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5、鬼謀のアイオナイト
372、月がひとつになった世界、綺羅星、一番星
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ミランダ・アンドラーテは、空王ハルシオンの信奉者だ。
幼い頃から学友で、成長してからは彼の騎士となった。
何かと不安定な彼を支えたいと思って生きてきた。
ミランダは、ハルシオンの庇護者だ。保護者だ。崇拝者だ。信奉者だ。
朝起きてから、夜眠りについて夢を見る間もずっとハルシオンのことを考えている。その人生も生命も、全てを彼一色に染めていたいと思っている。
――その夜。
空国の夜空は深い青色に染まり、無数の星がその広がりに煌めいていた。
風が吹くたびに、葉っぱや草が擦れる微かな音が聞こえる。それだけ静かだということだ。
昼は人々の活動する気配で賑々しい王城も、夜は別な顔を見せるのだった。
「ハルシオン陛下。こちらにいらっしゃいましたか」
探していた主君が予想通りの場所にいたので、ミランダは安堵した。
「ミランダはいつも私を見つけてくれますね」
「本来、探す必要がないのが一番なのですよ、我らが陛下」
「私の、とは言ってくれないの?」
ミランダの主君は白銀の髪を持ち、王族の瞳をしている。
移り気な空の青という神秘的な瞳は現在、深い青色で、鮮やかな星のように輝いていた。
その眼差しは優しく、愛情深い。
「……お体が冷えてしまいます、ミランダは心配です」
年下の青年主君、いと貴き空王ハルシオン陛下は、木の上に登って枝の上で林檎をかじっていた。
落ちるかもしれない、という心配をしてしまうのは、彼が以前と違い、呪術が使えなくなったから。
「そうですね、ちょっと寒いと思っていたところでした」
「月を見ていらしたのですね」
「月がひとつしかないから、寂しそうに見えません?」
「陛下は感受性豊かでいらっしゃる……」
そう言って降りてくるハルシオンは、するりと後ろに回ったかと思うとミランダに腕をまわしてきた。
後ろから抱きしめて囁く声は温かいが、この行為は何を意味するのだろう、と考えてしまうのが最近のミランダだった。
単に、甘えている? お寂しいとか?
この温もりをわかつ距離感に名前をつけるとしたら、どんな関係?
ハルシオン陛下は、どのようなお心でこのように体温を寄せておられるのか?
――自分が意識しすぎ、なのだろうか。
そうだとすれば、恥ずかしい。
「ミランダ。あのお月さま、ずっと二つ一緒にいたでしょう? カントループはね、自分がひとりぼっちなのにって、いつも嫉妬していたんですよ」
そう言って孤独な魂の片鱗をみせるから、ミランダは切なくなって睫毛を伏せた。
「……もう、月はひとつになってしまいましたよ。我が君」
「うん」
耳元で返事が響く。
ちいさな声――公人である彼の、私的な声。
いつも大勢に話しかける彼の言葉は、今、ミランダだけに向けられている。
「でも今は、私は惚気ることができますね。私はひとりじゃないぞ、私はひとりではなくて、こんなに温かいんだぞって」
惚気とは、気分よく伴侶や恋人の話を語ることを言う。
(まるで、私がそういう立ち位置のよう――いいえ、そんなおこがましい考えを抱いてはいけない)
ミランダはその単語に反応しないようにしつつ、密やかに胸の奥へと「惚気」という単語の響きをしまい込んだ。
しまい込んでどうするかというと、ちょっとした隙間時間や就寝時間などに記憶を反芻して、恍惚となるのだ。
――自分には、そういうところがある。
まるで、恋する乙女。
友情のような、忠誠心のような、恋のような、愛のような、母性のような……名前をつけるのにも困るような色々な情念が混ざって煮詰まった想いが、いつもある。
