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終 章 ヴィクトリア編

第79話 サクラの苦難な一日(前編)

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 学園社交界当日、私は先生に連れられ初めてヴィクトリア学園の校舎へと足を踏み入れる。

「初めまして、サクラと申します。この度はご指名頂きありがとうございます」
 予め考えていた挨拶を、アリス様の顔を見ないままで頭を下げる。
 今目の前にいる人は正真正銘のお姫様、私とは身分も違えば立場も違う。もし私がここで失礼な行為でも起こそうものなら、お城勤めで頑張っているお姉ちゃんにも迷惑が掛かってしまう。
 だけど考えれば考えるほど体がカチコチになり、頭を下げたポーズのまま思うように動けない。
 どうしよう、どうすればいい? こんな時お姉ちゃんならどうするの?

「えいっ」ぷにっ
「にゃぁー!」
 頭を下げたまま固まっていると、頬っぺをひとさし指で突かれてしまう。
 思わず子猫が驚いた時のような声が出てしまったが、ここは私の心情を察してもらいたい。

「初めましてサクラちゃん。私がアリスだよ」
 目の前にいる女性、アリス様の第一印象はなんていうか、絵本の中から飛び出してきたお姫様そのものだった。
 見たこともないような綺麗な銀髪に、人を惹きつけそうな可愛らしい笑顔。意地悪な人だったらどうしよう、と思っていた私の考えなど綺麗さっぱり吹っ飛んでしまった。
 こんな人が私と同じ世界にいるなんて、これは夢か何かなんだろうか。

「もう何やってるのよアリス、サクラが混乱しちゃってるじゃない」
 声が聞こえる方を見ると、そこにも物語から飛び出して来たかと思えるほどの綺麗な女性。アリス様を可愛いと表現するなら、こちらの女性はキレイという言葉が相応しいだろう。
「ごめんごめん、だって昔のココリナちゃん見たいになっちゃってたから、ついね」
「まぁ、確かに懐かしくはあったわね」
 えっ、ココリナちゃん見たいな?
 突然出てきたお姉ちゃんの名前に混乱するも、次の瞬間カーテンの奥から現れたメイドさんを見て私の混乱は最高潮に達する。
「もう、ミリアリア様もアリスちゃんも。妹の前で私の消し去りたい過去を暴露しないでくださいよぉ」
 この声、この顔、この香り。そこに居たのは間違えようのない、私が今一番会いたいと思っていた人物。

「おおおおお、お姉ちゃん!? ななな、何でここにいるの? って言うか、今ミリアリア様って言った!?」
「ん? どうしたのサクラ?」
 待って待って、何でお姉ちゃんがこんなところにいるの? って言うか、この方がミリアリア様!?
 お姉ちゃんみたいに貴族マニアでなくとも、この国の王女様の名前ぐらい私だって知っている。いまのが聞き間違いでなければこの人がミリアリア王女様という事だろう。

「ほら、やっぱりサクラが混乱しちゃったじゃないですか。だからミリアリア様の登場はもっと後にしてもらえませんかって言ったんですよぉ」
 何やら検討違いの事を言葉にするお姉ちゃんに、思わず頭の中でツッコミを入れるも、それ以上にこの現状に理解が追いつけずパニック状態。第一お姉ちゃんの就職先ってお城だったよね? 
 普通お城勤めなら王女様の世話役もありえるんじゃない? なんて考える人もいるだろうが、それは余程世間を甘く見ている人なんだろう。
 お城といえば国の中核。大勢の人が勤め、大勢の騎士様たちが日々訓練している。そういった人達を影から支えたり、周りのお世話をするのがお城勤めのメイドさんと言うわけだ。決して王女様とひょっこり学園に現れていい筈がない。

「いや、多分混乱させちゃってるのはココリナの方じゃない?」
「そんな事ありませんよぉー、私がサクラを混乱させちゃう訳がないじゃないですか。ね?」
 いやいやいや、『そんな訳がないじゃない』的に首を傾げても、私が今混乱しているのはお姉ちゃんがここにいる事なんですが!
 
