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一章 精霊伝説が眠る街

第26話 伝説が眠る洞窟で

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「氷……ですか?」
 私の他愛もないつぶやきに、フィオが何かを思い出したかのように反応する。

「フィオ、何か心当たりでもあるの?」
「心当たり……っていうか、このアクアには昔から伝わる伝説がありまして」
「伝説?」
 俗に言う、地方に伝わるおとぎ話の類だろうか。
 私がこのアクアの事情を知るのは、精々ここ数十年の経緯だけ。ご近所付き合いもそれなりに熟しているが、今までその手の話は耳にしたことがなかった。

「なんなの? そのアクアに伝わる伝説って」
 どうせ昔の人達が作ったおとぎ話なんでしょ? と、内心思いつつ、取り敢えずはフィオの話に耳を傾ける。

「ずっと昔の話なんですが、このアクアを大きな津波が襲ったことがあったそうなんです」
 フィオの話によると、何百年か前にこのアクアに大きな津波が押し寄せて来たのだという。
 突然の出来事で村の人達はどうすることも出来ず、押し寄せてくる津波をただ恐怖の面持ちで眺めることしかできなかった。
 そんな時、一人の精霊が現れたのだと言う。

 その精霊は押し寄せてくる津波を不思議な力で一瞬で凍らせ、村と村の住人を見事に救って見せた。
 村人達はその精霊に感謝し、村を救ってくれた精霊の名前からこの村の名前をアクアと名付けた。

「これでも昔は『精霊の伝説が眠る街』って、それなりに賑わいもあったらしいんです。ですが肝心の精霊様はそれ以来現れることがなくて、今じゃ海岸沿いにある洞窟にお社があるだけで」
「へぇー、精霊ね……」
 俄かには信じられない話だが、精霊というところが私の好奇心を妙に揺さぶってくる。
 この世界には精霊がいる。
 私自身は未だに実物を見たことはないが、リーゼ様のお知り合いの方は精霊を何人も引き連れているという話だし、今まで仕入れてきた情報からも恐らく実在することは間違いないのだろう。
 だけど巨大な津波を一瞬で凍らせるほどの力なんて本当にあるんだろうか?
 おとぎ話の類は話を面白おかしくするために、盛りに盛るのは当然の摂理。もし仮にそんなとんでもない力が使えるのなら、このまま見逃す手はないのだが、村を救ったという精霊が、今のアクアの現状を見て見ぬふりをしていると言うのも何かが変だ。
 もしかして窮地に追いやられば救いに来てくれるのかもしれないが、そんな窮地がそうそう何度も来てもらっても正直困るし、居たら居たで今頃大騒ぎになっている事だろう。
 そう思えばその精霊が本当に村を助けようとした事すら怪しく感じられる。

「このアクアの成り立ちはわかったけれど、所詮はおとぎ話の類でしょ? 仮にその精霊が当時居たとしても、何百年もの昔の話となると、既にどこか別の地に移った可能性だって否定出来ないわ」
 精霊の寿命がどれだけあるかは知らないが、それ以来精霊を見かけたことが無いのなら、すでに亡くなったかどこか別の地に移っていたとしても不思議では無い。

「そんな事ありませんよ。このお話はずっと昔の話ですけれど、今でも精霊様を祀っている洞窟は夏でも涼しかったり、時折氷が張っていたりする時だってあるんですよ」
「へ? 氷が張ってる? それって夏でもってこと?」
「はい」
 まってまって。天然の洞窟は夏でも涼しいとはよく聞くが、氷が張るまでとなればそれだけでも利用価値は十分。
 此の際、精霊様うんぬんは横へ置いとくとして、恐らくその洞窟というは天然の湧き水やら、その立地やらで自然に出来た天然の冷蔵庫なのだろう。
 流石に大量の氷となると少々心もとない気もするが、一時の保存場所としては利用価値は十分に見いだせるのではないだろうか。

「ねぇ、その精霊様を祀っているお社の洞窟って、ここから遠い場所なの?」
「いえ、そんなには遠くないですよ」
 今の時間はお昼を少し回ったところ。夜の開店までにはまだ時間の余裕もあるし、仕込みの時間さえ押さえておけば少しの間ぐらい出かけたとしても問題は無い。
 私は少し迷った末、フィオにお社があるという洞窟への案内をお願いする。



「あっ、お姉ちゃん子猫!」
「こらリア、こんな場所で走ると危ないわよ」
 フィオに連れられて、海岸沿いへとやってきた私たち。
 リアには危ないから海沿いには行くなと言っていたので、初めて見る海岸にリアのテンションはいつも以上に高い。