それが幸せで、一方でおそれ多く、恥ずかしくて、秘めなければと思う。
「ミランダ。ルーンフォークは、離れて行った船をこちらに無理矢理戻してみせると意気込んでいるようです」
「落ち込んでいるより、良いことですね」
「月の舟がどれだけ遠くに行ったのか知りませんが、彼は天才だから、やり遂げちゃうんだろうな」
「止めますか?」
「えっ、ううん。私の預言者がすごいことをするのを見るのは、楽しいよ」
預言者になった忠臣について語るハルシオンは、砕けた口調になっている。ハルシオンが楽しそうなのは良いことだ――ミランダも嬉しい。
でも、「私の預言者」と言う響きが宝物をひけらかすみたいに得意げで嬉しそうだから、ミランダはこっそりと嫉妬した。
ハルシオン陛下は、預言者に選ばれたかったのだ。
そんな真実を知る今、ミランダはたまに悔しくなる。
自分が預言者だったらよかったのに――と。
「ねえ、ミランダ。見るのが嫌だと思っていた二つの月だったけど、いざ一つになると物足りないとも思う。……人間ってふしぎだね」
ハルシオンは口調を崩し、ミランダのこめかみにやさしくキスをしてから夜空へと片手を差し伸べた。
(また誤解させるようなスキンシップをなさる)
誤解してしまう自分が悪い。
ミランダは浮かれないように気を引き締めつつ、またひとつ思い出を心へと保管した。
(一人の時間にそっと嚙みしめるだけ。決して、勘違いはしない)
自分は従者であり、ハルシオンは主君だ。
弁えないといけない。
しっかりと線を引かないと。
そんな従者の心を知らず、ハルシオンは世を知り尽くした哲学者のような――あるいは無垢な少年のような瞳で熱を吐いた。
「遥か高みにある星々は、カントループがどんなに飛翔しても手が届かなかった。ずっとずっと遠くにあったから……」
カントループの記憶を語るハルシオンは、不安定で、つらそうで、近くにいるのにぜんぜん手の届かない存在感で、――前は、神様のようだった。
ミランダは、彼が手の届かない夜空に飛翔するのをよく見送った。奔放に飛び回るのを見守り、戻ってくるのを地上で待っていた。
でも、今は。
「――飛翔できなくなった今、地上から手を伸ばしても、飛翔していたときと同じくらい遠いなと感じるんだ」
その圧倒的な呪術の能力を失った青年の彼は、「同じ人間」という感じがどんどん強くなっていく。
「ミランダ。人間は、空を飛んでもそんなに地上にいる時と変わらないのかもしれない。私は変わったと思っているけど、実はそんなに変わっていないのかもしれない……」
彼の感受性が響くのが、心地よい。
深く物事を洞察するその知性が、愛おしい。
それにしても、距離が近い。
心臓の音が聞こえてしまいそう。
「私の殿下。ミランダは――」
ミランダは、ただの人間だ。
彼と比べると浅慮で、知識もない。
ルーンフォークのように呪術の才に長けていることもなく、剣はたゆまぬ鍛錬をしてきたものの、正直なところ他者に劣ると感じる瞬間はある。
ミランダは、半端者だ。
無能とまではいかないが、1番になれない女だ。
ただ献身的に尽くすだけが能だ……と自己評価している、ちっぽけな女だ。
聖女様や神師伯、主君やルーンフォーク、フェリシエン……日々関わる親しい人たちは歴史に名を残すだろうと思われる綺羅星のような人物たちばかり。
けれど、ミランダは特別な功績もなく、演劇で言うならばスポットライトの外にいる脇役で。
いつも主役を支え、引き立て、その成功を日陰から喜ぶような役――と、自分では思っている。
とびきり高貴なハルシオンのために、もっと優秀でありたかったのに。
――いいえ。
本当は、そうじゃないのかも。
自分が自分を「劣る」と思いたくなくて、「自分は特別なのだ」と思いたくて、彼らと劣らぬ存在でありたいという願望があるのかも……?
