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3章、メイドは死にました

74、出口

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 妹が死んだ。
 私が殺したのだ。

 妹を抱きしめて炎の魔力を燃え上がらせると、何もかもが消えていく気がした。

 とても長い時間、彼女は苦しんでいたのだと言う。
 私はそれを、ほんの数分の幻影で知って、あっさりと終わらせた。

 それは水没期のマリンが世界を二つに壊した時みたいな、取り返しのつかない無力感で、ぜんぜんゲームみたいに思えなかった。

 床に座り込んで炎を見ていると、しばらくして無数の足音が聞こえるようになった。

 城には本当にこれまでの湖化事件の被害者たちがいて、彼らは今まで眠っていたようだった。
 目が覚めて「ここはどこだ」と騒ぐ被害者たちを、友人たちが貴族らしく落ち着かせてリードして、避難させていく。
 ルビィは膝を抱えて座る私の膝の上で耳長猫の姿を取ってぬくぬくした体温を伝えつつ、幻影で城のみんなの様子を見せてくれた。

 城にいたみんなが全員外に出て、王都の方角を見定めて、希望に満ちた表情で歩き出す。

 帰還者たちの集団を見送り、私はひそやかに城から出た。

 人の群れに混ざる気分にはなれなくて、けれどいつまでも城にいるわけにもいかないという理性があって。
 ――自分も帰ろう、と思ったのだった。

 濡れねずみの全身を魔法で乾かすこともできたけど、なんとなく気が進まずに。
 箒に乗って飛ぶこともできるけど、なんだか陸地に足の裏を付けて一歩一歩進みたい気分で。
 真っ暗な夜になった世界を、ルビィと一緒にほてほてと歩いていた。

 月が痩せて消えてしまって、その姿がちっとも見えない夜だった。
 では星はと言うと、目を凝らしても、全然ない。
 そんなものはこの世に存在しませんよと言うみたいに、瞬く気配すらないのだ。

「♪きらきら、ひかる……」

 ぼんやりとうたった歌は、どちらの世界の歌なのかもわからなくなっていた。
 歌う自分がマリンなのか真凛なのかマリンベリーなのかも、もう考えるのも面倒になってくる。

 自分は自分だと思う。
 けれど、自分がいっぱいある。
 自分ってなんだろう。今思考する私が私だ。
 では、このふわふわした不可解な感情はなんだろう。
 自分ならわかるんじゃないの? ううん。自分でもわからないことは、いっぱいあるよ。
 私は今、自問自答している――それとも、自分の中に自我が2つある? 
 
 ぐちゃぐちゃだ。
 自分も世界も、この夜みたいに先が見えなくて、得体が知れない。
 
 そよそよと夜風が吹き付けるのが少し寒いかも、と思えてきた頃。
 私の前方に、影が見えた。

「――あ」

 真っ暗な世界で、そこだけがポッと光が灯ったように明るい。
 ……そんな特別な存在感。
  
「――――マリンベリー!」
  
 彼は、私をマリンベリーと呼んだ。
 
 馬を走らせて距離を詰め、二枚に裂けたマントを背になびかせて私の前に降り立った彼は、夜が浮かべ損ねた白い月みたいだった。

 さらりと揺れる白銀の髪を見て、ああ、私たちは色を交換して生まれ変わったんだと思った。

「何があったんだ? すまない。俺が守ってやれなくて……」

 取り乱した気配が、人間らしさに溢れている。
 それが安心する。

「ふふ。ご安心ください。もう終わりましたからね。ご心配には及びません」

 賢しげに、自信満々に。
 参謀気取りするみたいに微笑むと、懐かしい感じがした。

「……元気そうだな。いや、本当にそうか?」
「そうですとも!」
 
 あなたと話していると、元気がなくても元気が出てくるんです。
 そんな言葉を言おうか迷っている間に、ほんわりとした魔力が私を包み込む。
 どうやら暖めてくれているようだった。

「ありがとうございます」
「お前は絶対元気じゃなかった」
「ばれましたか。実はちょっと落ち込むイベントがあったんですよ。もう終わりましたが」
 
 私はこんな風にけろりと妹を過去にするんだ?
 そんな想いを胸に、首をかしげる。
 
 ――思えば、ずっとこうだ。
 ゲーム感覚だ。どこかフィルタを一枚挟んだみたいに現実を俯瞰して――俯瞰しようとして、失敗してきた。

 私は、ずっと心を守りたかったんだ。
 不可思議な転生という出来事。悪役としての危機に対する恐怖。
 自分の行動で現実が動く不安。責任感――あまりにもたくさんの感情が予想できて、自分を守らないといけないぞと冷静ぶって。

