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第二章 スチュワート編(二年)
第47話 社交界に秘められた闇(1)
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あれはいつ頃の記憶だっただろうか。私がまだ男爵家に居たとき、二つ年上の兄に虐められた事があった。
私が母の再婚で男爵家に入ったのは9歳の頃。本当の父は何処かの貴族の血を引いてはいたが、ろくに働かず毎日無駄にお金を浪費する日々。
父の実家が商会を経営していた関係でお金には困ってはいなかったが、それもやがて実家から見放されては今までのような生活は出来ず、次第に生活は苦しくなり、やがては一切の援助がストップしてしまった。
こうなっては父も働かざるをえなくなる訳だが、変化があった事とすればただ両親のケンカが増えただけ。母の実家からも元々評判が悪かった父との結婚を反対していたので頼る事が出来ず、また母の浪費は父に負けないぐらい酷かったので、手を差し伸べてくれる親族も誰一人としていなかった。
こんな親を持つのだから子供が捻くれるのは当然、というのは言い訳にしかならないが、正直私自身それほどいい子供だとは言えず、物語に出てくるような嫌で意地悪な女の子だった。
「おいイリア、お前またそんな高そうなペンダントなんかしやがって、自分だけいい思いをしようとか思ってんじゃねぇだろうな」
男爵家に来てから数ヶ月、私の環境は大きく変わった。
父は長年の不規則な生活を送ってきた関係でアッサリと亡くなり、葬儀の際に泣き崩れる母を見ながら私も一緒に泣いていたというのに、翌日になれば母や姉たちが父の遺品を売りさばく姿を見て、子供なりになんて酷い人なんだと思った事は今でもハッキリと覚えている。
そんな母は世間からは旦那を亡くした可哀想な妻とでも映ったのか、同じ頃に妻を亡くして傷心していた義父と出会い再婚。詳しい経緯は聞いていないが、母のほうから近づき共に優しい言葉を掛け合ったらしい。
「違いますお兄様、これはシャロン義姉様から頂いたものなんです」
母が再婚した関係で、私には歳が離れた義姉と義兄が新しくできた。
元々血を分けた姉と兄がいるが正直良い関係とは言えず、それは母が再婚した後も変わらなかった。いや、むしろ益々確執が広がったと言うべきかもしれない。
新しく出来た義姉と義兄は私にやさしく、母や兄たちの目を盗んではお菓子や、持っていたかわいいアクセサリーなんかをプレゼントしてくれた。
恐らくこれらの状況が、兄や姉からすれば私だけが特別優遇されているとでも思っていたのだろう。普段から冷遇されていると勘違いしていた二人は、義兄や義姉、そしてお屋敷に仕えている使用人たちの事もよく思っていなかったし、幼く可愛がられていた私の事も気に食わなかったのだと思う。
本当なら再婚相手の子供同士、同じ屋根の下で暮らすのが普通なのだろうが、ここは下級貴族とはいえ男爵家の本家。そこには親族や遠縁から、どこの血筋かも分からない子供達に爵位を奪われてはいけないと焦ったのか、義父に一族総出で圧力を掛け、敷地内にある別邸で私たち兄弟は暮らすことになり、母だけが本邸であるお屋敷で暮らすという形に収まった。
私自身別邸での生活になんら不満はなかったのだが、兄や姉は自分たちだけこんな離れに閉じ込められたと不満の言葉を並び立てる日々。恐らく兄からすれば爵位が手の届くところにあるというのに届かず、姉は母だけ悠々自適に暮らすのが許せなかったのだろう。
だから私が義姉や義兄に可愛がられ、時折本邸に出かけてはお菓子やアクセサリーを持ち帰るのも許せなかった。実際はお菓子は二人の分も持たされたし、アクセサリーなんて所詮子供の持ち物だと言うのに、兄も姉も自分達だけがという被害妄想に駆られ、私は人知れず血の繋がった兄と姉から虐められ続けた。
この日もシャロン義姉様から頂いたペンダントを無理やり奪われ、翌日質屋に売られたと知ったときには、申し訳ない気持ちと悲しい想いから泣き崩れたのを覚えている。
そんな日々が何年かつづいたある日、前々から母の浪費を注意していた義父の怒りがついに限界に達し、母は私たち3人を連れて実家に帰省。