「おお、お姉ちゃん!」
「ん? どうしたのサクラ?」
「い、色々聞きたいことはあるんだけど、ここここ、こちらの方は、ミミミ、ミリアリア王女さまぁ?」
「んん? そうだけど? あぁ、大丈夫よサクラ、ミリアリア様もアリスちゃんも優しいから」
 待って待って、何が大丈夫なのかとか、お二人が優しいからとかはこの際問題ではなく、何でお姉ちゃんが親しげにミリアリア様と話をしているの?
 私の知識が間違えなければ王女様は勿論、ご指名してくださったアリス様でさえ、私たち庶民が気安く話しかけるなどまずあり得ない。それなのに今もお姉ちゃんは着付けの準備を進めながら、合間で二人と楽しそうに会話までしてしまっている。普通、メイドと主従関係ってこんなものじゃないよね? って言うか、ちゃんとこの状況を説明してよ!

「取りあえず、私の準備はいいから先に妹に説明してあげたら? どうせココリナの事だからお城で働いてるとしか言ってないんでしょ?」
 正しくその通り。ミリアリア様が私の様子を見かねたのか、支度の準備に専念しているお姉ちゃんに言葉を投げかける。

「説明ですか? サクラ、お母さんから聞いてるでしょ? 私がミリアリア様にお仕えしてるって」
「ききき、聞いてないよぉーーーー!!」
 思わずここがヴィクトリア学園の支度部屋だという事を忘れ、大声でお姉ちゃんに抗議してしまう。
 お母さんからはお城に就職が決まって、家にも余り帰ってくるのは難しいとしか聞いていない。そもそも普通王女様の世話役に選ばれるには、数々の経験と実績があり、身元のしっかりしている上に、貴族からの紹介でもない限りまずあり得ないと授業で習った記憶がある。それなのに……

「って、ちょっとまって!……お姉ちゃんがスカウトされたのってお城じゃなくて王家!?」
「そうだけど? あれ、もしかしてお母さんから何も聞いてない? 別に口止めされている訳じゃないんだけどなぁ」
「ココリナのお母さんも私たちに気を使ってくれたんでしょ。王族に仕えているなんて近所で噂になれば、大騒ぎになるんじゃないかって」
 確かにミリアリア様のおっしゃっている事は当然の事だろう。お城に仕えているってだけでも大騒ぎだったのに、実は王女様のメイドになってましたなんて知れたら、お姉ちゃんの仕事にも支障が出てしまう。
 だからお母さんもお父さんも、お姉ちゃんが王女様に仕えているって事を隠していたんだ。

「ごめんねサクラ。今日は時間がないから説明できないけど、明日お母さんがお城に来るから、その時にサクラにも説明してもらうよう伝えておくね」
 ブフッ
 ちょっとまって、お母さんが明日お城に行く? それ何の冗談?
「お、お姉ちゃん。お母さんがなんでお城にいくのよ」
「ん? 何でって王妃様とのお茶会でしょ?」
 ブフーーーーッ
 コラコラコラ、私の知らないところで何がどうおかしな方向へと動いているのよ!
 確かに2年ほどまえから黒塗りの豪華な馬車が家に来たかと思うと、着飾ったお母さんが一人出かけていく事はあった。
 もちろん不思議な光景に尋ねた事もあったけど、その時は授業参観で出会ったママ会に呼ばれているという話だったし、同じ馬車にはお姉ちゃんの友達でもあったカトレアさんのお母さんも乗っていた。
 だから大人のママ会ってこんなものなのかなぁ、って深くは考えなかったっていうのに…………
 あれ? ママ会って事はママ友って事だよね?

