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26 市川大樹という男
しおりを挟む「はじめてのお風呂だね……高望クン」
中世的な顔面を朱に染め、市川はもじもじし始める。
赤堀への気持ちを吐露した日から、市川は昔からの友人のように接してくる。
だが、俺は戸惑うしか出来ない。
元より他人との距離の測り方が苦手な俺。
それが、高校二年になって人間関係に巻き込まれた。
宮坂えりかとの出会い。
市川大樹との親交。
そこから派生した、赤堀香恵との関係性。
赤堀については未だ不可解な点は多いが、宮坂と市川についてはある程度適正な距離が掴めてきた。
それが、崩れた。
市川はいい奴だ。それは間違いないと思う。
だが今となっては、そこに赤堀も紐付けられている。
市川が赤堀を好きだと知った以上、俺はどのように接すれば良いのだろうか。
山道に入って数十分。
二台のバスは、大きな川沿いの施設へと滑り込む。
林間学校の開催地、少年自然の家、だ。
揺れながら停まったバスのドアが開き、大きなバッグやキャリーケースを引いた生徒たちが降りてゆく。
その流れに身を任せてバスを降りると、視界に山が飛び込んでくる。
目線の高さは、何処を見ても山。
陽射しは強いが、街よりも幾分か涼しげな風が首の辺りを撫ぜてゆく。
呼吸をすると、草いきれの香りが鼻をくすぐった。
「山だぜ、高望クン!」
Tシャツ、ハーフパンツで仁王立ちを決める市川は、両腕を天に伸ばす。
が、その姿線は、もう一台のバスをちらちらと見ている。
赤堀や宮坂が乗っているバスが気になるのだろう。
さて、これからどうするのだろう。
四人で同じ班になろうと決めてはいるが、実際にはどうなるのやら。
辺りを見回していると、引率の教師たちが輪になって何やら話している。
「では、各自四、五人の班を作って先生へ報告、それが終わった順に炊事場で昼食の準備に入ってください」
教師たちの話しの輪は直ぐに解け、引率であり我が校の養護教諭でもある草壁先生が、ハンドスピーカー片手に何ともぼっちキラーな指示を出す。
ちなみに草壁先生、アウトドアにしてはえらく軽装である。
豊かすぎる胸や足のラインを主張しまくる、濃いグリーンのタンクトップとデニム地のショートパンツ。
そこに、白い薄手のパーカーを羽織っている。
てか、あれで大丈夫なのだろうか。
愚考の間に草壁先生と視線が合う。
砂利を踏み鳴らしてこちらに来た草壁先生は腕組みをして、整った顔で不遜に笑う。
「なーに、心配は要らんさ。日焼け止めも虫除けもサバゲーの基本。ばっちり対策済みだ」
そこじゃない、そこじゃないぞ!
あんた外見だけは必要以上に女性の魅力に溢れてるんだよ。
ただでさえ男子高校生なんて盛っているのだ。しかも今は夏真っ盛り。
ダブル盛りである。
ちょっとは胸の北半球とかお尻の南半球とか気をつける方がいいですよ。
主に男子高校生の精神衛生上。
おっと、こうしてはいられない。早く宮坂、赤堀と合流せねば。
さもなくば、草壁先生の視線に灼かれてしまう。
その時、ふと悪魔が囁く。
おまえみたいな異端者が、本当に受け入れられるのか。
あいつらに裏切られたらどうするんだ、と。
市川、宮坂、赤堀、そして俺以外の誰か。
──なんてしっくりくる班なんだ。
悪魔は尚も囁き続ける。
おまえ、独りでいいじゃん。
キャンプ得意だろ。
得意という程ではないが、確かにキャンプの経験は少なからずある。全部ソロキャンプだけど。
それこそ小さなクッカーを使った一人前の食事なら、三〇分もあれば作れる。
しかも一人なら能力を使って楽ができるし。
もしも市川たちに要らないと言われても、独りでどうとでもなる。
制限されこそすれ、何も困る事は無いのだ。
そんな事を考えているせいで、市川をロストしてしまった。
これは本格的に単独活動を考えねばならぬかもしれない。
現状で考え得る最悪の状況への覚悟を決めた時、最悪の二重底が開いた。
「おーい、タカノゾミくん」
「こっちの班に入んなよー」
こいつら、バスで騒いでた同じクラスの二人だ。
ウザい。
何がウザいって、あいつら全部俺にやらせてサボるのが目に見えてるから。
あと苗字の読み方違うし。
俺は高望。決してタカノゾミなんかしない。
手が届く範囲で十分なんだ。
「あっれー、無視?」
「同じクラスなのにー、つめたいなぁ」
気にせずに、一縷の希望である市川の姿を探していると。
「あ、いたいた~、ショタっちー」
集団の方から、赤堀が河原を走ってくる。その後を歩くのは、市川か。
手を挙げて二人に応えようとした時、背後から肩をぐいと引っ張られた。
見れば、さっきからタカノゾミと連呼するパーマ男と巻き髪ドリル女。
「なぁなぁ、さっきから呼んでるんだけど」
「あたしたちのグループに入れてやるっつってんだから、さっさと来なよ」
イラっとした。
こんな感情は何年ぶりだろう。
まあいい。俺はケンカはしないんだ。売られたって買ってやらない。
だが、その願いは叶わなかった。最近距離を縮めてきた、お節介な気遣い男のせいで。
「悪ぃ、高望クンはオレらと約束してんだ」
言葉こそ平常だが、市川の手はクラスメイト男子の手首を思いっきり握っている。
「んだ市川テメー、離せ……ぐあっ」
「ちょ、ちょっと市川……」
パーマ男が顔を歪める。
握られた手首の先は赤く変色し、それを見た巻き髪ドリルが慌て出す。
それを尻目に、当事者の一人となった市川が笑顔で振り向く。
「ああ、高望クンは、香恵の相手しといて。すぐ終わっから」
え。なんかいつもと市川が違う。市川の幼馴染である赤堀を見ると、頭を抱えていた。
「あちゃー、やっちゃったよアイツ……だからやなんだよ」
「どういうこと?」
「アイツ、昔からケンカばっかりで」
「え、マジ?」
どういうことた。
俺の前ではそんな素振り、いっぺんも見せなかったぞ。
「アイツさ、すっごくケンカ強いの。だからケンカ売られること多くて」
「マジでふか」
突然のカミングアウトに、思いっきり噛んだ。
「アイツ負けたとこ見たの、一回だけだし」
なにそれ、どっかの国の柔術家かよ。寝技が得意だったらどうしよう。
「でもね、全部正当防衛なの。あんな風に自分から行くなんて無かった」
「い、いろいろあるんだな……」
「まあ、ね」
少し離れた場所で赤堀と喋っている内に、名も知らぬ二番手グループのクラスメイトは去って行った。
「ゴメン高望クン、みっともないとこ見せて」
「あ、いや、その……助かり、ました?」
「なんで敬語? やめてよー」
気軽な感じで俺の肩をポンと叩く市川は、まさに頼れる男という空気を醸し出していた。
「あー、えりちんがピンチだ!」
声を上げたのは赤堀。
その指差す方向を見ると、さっきのパーマ男と巻き髪ドリルに、宮坂えりかが絡まれていた。
即座に駆け出した市川を追いながら思う。
この林間学校、平和には終わらないだろう。
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