「あったかい」
「あったまってろ」
 
 横抱きにされて馬に乗せられる。
 彼の腕に抱かれて、暖かな風でふんわりと包まれていて、全身がぽかぽかする。

 話し相手がいて、温もりをくれる人がいて、心配して心を寄せてくれる彼がいて、私は幸せだ。
 
「……私たち、お互いの色を交換したみたいですよね」

 吐息交じりに言うと、彼はぎくりと体を強張らせた。
 彼は、私に正体を隠そうとしていたから。でも、気づいてますよと教えてしまった。
 
「わざとじゃないぞ」
「私も、わざとじゃないんですよ。でも、ここだけのお話ですけど……」

 何かを怖がるような彼を見上げて、こっそりと悪戯するみたいに教えてあげる。

「私、マギライトお兄様が好きだったんです。憧れていて、髪も瞳も、綺麗な色だなと思っていました」
「……!」

 夜の暗さの中で、はっきりと彼の顔が朱に染まるのが見えた。
 山葡萄色の瞳が大きく見開かれて、その瞳に私が映っている――マリンベリーの私が。

「お……俺も、好きだった」

 掠れた声が照れを滲ませながら言うから、私は酩酊したような気分になった。
 馬がゆっくり進む振動が、心地いい。
 
 2人一緒に揺れていて――しばらく進むと、遠くに明かりの群れが見えてくる。
 先行した帰還者たちの集団の野営場だ。
 
「約束、覚えています?」

 2人の時間が終わるのが寂しいな。
 そう思いながら呟くと、彼はこめかみにキスをしてくれた。

「帰ったら結婚しようか」
「……素敵ですね」

 過去を抱きしめるような気分で「お兄様」と呟くと、まるで迷子みたいな気配で頷きが返ってくる。

「お兄様、気付くのが遅れてごめんなさい。世界を滅ぼさないでくれて……私を見つけてくださってありがとうございました」

 お兄様は、少年みたいな無垢な調子で「うん」と唸った。
 そして、たくさんの明かりに向かって手を振った。
 とても人間味のある、善良で素朴な、自然な笑顔で。

「でんかぁ!」
「マリンベリーがいるじゃないか。うちの子が!」

 ――ああ、友人たちに、キルケ様。
 みんなが明かりの中で集まって、この世界の今を生きている。
  
 胸がいっぱいになる私の手を彼の手が探るように触れて、互いの指と指を絡ませる。
 
 顔を寄せて秘密を共有するみたいに耳元で囁く彼の声はぜんぜん魔王って感じじゃなくて、ヒーロー然とした煌めきがあった。
 
「お前や友人たちが生きている世界は、居心地がよかった。一生懸命、生きている民も愛している。俺を受け入れてくれてありがとう」
「私も、あなたが生きている世界が大好きです。ちょっと壊れちゃってて、歪で、おかしなところがたくさんあるけど……」
「許せ。アルワースが悪い」
「人のせいにする……でも、そうなのかも」
 
 幻影で見た限り、割とアルワースという人物は「元凶」と言って差し支えない人だった気がする。
 でもあの人、日本人の真凛のお父さんなんだよね……。ドラゴンの勇者でもある。

「あ、アルワースのおかげで、世界のバランスは直せましたよ」
「なんだそりゃ。後で詳しく教えてくれ」
「はいっ」

 彼は友人想いな青年魔法使いの目をして、王都の方角を見た。
   
「アルワースの国を想う気持ちは本物で、ずっと頑張って支えてきたのはわかってる。国のためだった。人類の存続のために必要だった――その言い分もわかる」

 その眼差しが王子の温度感に変わっていく。

「ただ、奴がいなくても人類はなんだかんだ言って存続したんじゃないかとも思う。2つ分の世界を観てきた俺の主観だが、結構俺たちの種族はしぶとい感じがするんだよな。ゴキブリみてえ」

「パーニス殿下? 人類をゴキブリ呼ばわりしないでください?」

「そうだな。王子はそんなこと言わないな」

 私をマリンベリーにしてくれたパーニス殿下は楽しそうに喉を鳴らし、私を馬から降ろしてくれた。
 ぺったりと靴の裏が地面に着いて、二本足でしっかりと立っている感覚に、なぜかいい気分になる。

 ――生きているぞって感じがした。
 
「心の支えは必要だけど、支えがなくなったら次は誰かが代わりに立ち上がったと思う。頼れる兄がそうではないと言われて立ち上がった俺のように――まあ、俺の兄は頼れる存在なのだがな」

 兄王子への愛情を滲ませる第二王子へと、私は両手を掲げ上げて見せた。

「……やるか」
「ええ」

 パシンッと互いの両手を打ち合わせるハイタッチの音は小気味よく響いて、集まってきたみんなが真似するように両手を掲げる。

 何も知らないみんなと両手をぱしんぱしんと打ち合わせていくと、重苦しくて歪で不安定な世界が一音ごとに軽妙に明るく陽気に生まれ変わっていく気がした。

「殿下。私、マリンベリーが幕を下ろしましょう。ハッピーエンドです」

 聖女のような魔女のような声色で言えば、彼は私の前に膝をつき、儀式のように私の手を取って指輪にキスを落としてから、厳かに立ち上がった。

 そして、いつかの再現みたいに静かに視線を天に向け、神妙な顔で真夜中の空を見つめた。


「マリンベリー、ありがとう」


 星の見えない夜空は、安らぎの色がした。
 
 
 ……ああ、私はこの王子の幸福な結末がほしかったのだ。

 彼の二枚に裂かれたマントが夜風になびくのを見ながら、私は迷宮の出口を見つけたような気分になった。

 

 ――Fin.
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