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1、このお屋敷には大人しかおりませんとも
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「わたくしの旦那様には、もしかして隠し子がいるのかしら? たまに子供を見かけるのです」
よく晴れた日。
隣国からこの国の公爵家に嫁いできたばかりのレイラが呟くと、周囲にいた使用人のリアクションは二つに分かれた。
「奥様、そんなことはございません! このお屋敷には大人しかおりませんとも!」
使用人の半数はレイラの『旦那様』イーステンに向けられた疑惑を否定し。
「我々は姫様と一緒に子供を目撃しました! 使用人が子供を部屋に隠すのを見ていましたよ!」
使用人の半数はレイラへ同情的な眼差しを向けて、この家の主であるイーステンに敵意を剥く。
前者の使用人はレイラが来る前から公爵家で働いている者たち。
後者はレイラと共に隣国からやってきた使用人たちだ。
「わたくし、機嫌を損ねたりはしていませんわ。隠し子くらい珍しくありませんもの。でも、いるならいるってちゃんと前もって打ち明けてほしかったですわね」
レイラは強がる様子もなく平然と言い、夫であるイーステンの部屋を訪ねた。
レイラは、元々が隣国の王女であった。
陽光を紡いだような豪奢な金髪に、明るく煌めく青玉石のような瞳。
肌は雪を欺くような風情で、大陸にその華やかな美貌が噂される美姫であったレイラは、残念な噂も多い。
例えば、性格がきつくて、イジワルだとか。
例えば、プライドが高くて、人嫌いだとか。特に男なんて大嫌いだとか。
例えば、騎士物語に憧れていて剣を振り回していたけれど、全く剣の腕が上達することはなかったとか。
それなのに格好つけて「私を負かした殿方に嫁ぐ」と言い出したとか。即座に「では勝負」と決闘を申し込んだ隣国の王族公爵イーステンに負けて嫁いだとか。
もちろん二人の間に愛はなく、嫁いだ後は、お飾り夫人という状態。初夜でさえも共に過ごさず、寝所はずっと別々、食事も一緒にはとらない、用がなければ顔を合わせることもない、という冷え切った仲だとか。
夫婦は「互いに自由に過ごしましょう。姫は何も気にせず、のんびり楽になさってください!」「義務を押し付けられることもなく、気を使わなくていいから、楽でいいわ」と言っているとか……。
――義務を押し付けられることもなく、気を使わなくていいから、楽でいい……それは、事実だわ。
レイラはイーステンの部屋の扉の前で訪問を知らせた。
イーステンはすぐにレイラを中へと迎え入れてくれた。
「これはこれはレイラ姫。あなたが私のもとに足を運ばれるとは、珍しい。何か生活上、ご不便がございましたかな」
夫イーステンは、すらりとしていて、背が高い。
肌は浅黒く、髪は漆黒。瞳の色も、黒瑪瑙のような黒色。
レイラと違い、華やかというよりは落ち着いた魅力を感じさせる美男子だ。
書き物をしていたのか、右手にペンを持ったままだ。
「イーステン。わたくし、あなたには、感謝していますわ。わたくしは何一つ不自由なく暮らしていますもの。夜も昼も、国元にいたときより好き放題できて、何も求められないから気楽で最高です」
「それはなにより。それでは、また何かあれば声をかけてください。姫とお話できて光栄でしたよ」
イーステンは「話は終わりですね」と言わんばかりにレイラを部屋から追い出そうとした。
とても優雅な所作で、ごくごく自然な誘導で。
部屋の外の通路に一歩出たところで、レイラはストップをかけた。
「ちょ、ちょっとお待ちになってイーステン。本題はまだですの」
「おお、レイラ姫。いや、私も実はそうではないかと思っておりました! もちろん今のは冗談ですとも」
「いいえ。今のは絶対、本気で追い出そうとしていましたわ」
改めて居室に招かれて、ようやくレイラは本題を切り出した。
「子供がいるなら、そう仰ってくださればいいと思うんです。わたくし、気にしませんのに」
レイラがスパッと言えば、イーステンはとても驚いたようだった。
「私が子供を必要としていると、誰かが言ったのですか? しばらくは作らなくてよいと考えているのですが……。私は、幼い頃から王位継承争いが嫌で、全力で兄の支持を表明し続けてきたのですよ。子供も、兄が第一子を作ってから時期を慎重に慎重に選んで、間違っても野心を抱いた輩に目をつけられないようにしてあげたい気持ちがありましてね」
イーステンは王弟なのだ。
レイラは夫の心情を理解しつつ、「そういう話をしたいわけではない」と首を横に振った。
「そうではなく。イーステンには隠し子がいるでしょう?」
子供を見かけたこと。使用人が存在を否定すること。
レイラが説明しなおすと、イーステンはアッサリと否定した。
「まさか。そんなことはございませんよ、姫」
「わたくし、見たの」
「幽霊でしょうかね。うーん、これは教会から人を呼んで清めて頂く必要があるかも」
「幽霊なんていませんわ、イーステン。誤魔化しているだけで、別にあなた、幽霊の存在なんて信じていないでしょう?」
「子供が迷い込んだのかもしれませんねえ。警備の者に確認しておきましょう」
……この日、イーステンは最後まで「その子供は隠し子だ」とは認めなかった。
しかし、子供は実在するのである。
