怪奇短編集

木村 忠司

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告白|

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夜の都心、人通りが疎らになる頃。
タクシー運転手の山田は、いつもより長い一日の終わりを迎えようとしていた。新宿駅付近、つぎが最後の客かな...そんな思いの中タクシーを走らせていると一人の男性が乗り込んできた。

「奥多摩にあるM霊園までお願いします...」

男の声には、どこか虚ろさが漂っていた。山田は、バックミラー越しに男の表情を窺った。赤ら顔で明らかに酒に酔っているようで、どことなく目には異様な光が宿っているような気がした。

長年の経験から、この男が単なる酔っ払いではないことも感じ取っていた。山田の心の中で警戒心が芽生えた。

「...長距離になりますが、よろしいですか?」

男は無言で頷いた。

その後様子を窺ってみたが、とくに男に横暴な素振りはなく、そのうちリラックスしてきたのかシートに身を任せて眠ったように見えた。

タクシーは夜の街を抜け、やがて山道へと入っていった。車内はひたすら沈黙に包まれ、長い時間エンジン音だけが響いていた。

山田は時折、バックミラーで後部座席の男を確認した。男は窓の外を虚ろな目で眺めていたが、その表情には言い知れぬ何かを秘めているようにも思えた。

「M霊園に何か...あったんですか?」山田は声をかけた。

男は一瞬、驚いたように山田を見つめ、そして深くため息をついた。

「...私は...取り返しのつかないことをしてしまったんです」

その言葉に山田は思わず身震いした。男の声に後悔と自責の念が滲み出ていた。

「もう...逃げることはできないんです」

男の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだ。

それ以上山田には尋ねる言葉が浮かばず、沈黙が車内を支配した。

奥多摩の山道を進むにつれ、周囲の闇はより深くなっていった。男の吐露した言葉が車内に重い空気を残したままだ。

山田は自然とハンドルを握る手に力が入るのを感じた。彼の心の中で、好奇心と不安が交錯していた。

「あの...もし良ければ、お話を...」

山田の言葉に、男はゆっくりと顔を上げた。

「彼女は...私の恋人であり、姉だったんです」

男の声は震えていた。その告白に山田は思わずブレーキを踏みそうになった。

「三年間...私たちは知らずに付き合っていて...」

男の言葉は途切れがちだった。その声には、愛情と罪悪感が入り混じっていた。

山田は言葉を失った。男の告白は彼の想像を超えていた。

男の告白に、車内の空気が一層重くなった。山田は言葉を探しながら、慎重に運転を続けた。

「そして...あの日、私は...」

男の声が途切れた。山田は息を呑んだ。

「滝つぼへの遊歩道で...彼女が滑って...」

男の言葉は涙で濡れていた。山田は、男の苦悩が自分の心にも染み込んでくるのを感じた。

「私は...彼女の手を掴んだんです。でも...」

男は顔を両手で覆った。その姿は過去の幽霊に追われている男の苦悩そのものだった。

山田はただ黙って聞いていた。

「そして...私は...手を離してしまったんです」

その瞬間、車内にいっそう重い沈黙が降りた。

山田は、バックミラー越しに男の顔を見た。そこに酔った男の顔はなく、悲しみと後悔がはっきり表れていた。

「警察は事故死として処理しましたが...私にはわかるんです。あの時、私の中の何かが...彼女を手放したんだと」

客の男の言葉は、まるで霧の中から聞こえてくるようだった。山田は、自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「あなたの気持ちはよくわかります」

運転手は、男の心情に寄り添うように語りかけた。

「だいぶ前になりますが、私の父が亡くなって、私も同じような感じでした。父とは長年、疎遠な関係だったので。正直恨んでたんです。最後看取れ気にもなれず、ただ何も言えずに死んでしまったことをその後しばらく悔やんでいました。こんな私ごとと同じにしては失礼かもしれませんがね...」


「いえ、そんなことありません。確かに似た状況だと思います。ただし私の場合、今も...彼女が追いかけてくるんです。この車の中にも...」

男はおびえたように後部座席の空間を見つめた。山田は思わず冷や汗が流れるのを感じた...。

タクシーはついに静寂に包まれた目的のM霊園入り、山田は指示に従い細い道を進んで行った。

「お客さん、到着しました」山田の声はかすかに震えていた。

男はゆっくりと車外の暗闇を見つめた。その瞳はためらいと決意の間で揺れていた。

「ここに...彼女の墓があるんです」男はかすれ気味にそう呟いた。

山田はしばし言葉に迷い、それからゆっくりと尋ねた。「このまま帰ることもできますが...それとも、ここで降りますか?」

男は長い沈黙の後こう答えた。

「私には...選択肢なんてないんです」

その言葉に、山田は無性に胸が締め付けられるの感じた。男の苦悩が、まるで重い霧のように車内の空気を満たした。

男はおもむろにドアを開けた。冷たい夜気が車内に流れ込んでくる。


「ありがとう...」男は山田に向かって最後に一言そう呟いた。その声に感謝の響きが籠っていた。

男が車を降りるとためらいもなく墓地の闇へ歩いていく。山田は運転席から、男の後ろ姿が完全に見えてなくなるまで見つめていた。



「お客さん待って!」山田はそう叫ぶと、自分も外へ飛び出した。

ちょうと雲間から顔を出した月明りが、立ち並ぶ墓石の影をつくった。その間を縫うように山田は必死に男の姿を探した。しかしどこをどう探してみても、人の気配は見当たらない。

「どこに...」

月が雲の中に消え、濃くなった暗闇の中で諦めかけた山田は、ともかくタクシーに戻ることにした。

タクシーの横に立ちながら、もう一度男が消えた暗闇の方を見つめてみたが、やはり誰も見当たらない。深いため息をつく山田の顔には困惑と恐怖が入り混じっていた。それからおもむろに点けっぱなしのヘッドライトが照らす先に視線を向けた。

二つの強い光線が墓石の列を照らし出している。無数の墓石が闇の中からぼんやりと立ち上がる。その光景をみながら山田は、男から料金をもらい忘れたことに気づくのだった...。
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