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5、鬼謀のアイオナイト
329、新生活のはじまり
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巣立ちの春にはまだ少しだけ早い、十六歳の冬。
「足元にお気をつけて」
「ありがとうございます」
「どうぞ」と手が差し出されたから、フィロシュネーは婚約者のエスコートに身を委ねて、馬車の外に出た。
灰色の昼空から、ふわりはらりと雪が降る。
南の土地から長旅をしてきた馬車の外には、これから「ここがわたくしの住む場所です」と言うようになる予定のお屋敷がある。
現在はまだ婚約者という身分だが、フィロシュネーは婚姻に先駆けて、紅国に来たのだ。
婚約者サイラスが用意した新居は、王都の一等地に広く敷地を取っていて、塀が高い。
見るからに「ここは特別な敷地ですよ」という雰囲気だ。
(大きなお屋敷。お城と言っても信じてしまいそう……)
白銀の髪をしゃらりと揺らしながら、フィロシュネーはサイラスを見上げた。
サイラスの蠱惑的な褐色肌は、冬の白銀風景によく映える。
艶のある黒髪がさらりと揺れて、見慣れた表情で目を細くして見下ろす彼は、現在、三十歳。
……公に言われている年齢では、二十六歳だけど。
「姫。使用人は、安心できる人材を厳選しました。ご覧ください」
サイラスは出迎えの使用人団に視線を移した。
門からお屋敷の扉につづく道の両脇にずらりと並ぶ使用人団の先頭には、渋い白髪頭とヒゲの初老の男性と、ふくよかで優しそうな中年女性がいる。
「姫。使用人の統括をする家令ジール・スチュアートと、メイド長のフラウ・ノーズです」
サイラスが紹介すると、二人は順番に挨拶をした。
「旦那様、おかえりなさいませ。婚約者の姫殿下は、ようこそいらっしゃいました」
「使用人一同、誠心誠意お仕え申し上げます」
二人が礼をすると、他の使用人たちも一斉に頭を下げる。
一糸乱れぬ統率ぶりからは、使用人の質のよさが感じられた。
「あたたかなお出迎え、うれしいですわ。これから、よろしくお願いいたしますわね」
これからずっと日常生活でお世話になるのだ。
十四歳の自分なら、使用人など空気やカトラリーのように思っていただろう。けれど、今は「使用人はわたくしと同じ人間」だと思っている。
専属侍女のジーナと打ち解けたように、ここにいる使用人達とも良い関係を築きたい。
フィロシュネーは使用人たちにニコニコと挨拶をした。
使用人たちはかしこまったまま、頭を下げている。表情は笑顔だ。よく教育されたプロの笑顔、という雰囲気。たぶん、どんなに嫌なことをされても主君が気に入るような表情や態度で対応できる人材なのだろう。
サイラスは満足そうに微笑んでフィロシュネーを促した。
「姫。冬なので庭園はまだ楽しめませんが、よろしければベルだけ鳴らしてみませんか」
「えっ。ベル? ……まあ。あのベルですわね!」
サイラスが見せてくれたのは、十五歳のときに一度いっしょに鳴らして「将来住むお家のお庭に置きましょう」と約束してもらったガーデン用オブジェだ。
アーム部分は木の枝をモチーフにしていて、アームの先には白いリボンが愛らしい金色のベルが吊られている。
木の枝の先端には小鳥のお人形がちょこんと留まっていて、壁側になる枝の根元側には小鳥を狙う猫さんのお人形がある……。
カラン、カランと軽やかな音をたててベルを鳴らすと、小鳥のお人形が「ちぃ、ちぃ、ぴぴぴ」と鳴いて、猫さんのお人形も「んなぁお!」と鳴く。
「ふふ、可愛い」
「これからはこのベルを毎日鳴らして遊べますよ」
「ま、毎日は……続くかしら」
「義務ではないのです。気が向かれたときだけお楽しみください」
「はい」
屋敷の中へ、と導かれて、扉の内側へと足を進めると、エントランスホールはあたたかい空気でホッとさせてくれた。
クリーム色を基調としている内装は、品がよい。
青い絨毯が敷かれた階段は手すりが黒と金の精緻な装飾で彩られていて、高貴な印象。
上品で趣味のよい内装――フィロシュネーは気に入った。
「今日から、ここが姫のおうちです」
サイラスが誇らしげに言うので、フィロシュネーは嬉しいようなくすぐったいような気分になった。
「素敵なおうち。わたくしと、あなたのおうちですわね」
「お部屋に案内します。お屋敷見学は、明日にしましょうか? 本日はお疲れでしょうから」
案内された部屋は、青国にいた頃の自室と似た内装だった。
大きな本棚もあって、続き部屋がいくつもあって、「自由に使ってください」という雰囲気だ。
「最初は、元々のお部屋と雰囲気が似ている方が落ち着かれるかと思いまして」
「お気遣い、ありがとうございますわ」
サン・エリュタニア青国の旗と、ク・シャール紅国の旗が並んで掲げられたオレンジ色の屋根のお屋敷は、厳重な警備に守られている。
「これから、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ……」
結婚を前提とした、婚約者の身分での同棲生活――新生活のはじまり、はじまり。
「足元にお気をつけて」
「ありがとうございます」
「どうぞ」と手が差し出されたから、フィロシュネーは婚約者のエスコートに身を委ねて、馬車の外に出た。
灰色の昼空から、ふわりはらりと雪が降る。
南の土地から長旅をしてきた馬車の外には、これから「ここがわたくしの住む場所です」と言うようになる予定のお屋敷がある。
現在はまだ婚約者という身分だが、フィロシュネーは婚姻に先駆けて、紅国に来たのだ。
婚約者サイラスが用意した新居は、王都の一等地に広く敷地を取っていて、塀が高い。
見るからに「ここは特別な敷地ですよ」という雰囲気だ。
(大きなお屋敷。お城と言っても信じてしまいそう……)
白銀の髪をしゃらりと揺らしながら、フィロシュネーはサイラスを見上げた。
サイラスの蠱惑的な褐色肌は、冬の白銀風景によく映える。
艶のある黒髪がさらりと揺れて、見慣れた表情で目を細くして見下ろす彼は、現在、三十歳。
……公に言われている年齢では、二十六歳だけど。
「姫。使用人は、安心できる人材を厳選しました。ご覧ください」
サイラスは出迎えの使用人団に視線を移した。
門からお屋敷の扉につづく道の両脇にずらりと並ぶ使用人団の先頭には、渋い白髪頭とヒゲの初老の男性と、ふくよかで優しそうな中年女性がいる。
「姫。使用人の統括をする家令ジール・スチュアートと、メイド長のフラウ・ノーズです」
サイラスが紹介すると、二人は順番に挨拶をした。
「旦那様、おかえりなさいませ。婚約者の姫殿下は、ようこそいらっしゃいました」
「使用人一同、誠心誠意お仕え申し上げます」
二人が礼をすると、他の使用人たちも一斉に頭を下げる。
一糸乱れぬ統率ぶりからは、使用人の質のよさが感じられた。
「あたたかなお出迎え、うれしいですわ。これから、よろしくお願いいたしますわね」
これからずっと日常生活でお世話になるのだ。
十四歳の自分なら、使用人など空気やカトラリーのように思っていただろう。けれど、今は「使用人はわたくしと同じ人間」だと思っている。
専属侍女のジーナと打ち解けたように、ここにいる使用人達とも良い関係を築きたい。
フィロシュネーは使用人たちにニコニコと挨拶をした。
使用人たちはかしこまったまま、頭を下げている。表情は笑顔だ。よく教育されたプロの笑顔、という雰囲気。たぶん、どんなに嫌なことをされても主君が気に入るような表情や態度で対応できる人材なのだろう。
サイラスは満足そうに微笑んでフィロシュネーを促した。
「姫。冬なので庭園はまだ楽しめませんが、よろしければベルだけ鳴らしてみませんか」
「えっ。ベル? ……まあ。あのベルですわね!」
サイラスが見せてくれたのは、十五歳のときに一度いっしょに鳴らして「将来住むお家のお庭に置きましょう」と約束してもらったガーデン用オブジェだ。
アーム部分は木の枝をモチーフにしていて、アームの先には白いリボンが愛らしい金色のベルが吊られている。
木の枝の先端には小鳥のお人形がちょこんと留まっていて、壁側になる枝の根元側には小鳥を狙う猫さんのお人形がある……。
カラン、カランと軽やかな音をたててベルを鳴らすと、小鳥のお人形が「ちぃ、ちぃ、ぴぴぴ」と鳴いて、猫さんのお人形も「んなぁお!」と鳴く。
「ふふ、可愛い」
「これからはこのベルを毎日鳴らして遊べますよ」
「ま、毎日は……続くかしら」
「義務ではないのです。気が向かれたときだけお楽しみください」
「はい」
屋敷の中へ、と導かれて、扉の内側へと足を進めると、エントランスホールはあたたかい空気でホッとさせてくれた。
クリーム色を基調としている内装は、品がよい。
青い絨毯が敷かれた階段は手すりが黒と金の精緻な装飾で彩られていて、高貴な印象。
上品で趣味のよい内装――フィロシュネーは気に入った。
「今日から、ここが姫のおうちです」
サイラスが誇らしげに言うので、フィロシュネーは嬉しいようなくすぐったいような気分になった。
「素敵なおうち。わたくしと、あなたのおうちですわね」
「お部屋に案内します。お屋敷見学は、明日にしましょうか? 本日はお疲れでしょうから」
案内された部屋は、青国にいた頃の自室と似た内装だった。
大きな本棚もあって、続き部屋がいくつもあって、「自由に使ってください」という雰囲気だ。
「最初は、元々のお部屋と雰囲気が似ている方が落ち着かれるかと思いまして」
「お気遣い、ありがとうございますわ」
サン・エリュタニア青国の旗と、ク・シャール紅国の旗が並んで掲げられたオレンジ色の屋根のお屋敷は、厳重な警備に守られている。
「これから、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ……」
結婚を前提とした、婚約者の身分での同棲生活――新生活のはじまり、はじまり。
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