イーステンが「これからしばらく、不在がちになると思う」と知らせてきて、数日後のことだった。
サアサアと雨が降る日、レイラはその事実を再確認した。
よく晴れた日。
隣国からこの国の公爵家に嫁いできたばかりのレイラが呟くと、周囲にいた使用人のリアクションは二つに分かれた。
「奥様、そんなことはございません! このお屋敷には大人しかおりませんとも!」
使用人の半数はレイラの『旦那様』イーステンに向けられた疑惑を否定し。
「我々は姫様と一緒に子供を目撃しました! 使用人が子供を部屋に隠すのを見ていましたよ!」
使用人の半数はレイラへ同情的な眼差しを向けて、この家の主であるイーステンに敵意を剥く。
前者の使用人はレイラが来る前から公爵家で働いている者たち。
後者はレイラと共に隣国からやってきた使用人たちだ。
「わたくし、機嫌を損ねたりはしていませんわ。隠し子くらい珍しくありませんもの。でも、いるならいるってちゃんと前もって打ち明けてほしかったですわね」
レイラは強がる様子もなく平然と言い、夫であるイーステンの部屋を訪ねた。
レイラは、元々が隣国の王女であった。
陽光を紡いだような豪奢な金髪に、明るく煌めく青玉石のような瞳。
肌は雪を欺くような風情で、大陸にその華やかな美貌が噂される美姫であったレイラは、残念な噂も多い。
例えば、性格がきつくて、イジワルだとか。
例えば、プライドが高くて、人嫌いだとか。特に男なんて大嫌いだとか。
例えば、騎士物語に憧れていて剣を振り回していたけれど、全く剣の腕が上達することはなかったとか。
それなのに格好つけて「私を負かした殿方に嫁ぐ」と言い出したとか。即座に「では勝負」と決闘を申し込んだ隣国の王族公爵イーステンに負けて嫁いだとか。
もちろん二人の間に愛はなく、嫁いだ後は、お飾り夫人という状態。初夜でさえも共に過ごさず、寝所はずっと別々、食事も一緒にはとらない、用がなければ顔を合わせることもない、という冷え切った仲だとか。
夫婦は「互いに自由に過ごしましょう。姫は何も気にせず、のんびり楽になさってください!」「義務を押し付けられることもなく、気を使わなくていいから、楽でいいわ」と言っているとか……。
――義務を押し付けられることもなく、気を使わなくていいから、楽でいい……それは、事実だわ。
レイラはイーステンの部屋の扉の前で訪問を知らせた。
イーステンはすぐにレイラを中へと迎え入れてくれた。
「これはこれはレイラ姫。あなたが私のもとに足を運ばれるとは、珍しい。何か生活上、ご不便がございましたかな」
夫イーステンは、すらりとしていて、背が高い。
肌は浅黒く、髪は漆黒。瞳の色も、黒瑪瑙のような黒色。
レイラと違い、華やかというよりは落ち着いた魅力を感じさせる美男子だ。
書き物をしていたのか、右手にペンを持ったままだ。
「イーステン。わたくし、あなたには、感謝していますわ。わたくしは何一つ不自由なく暮らしていますもの。夜も昼も、国元にいたときより好き放題できて、何も求められないから気楽で最高です」
「それはなにより。それでは、また何かあれば声をかけてください。姫とお話できて光栄でしたよ」
イーステンは「話は終わりですね」と言わんばかりにレイラを部屋から追い出そうとした。
とても優雅な所作で、ごくごく自然な誘導で。
部屋の外の通路に一歩出たところで、レイラはストップをかけた。
「ちょ、ちょっとお待ちになってイーステン。本題はまだですの」
「おお、レイラ姫。いや、私も実はそうではないかと思っておりました! もちろん今のは冗談ですとも」
「いいえ。今のは絶対、本気で追い出そうとしていましたわ」
改めて居室に招かれて、ようやくレイラは本題を切り出した。
「子供がいるなら、そう仰ってくださればいいと思うんです。わたくし、気にしませんのに」
レイラがスパッと言えば、イーステンはとても驚いたようだった。
「私が子供を必要としていると、誰かが言ったのですか? しばらくは作らなくてよいと考えているのですが……。私は、幼い頃から王位継承争いが嫌で、全力で兄の支持を表明し続けてきたのですよ。子供も、兄が第一子を作ってから時期を慎重に慎重に選んで、間違っても野心を抱いた輩に目をつけられないようにしてあげたい気持ちがありましてね」
イーステンは王弟なのだ。
レイラは夫の心情を理解しつつ、「そういう話をしたいわけではない」と首を横に振った。
「そうではなく。イーステンには隠し子がいるでしょう?」
子供を見かけたこと。使用人が存在を否定すること。
レイラが説明しなおすと、イーステンはアッサリと否定した。
「まさか。そんなことはございませんよ、姫」
「わたくし、見たの」
「幽霊でしょうかね。うーん、これは教会から人を呼んで清めて頂く必要があるかも」
「幽霊なんていませんわ、イーステン。誤魔化しているだけで、別にあなた、幽霊の存在なんて信じていないでしょう?」
「子供が迷い込んだのかもしれませんねえ。警備の者に確認しておきましょう」
……この日、イーステンは最後まで「その子供は隠し子だ」とは認めなかった。
しかし、子供は実在するのである。
イーステンが「これからしばらく、不在がちになると思う」と知らせてきて、数日後のことだった。
サアサアと雨が降る日、レイラはその事実を再確認した。
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