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4、奪還のベリル

305、姫が俺のものにならなければ、俺はこの世界を許さない/ 青薔薇が咲き誇る冬に

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 娘は、哀れで無垢で無機質で、神聖だった。

「コルテよ。それは異常性癖というもの……相手はつくりものの人形じゃぞ」
 
 別に俺は人形趣味なわけではない。
 ただ、この一体に惹かれただけだ。
 理解せぬ知識神トールの声は、もう俺の耳には届かない。

「人形の国で暮らすとはどういうことだい、コルテくん?」
「馬鹿なことを!」
 太陽神と天空神が怒り、コルテは笑った。お前らになにを言われても、心は変わらない、と。
  
「行きなさい、手伝うことはできないけど」
 女神たちは、憐れんでくれていた。慈悲深かった。
 
 心をもたない人形姫の瞳は、むなしく世界を見つめていた。
 その瞳に俺を映してほしい。俺という存在を知ってほしいい。
 その心に波紋を投じたい――
 
「こんな世界の、人の社会のちっぽけなルールなんて、俺にはどうでもいいのです……と言ったら、お姫様はどんな顔をするでしょうか」
 
 何度も生まれ変わり、すれ違い、結ばれることができなかった記憶が、時間をかけて自分の中に定着しつつある。

 自分という魂は、汚れた。堕ちた。

 いつも理不尽を恨み、周囲を呪い、魔物を産み、瘴気を吐き。
 死霊たちの幾億の悲嘆の歌をききながら、何度も転生させられて。

 ある人生では、彼は人の姿ですらない異形の魔物でしかなく、生まれてすぐにオルーサに処分された。
 ある人生では、彼は魔物たちを率いて人の国を滅ぼそうとして、オルーサに討伐された。
 ある人生では、「人間に生まれたね」とオルーサに褒められたが、人形姫は彼と出会う前に死んでしまった。
 ある人生では……。

「約束したんだ。……今度こそ」

【姫が俺のものにならなければ、この世界を許さない】

 * * *

 純白の雪が灰色の空から降りる、冷たい昼。
 青国と空国で、二人の咎人とがびとが落涙した。
 
「私が国家転覆を企てるなど、ありえない。これは国家の忠臣を陥れて国の柱を折ろうという陰謀によるものである。卿ら、くれぐれも悪趣味なはかりごとに踊らされることなかれ。陛下は我が忠誠心を信じてください」
 
 青国のレオン・ウィンザム侯爵は、最初、「なにも恥じることはない」という態度だった。
 後ろ暗いことはなにもないという顔だった。
 だが、ぽろぽろと証拠が出て、苦し紛れともいえる暗殺が防がれると、その態度も崩れた。
 
「皆が私に期待した。ゆえに国を思い、民を想う私は、皆のために良き行いをしようと思ったのだ。それが結果として悪行になってしまったのは、私の不徳であり、力不足であり、同時に私に嫉妬する輩の陰謀でもあり……」
 
 処刑台へと連れていかれる段階になると、どんどんと声が細く弱くなっていく。
 足は、ぷるぷると小鹿のように震えていた。
 
「持ち上げられて思い上がっていた。反省している。命ばかりは、どうか、どうか」

 処刑を見物にきたソラベル・モンテローザ公爵がぷっと吹き出してしまうくらいの変わりようだ。泣きべそをかいて、命乞いをしている。

「許されるはずがないでしょう。普段はあんなに見栄っ張りで格好つけなのに、いざ死ぬ段階になるとそれですか」
 
 モンテローザ公爵は、笑顔でレオン・ウィンザム侯爵の罪を数えた。
 その中のいくつかはモンテローザ公爵が企みの種を事前に察知して自分の配下を使って焚きつけたり、背中を押したりしたのだと知っている者たちは、ひそやかに囁く。

「青薔薇公爵は、実に性格が悪い」

 彼に踊らされたウィンザム侯爵は華やかな人生に別れを告げることになってしまった。
 わずかに残る反対勢力は恐れ入り、その矛をおさめるであろう。
 青国にはこれまで以上に青薔薇が咲き誇るであろうよ――と。

 * * *
 
 東の土地に青薔薇が咲き誇る、冬。
 
 緑髪の頭を恭しく下げて、『空国の預言者』が主君に報告をする。
 
「ハルシオン様。青国の王妹フィロシュネー殿下は、予定通りに紅国に嫁がれるようです」
 
 それは彼の主君である空王くうおうハルシオンの心に波を立てるであろう報告であったが、書類に忙殺されていた空王は静かに頷いた。

「お幸せに――と、お手紙を書かなければなりませんね」
  
 ぽつりと返す声は、感情をうまく隠そうとして、できていない。
 
「ああ、それに。シュネーさんが大好きな本についても、大丈夫ですよと言ってあげなくては」
  
 空国では、悪徳商人のキース・メディシンが罰せられた。
 空王の裁決により、彼はこれまでの『シークレットオブプリンセス』の売り上げの全てを青国の都市グランパークスに住む町娘ファラムに支払わなければならなくなった。

「ファラム嬢には、ぜひ安心してお仕事をしてもらいましょう。南方同盟の『王子様』の想い人でもあるのですし、これから薔薇色の人生ですね。めでたし、めでたし?」
  
 キース・メディシンの負債は、メディシン家の負債でもある。
 メディシン家は有名な商家だ。だが、キースときたら売上を派手に使い込んで放蕩していたものだから、家名と信用を地に落とした状態で、莫大な赤字を出したことになる。
 商売で大切なものは信用なので、メディシン家は今後の商売にも苦労することになり、家の財政を立て直すことがかなり難しいのではないか、というのが人々の見立てだ。
 
 その代わりに台頭したと言われているのが、代々の反国家活動で落ちぶれて評判が地の底を這っていたブラックタロン家だった。
 
 当主であるフェリシエン・ブラックタロンは有能で、親族の反国家活動を抑え込み、空王ハルシオンに気に入られて先祖が取り上げられた爵位を返してもらった。
 弟であるルーンフォーク・ブラックタロンは、なんと預言者になってしまった……。

「ちょうど休憩しようと思っていたところだったので、お手紙を書いちゃいましょう」
  
 忠実な腹心が見守る中、空王ハルシオンは書類を置いてサラサラと手紙を書いた。行動が早い。
 
「ルーンフォーク。この手紙、間に合うかな」

 想いを大切に籠めるように、まるで刺繍でもするように文字をつづる主君に、預言者は笑顔を向けた。

「もちろんです。世界の時間を止めてでも、俺が間に合わせますから」
「ふふっ、ちょっとこわいな、その言い方」
 
 まるでカントループみたいだ、という感想を無邪気に言って、ハルシオンは窓の外を見た。

 気の遠くなるほど長い時間を生きたカントループが知りつくしたと思っていた世界には、ふしぎなこと、わからないことがまだまだたくさんある。

 ――私を見ていてくれる神が、いる。

 ……ハルシオンはその事実を自分の支えにして、これからの人生を誠実に生きようと思っている。
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