「ミランダ?」
主君ハルシオンは、じっとミランダの言葉を待ってくれている。
ミランダだけに言葉を届けて、ミランダが心を返すのを楽しみにしてくれている。
その現実の時間が特別に思えて、ミランダは「この現在を大切にしなくては」と思った。
「ミランダは、ずっとハルシオン陛下を見てまいりました。陛下は変わられたと思いますし、その一方で、私のよく知っている陛下でもある、と感じています……」
そもそも、ハルシオンだけではなく、人は変わる。赤子が子供になり、子供が思春期を迎え、大人になって、老いていく。
その過程で心身が変化するのは当然だ。でも、その人は変化しても別人になったりはしない。
あくまでもその人のまま成長したり衰えたりするのだ。
「ハルシオン陛下は、思えば……ずっと、ハルシオン様でした。夢に影響されて、ご自分が違う自分のようだと仰られていても、それを口にされるあなたさまはハルシオンという名前の空国の王族の人物で、このミランダのご主君でしたもの」
複雑な認識を言葉にするのは、難しい。
四苦八苦しながらなんとか語ると、ハルシオンは「複雑だね」と笑ってくれた。
伝えたい言葉は、なんだろう。
ミランダは眉を寄せた。すると、ハルシオンの指が眉間を撫でて、戯れる気配をみせている。
その瞳が「何を言ってくれるの」と楽しみにする様子なので、ミランダは彼を喜ばせたいと思った。
「あの夜空を飛んでも、飛ばなくても、これからもハルシオン陛下が私にとっての特別で、一番であることだけは、確かです」
ハルシオンは、その言葉に煌めく笑顔を咲かせてくれた。
「――――ありがとう……!」
嬉しそうな声と笑顔に、ミランダの胸がいっぱいになる。
ああ、こんな簡単なことでいいのだ。
こんなふうに二人だけの時間に彼が話してくれる、喜んでくれる。
そんなひそやかな幸せが、ちっぽけで低俗な悩みを流れ星のようにすーっと流していくようで、あたたかい。
「部屋にお戻りください、ハルシオン陛下。明日も朝は早いのですから、ゆっくり睡眠を摂ってくださいね」
「うんうん、そうだね。ミランダもちゃんと寝てね」
「おやすみなさいませ、私の陛下」
「おやすみ、私のミランダ」
その後しばらくして、空国の『失恋王』はその称号を使われる必要がなくなるのだが――【しかし、それはまた、別のお話】。
――End.
***
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
読んでくださる方のおかげで完結まで頑張れました。
幼い頃から学友で、成長してからは彼の騎士となった。
何かと不安定な彼を支えたいと思って生きてきた。
ミランダは、ハルシオンの庇護者だ。保護者だ。崇拝者だ。信奉者だ。
朝起きてから、夜眠りについて夢を見る間もずっとハルシオンのことを考えている。その人生も生命も、全てを彼一色に染めていたいと思っている。
――その夜。
空国の夜空は深い青色に染まり、無数の星がその広がりに煌めいていた。
風が吹くたびに、葉っぱや草が擦れる微かな音が聞こえる。それだけ静かだということだ。
昼は人々の活動する気配で賑々しい王城も、夜は別な顔を見せるのだった。
「ハルシオン陛下。こちらにいらっしゃいましたか」
探していた主君が予想通りの場所にいたので、ミランダは安堵した。
「ミランダはいつも私を見つけてくれますね」
「本来、探す必要がないのが一番なのですよ、我らが陛下」
「私の、とは言ってくれないの?」
ミランダの主君は白銀の髪を持ち、王族の瞳をしている。
移り気な空の青という神秘的な瞳は現在、深い青色で、鮮やかな星のように輝いていた。
その眼差しは優しく、愛情深い。
「……お体が冷えてしまいます、ミランダは心配です」
年下の青年主君、いと貴き空王ハルシオン陛下は、木の上に登って枝の上で林檎をかじっていた。
落ちるかもしれない、という心配をしてしまうのは、彼が以前と違い、呪術が使えなくなったから。
「そうですね、ちょっと寒いと思っていたところでした」
「月を見ていらしたのですね」
「月がひとつしかないから、寂しそうに見えません?」
「陛下は感受性豊かでいらっしゃる……」
そう言って降りてくるハルシオンは、するりと後ろに回ったかと思うとミランダに腕をまわしてきた。
後ろから抱きしめて囁く声は温かいが、この行為は何を意味するのだろう、と考えてしまうのが最近のミランダだった。
単に、甘えている? お寂しいとか?
