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1章、王太子は悪です

32、イージス/パーニス(1章エンディング)

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――『イージス』

 
 パン屋の娘を魔王が殺した日。
 前世の記憶を思い出したと言うパン屋の娘が教えてくれたのだ。
 マリンベリーさんは自分と同じく「不幸になる」運命なのだと。
 
 私がマリンベリーさんに抱いたのは親近感と憐憫だった。
 マリンベリーさんを幸せにしてあげたい。
 そう思うように、なったのだ。

 私は罪深い身だ。
 魔王の精神が私の体を動かしている間、守護大樹を闇に染めたり、もともと壊れかけのカラクリ大地に人々が抱く恐怖を魔物として具現化する仕組みを組みこんだりしていた。
 人の道を外れるかどうかの瀬戸際で迷っている者の背を押して道を踏み外させ、罪を犯させ。犯罪の情報をもみ消したり、罪人を逃したり。

 自分の体の内側から自分を見ていて、止められなかった。父や大臣に言うこともできなかった。
 理想の王太子だと持ち上げられて「違うんです」と否定する勇気が持てなかった。

 好きな令嬢を、こんな私がどうやったら幸せにできるだろう?

 弟だ。
 弟パーニスは、前から彼女に気がある素振りがあった。
 孤児院にいた彼女を魔女家に勧めたのも弟だし、彼女が魔女家の養女になってからは足しげく魔女家に通っていた。

 弟に自覚がどれほどあるのか知らないが、ちょっと後押ししたらどうだろう。

「実は、マリンベリーさんとの婚約を考えています」

 弟が聞いているのを確認しながら父に言えば、弟が血相を変えるのが感じられた。

 2人は幸せになるといい。
 自分は全てを懺悔し、処刑されよう。
 ハッピーエンドだ。

 けれど、――勇気がない自分は、「懺悔するのは明日にしよう」「明後日にしよう」と先延ばしにしてしまった。

 マリンベリーさんが近くにいて、会話して、笑い合って。
 秘密を受け止めてくれて、思い出作りの時間をくれた。
 
 みんなと過ごす時間は、楽しかった。

 楽しいと思ってしまう自分が、罪深く思えて仕方なかった。

 弟と幸せになるのが一番だ。私には、彼女を望む資格はないのだ。
 わかっていても、マリンベリーさんともっと話していたい、もっと親しくなりたいと思ってしまう。


 ……理屈ではないのだ。

 死んでしまえば、この感情も消えるのに。
 しかし、彼女も弟もこんな私を生かしてくれようとしているのだ……。

 
 ――『パーニス』


 パン屋の娘を魔王が殺した日。
 守護大樹アルワースの導きで、瀕死のパン屋の娘が俺の腕に飛び込んできた。
 俺は救おうと思ったが、手遅れだった。彼女は、俺の腕の中で息を引き取った。
 
 犯人は兄の可能性が高いと思われた。
 しかし、証拠はない。下手に騒ぐこともできない。
 守護大樹アルワースが何か喋ってくれればいいのだが、困ったことに大樹は俺のもとにパン屋の娘を飛ばしてから沈黙してしまった。

 あとでわかったのは、守護大樹アルワースが闇に染められていたことと、闇に抗いながらも壊れた王国をなんとか守ろうと力を尽くしてくれていたこと。
 ぎりぎりの余力で瀕死のパン屋を空間転移させ、俺のもとに飛ばしたこと。

 パン屋の娘は、妹を心配していた。
 この世界の行末を案じていた。
 
 古い時代に、建国の英雄王は世界を壊してしまったのだという。
 壊れた世界は、自然界の属性のバランスがひどく水に偏ってしまい、海が世界を覆うほどになった。大地はひび割れ、海にのみこまれ、人が生きる陸がなくなりそうになったのだという。

 彼の友人であった賢者はその身を犠牲にし、カラクリ技術士と協力して、人が生きるための大地を作った。
 ごくわずかに残っていた大地にカラクリを繋ぎ合わせて、魔法でつくった自然でカラクリをコーティングし、自然な大地に見せかけた。
 
 魔王はそんな世界に呪いを吐いていたので、呪いに抗う仕組みを大地に巡らせようと試行錯誤もしたらしい。


 それにしても、兄とマリンベリーをどうしたものか。

 兄は完全に彼女に惚れている。
 マリンベリーも、兄に同情的だ。

 狩猟大会で同じ班になったのがよくなかった。

 もし、マリンベリーが「実はイージス殿下が好きなのです」と言ってきたら、どうしよう。
 彼女の幸せを思えば、想う相手に譲るのが一番なのだと思うのだが、俺は譲りたくない。
 たとえ嫌だと言われても、兄ではなく俺の妻にしたい。

 ……理屈ではないのだ。

 国のことを考えないといけないときに、人間関係で頭を悩ましている俺は、果たして王太子に適しているのだろうか。

 『アンテナとネジの塔』の一件を落ち着かせた後、兄も父も「お前は王太子になる覚悟があるか」と問うてきた。俺は「ある」と答えたのだが――
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