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第二章 スチュワート編(二年)

第60話 少女達の戦い(中編)

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『ユゥ~ラリル~ユ~ラリユゥ~♪ ソォラリ、ユゥ~ラリユ~ラリユゥ~♪』

 豊穣の儀式が始まった。
 静寂に包まれた村に響き渡るアリスの歌声、この天使の歌声を聴くのはいつぶりだろう。

 『精霊の歌』と呼ばれているこの歌は、精霊達を呼び寄せ、力を与える聖女達の愛の讃歌だとも言われている。
 この歌自体には特別な力はないのだが、何故か精霊達はこの歌を好んでよってくるらしく、昔から儀式を行う度に歌われ続けているんだと、生前のセリカさんが教えてくれた事がある。初代聖女様達がいた世界で、人々から愛されていた歌なんだと。

 何も知らない者からすればこの歌は言わば神聖な儀式のための賛美歌なのだろう。ある者は聖女にしか歌う事が許されないだとか、聖女の血を引かない者が歌えば天罰が下るだとか、くだらない噂が流れてはいるが、そんなのは全て嘘っぱち。
 精霊はただ歌が好きで、綺麗な歌声に惹かれ集まってくるだけ。
 勿論聖女の血やその力によっても、集まってくる精霊の多さに差が出てしまうが、それ以上に重要なのが持って生まれた美声と音感だとも言われている。

「綺麗な歌声……」
「これがアリス様の精霊の歌、なんですね……」
 サツキとミズキから思わずといった感じで言葉が漏れる。
「アリスは滅多に人前で歌うって事はないからね。しかも精霊の歌ともなると更に少なくなるわ」
 この場にココリナ達がいればアリスの美声にさぞ驚き騒ぎ立てていただろう。
 アリスはあの性格からか、人前で歌うという事は滅多にしない。もちろん気分がいい時に鼻歌や自然と口ずさむ事はあるが、アリスの場合そのたかが鼻歌だけで精霊達が漂ってくる。
 母様や姉様がなるべく聖女の仕事から離そうとしていたという事もあるが、アリス自身がそこまで精霊の力を求めるという事が少なかったのが大きいだろう。
 私が覚えてる限りでは、アリスが今まで精霊の歌を歌ったのはジークの妹であるユミナが大怪我をした時以来だ。

「数える程って……それでこの美声ですか?」
「そうよ。普段のアリスからは想像できないでしょうけど、聖女絡みの事となるとその全てが完璧に近い才能を発揮しちゃうのよ」
 なんと言ってもあのセリカさんですら、当時8歳であったアリスの力の才能に危機感を感じていたのだ。成長した今じゃ何をやらかしても不思議ではないだろう。

「才能ですか……これをその一言でまとめて良いのかと疑問には思いますが、確かに他の言葉が見当たりませんね」
「それにしてもアリス様のお力がこれ程までとは……聖女の血を引いていない私ですら、この辺りに精霊達が集まってきている気配を感じますよ」
 ミズキ達もこの辺りの気配に何かを感じているのだろう。しきりに空を眺めたり、周りを不思議そうに見渡してる。
 私の場合は聖女の血を引いているせいか、多少なりとも精霊の気配を感じることができる。もちろん普段の時はどんなに頑張っても感じることができないのだが、アリスが聖女の力を使う時や、季節の変わり目の風なんかが私に語りかけてきている、そんな気がする時も確かにあるんだ。

「以前アリスがこんな事を言っていたわ。精霊達は人間の感情に敏感なんだと。
 『楽しい』って思う時は精霊達も喜び、『悲しい』って思う時は精霊達も一緒に悲しんでくれる。この子達にも確かに心があるんだってね」
「精霊達の心……ですか」
「ですが下級精霊と呼ばれる者達には意思がないとも教わりましたが」
「まぁ、それが一般的な考えね。私も姉様も母様だって、そう教わってきたわ。
 あのセリカさんだって、精霊達の声を直接聞いた事はないと言っていたのよ? だけどアリスの考えは違うのよ。もっともアリスだからこその答え、って事にはなるんでしょうけど、あの子は精霊達には確かな感情があって、心がそこに確かにあるって思ってしまっているのよ」

 ただ、セリカさんは精霊達の声は直接聞こえないとは言っていたが、聞いた事が無いとも言っていない。
 今の私には聖女の力は使えない。そんな私でも今のこの現状を目にしていたらアリスの言っている事が本当で、世間一般に伝えられている事が間違いなんじゃないかとさえ思ってしまう。
 確かに精霊達にも自らの意思というものは存在しているのだろう、だけどそれが感情や心があるかと問われれば、どうしても疑問が残ってしまう。

