきてよ」

「約束するわ。さぁ、行ってきな」

レイカはヨウコの言葉に頷くと、最後の別れの言葉を交わした後、この異世界から去っていった。

老人は二人の会話を静かに見守っていた。

「さて、ヨウコくん。君の決断は素晴らしいと思う。では、早速この新世界について教えてあげよう」老人はヨウコに向けて、不敵な表情のまま語りかける。



「本当に・・・いいの・・・ね?」レイカは躊躇いながら尋ねた。


「うん。あんたはさっさと帰って、私の親とかにうまく伝えておいてよ。ここで見たままを言っても誰にも信じてもらえないだろうから、その辺はうまく誤魔化し説明してさ、私もそのうち帰るからって」ヨウコは優しく言葉をかける。

「そんな・・・わたし・・・出来ないよ」レイカは戸惑いの表情を浮かべる。

「いいって。言い出したのはレイカだけど、私がひとり突っ走って入ってしまった結果なんだからさ」ヨウコは優しく言葉をかける。

「ヨウコ・・・本当は・・・」レイカは言葉に詰まる。

「ではこういうことでいいかな?ヨウコ君にはしばらくここに居て貰うこととして、レイカくんは希望通り地獄の待つ世界へと帰ってもらおう」老人が提案する。

「こんなところよりマシだよ・・・」レイカはひとり小さな声でつぶやいた。

「はいそれでいいです」ヨウコは落ち着いた声で言った。

ヨウコは躊躇う様子のレイカのそばまで来ると、彼女の手を自分の両手包み込んで目を見つめる。そして二人は少しのあいだハグをした。

そしてヨウコはレイカの耳元に囁いた。

〈アラマタ先生を見つけてこのことを伝えて・・・・〉

「それじゃ早速だが・・・ヨウコくんは私のそばへ。ここに立ち給え」といって老人は椅子から立つと、歳の割にがっしりした左手を伸ばしてヨウコの右手をぎゅと握った。

「ではレイカくんはさっき入ってきた場所の前に立ちなさい」

レイカは指示通りに入り口のあった壁に向かって歩いていたが、途中で立ち止まって振り返った。そして一人だけで帰ることにまだためらいを感じているのかしばらくヨウコの顔を不安そうに見つめていた。

「大丈夫、私もあとで必ず帰るから・・・」ヨウコは優しく言葉をかける。

レイカは目に涙を浮かべながらも、小さく頷いてから再び歩いて壁の前まで行って立ち止まった。

「それでは扉を開こう」


老人は杖でユカをコツコツと不規則に叩き始めた。そのリズムは次第にその振動が空気を揺るがし始める。杖に何かしらの異変はない。しかし空気を満たしている空気に不思議なゆらぎが起こり始めた。そのゆらぎは雨が降りしきる世界に等しく水滴を落とすように、すべての物質に及んでいた。壁の中央に肉眼で確認できる小さな黒い点が現れたと思った次の瞬間にはそれは大きな球になり、瞬きしてもう一度見た時には、ずっとそこにあったかのようにアーチ型の出入口ができていた。確かに来るときにあったこの場所への入り口だった。

「レイカ君さあ帰りたまえ」老人が促す。

「ヨウコ・・・」レイカは寂しそうに呼びかける。

「レイカ・・・みんなによろしく」ヨウコは優しく言葉をかける。

「うん、ごめん・・・」レイカは零れそうな涙を拭いながら頷く。

「謝んなくていいって、私は大丈夫だから。あんたなら分かるでしょ」ヨウコは微笑む。

と短く頷いたレイカは、背中を見せてアーチ型の玄関口から出て行った。そしてその小さな背中は暗闇へと消えていった。

ヨウコは老人の前に立ち、少し緊張した面持ちで見つめ返す。

「さて、ヨウコくん。では、この世界のことを詳しく教えてあげよう」老人は穏やかな表情で語りかける。

ヨウコは不安と期待が入り混じった眼差しで老人を見つめ返す。



つづく
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