母にすれば怒られた事が気に入らず、ちょっと困らせてやろう程度の考えだったのだろう。だけど結果、母の元へとやってきたのは義父の迎えではなく一枚の離縁状。別れる事になるとは言え、普通に暮らす分の生活費を送ってくれると言うのだから、義父なりの誠意だったのだと私は思っている。
「申し遅れました、私はイリアの兄。フェリクス・クリスタータと申します」
なんで、なんでお兄様がここにいるのよ。
私は兄の事が怖い。いや母や姉の事も怖いのだが、兄に関しては暴力的に、また内に秘めた野望的なものが見え隠れして恐ろしいのだ。
自分に流れている貴族の血、そして届きそうだった男爵という爵位が目の前にぶら下がった関係で、両親が離婚して以来やたらと高みの地位を手に入れようとする野望が感じられる。
もしかすると、自分との差を見せつけられた義兄への対抗心から来ているのかもしれないが、何をどうしようと私たち兄妹には男爵家の継承権はなく、義兄もお兄様を見下したりのけ者にした事は一度もない。ただ、私が度々虐められていた事を注意する事があったので、それを逆恨みしているだけかもしれないが……。
「イリアの兄?」
リコリス様が尋ねるように私の方を向いてくるが、私は驚きと恐怖で怯えるだけ。二つ年上である兄がこのパーティーにいる事は不思議ではないし、両親の離婚前にヴィクトリアへ入学を果たしていた兄は、義父が入学時に学費を全額納めていたとも聞いている。
だからここにいる事はむしろ当然、寧ろ今まで学園内で出会わなかった方が奇跡に近いのかもしれないが、よりにもよってリコリス様と一緒にいる時に現れなくても……。
「!」
私の中である考えが浮かび上がる。
兄が義兄を越える事があるとすれば、それは自分が何処かのご令嬢と結ばれるか、男児のいない家系に婿入りするしか方法はない。もちろんなんらかの功績が認められれば爵位の一つも与えられるのかもしれないが、この兄に限ってそんな手間のかかることは考えないだろう。
そして隣にいるリコリス様は侯爵家という名を背負い、更にアルフレート家のお子様はリコリス様ただ一人だと聞いている。すると兄の狙いはリコリス様!?
ダメだ、この人をリコリス様に近づけてはダメだと私の中で警報が鳴り響く。
リコリス様がそう簡単に騙されるとは思いたくはないが、今目の前に立つ兄は仮面を付けた状態。見た目の容姿は悪くなく、礼儀正しく話している姿からは想像も出来ないだろうが、内に秘めた心は恐らく真っ黒の暗闇が潜んでいる。
どうして兄がリコリス様の存在を知ったかは知らないけれど、わざわざ私が一緒にいる時を狙い、しかも兄だと自ら名乗った事を考えれば、その裏に隠された野望も自ずと見えてくると言うもの。
今すぐ兄にこの後予定があるからと諦めさせるか、この場からリコリス様を連れ出すかだが、どうしても言葉が……胸が苦しくて声が出ない。
「いつも妹がお世話になっていると聞き、一言お礼をと思いまして。よろしければこの後少々お時間はございますか? それほどお時間も取らせませんし、妹も同席させますので」
そう言いながらもリコリス様に気づかれないよう、私に対して睨め付けるような視線を送ってくるというのは、恐らく適当な理由をつけて二人っきりにしろとでも言っているのだろう。
私が兄に逆らえないという事を知っているから、自分に協力しろと無言の圧力をかけているのだ。
「そうですか、私も一度お話をしたいとは思っていたんです」
「!」
何を、何を言ってるんですかリコリス様。
もしかして断ってくれるんじゃないかと淡い期待を抱いていた。いやこの後ミリアリア様達の元へと行くのだから、間違いなく断って兄から逃れられるのだと思っていた。それなのになんで誘いに乗るんですか、なんで私の気持ちに気づいてくれないんですか。
頭が鈍器のような物で殴られたように上手く考えがまとまらない。足も、手も、こんなに震えているというのに、気づいてくれないリコリス様に恨みすらも感じてしまう。
わかっている、これは全部自分が悪い事だと分かっているのに気持ちが追いつかない。
「ありがとうございますリコリス様、それではあちらのテーブルの方に」
「えぇ、案内してもらえるかしら」
そう言いながらリコリス様が自ら手を差し伸べ、兄が紳士然とエスコートしてゆく。
終わった。ここで私が何かを言いだしたとしても兄の一睨みですくみあがってしまうだろう。それに自分にも厳しいリコリス様が、一度自ら差し出した手を引っ込められるという事も考えられない。
