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5、鬼謀のアイオナイト

350、姫はすやすや、俺は悶々/ 俺は、俺から、姫を守らなければならない

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(姫はおやすみになられたようだが……)

 簡易ベッドの上で横になり、サイラスはじっと気配を押し殺していた。
 フィロシュネー姫はすやすやと眠っているようだが、自分の眠気は皆無だ。目が冴えていて、横になっているのが辛いほどだ。
 
 衝立は視界を遮るが、ちょっとした身じろぎで生じる衣擦れの音や寝息が気になる。
 目を閉じると余計に聴覚が冴えてしまう。
 聞かない方がいいと思うのだが、衝立の向こうの音が聞こえてしまって、「そこにいて、今どんな状態か」と脳が想像力を発揮してしまう。落ち着かない。
 
 じっとしているのが辛くても、眠っている相手を起こしてしまうかもしれないと思うと、物音を立てにくい。

(それにしても、この婚約者の姫君は可愛すぎではないか)

 いやはや、あれで煽っているつもりがないのだから、恐ろしい。
 あの姫君は恋愛物語に精通しているはずなのに、わからないのだろうか。というか、恋愛物語には男が欲情して襲ってくるシーンはないのだろうか。 

(俺のためにベッドをお作りになり、愛の巣とおっしゃったのだが)

 実は誘われているのではないか。
 いや、あの姫は天然だ。そんな駆け引きはできないはずだ。まだ子どもだし、まさかそんな男を手玉に取るような真似はできないだろう。

 ――『好きよ』とおっしゃったのだが。

(何を考えておられるのだろう。あれはまるで「その衝立を越えて襲ってきなさい」と言われていたような気分だったのだが?) 
 
 しかし、そんなはずはないだろう。
 たぶん。きっと――その証拠に、じっと固まっていたらすやすや眠ってしまったではないか。

 つまり、天然だ。

(前に迫ったときは意識してくださっていた様子だったのだが?)
 
 明らかに恥じらい、動揺してくれていた。 
 あんな風に繊細で純情な乙女の気配を見せたかと思えば、驚くほど無邪気で大胆にもなる。
 そして、大人びたかと思えば、あどけなくなる。
 
「ふ……」

「……」

 思考が一瞬で凍り付いたのは、衝立の向こうから可愛らしい声が聞こえたからだ。
 寝言というほどでもない、かすかな声。
 それが胸をざわりとさせて、そわそわさせる。
 自分にとって特別な、ずっと求めていた姫君の気配を感じて、異常なほどに高揚し、喜ぶ自分がいる。

【……生きている】

 異常なほどの幸福感が湧いて来る。
 
【フィロソフィアが俺の近くにいる。俺の伴侶となると確定している】
 
(――いや、待て。この思考は、俺か? 違うだろう)
 
 目をぱちぱちと瞬かせると、暗闇の中で天井が見える。
 そっと息を吐いて気を落ち着かせると、幸福感に切なさが混ざる。

【俺がこれほど何度も転生して追い求めているのに、俺のことを覚えてすらいない】
 ――それが切ないのだ、と魂の奥が震えている。
 
 いやいや、何を言っているんだ。待て待て。
(それでいいじゃないか)

 自問自答のように、自分と自分が心の中で声をかけあっている。
 最近ではよくあることで、周囲が噂するように、自分は普通の人間ではなくなっている、というのが実感できる瞬間だ。
 ああ、自分は異常なのだ。正気かどうかもわからない。

 冗談でもなんでもなく本心で、姫がいなくなるようなことがあれば、世界すら滅ぼしてもいいと思っている。
 人としておかしな感性になっている。
 危険だ。――そんな危険な自分に執着されている姫が心配だ。

(俺は、俺から、姫を守らなければならない……な、なんだそれは。我ながらおかしいだろう)

 なんだそれは。全く意味がわからない。
 頭がおかしくなりそうだ。もうおかしいのかもしれない。 
 
【俺がこれほど溺愛しているのに、俺がこれほど欲求を抱えているのに、理性を総動員しているのに、わからない】

 俺がこれほど悶々としているのに、姫は安心しきって健やかにすやすやと眠っている……。

 * * *

 翌日、エルフの森に向けて馬車は再び出発した。

 魔法の力で馬脚を強化したらしく、夕方頃には到着できそう、という知らせに、フィロシュネーはワクワクと胸を躍らせたのだが。
 
「……眠いの?」
  
 フィロシュネーは婚約者の不調に気づいた。
 
「いえ」

 顔をそむけるようにするサイラスは、馬車の揺れに眠気を誘われている様子だった。

(こういうときも、石を使って体調を整えたりしないのね)

 フィロシュネーはサイラスの人間らしさを感じてにっこりした。   
 
「昨夜はちゃんとしたベッドで休めませんでしたものね。無理はなさらないで、お休みになって」

 ――よしよし、しめしめと撫でたくなるけれど、格下のように扱っては、だめ。
 では、どうしたら?
(恋愛物語では、こういうときどうしていたかしら)

 フィロシュネーは少し考えてから、勇気を出してみた。

「ひざまくらをしてあげますわ!」
 
「はっ……?」

(まあ。驚いてる)

 旅は何度目かになるが、一緒にいる人のいろいろな面が見えて楽しい。
 フィロシュネーはニコニコして、自分の膝をぽんぽんと叩いた。

「わたくしの持っている本にありましたの。一度やってみたかったのです。その……お仕事で疲れていらっしゃるスパダリ様に、お膝で休んでいただくのですわ」

 少し照れながら言えば、サイラスは「眠気が吹き飛びました」と硬い声で言って馬車の中で距離を取った。

「……はしたなかったかしら」

 そっと反省を滲ませて言うと、「やってみたかったのですか」と確認するように、ためらいがちに問いかけられる。

 これは、恥ずかしいかも。
 でも、もう言ってしまったのだし。

「やってみたかったのですわ。憧れだったのです」

「さようですか」

 もじもじと言えば、サイラスは迷う素振りを見せてから「失礼します」と言って馬車の席に横になり、ひざに頭を乗せてくれた。

「わあ……」

 むすりとした顔は、ちょっと不機嫌そうで、「この状況は俺の不本意です」という感じだ。
 けれど、目を閉じてしばらくすると、すうっと眠りに落ちるのがわかる。

 眠った。
 寝てくれた。

(わあ、わあ。わたくし、ひざまくらをしてしまいましたわ! すごい。寝ていらっしゃるわ)

 フィロシュネーは猛獣を手懐けたような感動で胸を震わせ、ふわふわとした多幸感に浸った。
  
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