怪奇短編集

木村 忠司

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のっぺら|

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江戸末期、丁髷を切るという大きな変化が間近に迫っていた時代。そんな折、与平という男が田舎の山道を歩いていた。

炭焼き小屋での仕事を終え、自分の村に帰る途中のことだった。静かな森の中を歩む与平の耳に、風に乗って漂う声が聞こえてきた。

「助けて……助けて……」

立ち止まり、よく聞き取ると、確かにどこかから助けを求める声が聞こえてくる。焦れったげな響きが、与平の心を引き寄せる。

与平は声の方向へ急ぐ。藪を分け入り、見慣れぬ道筋を進む。どこからともなく聞こえてくる呼びかけに、迷うことなく足を進めていく。

やがて、木々の隙間から差し込む光が目に入った。そこは意外にも広々とした原野で、真っ只中に大きな木が立っていた。

与平が近づいていくと、木の幹に縛り付けられた女性の姿が見えてきた。朱色の着物に包まれ、顔は布で覆われていた。

「おい、大丈夫か!」

与平は慌てて女性のもとへ駆け寄る。しかし、彼女の反応は弱々しく、全身から苦しみが滲み出ているようだった。

与平は縄を解こうと必死に手を伸ばすが、結び目がきつく、なかなか解けない。そのうち、女性の体がびくびくと痙攣し始めた。

「どうした!?」

与平は布を取り払った。そして、そこに広がっていたのは、あってはならぬ光景だった。

女性の顔は、完全に消えて白い皮膚だけが残されていたのだ。

「うわあぁぁ!」

与平は恐怖に怯え、山を駆け下りていった。


麓に辿り着いた与平は、出会った村人たちに、自分が見たことを必死に訴えた。

「のっぺらぼうだと!? そんな馬鹿な話があるか!」
「山で罰当たりなことでもしだでねえのか?」
「そんな妖怪などここらで聞いたことなどねえな」

しかし、村人たちは与平の話を全く信じようとしない。むしろ、おかしな話だと否定するばかりだった。

落胆した与平は、自分の家に帰った。あまりの恐ろしい光景に、よく眠れぬ夜を過ごすことになった。

数日後、ある狩人が森の中で女性の遺体を発見した。それは、与平が見つけた原の中央に立つ木に縛り付けられていたものだった。

朱色の着物を着た女性の姿は、獣に引き裂かれ、顔の形すら失われていた。

村人たちは狩人の報告を受け、その原へと捜索に向かった。そして、山賊に襲われ、木に縛り付けられた挙句、狼に襲われて惨殺されたのだろうと推測した。

与平は、自分の目撃した「のっぺらぼう」の話を、もはや主張することはなかった。ただ、静かに女性の冥福を祈るばかりだった。

亡くなった女性は、無縁仏として弔われ、彼女が死んだ木の横に、村人たちが鎮魂の碑を建てた。

それからというもの、人々はその原の方角へ近づくことを避けるようになった。そして、やがて、その場所は「のっぺら原」と呼ばれるようになっていった。

年老いた与平は、度々、若者たちに語りかける。

「山奥の石碑のある大きな原にはのっぺらがおる」

その言葉は、今も、その村に伝承されているのだという。
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