「ここね」
「はい。精霊様を祀っているお社はこの洞窟の奥なんです」
 海岸沿いの岩肌に、突如と顔を表す天然の洞窟。
 入り口こそ馬車が1台通れるぐらいの大きさだったが、奥へ行けば行くほど広い構造となっていおり、緩やかな下り坂が奥の方へと続いている。

「それにしても意外と整備されているのね」
「はい。昔は一応観光名所だったという話なので、危なくないように舗装されたんだと思います」
 フィオのいう通り、海岸沿いは人が通れるような遊歩道が作られており、多少足場が悪くはなっているが、少し補修すれば今でも十分に使える状態。
 洞窟の方も見る限りではしっかりとした足場になっているし、壁と天井の出っ張りさえ注意すればそれほど危険な箇所も見られない。

「うわ、本当に寒いですね」
「本当だ、息が白いよお姉ちゃん」
 洞窟に入るなりノヴィアは寒そうに両手で肩を抱き、リアは嬉しそうに駆け回る。

 確かに洞窟へと入ると急に辺りが涼しくなってきたわね。

 今のアクアの季節は冬にはまだ少し早い実りの秋。
 暑い夏の日差しが和らいでいるとはいえ、この涼しさはか弱い私には少々肌身に染みる。
 それに洞窟と聞いていたのでわざわざオイルのランタンを持ってきたが、入り口から差し込む陽の光が、洞窟内の岩肌や水たまりに反射して、予想以上の明るさを保っている。

「これじゃランプを持って来た意味がなかったわね」
「この辺りの岩肌には水晶が含まれているんです。ただ価値のある水晶じゃないので、採掘業はあまり人気が無くて」
「あぁ、だから岩肌が妙な輝きを見せているのね」
 これならば一定の明かりさえ確保出来れば、洞窟内の作業でも支障は出ないだろう。

「この洞窟は使えるわね」
 今のところ氷が張っているような場所は見当たらないが、所々に小さな泉ができているし、この涼しささえあれば天然の冷蔵庫としては十分に使える。
 勿論入り口に扉をつけたり、精霊様の祀るお社をどうするかなどの問題は山積みだけれど、それは少しづつ解決していけばいいだけの話。
 案内人のフィオの後を追いかけながら洞窟の利用価値を色々思案していると、突然奥の方から鳴き声が聞こえて来る。

「みゃー」
「ん? みゃー?」
 私たちの耳に聞こえて来る可愛い子猫の鳴き声に、思わずその場にいる全員が顔を見会わせる。

「ねぇ、今の鳴き声って子猫のよね?」
「たぶんそうだと……」
 思い当たるのは先ほど海岸沿いで見かけた白い子猫。
 リアが追いかけちゃったもんだから慌てて逃げてしまったが、運悪くこの洞窟へと逃げ込んだ可能性は十分に考えられる。

「確か猫ってコタツで丸くなると言われるほど寒さに弱かったよね?」
「リネア様がおっしゃるコタツが何なのかは分かりませんが、寒さに弱いのは間違えないです」
 私の問いかけに、鋭いツッコミをいれながらノヴィアが真面目に答えてくれる。

「そうなると、早く子猫を探して連れ出してあげないといけないわね」
 洞窟の奥は行き止まりだと言っていたので、このまま進めばどこかで必ず再会することができるだろう。
 子猫の事も心配だが、こんな暗い場所で走ってリア達に怪我をさせるわけにもいかないので、はやる気持ちを抑えながら少し足早に奥へ奥へと進んで行く。

 やがてそろそろ外の光が乏しくなりかけ、前方に木造で出来た古ぼけた小さなお社が見えてきたとき、再び子猫の鳴き声が聞こえてくる。
「お姉ちゃん子猫がいた!」
「そ、そうね……」
 リアの喜ぶ声とは裏腹に、私を含む3人が目を擦りながら子猫の姿を目視する。

「みゃー♪」
「「「……」」」
 精霊様を祀ると言われている小さな古ぼけたお社。
 奥には湧き水で出来た大きな泉があり、その手前には謎の生物を口に咥えながら可愛い鳴き声を上げる白い子猫。
 確かに目の前にる白い子猫は先ほど洞窟の外で見かけた子猫に似ている。似ているのはいいのだが、その口に咥えている謎の生物はなに?

 あ、あれー? 私の目、変になっちゃったのかなぁ?

