340 / 384
5、鬼謀のアイオナイト
334、それは、執行猶予というものですわね
しおりを挟む
サイラスが語る思い出話は、いつの話だろう。
誰の話なのだろう。
……フィロシュネーには、心当たりがある。
「友人は、俺に酷いことをしました。俺は怒って彼にやり返しました。彼は贖罪してくれました。ですから、俺は彼の娘の罪を一度だけ見逃し、幸せになる選択の余地をあげようと思うのです」
(これ、前世のお話よね? その友人はオルーサよね? サイラス?)
サイラスは悠然とした仕草で紅茶のカップを傾けて、こくりと紅茶を飲んでから、付け足した。
「ただ、俺が思うに、彼女はそれでも不幸になる選択をしてしまうタイプでしょうね。ですから、遠からず罪人は裁かれることになるでしょう」
彼は、天気でも予想するように言ってから「食事のあとは屋敷を案内いたしますね」と話を変えてしまった。
まるで神様みたい。
そんな態度が当たり前、という顔。
「……わたくしの名前を、言ってみてくださる?」
フィロシュネーは小さな声で聞いてみた。
「姫のお名前?」
「そうですわ」
漆黒の瞳が自分を見つめる。
フィロシュネーは、どきどきした。
「フィロシュネー姫ではありませんか。いかがなさいましたか、姫?」
心配するように言って、サイラスは「ご体調がすぐれないのですか」と尋ねてくる。
――フィロソフィアと呼ばれたら、どうしようかと思った。
フィロシュネーはホッとしつつ、「わたくしは元気です」と返事をした。
「ええと、サイラスがおっしゃったお話。夫人の今後の行動しだいで罪を裁かれるかが決まる、というのは、『執行猶予』というものですわね」
「ほう。お勉強なさっているのですね」
執行猶予とは、有罪であっても即座に投獄されたり処罰されることがなく「更生し、一定期間を悪いことせず過ごせば許す。けれど何かやらかせば次はない」と威嚇して更生を促す制度。紅国独自の裁き方だ。
「青国と空国は、この制度を自国にも取り入れるか検討していましたの」
「さようでしたか」
あまり興味がなさそうに言って、サイラスは「そろそろ屋敷を案内しましょうか」と手を差し伸べてくれる。
「この制度が使われるのは、罪が軽いとき限定ですわ」
「重い罪とは、世界を滅ぼしたりする規模を指すのです。彼女の罪など、子供のいたずらのようなものですよ」
(そんなわけがありますか。それじゃ、ほとんどの罪人は無罪になってしまうじゃない)
「まるで神様……」
「神など、いません。姫も俺も人間です」
(ハルシオン様のように、サイラスに前世の記憶がある? なんらかのきっかけで記憶が戻った?)