私に残されたのはただ力なく二人の後を追っていくしかない。完全に空気と化してしまったデイジーの存在など忘れて。
私が母の再婚で男爵家に入ったのは9歳の頃。本当の父は何処かの貴族の血を引いてはいたが、ろくに働かず毎日無駄にお金を浪費する日々。
父の実家が商会を経営していた関係でお金には困ってはいなかったが、それもやがて実家から見放されては今までのような生活は出来ず、次第に生活は苦しくなり、やがては一切の援助がストップしてしまった。
こうなっては父も働かざるをえなくなる訳だが、変化があった事とすればただ両親のケンカが増えただけ。母の実家からも元々評判が悪かった父との結婚を反対していたので頼る事が出来ず、また母の浪費は父に負けないぐらい酷かったので、手を差し伸べてくれる親族も誰一人としていなかった。
こんな親を持つのだから子供が捻くれるのは当然、というのは言い訳にしかならないが、正直私自身それほどいい子供だとは言えず、物語に出てくるような嫌で意地悪な女の子だった。
「おいイリア、お前またそんな高そうなペンダントなんかしやがって、自分だけいい思いをしようとか思ってんじゃねぇだろうな」
男爵家に来てから数ヶ月、私の環境は大きく変わった。
父は長年の不規則な生活を送ってきた関係でアッサリと亡くなり、葬儀の際に泣き崩れる母を見ながら私も一緒に泣いていたというのに、翌日になれば母や姉たちが父の遺品を売りさばく姿を見て、子供なりになんて酷い人なんだと思った事は今でもハッキリと覚えている。
そんな母は世間からは旦那を亡くした可哀想な妻とでも映ったのか、同じ頃に妻を亡くして傷心していた義父と出会い再婚。詳しい経緯は聞いていないが、母のほうから近づき共に優しい言葉を掛け合ったらしい。
「違いますお兄様、これはシャロン義姉様から頂いたものなんです」
母が再婚した関係で、私には歳が離れた義姉と義兄が新しくできた。
元々血を分けた姉と兄がいるが正直良い関係とは言えず、それは母が再婚した後も変わらなかった。いや、むしろ益々確執が広がったと言うべきかもしれない。
新しく出来た義姉と義兄は私にやさしく、母や兄たちの目を盗んではお菓子や、持っていたかわいいアクセサリーなんかをプレゼントしてくれた。
恐らくこれらの状況が、兄や姉からすれば私だけが特別優遇されているとでも思っていたのだろう。普段から冷遇されていると勘違いしていた二人は、義兄や義姉、そしてお屋敷に仕えている使用人たちの事もよく思っていなかったし、幼く可愛がられていた私の事も気に食わなかったのだと思う。
本当なら再婚相手の子供同士、同じ屋根の下で暮らすのが普通なのだろうが、ここは下級貴族とはいえ男爵家の本家。そこには親族や遠縁から、どこの血筋かも分からない子供達に爵位を奪われてはいけないと焦ったのか、義父に一族総出で圧力を掛け、敷地内にある別邸で私たち兄弟は暮らすことになり、母だけが本邸であるお屋敷で暮らすという形に収まった。
私自身別邸での生活になんら不満はなかったのだが、兄や姉は自分たちだけこんな離れに閉じ込められたと不満の言葉を並び立てる日々。恐らく兄からすれば爵位が手の届くところにあるというのに届かず、姉は母だけ悠々自適に暮らすのが許せなかったのだろう。
だから私が義姉や義兄に可愛がられ、時折本邸に出かけてはお菓子やアクセサリーを持ち帰るのも許せなかった。実際はお菓子は二人の分も持たされたし、アクセサリーなんて所詮子供の持ち物だと言うのに、兄も姉も自分達だけがという被害妄想に駆られ、私は人知れず血の繋がった兄と姉から虐められ続けた。
この日もシャロン義姉様から頂いたペンダントを無理やり奪われ、翌日質屋に売られたと知ったときには、申し訳ない気持ちと悲しい想いから泣き崩れたのを覚えている。
そんな日々が何年かつづいたある日、前々から母の浪費を注意していた義父の怒りがついに限界に達し、母は私たち3人を連れて実家に帰省。
母にすれば怒られた事が気に入らず、ちょっと困らせてやろう程度の考えだったのだろう。だけど結果、母の元へとやってきたのは義父の迎えではなく一枚の離縁状。別れる事になるとは言え、普通に暮らす分の生活費を送ってくれると言うのだから、義父なりの誠意だったのだと私は思っている。