「ねぇお姉ちゃん。お母さんがお城のお茶会に呼ばれているっていう事は、お姉ちゃんの学生時代のママ友って事だよね? それがどうして王妃様と繋がるの?」
 王妃様と言えばミリアリア様のお母様。もちろんヴィクトリアとスチュワートは同じ敷地内にあるとは言え、校舎と校舎の間には木々が立ち並ぶ林で仕切られている。そこで知らない母親同士がバッタリ偶然にであえたとしても、いきなりママ友になれるとも考えられない。それじゃどうやってお母さんは王妃様に? そもそもお姉ちゃんと王女様にどういった接点があるの?
 考えれば考えるほど疑問が浮かび上がる。そんな時、若干部外者気味になっていたアリス様が、何故か申し訳なさそうに私に話しかけてきた。

「あぁー、多分それ私のせいかも」
「そ、それは一体どういう意味でしょうか?」
 恐る恐るアリス様に対して尋ねてみるも、返ってきた答えは益々私を窮地に追い込んでいく。

「お義母様がココリナちゃんのお母さんと出会ったのって、確か私の授業参観の時なの。それ以来お義母様がママ会と称して暇つぶしにお茶会を開くようになっちゃって……」
「まぁ、それは仕方がないんじゃないの? 母様もアリスの事をずっと心配していたし、聖女の仕事を姉様に譲ってからは毎日暇をもて遊ばしてるから、丁度いい話相手ができて良かったんじゃない?」

「……」
 あ、あれ? アリス様のお母様がなんで授業参観で私のお母さんと出会うの? そもそも今の話でどうやって王妃様と繋がる?

「あぁ、言い忘れてたけど、アリスちゃんのお義母様は王妃様だよ。
 アリスちゃんは去年までスチュワートに通っていて、私とは元同級生だったの」
 私の疑問に素早く注釈をいれてくれるお姉ちゃん。
「あぁ、だからお姉ちゃんはアリス様の事を知っていて、お母さんも王妃様と知り合ったんだね」
 あはは、なぁーんだぁ。アリス様とお姉ちゃんって元は同じ学園の同級生…………

「って、えぇーーーーー!?」
 本日二度目、支度部屋に響き渡る私の声。
 幸いこの部屋にいるのは私たちだけで、他の生徒もヘルプに来ているメイドさんの姿も見当たらない。もしかすると王女様に対する特別対応なのかもしれないが、今はこの状況に感謝したい。

「ちょっと、お姉ちゃんとアリス様が元同級生ってどう言う意味!? それにアリス様のお母様がどうして王妃様なのぉ!?」
 たまらず疑問に思ってしまった事を言葉にする。
 もしかして聞いてはならない事かもしれないが、ここまで来たらもう止められない。

「サ、サクラ。ちょっと落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないよ。お姉ちゃん一体スチュワートで何してたのよ! もしかして私たち家族に内緒で危ない仕事とかしてないよね!? 王女様を影から守る女性騎士なら許すけど、ご近所さんに知られるといけない遊びとかしてないよね!」
 ぜはぁー、ぜはぁー。
 興奮して、感情が一気に言葉となって飛び出してくる。
 少々物語で憧れている女性騎士様の話がポロリと出たが、ここは私の乙女心を察して見逃して欲しい。

「お、落ち着いてサクラ。アリスちゃんにも言ったけど、お姉ちゃんは危ない遊びも仕事もしていないし、女性騎士はちゃんと他にいるから」
「いるんだ、女性騎士! じゃなくて、ちゃんと説明してよ!」
 ここまで来ればツッコんだら負けの気がして、さらっと女性騎士のところは流し、その先を催促するようにお姉ちゃんに体当たりで迫る。

「え、えっとね。アリスちゃんはハルジオンって名乗っているけど、育ての親は国王様と王妃様なの。ちょっとその辺りは複雑だから説明できないんだけれど、お二人から凄く大切にされているのよ」
 こ、国王様と王妃様に育てられてるぅ!?
 貴族社会の事なんて私にはこれっぽっちもわからないけれど、こんな事って本当に実在する? いやいや、ふつう常識から考えてあり得ないでしょ。
 でもお姉ちゃんはこの現実を受け入れて、アリス様もミリアリア様も特に隠し立てする様子も見当たらない。もしかして私の考えが古いだけ?

「まぁ、そんなわけだから今日一日よろしくね。サクラちゃん」
 私の葛藤を知らずにとびっきりの笑顔を向けるアリス様。

 こうして私の苦難な一日が幕を開けてしまったのだった。
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