彼は、以前とは変わっている。
フィロシュネーはそれを実感しつつ、差し出された手に自分の手を重ねた。
「あのう。言いにくいのですけど、わたくし、そういえばダーウッドに聞いたことがありますわ。ダーウッドは真実を知る者を生かしてはおけない、と、殺す気満々でしたのよ」
ダーウッドは、サイラスのやり方に反対するだろう。
青王アーサーに寵愛される婚約者かつ預言者のダーウッドが反対するということは、青国が反対する、ということだが……。
「俺は、密偵さんの日記を確保しています」
「……」
フィロシュネーはまじまじとサイラスの顔を見上げた。
してやったり、という笑顔が眩しい。
「さあ、他の姫君のお話はもうやめて、俺たちの家の話をしましょう」
優しい声が、ゆったりと言葉を紡ぐ。
「庭にはフェニックスが巣をつくり、厩舎では愛馬が意中の牝馬と仲良くしている、ソファは玉座よりもよほど座り心地がよくて寛げる――そんな我が家のお話を」
案内されて見て回ったところ、屋敷は居心地がよさそうで、趣味がよい。
フィロシュネーはどこを見ても「わたくしの好み」とにっこりした。
厩舎では黒馬ゴールドシッターが『意中の牝馬』という白い馬と寄り添って飼い葉を食んでいて、フィロシュネーに気付くと元気にいなないて飼い葉の入ったバケツを揺らした。
「この白い馬は、空国の失恋王の馬だったのですよ」
サイラスは面白がるように言って、愛馬の首筋を撫でた。
「し……失恋王」
それは、最近呼ばれるようになったハルシオンの他称だ。
失恋相手がフィロシュネーなので、リアクションに困ることこの上ない。
「国民には親しまれているようです。同情も得られたようで……よかったですね」
「よ、よかったのかしら」
サイラスは機嫌よく屋敷を巡り、最後に自分の部屋をみせてくれた。
本棚には政治や学術書にまぎれて恋愛物語が収まっていて、壁には紅国の神々を描いた絵画が飾られている。
大きな天球儀が設置されていて、サイラスは「これは魔導具ですよ」と教えてくれた。
「部屋の明かりを落としてスイッチを押すと、偽の星景色が楽しめます。姫のお部屋にもおひとつ、ご用意しましょうか」
試しに、とカーテンを引き、フィロシュネーを自分の椅子に座らせて。
魔法で部屋の暗さを増して、サイラスは偽の星景色を見せてくれた。
暗闇にきらきらと光る星々は、綺麗だった。
誰の話なのだろう。
……フィロシュネーには、心当たりがある。
「友人は、俺に酷いことをしました。俺は怒って彼にやり返しました。彼は贖罪してくれました。ですから、俺は彼の娘の罪を一度だけ見逃し、幸せになる選択の余地をあげようと思うのです」
(これ、前世のお話よね? その友人はオルーサよね? サイラス?)
サイラスは悠然とした仕草で紅茶のカップを傾けて、こくりと紅茶を飲んでから、付け足した。
「ただ、俺が思うに、彼女はそれでも不幸になる選択をしてしまうタイプでしょうね。ですから、遠からず罪人は裁かれることになるでしょう」
彼は、天気でも予想するように言ってから「食事のあとは屋敷を案内いたしますね」と話を変えてしまった。
まるで神様みたい。
そんな態度が当たり前、という顔。
「……わたくしの名前を、言ってみてくださる?」
フィロシュネーは小さな声で聞いてみた。
「姫のお名前?」
「そうですわ」
漆黒の瞳が自分を見つめる。
フィロシュネーは、どきどきした。
「フィロシュネー姫ではありませんか。いかがなさいましたか、姫?」
心配するように言って、サイラスは「ご体調がすぐれないのですか」と尋ねてくる。
――フィロソフィアと呼ばれたら、どうしようかと思った。
フィロシュネーはホッとしつつ、「わたくしは元気です」と返事をした。
「ええと、サイラスがおっしゃったお話。夫人の今後の行動しだいで罪を裁かれるかが決まる、というのは、『執行猶予』というものですわね」
「ほう。お勉強なさっているのですね」
執行猶予とは、有罪であっても即座に投獄されたり処罰されることがなく「更生し、一定期間を悪いことせず過ごせば許す。けれど何かやらかせば次はない」と威嚇して更生を促す制度。紅国独自の裁き方だ。
「青国と空国は、この制度を自国にも取り入れるか検討していましたの」
「さようでしたか」
あまり興味がなさそうに言って、サイラスは「そろそろ屋敷を案内しましょうか」と手を差し伸べてくれる。
「この制度が使われるのは、罪が軽いとき限定ですわ」
「重い罪とは、世界を滅ぼしたりする規模を指すのです。彼女の罪など、子供のいたずらのようなものですよ」
(そんなわけがありますか。それじゃ、ほとんどの罪人は無罪になってしまうじゃない)
「まるで神様……」
「神など、いません。姫も俺も人間です」
(ハルシオン様のように、サイラスに前世の記憶がある? なんらかのきっかけで記憶が戻った?)