この温もりをわかつ距離感に名前をつけるとしたら、どんな関係?
ハルシオン陛下は、どのようなお心でこのように体温を寄せておられるのか?
――自分が意識しすぎ、なのだろうか。
そうだとすれば、恥ずかしい。
「ミランダ。あのお月さま、ずっと二つ一緒にいたでしょう? カントループはね、自分がひとりぼっちなのにって、いつも嫉妬していたんですよ」
そう言って孤独な魂の片鱗をみせるから、ミランダは切なくなって睫毛を伏せた。
「……もう、月はひとつになってしまいましたよ。我が君」
「うん」
耳元で返事が響く。
ちいさな声――公人である彼の、私的な声。
いつも大勢に話しかける彼の言葉は、今、ミランダだけに向けられている。
「でも今は、私は惚気ることができますね。私はひとりじゃないぞ、私はひとりではなくて、こんなに温かいんだぞって」
惚気とは、気分よく伴侶や恋人の話を語ることを言う。
(まるで、私がそういう立ち位置のよう――いいえ、そんなおこがましい考えを抱いてはいけない)
ミランダはその単語に反応しないようにしつつ、密やかに胸の奥へと「惚気」という単語の響きをしまい込んだ。
しまい込んでどうするかというと、ちょっとした隙間時間や就寝時間などに記憶を反芻して、恍惚となるのだ。
――自分には、そういうところがある。
まるで、恋する乙女。
友情のような、忠誠心のような、恋のような、愛のような、母性のような……名前をつけるのにも困るような色々な情念が混ざって煮詰まった想いが、いつもある。
それが幸せで、一方でおそれ多く、恥ずかしくて、秘めなければと思う。
「ミランダ。ルーンフォークは、離れて行った船をこちらに無理矢理戻してみせると意気込んでいるようです」
「落ち込んでいるより、良いことですね」
「月の舟がどれだけ遠くに行ったのか知りませんが、彼は天才だから、やり遂げちゃうんだろうな」
「止めますか?」
「えっ、ううん。私の預言者がすごいことをするのを見るのは、楽しいよ」
預言者になった忠臣について語るハルシオンは、砕けた口調になっている。ハルシオンが楽しそうなのは良いことだ――ミランダも嬉しい。
でも、「私の預言者」と言う響きが宝物をひけらかすみたいに得意げで嬉しそうだから、ミランダはこっそりと嫉妬した。
ハルシオン陛下は、預言者に選ばれたかったのだ。
そんな真実を知る今、ミランダはたまに悔しくなる。
自分が預言者だったらよかったのに――と。
「ねえ、ミランダ。見るのが嫌だと思っていた二つの月だったけど、いざ一つになると物足りないとも思う。……人間ってふしぎだね」
ハルシオンは口調を崩し、ミランダのこめかみにやさしくキスをしてから夜空へと片手を差し伸べた。
(また誤解させるようなスキンシップをなさる)
誤解してしまう自分が悪い。
ミランダは浮かれないように気を引き締めつつ、またひとつ思い出を心へと保管した。
(一人の時間にそっと嚙みしめるだけ。決して、勘違いはしない)
自分は従者であり、ハルシオンは主君だ。
弁えないといけない。
しっかりと線を引かないと。
そんな従者の心を知らず、ハルシオンは世を知り尽くした哲学者のような――あるいは無垢な少年のような瞳で熱を吐いた。
「遥か高みにある星々は、カントループがどんなに飛翔しても手が届かなかった。ずっとずっと遠くにあったから……」
カントループの記憶を語るハルシオンは、不安定で、つらそうで、近くにいるのにぜんぜん手の届かない存在感で、――前は、神様のようだった。
ミランダは、彼が手の届かない夜空に飛翔するのをよく見送った。奔放に飛び回るのを見守り、戻ってくるのを地上で待っていた。
でも、今は。
「――飛翔できなくなった今、地上から手を伸ばしても、飛翔していたときと同じくらい遠いなと感じるんだ」
その圧倒的な呪術の能力を失った青年の彼は、「同じ人間」という感じがどんどん強くなっていく。