 見間違いかと思い、リアを除く3人の視線が確認し合うように重なり合う。
 うん、間違いなく人魚だ。

 果たしてこれをなんと説明すればいいのだろうか。
 目の前の子猫はその体格から似つかない、人間の手のひらサイズの生物を口に咥え、私たちに愛らしい笑顔を向けてくる。
 まるで、僕だってちゃんとご飯を獲れるんだぞ! と言わんばかりに。
 ただ唯一の問題は、その咥えている謎の生物が半分人間で半分魚だという点なのだが。

「あ、あれは、人魚……なのでしょうか?」
 私たちの言葉を代弁するかのように、ノヴィアが小さくポツリと口にする。

「さ、さぁ……? 私は実物を見たことがないからなんとも言えないけれど、この世界には人魚までいるのね」
 精霊はいるとは聞いていたけれど、まさか手のひらサイズの人魚までいるとはビックリだ。
 私がそう一人で感心していると、子猫は更に自慢するように咥えた人魚を噛み噛み。

「人魚って食べられるものなのね。知らなかったわ。」
 どんな味なのかしら? と、どうでもいいことが頭を巡るが、見るからにして子猫が食べられるようなサイズでは決してない。

「お姉ちゃん、そこじゃない!」
「そうですよ、人魚なんておとぎ話の存在ですし、そもそも得体のしれない生物なんて食べたら、子猫ちゃんがお腹を壊しちゃうじゃないですか!」
「ノヴィアお姉ちゃんもそこじゃないから!」
 私のボケと、ノヴィアのボケにリアが鋭いツッコミを見せてくる。

 リアも成長しているのね。お姉ちゃん嬉しい。
 そんな妹の成長に一人感激していると、子猫は動かない手のひらサイズの人魚を頭から『かぷり』

「「「「……」」」」
「きゃぁーーー」
 あ、あの人魚、生きてるやん。

 いままで動かなかった人魚が頭を齧られたところで、初めて洞窟中に響き渡るほどの音量で悲鳴をあげる。

「ちょ、ちょっと、なによこの状況!? あんた達、そこで呑気に見てないで早く助けなさいよ!」
 人魚って話せるんだ。
 まぁ冷静に考えたらそうよね。胴体から上は人間なんだし、顔には口も目も鼻も付いている。
 お姉ちゃんちょっと驚いたよ。

 そんなどうでもいいことを感心していると、隣のリアが何やら必死に叫んでいることに気づく。
「お姉ちゃん、見てないで助けてあげなきゃ!」
「助ける? あぁ、そうだったわね」
 人魚が生きていると分かれば流石に助けないわけにはいかないだろう。
 本人も助けてくれて言っているのだし、流石にこのまま子猫が丸呑みすれば、今度は子猫ちゃんの体調の方が気がかりとなってしまう。

「仕方がないわね。」
 後で皆んなで食べようと持ってきたクッキーを1枚取り出し、子猫の気を惹こうと『おいで、おいで』をする。
 これは私の経験なのだが、猫のように警戒心の強い生き物に向かっていくのは、リアに嫌いなピーマンを無理やり食べさせるようなもの。ならばどうやって捕まえるのかというと、美味しい餌で釣って向こうから近づいてきたところを確保するのが一番なのだ。
 そのあと『お姉ちゃんの嘘つき!』と泣かれて以来、こっそり小さく切り刻むなどの作戦をとっているのだが。

「ほーら、ほらほら。おいでタマ。そんな魚より、私が作ったクッキーの方が美味しいわよ」
 そう言いながら取り出したクッキーを少し千切り、タマの手前に投げつける。
 すると子猫はクッキーの甘い香りに惹かれたのか、咥えていた魚を『ぺっ』と吐き出し、可愛らしくトコトコとクッキーの欠片に近づきパクッと一口。
 更に手前に投げたクッキーの欠片を追いかけるように私の元へとやってきて、最後は私の手のひらに乗る大きなクッキーに可愛らしくかぶり付く。

「ん~、いい子ね」
「みゃー♪」
 やがてクッキーを食べ終わったタマは私の方に顔を向け、『もうないの?』と愛らしい表情を向けてくる。
 なにこれ、可愛いじゃない。

 思いの外、人懐っこい子猫に私のハートは釘付け。気付けばノヴィアまでもが側に寄って、隙あらば抱きかかえようと手を『にぎにぎ』している始末。
 仕方ないわね。飲食店に動物はどうかと思うけれど、この愛らしい姿を見せられれば、このまま放置しておくという選択肢は見つけられないだろう。

 私は美味しくクッキーに齧り付くタマを胸に抱え、ノヴィアを従えて帰路につく。
 こうして後に我が家の勇者と讃えられるタマが、家族の一員となるのだった。


ーーー 次話につづく ーーー

「お姉ちゃん、そこじゃないから! あとサラッと子猫に名前をつけないで!」
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