「申し遅れました、私はイリアの兄。フェリクス・クリスタータと申します」
なんで、なんでお兄様がここにいるのよ。
私は兄の事が怖い。いや母や姉の事も怖いのだが、兄に関しては暴力的に、また内に秘めた野望的なものが見え隠れして恐ろしいのだ。
自分に流れている貴族の血、そして届きそうだった男爵という爵位が目の前にぶら下がった関係で、両親が離婚して以来やたらと高みの地位を手に入れようとする野望が感じられる。
もしかすると、自分との差を見せつけられた義兄への対抗心から来ているのかもしれないが、何をどうしようと私たち兄妹には男爵家の継承権はなく、義兄もお兄様を見下したりのけ者にした事は一度もない。ただ、私が度々虐められていた事を注意する事があったので、それを逆恨みしているだけかもしれないが……。
「イリアの兄?」
リコリス様が尋ねるように私の方を向いてくるが、私は驚きと恐怖で怯えるだけ。二つ年上である兄がこのパーティーにいる事は不思議ではないし、両親の離婚前にヴィクトリアへ入学を果たしていた兄は、義父が入学時に学費を全額納めていたとも聞いている。
だからここにいる事はむしろ当然、寧ろ今まで学園内で出会わなかった方が奇跡に近いのかもしれないが、よりにもよってリコリス様と一緒にいる時に現れなくても……。
「!」
私の中である考えが浮かび上がる。
兄が義兄を越える事があるとすれば、それは自分が何処かのご令嬢と結ばれるか、男児のいない家系に婿入りするしか方法はない。もちろんなんらかの功績が認められれば爵位の一つも与えられるのかもしれないが、この兄に限ってそんな手間のかかることは考えないだろう。
そして隣にいるリコリス様は侯爵家という名を背負い、更にアルフレート家のお子様はリコリス様ただ一人だと聞いている。すると兄の狙いはリコリス様!?
ダメだ、この人をリコリス様に近づけてはダメだと私の中で警報が鳴り響く。
リコリス様がそう簡単に騙されるとは思いたくはないが、今目の前に立つ兄は仮面を付けた状態。見た目の容姿は悪くなく、礼儀正しく話している姿からは想像も出来ないだろうが、内に秘めた心は恐らく真っ黒の暗闇が潜んでいる。
どうして兄がリコリス様の存在を知ったかは知らないけれど、わざわざ私が一緒にいる時を狙い、しかも兄だと自ら名乗った事を考えれば、その裏に隠された野望も自ずと見えてくると言うもの。
今すぐ兄にこの後予定があるからと諦めさせるか、この場からリコリス様を連れ出すかだが、どうしても言葉が……胸が苦しくて声が出ない。
「いつも妹がお世話になっていると聞き、一言お礼をと思いまして。よろしければこの後少々お時間はございますか? それほどお時間も取らせませんし、妹も同席させますので」
そう言いながらもリコリス様に気づかれないよう、私に対して睨め付けるような視線を送ってくるというのは、恐らく適当な理由をつけて二人っきりにしろとでも言っているのだろう。
私が兄に逆らえないという事を知っているから、自分に協力しろと無言の圧力をかけているのだ。
「そうですか、私も一度お話をしたいとは思っていたんです」
「!」
何を、何を言ってるんですかリコリス様。
もしかして断ってくれるんじゃないかと淡い期待を抱いていた。いやこの後ミリアリア様達の元へと行くのだから、間違いなく断って兄から逃れられるのだと思っていた。それなのになんで誘いに乗るんですか、なんで私の気持ちに気づいてくれないんですか。
頭が鈍器のような物で殴られたように上手く考えがまとまらない。足も、手も、こんなに震えているというのに、気づいてくれないリコリス様に恨みすらも感じてしまう。
わかっている、これは全部自分が悪い事だと分かっているのに気持ちが追いつかない。
「ありがとうございますリコリス様、それではあちらのテーブルの方に」
「えぇ、案内してもらえるかしら」
そう言いながらリコリス様が自ら手を差し伸べ、兄が紳士然とエスコートしてゆく。
終わった。ここで私が何かを言いだしたとしても兄の一睨みですくみあがってしまうだろう。それに自分にも厳しいリコリス様が、一度自ら差し出した手を引っ込められるという事も考えられない。
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