 精霊達の声……か。もし私にも聞こえたらなんて語りかけてくれるんだろう。
 姉様だってどんなに頑張っても精霊達の声は聞こえないと言っていた。
 100年に一人の逸材と言われている姉様ですら聞こえないのだ。そんな姉様を通り越して私なんかに聞こえる筈がないんだけれど、一度聞いてみたいな。


「来たぞ!」
 ビスケスの一言で心が現実に一気に引き戻される。

「隊長、あれがそうなんです?」
「だろうな」
 ビスケスにしろ、サツキ達にしろ、邪霊そのものを見るのは初めてなのだろう。
 視線の先に顔を向ければ、黒い靄の塊が幾つも漂ってくる様子が見てわかる。

「サツキ、一斑を率いて聖女の護衛を」
「はい!」
「残りと姫さんは俺と一緒に嬢ちゃんの防衛だ。一匹たりとも近寄らせるな!」
 ビスケスの指示により、サツキと防衛に当たっていた騎士達の内1/4が姉様がいる祭壇を取り囲む。
 姉様の話では祭壇には聖女の力を増幅させる機能と、弱いながらも結界が張られているとも言っていた。
 人数的にアリスの護衛を多めにしたのはそう言った意味も含まれているのだろう。

「姫さん、無茶をするなとは言わんが無理な事はするなよ」
「わかってるわ」
 言っている事がまるで意味不明ではあるが、言わずにはいられないといったところなのだろう。
 今はビスケスの言葉を素直に受け取り、訓練を共に過ごした愛剣を構えた。




 
 アリスの力は私の想像を遥かに超えていた。
 『精霊の歌』その歌を教えたのは私自身。
 本当ならこれは母親であるセリカさんの役目だったのだろうが、セリカさんはあの日私を庇って毒の短剣で倒れてしまった。

 あの時、私を庇わなければ。
 あの時、私にもっと力があり、毒と傷の治療を同時にできていれば。
 もしかするともっと違う未来が訪れていたのかもしれない。

 人は私を100年に一人の逸材と称えるが、そんなのは只の幻。今の私がいるのは生前セリカさんから教わったセリカさんオリジナルの言霊があってのこと。
 ミリィは自分の力の無さに嘆いているが、私から言わせれば全てが原石の状態のミリィの方が遥かに聖女に向いているだろう。

 聖女の力はその周りに大きく影響を及ぼす。
 それが力が強い者ならよりその影響力は計り知れない。

 ミリィは幼少の頃からずっとアリスのそばにいる。
 食事の時も、レッスンの時も、夜眠る時まで一緒のベットだ。

 ミリィは気づいていないようだけど、あの子の力は日に日に成長している。
 今はまだ、アリスという大きな蓋が近くにいるせいで聖女の力に目覚めていないが、一度蓋が外れれば眠っていた力が大きく姿を表すだろう。

 だから私は、二人の未来を導く光となれればいい。
 大切な二人の妹達のために。





「はっ!」
 私の剣線が黒い靄を上下に切り裂く。
 だが、一時的な足止めにはなるが一定の間の後に構成しなおし、再び私たちに襲いかかってくる。
「くそっ、キリがねぇ」
 ビスケスの一閃で数匹の邪霊が切り裂かれるが、結果は私の時と同様。
 ミズキはその素早い剣線で幾つもの小さな塊に切り裂くが、やはり結果は同じようだ。

「姫さん、何か手はねぇのか。王家に代々伝わっている邪霊退治とかよ」
「知らないわよ、そんなのがあったらとっくに使ってるわ」
「ったく、しゃぁねぇな。おい、お前ら下手に突っ込むな! こっちは足止めだけできていれば十分だ。嬢ちゃん達を守りきれば勝てるんだからな」
 戦いの最中ビスケスが私に向かって愚痴を言ってくるが、これも周りの騎士達を鼓舞する意味合いもあるのだろう。
 誰もが未知なる敵に不安を抱く中、対処の方法がわからないとなれば浮足だつのも当然というもの。そんな中でビスケスは隊長らしく余裕を見せ、冗談交じりに私との会話を皆んなに聞かせているんだ。もしかすると本気で私に何かを期待したのかもしれないが、残念な事に邪霊に対してそう都合のよい対処方法は伝わってはいない。

「全くキリがないわね」
 邪霊の個々の力はそれほど脅威ではない、私の腕でも十分通用する。
 だけど問題はその数の多さ。一体何処にどうやっって身を隠していたのかと問いたいほど、次から次へと集まってくる。
「ミリアリア様、聖女の力で消し去れないのですか?」
「無理よ、アリスじゃあるまいし私に期待しないで」
 サツキが近寄り私に尋ねてくるが、返す答えは彼女の希望を砕くもののみ。こんな時、アリスがいれば笑いながらササッと浄化してしまうのだろうが、残念な事にアリスの意識は今頃精霊達と同調している頃だろう。
 アリスはアリスの役割を果たしているのだからそれ以上を望むのは大間違い。いや、実際のところアリスの聖気とも言える光で、邪霊の何匹かは勝手に浄化されているので、これ以上期待する訳にもいかないだろう。
 そのせいでサツキが私に期待を持ったのだから私としては少々心が痛いが、出来ないものは出来ないんだから仕方がない。
 だけど……