「ミランダ。人間は、空を飛んでもそんなに地上にいる時と変わらないのかもしれない。私は変わったと思っているけど、実はそんなに変わっていないのかもしれない……」
彼の感受性が響くのが、心地よい。
深く物事を洞察するその知性が、愛おしい。
それにしても、距離が近い。
心臓の音が聞こえてしまいそう。
「私の殿下。ミランダは――」
ミランダは、ただの人間だ。
彼と比べると浅慮で、知識もない。
ルーンフォークのように呪術の才に長けていることもなく、剣はたゆまぬ鍛錬をしてきたものの、正直なところ他者に劣ると感じる瞬間はある。
ミランダは、半端者だ。
無能とまではいかないが、1番になれない女だ。
ただ献身的に尽くすだけが能だ……と自己評価している、ちっぽけな女だ。
聖女様や神師伯、主君やルーンフォーク、フェリシエン……日々関わる親しい人たちは歴史に名を残すだろうと思われる綺羅星のような人物たちばかり。
けれど、ミランダは特別な功績もなく、演劇で言うならばスポットライトの外にいる脇役で。
いつも主役を支え、引き立て、その成功を日陰から喜ぶような役――と、自分では思っている。
とびきり高貴なハルシオンのために、もっと優秀でありたかったのに。
――いいえ。
本当は、そうじゃないのかも。
自分が自分を「劣る」と思いたくなくて、「自分は特別なのだ」と思いたくて、彼らと劣らぬ存在でありたいという願望があるのかも……?
「ミランダ?」
主君ハルシオンは、じっとミランダの言葉を待ってくれている。
ミランダだけに言葉を届けて、ミランダが心を返すのを楽しみにしてくれている。
その現実の時間が特別に思えて、ミランダは「この現在を大切にしなくては」と思った。
「ミランダは、ずっとハルシオン陛下を見てまいりました。陛下は変わられたと思いますし、その一方で、私のよく知っている陛下でもある、と感じています……」
そもそも、ハルシオンだけではなく、人は変わる。赤子が子供になり、子供が思春期を迎え、大人になって、老いていく。
その過程で心身が変化するのは当然だ。でも、その人は変化しても別人になったりはしない。
あくまでもその人のまま成長したり衰えたりするのだ。
「ハルシオン陛下は、思えば……ずっと、ハルシオン様でした。夢に影響されて、ご自分が違う自分のようだと仰られていても、それを口にされるあなたさまはハルシオンという名前の空国の王族の人物で、このミランダのご主君でしたもの」
複雑な認識を言葉にするのは、難しい。
四苦八苦しながらなんとか語ると、ハルシオンは「複雑だね」と笑ってくれた。
伝えたい言葉は、なんだろう。
ミランダは眉を寄せた。すると、ハルシオンの指が眉間を撫でて、戯れる気配をみせている。
その瞳が「何を言ってくれるの」と楽しみにする様子なので、ミランダは彼を喜ばせたいと思った。
「あの夜空を飛んでも、飛ばなくても、これからもハルシオン陛下が私にとっての特別で、一番であることだけは、確かです」
ハルシオンは、その言葉に煌めく笑顔を咲かせてくれた。
「――――ありがとう……!」
嬉しそうな声と笑顔に、ミランダの胸がいっぱいになる。
ああ、こんな簡単なことでいいのだ。
こんなふうに二人だけの時間に彼が話してくれる、喜んでくれる。
そんなひそやかな幸せが、ちっぽけで低俗な悩みを流れ星のようにすーっと流していくようで、あたたかい。
「部屋にお戻りください、ハルシオン陛下。明日も朝は早いのですから、ゆっくり睡眠を摂ってくださいね」
「うんうん、そうだね。ミランダもちゃんと寝てね」
「おやすみなさいませ、私の陛下」
「おやすみ、私のミランダ」
その後しばらくして、空国の『失恋王』はその称号を使われる必要がなくなるのだが――【しかし、それはまた、別のお話】。
――End.
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