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5、鬼謀のアイオナイト

356、綺麗で優しい生き物が、憎い/ 借りをお返しする

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 ――時は、少し遡り。シューエンが死亡する前の出来事。
 
「もはや、これまでのようです」

 派閥貴族の屋敷の中で、アルメイダ侯爵一味は追い詰められている。

 「僕の正義感に合わないんだけどなあ」と思いつつズルズルと一味に所属して騎士として働きつつ、たまに内部情報を青国に流したりしていたシューエンは、複雑な心境でいた。

「もはや、これまでのようです。使える仕掛けもありません」

 派閥貴族の屋敷の中で、アルメイダ侯爵一味は追い詰められていた。
 外には女王派の筆頭神師伯が指揮する国軍が集い、港を制圧して屋敷に踏み入ろうとしている。

「配下に結界を用意させましたが、あれも長くは持たないでしょう」

 カサンドラは手紙を破いて暖炉の火にくべた。
 
 倫理道徳や更生の概念を説く紅国の王弟エリオットや、青国の王妹フィロシュネーからの手紙は、ほんのわずかに心を揺さぶり、居心地の悪い気分にさせた。
 
 善人とはこのようである――というような、たいそうお綺麗なものを見てしまって。
 それが自分とあまりに違っていると感じられて。
 
 あなたを助けたいのだ、という善意が、慈愛を讃えた心が美しくて、尊くて。
 ――カサンドラは、腹が立ったのだ。

 この美しい言葉を吐ける生き物たちは、自分と違う。
 そんな「違う」生き物たちが、「自分たちは優しいのですよ」という顔で、カサンドラを見下ろしている。
 
 そして、あろうことか、この悪党のカサンドラを憐み、「こっちの光の当たる道にくるならば助けてやる」などと更生を促すのだ。
 
 偉そうに。
 生意気に。
 ――許せない。
 
 そんな綺麗で優しい生き物が、憎い。

 こんな正義を育む土壌は、滅ぼさなくては。
 私が醜く汚い生き物なのだから、他の存在もそうでなくてはならない。綺麗な生き物は、私に虐げられて汚される存在でなければならない。
 
 ――救済の提案など、私に失礼だ!

 燃える手紙を見ていると、少しだけ胸が空く。
 熱くなっていた心が冷えていく。

 ――その耳に。
 
「時間を稼いでまいります。これまで、お世話になりました」

 健気な配下の声がした。
 かすれて死の淵からのささやきのような声を発したのは、獣人のシェイドだ。

 シェイドの身体は呪いに侵され、衰弱している。
 毛並みは昔の輝きを失い、変わり果て。肉体はまるで影のようにやせ細り、死に向かっている様子が一目で伝わってくる。

 神聖な儀式でもするように膝をつき、深く頭をさげて別れを告げるシェイドへと、シモン・アルメイダ侯爵は静かに感謝を述べた。

「忠誠に感謝する。武運を」

 主君に褒められたのが嬉しい。役に立てるのが幸せだ。そんな風に、シェイドの尻尾がふぁさりと揺れた。
 
 シェイドと一緒に他の配下も去っていく。
 
 主従の会話は、陣営の敗北を濃く実感させた。
 
 シェイドは命を賭し、時間をつくってくれると言って出て行ったのだ。
 
 何の時間か?
 それは、敗戦陣営の筆頭夫妻が矜持を守り、誇り高く死ぬための時間だ。
 
 追い詰められてそのまま捕まり処刑されるのではなく、敵の手に落ちる前に気高き死を選ぶ――自然と、そのような結末に至るのだろうという雰囲気になっている。

「……まるで、これから自決でもするようですね? 旦那様?」

 カサンドラが唇を噛む。
 
 自分は夫と生きるつもりだったのに、なぜこのような状況に置かれているのだろう。
 どうしてこうなったのだろう。

 青国、空国にいる《輝きのネクロシス》の仲間、幹部亜人たちは、カサンドラに協力するというよりは、カサンドラに反発し、自分たちの国で事件を起こすな、民を傷つけるなというようになっていた。
 カサンドラ個人の子飼いの配下は、彼女が能力を失っているとわかると形勢の圧倒的不利を悟ったか、次々と離れていった。
 追い詰められていくにつれて離脱率は高くなり、今はシェイドと数人の配下が残るのみ。
 
 ――こんなはずでは、なかった。
 
 カサンドラは、不本意な思いで夫を見た。

「情けないことだが、我々は負けたのだ」
「まあ。弱気ですこと……」
「では、起死回生の手段があるとでも?」

 夫シモンのアイスブルーの瞳は冷静で、現実を突き付けてくる。
 
 ああ、現実に抗えない、情けない夫。そんなところも可愛いけれど。
 私が今、なんとかできないか考えてあげましょう。
 救ってあげます。大人しく待っていなさい。

 ――あなたと心中なんて結末は、ありえませんからね。

 カサンドラは夫を無視して、現実を打開すべく頭脳を忙しく働かせた。
 
 
 * * *

 紅旗がぐるりと屋敷を囲み、雪景色の中、武器を光らせている。

(僕は、反女王派陣営の敗戦する一部始終を見届けようとしている)

 シューエンは、シェイドと共にいた。爆発光が金髪を赤く照らす。瞳は複雑な心境に揺れていた。

「お前は逃げても構わないぞ」

 シェイドは困ったことに優しい声で言い、敵の進行を阻むために奔走し始めた。
 
 この獣人がなかなか間の抜けたところがあったり、仲間にはいい奴だったりして、憎めない。シューエンは何度も反女王派の情報を敵方に流したが、ばれていない。味方として親切にしてもらったりすると罪悪感を抱いたりもするし、かといって彼らは明らかに悪党な行為に手を染めているので、複雑なのだ。

 どおん、どおん、と爆発音が続く。
 効果はあまり期待できない陽動。爆破。

「メアリーが教えてくれたのに、移ろいの術は使えるようにならなかったな。あれさえ使えればご主君なりカサンドラ様なり、なりすまして代わりに処刑されたのに」

 残念そうに言うシェイドは、やがて極上のターゲットを見つけた。

(あっ)
 シューエンがよく知る人物。
 サイラスだ。 

「指揮官だ。敵対派閥の首魁だ。あれを獲る」

 シェイドは、自分があいつを道連れにすることを人生を締めくくるゴールに定めたようだった。
 
 サイラスが他のことに気を取られている隙をついてシェイドが魔弾を放った瞬間、シューエンはなぜか身を躍らせていた。

 驚いたように見開かれたサイラスの目と表情が、なんだか新鮮だ。

(あれ。というか、僕は何を?) 

 なんで、僕は庇うみたいに飛び出したんだ?
 それに、なぜかその時、シューエンは「借りをお返しする」という思考でいた。

(借りなんてあったっけ)
 
 疑問に思った瞬間、シェイドの魔弾が胸を穿つ。意識がスパークして、激痛と苦痛が一瞬で全身を駆け抜けて、意識を染めて――


「――はっ?」

 全く、わけがわからない。そんな顔のサイラスが目の前にいて、自分もわけがわからない。

 そんな意味不明な永遠のような一瞬ののち、シューエンの意識は閉ざされた。
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