彼は、以前とは変わっている。
フィロシュネーはそれを実感しつつ、差し出された手に自分の手を重ねた。
「あのう。言いにくいのですけど、わたくし、そういえばダーウッドに聞いたことがありますわ。ダーウッドは真実を知る者を生かしてはおけない、と、殺す気満々でしたのよ」
ダーウッドは、サイラスのやり方に反対するだろう。
青王アーサーに寵愛される婚約者かつ預言者のダーウッドが反対するということは、青国が反対する、ということだが……。
「俺は、密偵さんの日記を確保しています」
「……」
フィロシュネーはまじまじとサイラスの顔を見上げた。
してやったり、という笑顔が眩しい。
「さあ、他の姫君のお話はもうやめて、俺たちの家の話をしましょう」
優しい声が、ゆったりと言葉を紡ぐ。
「庭にはフェニックスが巣をつくり、厩舎では愛馬が意中の牝馬と仲良くしている、ソファは玉座よりもよほど座り心地がよくて寛げる――そんな我が家のお話を」
案内されて見て回ったところ、屋敷は居心地がよさそうで、趣味がよい。
フィロシュネーはどこを見ても「わたくしの好み」とにっこりした。
厩舎では黒馬ゴールドシッターが『意中の牝馬』という白い馬と寄り添って飼い葉を食んでいて、フィロシュネーに気付くと元気にいなないて飼い葉の入ったバケツを揺らした。
「この白い馬は、空国の失恋王の馬だったのですよ」
サイラスは面白がるように言って、愛馬の首筋を撫でた。
「し……失恋王」
それは、最近呼ばれるようになったハルシオンの他称だ。
失恋相手がフィロシュネーなので、リアクションに困ることこの上ない。
「国民には親しまれているようです。同情も得られたようで……よかったですね」
「よ、よかったのかしら」
サイラスは機嫌よく屋敷を巡り、最後に自分の部屋をみせてくれた。
本棚には政治や学術書にまぎれて恋愛物語が収まっていて、壁には紅国の神々を描いた絵画が飾られている。
大きな天球儀が設置されていて、サイラスは「これは魔導具ですよ」と教えてくれた。
「部屋の明かりを落としてスイッチを押すと、偽の星景色が楽しめます。姫のお部屋にもおひとつ、ご用意しましょうか」
試しに、とカーテンを引き、フィロシュネーを自分の椅子に座らせて。
魔法で部屋の暗さを増して、サイラスは偽の星景色を見せてくれた。
暗闇にきらきらと光る星々は、綺麗だった。
0
お気に入りに追加
280
あなたにおすすめの小説
お姉様と私の婚約者が駆け落ちしたので、お姉様の代わりに辺境伯に嫁ぎます。
山葵
恋愛
ある晴れた日の朝、何やら部屋の外が騒がしい。
「だ、旦那様ぁー!!大変で御座います。カトリーヌお嬢様が駆け落ちされました!」
お姉様付きの侍女のリンが青い顔してリビングで寛ぐお父様に報告に走っている。
「お姉様が駆け落ち?」
慌てて着替えを済ませ、私もリビングへと急いだ。
【完結】婚約破棄の危機に怯える王女様。痩せて見返すことを決意する
上下左右
恋愛
『太った貴様を愛することはできない! 婚約を破棄させてもらう!』
隣国の姫が太ったからと婚約破棄された知らせを聞き、第二王女のリーシャは焦りを覚える。彼女は絶世の美女として有名だったが、婚約してから美味しい食事を堪能し、太ってしまったのだ。
一方、リーシャの婚約者であるケイネスは、その見目麗しい容貌から、王国中の女性たちを虜にしていた。彼は彼女の事を溺愛してくれていたが、いつか捨てられるのではと不安に感じてしまう。
このままでは彼の隣に立つ資格はないと、リーシャはダイエットを決意する。だが彼女は知らなかった。太ってしまった原因は友人のアンが裏で暗躍していたからだと。
この物語はリーシャがケイネスと共にハッピーエンドを迎えるまでの物語である。
このパーティーは国民の血税で開催しています。それを婚約破棄という個人的な理由で台無しにした責任は取ってもらいますわ。
蓮
恋愛
アリティー王国の王太女であるフランチェスカの誕生祭にて、パーティーの場に相応しくない声が響く。
「ステラ・フィオレンツァ・ディ・モンフェラート! お前との婚約を破棄する!」
