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第二章 ミッドランドに帰らなきゃ編
45、女王、魔王と語らう。
しおりを挟むあの裁きからすでに一ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。
キャロラインは、ミッドランド城の王の間のバルコニーにてお気に入りの白いロングチェアーに寝そべり、太陽の光を浴びていた。
横に置かれたカップに手を伸ばし、それをゆっくりと傾ける。
すると、ほどよく熱い紅茶が口に入り込み、その香りが鼻を突き抜ける。
「ああ、幸せってこういうことをいうのかもね」とキャロラインが独り言をつぶやくと、黒い影がロングチェアーを覆った。
上を見上げると、黒い翼を広げた影がちょうど太陽に重なるようにしてキャロラインにゆっくり近づいてくるのが分かった。
キャロラインは口元を微笑ませた。
「今度は常識的な時間帯に来てもらえたみたいね。ザザバエゾ。前はおかしな時間でパナは面を喰らったそうよ」
魔王ザザバエゾはバルコニーにゆっくり降り立つと、翼を閉じ「そなたら人間の常識なぞ朕にはとんと分からぬ」と言った。
その言葉にキャロラインは声をあげて笑う。
「ふふふ。たしかに、そのとおりね。さぁ、我が友ザザバエゾよ。どこか好きな席にお座りになって」
「うむ」
ザザバエゾはうなずくと、手ごろな椅子に腰かけた。キャロラインも寝そべったままだと失礼になると思い、一度立ち上がり、ザザバエゾの隣の普通の背もたれのついた椅子に腰かける。
すると、キャロラインが椅子に腰を掛けたと同時にザザバエゾが話を切り出した。
「ところでキャロライン。朕の下僕デンプシーは元気にしておるか?」
「ええ、元気にしているわ。元気すぎるぐらいよ。それに彼が喋るようになって大分寝室が賑やかになったわ。でも……」
「でも?」
「時折ここから逃げ出そうとするのだけはやめてもらいたいかしら」とキャロラインは笑った。
「逃げだすのか? あやつが?」とザザバエゾは眉をひそめた。
「ええ、どうもわたくしの顔をずっと見ていると、あの日のことを思い出して胸が苦しくなってくるのですって」
「あの日、とは……デンプシーが朕にキャロラインの行方を連絡してきたあの日のことか?」
「ええ、あの日のことよ。ザザバエゾはデンプシーからあの日のことを聞いていないの?」
「朕は聞いておらぬぞ」
「そうなのね。……わたくしはもう10回以上は聞いたかしら。だって、デンプシーはまるで恨みでもあるかのように、しつこくあの日の話をするのですもの」
キャロラインは一度呼吸を整えると、あの日の話をはじめる。魔時計が空から降ってきたあの日の話を……
「あの日デンプシーはスキルを使っていたらしいわ。わたくしが近くにいると激しく心臓の鼓動が鳴る【 愛しの人を追いかけることの何が罪でしょうか 】と呼ばれるスキルを。
たぶん、そのスキルのおかげで、デンプシーは、わたくしがキンコーナーの刑務所の中にいることが分かったのだと思う。
だから、デンプシーは刑務所の上を何度も旋回していたそうよ。
わたくしは知らなかったのだけど、どうやらそのスキルは、発見すべき相手の心臓の鼓動が早くなると、それに連動して自分の鼓動も早くなってしまうのですってね。
あの日、わたくしはありえない幸運の連続で完全にテンションがあがり、そして、囚人の皆を率い、集団脱獄を敢行したの。わたくし自身敵から剣を浴びせられて死ぬかと思ったし、とにかく、それぐらい激しくわたくし自身の心臓も鳴っていた……
だから……すっかり胸が苦しくなってしまったんですって、デンプシーは(笑)
それで、口から泡をふきだして、地上に真っ逆さまに落ちていったの。彼の言によると、わたくしの顔を見ると、それをどうしても思い出してしまうそうよ。だから、時々、息苦しくなって女王の寝室からいなくなってしまうの。パタパタと飛んでどこかにね」
「はっはっはっはっは」とザザバエゾは笑った。「あやつらしいと言えば、実にあやつらしい」
「まぁとにかく、あの日、泡を吹き、空から落ちてきた魔時計をわたくしとチルリンは幸運にも発見することができた……
でもね、わたくしだって驚いたのよ。わたくしがベッドサイドテーブルに置いていた時計に翼が生えて空から落ちてきたものだから、とても頭が混乱したわ。
えーっと、たしかそれから少ししてからよね? デンプシーがあなたに連絡したのは」
「そうじゃな。デンプシーから連絡があり、そして朕がそなたを迎えにいった」
「でも、よくあんな長距離の移動魔法が使えたわねザザバエゾ」
「キャロライン、朕は魔王であるぞ? 朕にできぬことなど何もない。だから、そなたと、あのチルリンと申すモンスターをパナの下にまで送り届けたのであろう?」
「ええ、感謝しているわ、とても」
「そういえば、そなたが自分で決着をつけると言っていたイエローとやらはどうなったのだ? そなたの父の仇なのだろう?」
「処刑したわ。もっとも残酷な方法でね」
「ふむ、そうか」
「……」
そこまで言ってキャロラインは父アルバトーレの顔を思い出した。
本当にお父様はいつも優しかった……
そして、どんな時にも最後は体を張って守ろうとしてくれた……
お父様……
「ザザバエゾはどんな気持ちだったの? あなたのお父様を無くした時は……」
「ふむ……、それはもちろん悲しかった。年月が経った今でも悲しいと思うことがある。そして……逢いたいと思うこともあるな」
「そう……あなたも同じなのね……」
「そうじゃな。同じであるな朕とキャロラインは……」
「そうそう、忘れる所だったわ。今回の件でなにかお礼をさせてほしいのよ」
「朕にか?」
「ええ、そうよ。あなたとデンプシーがいなければわたくしはここに帰ってくることはできなかったわ。あなたがわたくしとチルリンをパナのところまで移動させてくれなければ、お兄様だって殺されていたに違いない」
「だが、朕はお前たちを移動させただけじゃ」
「それが重要なのよ。それに今回だけじゃない。ダンジョンでだってわたくしを助けてくれた。だから何かお礼をさせてほしいのよ」
「ふーむ。お礼とな?」
「そう、具体的にはまだ考えてないけど、誰もいない山野をまるごとあなたにあげて人間の不可侵地域を作ってもよいわ。そしてその土地に魔物だけを住まわせてもいい」
「なるほどな……、うーむ。では、こういうのはどうだろう?」とザザバエゾは言った。
「朕の願いを一つ聞いてくれるか?」
「ええ、なんなりと」
「うむ。では、朕の妃となれ、キャロラインよ」
その思わぬ提案にキャロラインは素っ頓狂な声をあげた。
「え? わたくしに? 妻となれ、と?」
「うむ。そなたは面白い。朕の下僕たちは朕に忠実すぎるし、面白味にかける。そなたは次に何をしでかすか分からない。常にハラハラドキドキする。予想外のことが次々とおこる。朕はもう100年近くダンジョンで暮らしているが、ここ数ヶ月ほど面白い日々を今まで朕は送ったことが無い。朕はそんな毎日を送りたい。だから、そなたを妻としたい」
なんとも単純明快な理由であるが、実にザザバエゾらしいとキャロラインは思った。
「うん、と言いたいところだけど、その理由ではわたくしは納得しないわザザバエゾ。夫婦は愛し合うものよ。だから――」
キャロラインは立ち上がり、そしてザザバエゾのほっぺたにキスをする。
「わたくしのことを真剣に愛することができるようになったなら、その時に、そのプロポーズを受けるわ」
ザザバエゾは、ほっぺたへのキスに顔を赤くする。
「うむ。なるほどな。なんであろう、これはなんというのだ? キャロライン」
「え?」
「この、ほっぺに、チュッ、としたやつじゃ!」
「え~、と。……キスよ」
「キスか!」とザザバエゾは一人で納得したように頷いた。
「やはりキャロラインは面白い! 戦ってもいないのに、朕がここまで興奮したことはないぞ! やはり朕の妃はキャロラインしかおらぬ。面白い! 面白いぞキャロライン!」
そう言ったザザバエゾは顔を真っ赤にさせたまま翼をはばたかせ、飛び上がった。
「では、真剣にそなたを愛せるようになったらまたくる! その時も今のやつをやってくれキャロライン! ほっぺに、チュッってやつじゃ!」
「ええ」とキャロラインは笑った。
「ではまたくるぞ!」と言い、そのままザザバエゾはどこかに消えた。
ザザバエゾがいなくなると、キャロラインはまた元のロングチェアーに寝そべる。
それにしても、と思った。これは実質魔王の求婚を受けてしまったことになるのではないだろうか?
ふふふ、と鼻を鳴らす。
まぁ、それも悪くない、とキャロラインは思った。
ザザバエゾは悪い人ではない。
むしろ誰よりも頼りになる人……
まぁ、少し問題があるとするなら、容姿が幼すぎることと、人ではないことぐらいかしら。
でも、まぁいいか、と思った。
細かいことなど考えても仕方ない。
いつものわたくしのように、その時になってみれば答えは分かるだろう。それに任せよう。
そう思ったままキャロラインは目をつぶる。
頭の中にいろいろな思い出がよみがえる。
父との思い出、兄との思い出、チルリンとの思い出、そしてザザバエゾやパナとの思い出……
そのすべてがわたくしの財産だった。
そよ風が頬を撫でるように吹き、赤い髪がおでこをこちょばすようにゆらゆらと揺れる。
ゆらゆら、ゆらゆらと……
「おーいキャル! この服なんてどうだ?」とバルコニーに顔をだしたチルリンはロングチェアーに眠るキャロラインを見つける。
「まったく仕方ねーやつだなぁ」と言ってチルリンは自分の上着をキャロラインにかけてあげる。
そして去り際に一言、言った。
「これからもよろしくたのむぜ、女王様」
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