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第二章 彼の決断
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パタン、と扉が閉められる。
彼女の後姿が消え、その部屋に一人残されたフィルロードは、緩々と持ち上げた両手を凝視した。
「俺は……、何をしようとしていたんだ」
リリセニーナ女王代行殿下の沙汰を待つ、謹慎の身。
なのに、立ち去ろうとした彼女を呼び止めて、なおかつ戸惑う彼女をこの部屋に引き入れてしまった。彼女は、ジュシルス団長に頼まれて、自分を監視してくれているだけだったのに。
グッ、と拳が握られる。
彼女が、ここからいなくなってしまう。
次に会えるのは、いつだ?
謹慎が解かれるまでは、今までのように姿を目にすることすら出来なくなる。その間に彼女が、女王代行殿下の定めた相手のところに行ってしまっていたら――そこまで考えて、思考が真っ黒に塗りつぶされたのは覚えている。
それから――、横笛を吹いた。
彼女に乞われて。
笛を、前もって触っていてよかった。そうでなかったらきっと、彼女の前にも関わらずお粗末な演奏になってしまっていたはずだから。
彼女に感想を頂いて、気づいたら――彼女を壁際に追いこんでいた。
『フィル、ロード……』彼女のおびえた声で我に返れたものの、自分は何をするつもりだったのだろうか。
見あげてくる淡黄色の瞳が、あの晩の彼女を思い起こしてきて、フィルロードは強く首を振った。
彼女と二人になっても、彼女があの晩のことを尋ねることも、責めてくることもなかった。
無礼を働いても、彼女は戸惑いながらすぐに不問としてくれた。
その彼女の優しさに甘えて、自分の欲望をまたぶつけてしまうところだった。
「もう一度、あなたを……」
もう一度、あなたを――
この腕に抱きしめることをお許しください。
不謹慎だったとしても、城内での騒ぎが、その言葉を封じてくれて、自分の暴走を止めてくれて本当に感謝している。それは、口にしてはいけないものだったから。
熱に煙り始める紅の瞳をそっと閉じ、ゆっくりと息を吐いていく。
フィルロードは緩々とかぶりを振ってから、気を紛らわせようと部屋の中を見わたした。
懐かしい、もう一つの自分の部屋。あの時と、何も変わらない。
窓が一つと、その近くに机と椅子。そして、本がきれいに整頓された大きな本棚。そちらに歩み寄ってみれば、一冊だけ飛び出ている本がフィルロードの目に留まった。
「これは……」
手に取り、パラパラとめくっていく。緑や茶色、変わった形の草木や植物の写真とその詳しい内容が書かれたそれは、基本的な薬草学の本だった。
一枚だけグチャグチャの折り目がついたところを、開く。そのページには、見覚えがあった。
あれは、そう。
今から、五年ほど前。まだ、騎士見習になって間もない頃のことだった。
『見つけたんだ、セニー。父上の病に効果がありそうな薬草を!』
『本当ですか、フィル』
『ああ。この国から森を抜けた先に切り立った崖みたいなところがあって、そこにあるらしい』
『そうなのですね。なら早速、お母様たちにお願いしに参りましょう』
『そんなの、待っていられるわけがないだろ! 俺が今すぐ、取りに行ってくる!』
『フィル、待つのです。外は小雨も降ってきていますし、危険ですから。フィル! フィルロード!』
『待ってください、フィル!』
『リリー? きみも、俺を止めにきたの? きみに止められても、俺は行くからな!』
『いいえ、私はあなたを止めにきたわけではありません』
『え?』
『私も……、私も連れて行ってください!』
決意を帯びた淡黄色の瞳が、脳裏にくっきりと焼きついている。
危険だから、風邪をひかれると大変だから、何かあったら責任がとれないから。いくら言い聞かせようとしても、彼女は決してその意志を曲げようとはしなかった。結局、根負けして折れたのは彼の方だった。
「あなたは、本当に……」
パタン、と本を閉じると、フィルロードは表紙に額を当てながら微笑した。
普段は控えめなのに、一度言い出すとなかなかそれを変えてはくれない――
「困った方だ」
あれから、雨が降る中をフィルロードが馬を駆り、背中にしがみついた彼女と一緒に森の中へと入った。
きっと一人だったら、途中で諦めていたかもしれない。投げ出していたかもしれない。
後ろから聞こえてくる励ましの言葉が、彼女の存在が、雨に低下していく体温と英気を保ち続けてくれた。
『大丈夫ですか? フィル』
気丈に振る舞っていたとはいえ、彼女の指先は小刻みに震えていた。その時の自分は、彼女の手を握り返すことしか出来なくて。
怖い目に遭わせてしまった罪悪感、何も出来なかった自分の弱さ、未熟さ、そして――周りの大人たちの叱責から彼女との埋まらない距離を痛感し、嫌でも自覚した。
最終的に、目的の薬草は見つけられなかったけれど。
――あの時に、決めた。
強くなると。
たとえそれが、『騎士』としての仮面をかぶり続けることになったとしても。
「姫……」
俺は、強くなれたのだろうか? あなたを、守れるくらいに……
そういえば、とフィルロードは部屋の出入り口の方へ目を向けた。
彼女がここを出て行ってから、どれくらい経っただろうか?
先ほどの過去の回想も相まって、一気に彼の焦燥感が募っていく。
「あなたを守れなければ、意味がないのに……!」
様子を見に行った方がよさそうだとは思うものの、この部屋から出るわけにもいかない。だけど、とフィルロードは焦ったように扉の方に大股で歩み寄った。
その時。――トントン、と控えめなノックの音が響いてきた。
彼女の後姿が消え、その部屋に一人残されたフィルロードは、緩々と持ち上げた両手を凝視した。
「俺は……、何をしようとしていたんだ」
リリセニーナ女王代行殿下の沙汰を待つ、謹慎の身。
なのに、立ち去ろうとした彼女を呼び止めて、なおかつ戸惑う彼女をこの部屋に引き入れてしまった。彼女は、ジュシルス団長に頼まれて、自分を監視してくれているだけだったのに。
グッ、と拳が握られる。
彼女が、ここからいなくなってしまう。
次に会えるのは、いつだ?
謹慎が解かれるまでは、今までのように姿を目にすることすら出来なくなる。その間に彼女が、女王代行殿下の定めた相手のところに行ってしまっていたら――そこまで考えて、思考が真っ黒に塗りつぶされたのは覚えている。
それから――、横笛を吹いた。
彼女に乞われて。
笛を、前もって触っていてよかった。そうでなかったらきっと、彼女の前にも関わらずお粗末な演奏になってしまっていたはずだから。
彼女に感想を頂いて、気づいたら――彼女を壁際に追いこんでいた。
『フィル、ロード……』彼女のおびえた声で我に返れたものの、自分は何をするつもりだったのだろうか。
見あげてくる淡黄色の瞳が、あの晩の彼女を思い起こしてきて、フィルロードは強く首を振った。
彼女と二人になっても、彼女があの晩のことを尋ねることも、責めてくることもなかった。
無礼を働いても、彼女は戸惑いながらすぐに不問としてくれた。
その彼女の優しさに甘えて、自分の欲望をまたぶつけてしまうところだった。
「もう一度、あなたを……」
もう一度、あなたを――
この腕に抱きしめることをお許しください。
不謹慎だったとしても、城内での騒ぎが、その言葉を封じてくれて、自分の暴走を止めてくれて本当に感謝している。それは、口にしてはいけないものだったから。
熱に煙り始める紅の瞳をそっと閉じ、ゆっくりと息を吐いていく。
フィルロードは緩々とかぶりを振ってから、気を紛らわせようと部屋の中を見わたした。
懐かしい、もう一つの自分の部屋。あの時と、何も変わらない。
窓が一つと、その近くに机と椅子。そして、本がきれいに整頓された大きな本棚。そちらに歩み寄ってみれば、一冊だけ飛び出ている本がフィルロードの目に留まった。
「これは……」
手に取り、パラパラとめくっていく。緑や茶色、変わった形の草木や植物の写真とその詳しい内容が書かれたそれは、基本的な薬草学の本だった。
一枚だけグチャグチャの折り目がついたところを、開く。そのページには、見覚えがあった。
あれは、そう。
今から、五年ほど前。まだ、騎士見習になって間もない頃のことだった。
『見つけたんだ、セニー。父上の病に効果がありそうな薬草を!』
『本当ですか、フィル』
『ああ。この国から森を抜けた先に切り立った崖みたいなところがあって、そこにあるらしい』
『そうなのですね。なら早速、お母様たちにお願いしに参りましょう』
『そんなの、待っていられるわけがないだろ! 俺が今すぐ、取りに行ってくる!』
『フィル、待つのです。外は小雨も降ってきていますし、危険ですから。フィル! フィルロード!』
『待ってください、フィル!』
『リリー? きみも、俺を止めにきたの? きみに止められても、俺は行くからな!』
『いいえ、私はあなたを止めにきたわけではありません』
『え?』
『私も……、私も連れて行ってください!』
決意を帯びた淡黄色の瞳が、脳裏にくっきりと焼きついている。
危険だから、風邪をひかれると大変だから、何かあったら責任がとれないから。いくら言い聞かせようとしても、彼女は決してその意志を曲げようとはしなかった。結局、根負けして折れたのは彼の方だった。
「あなたは、本当に……」
パタン、と本を閉じると、フィルロードは表紙に額を当てながら微笑した。
普段は控えめなのに、一度言い出すとなかなかそれを変えてはくれない――
「困った方だ」
あれから、雨が降る中をフィルロードが馬を駆り、背中にしがみついた彼女と一緒に森の中へと入った。
きっと一人だったら、途中で諦めていたかもしれない。投げ出していたかもしれない。
後ろから聞こえてくる励ましの言葉が、彼女の存在が、雨に低下していく体温と英気を保ち続けてくれた。
『大丈夫ですか? フィル』
気丈に振る舞っていたとはいえ、彼女の指先は小刻みに震えていた。その時の自分は、彼女の手を握り返すことしか出来なくて。
怖い目に遭わせてしまった罪悪感、何も出来なかった自分の弱さ、未熟さ、そして――周りの大人たちの叱責から彼女との埋まらない距離を痛感し、嫌でも自覚した。
最終的に、目的の薬草は見つけられなかったけれど。
――あの時に、決めた。
強くなると。
たとえそれが、『騎士』としての仮面をかぶり続けることになったとしても。
「姫……」
俺は、強くなれたのだろうか? あなたを、守れるくらいに……
そういえば、とフィルロードは部屋の出入り口の方へ目を向けた。
彼女がここを出て行ってから、どれくらい経っただろうか?
先ほどの過去の回想も相まって、一気に彼の焦燥感が募っていく。
「あなたを守れなければ、意味がないのに……!」
様子を見に行った方がよさそうだとは思うものの、この部屋から出るわけにもいかない。だけど、とフィルロードは焦ったように扉の方に大股で歩み寄った。
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