「まずいわね」
「あぁ、このままじゃこっちの体力が持たねぇ。儀式がどれぐらいかかるか分からねぇから、騎士達の士気は落ちる一方だ」
 私の小さな呟きにビスケスが同じように小声で答えてくる。
 これが後どれぐらい頑張れば大丈夫なのかと、先が見えている状態ならば多少なりとも心の持ちようがあるのだろうが、先が見えていない状態では体力と共に気力も萎えるというもの。姉様も臨時の祭壇でどれほど儀式にかかるかは予想出来なかったのだろう。だから自ら日が暮れるまでという希望的な観測で己を鼓舞し、必死に祈りを捧げているのだ。

 何か、何か打つ手はないの?
 アリスが、姉様達が頑張っているというのに。


「……もう、ミリィはまた聖女の修行をサボって、お義姉様に叱られても知らないんだからね」
「いいのよ、どうせ私には聖女の力なんてないんだから」
「だーかぁーらー、ミリィがそんな考えだから精霊達が応えてくれないんだって。今だってホラ、精霊達が話しかけてきてるじゃない。ミリィだって聖女の血が流れているんだからもっと自信を持ってよ」


 ……私に流れている聖女の血。
 精霊達が私に話しかけてきている? ごめん、全然聞こえてないから、大体姉様ですら精霊との会話なんて出来ないのに、出来損ないの私に聞こえる訳ないでしょ。
 考えろ、初代国王、アーリアル様はどうやってレーネス様を守った?
 邪霊の数など今とは比べものにはならなかったはず。
 それなのにどうやって襲いかかってくる邪霊を退けたの?

 こう言う時、物語なんかでは聖なる剣が出てきて勝利に導いたりするのだが、残念な事にそんな都合のいい聖剣なんて存在していない。だったらどうやって守り抜いた?
 アーリアル様は祈り続けるレーネス様を守り、レーネス様もまた祈りによってアーリアル様を守り抜いた。今の私とアリスの関係のように。

「姫さん!!」
「っ!」
 思考に気を取られ、死角からの攻撃に反応が遅れてしまった。
「大丈夫か!?」
「大丈夫、ちょっと掠っただけよ」
 痛みを感じ、額に触れた手にヌルリとした感触と共にかなりの血が付いていた。
 大丈夫だ、流れ出た血の量に少し驚いたが、痛みはすぐに引いていく。
 多分アリスが精霊達を使い傷を癒してくれているんだろう。だけどそのアリスですら体力の回復まではできていない。

 癒しの奇跡で治せるのはあくまでも外的な治療と、体を一時的に活性化させるための回復のみ。そこに体を動かした時に生じる体力を回復させる術は不可能だと言われている。
 よくよく考えてみてほしい、疲れた体を永遠に癒し続ければどうなるか。疲れは体の負担を教えてくれる言わば信号だ、そんな事を無視し続ければいずれ体は負担に耐えられなくなり、その先に待っているのは死という終着点になる事だろう。

「まだやれるか?」
「心配しないで、王族である私が真っ先に引っ込むわけにはいかないでしょ」
 私は言わば守り手の象徴。王女である私の戦う姿こそ、ギリギリで戦っている騎士達に力を与えているのだ。そんな私が真っ先に倒れていいわけがない。
 ビスケスもそれがわかっているだけに、無理に下がれとも逃げろとも言わないのだ。
 私は気持ちを切り替えるために額から流れる血を強引に左手で拭い払い落とす。

 しゅわー……

 えっ? 今の何?
 私が飛ばした血飛沫に当てられた邪霊が消えて、いや、浄化されていく。
「どうした?」
「えっ、ビスケス、今の……」
 いや、この反応からすると今の現象を見ていたのは私だけ。

 浄化と聖女の力

 もしかするとレーネス様はアーリアル様の剣になんらかの祈りを込めていたのでは? 例えば己に流れる聖なる血、聖女の血で剣を清めていたとか……

「ビスケス、ミズキ、10秒、10秒だけ私に邪霊を近づけないで」
「ん? わかった。ミズキ!」
「はい!」
 私の言葉に質問を返さず、すぐに二人が対応して守りを固めてくれる。

 大丈夫、私の考えに間違いはない。
 すっと心を落ち着かせ、左手を剣の付け根に触れて一気に引き抜いたのだった。
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