フランチェスカの友人であるモンフェラート侯爵令嬢ステラが婚約者のカノッサ公爵令息アントーニオから婚約破棄を告げられてしまう。アントーニオの隣にはソンニーノ男爵令嬢ベアータがいた。ステラはアントーニオからベアータを不当に虐げたなど冤罪をでっち上げられていた。フランチェスカは友人であるステラを助ける為に動き出した。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
【完結】王女に婚約解消を申し出た男はどこへ行くのか〜そのお言葉は私の価値をご理解しておりませんの? 貴方に執着するなどありえません。
宇水涼麻
恋愛
コニャール王国には貴族子女専用の学園の昼休み。優雅にお茶を愉しむ女子生徒たちにとあるグループが険しい顔で近づいた。
「エトリア様。少々よろしいでしょうか?」
グループの中の男子生徒が声をかける。
エトリアの正体は?
声をかけた男子生徒の立ち位置は?
中世ヨーロッパ風の学園ものです。
皆様に応援いただき無事完結することができました。
ご感想をいただけますと嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
妹に婚約者を寝取られた令嬢、猫カフェで癒しのもふもふを満喫中! ~猫カフェに王子と宮廷魔法使いがいて溺愛はじまりました!
朱音ゆうひ
恋愛
男爵令嬢シャルロットは、妹に婚約者を寝取られた。妹は「妊娠した」と主張しているが、シャルロットは魔眼持ちなので、妹のぽってりお腹が脂肪だと見抜いている。
別サイトにも投稿してます(https://ncode.syosetu.com/n0955ip/)
わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますの。
みこと。
恋愛
義妹レジーナの策略によって顔に大火傷を負い、王太子との婚約が成らなかったクリスティナの元に、一匹の黒ヘビが訪れる。
「オレと契約したら、アンタの姿を元に戻してやる。その代わり、アンタの魂はオレのものだ」
クリスティナはヘビの言葉に頷いた。
いま、王太子の婚約相手は義妹のレジーナ。しかしクリスティナには、どうしても王太子妃になりたい理由があった。
ヘビとの契約で肌が治ったクリスティナは、義妹の婚約相手を誘惑するため、完璧に装いを整えて夜会に乗り込む。
「わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますわ!!」
クリスティナの思惑は成功するのか。凡愚と噂の王太子は、一体誰に味方するのか。レジーナの罪は裁かれるのか。
そしてクリスティナの魂は、どうなるの?
全7話完結、ちょっぴりダークなファンタジーをお楽しみください。
※同タイトルを他サイトにも掲載しています。
優しい家族は私が護ります!
山葵
恋愛
「俺は、シャロン・グラベルドとの婚約を破棄し、ここに居るライナと婚約すると宣言する!」
バーロック王太子は、私ライナの腰を抱き寄せると、シャロン・グラベルドに婚約破棄を告げた。
シャロンは、震える声で「王太子殿下、婚約の破棄をお受け致します。」と了承した。
やった!やりましたわ♪
私は、バーロック殿下の横でニヤリと微笑んだ。
フリーターは少女とともに
マグローK
キャラ文芸
フリーターが少女を自らの祖父のもとまで届ける話
この作品は
カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/1177354054891574028)、
小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n4627fu/)、
pixiv(https://www.pixiv.net/novel/series/1194036)にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる