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4、奪還のベリル

297、私のアーサー様が、女性慣れしてしまった!

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 気付けば、二人きりになっている。
 
 青国の預言者ダーウッドを名乗る『モンテローザ公爵令嬢』アレクシアは、林檎とナイフを再び取り上げられて初めてフィロシュネーがいなくなっていることに気付いた。
 
「むむ……」
「なぜ不満そうにするんだ。皮を食うのがいかんのか」

 アーサーはふしぎそうに言って、器用な手つきでするすると林檎の皮をむいてみせた。
 それだけではない。あっという間に林檎をうさぎのように可愛らしい形にカットしている――
 

「お前も食うか? ほれ」
 
 左手でフォークに刺した林檎を差し出すアーサーは、優しい表情をしていた。

「口を開けろ。命令だぞ」
 
 ご丁寧にあごに右手をあてて、促すように軽く撫でてくる。猫にでもなった気分で口をあけると、林檎が唇の間を割って口腔に入れられた。

 特別でもなんでもない林檎は、新鮮でおいしかった。
 
 しゃりしゃりと大地の恵みを味わってコクリと飲みこむと、アーサーは「よしよし、しめしめ」と顎にあてていた手を上に滑らせた。
 あたたかな手で左の頬が撫でられて、ついでのように耳たぶをぷにっとつままれる。

「んうっ?」
「可愛い耳だ。触り心地がいいな」

 感触を楽しむようにぷにぷにと耳を愛でてから、アーサーは手を放した。

「いやだったか? すまん」
 すまんと言いつつ、ぜんぜん悪びれない。

 アレクシアは頬を紅潮させて俯いた。
 自分の頬や眉や目じりや口元がゆるゆる、ふにゃふにゃと弛緩していて、みっともない表情になっていないかと心配になったのだ。
 
「お前はこういうときに静かだから、よかったのかダメだったのかがわかりにくい。顔も隠すし……なんで隠すんだ?」

 アーサーは下から顔を覗き込もうとする気配を見せてから、気を取り直したように林檎の皿をサイドテーブルに置いた。

「俺はもっとお前の声を聞きたいし、顔も見たい」
  
 アーサーはまっすぐな声で言って、腕をアレクシアの背中にまわしてグイッと自分の側に引き寄せた。

「あ!」
「記憶ははっきりしないが、一年ぶりという感覚はあるんだ。触りたい」
「は……!?」
「お前は俺に触りたくないのか」
「さ、さわ……?」

 青年の手が背中を撫でて、ひとつに編んだ白銀の三つ編みの毛先を探り当てて、気に入った様子で髪をつまみあげる。
 髪にキスを落とされて、アレクシアは「ぴえ」と悲鳴をあげた。

「その色気がまったくない鳴き声、懐かしいな」

 アーサーは嬉しそうに言って、アレクシアの頬に顔を寄せた。

(以前よりも、なんだか……)
 
 接触に積極性が増していて、なんとなく女慣れした感じがする?

 アレクシアは敏感にアーサーの変化を感じ取って、どきりとした。
 この青年、記憶のない一年の間、どんなふうに過ごしていたのだろう。
 まさか、神々の舟とやらで女神に気に入られて、艶っぽいことの経験値を積んできたのではあるまいか。
 
(なにせ、アーサー様は美青年だから。心根もまっすぐだから。女神も気に入るに違いない……)
 
 女神が神々の舟とやらに存在するのかどうかも、わからないが。
 
「おい、なんか変なことを考えているな?」
「い、い、いえ……っ、ひぅ」

 頬に口付けをされて、情けない声が出てしまう。
 なだめるように側頭部から後頭部を撫でられると、自分が愛玩動物にでもなったような気分だ。

「なにか俺を喜ばせることをさえずるように。でないと、襲う」
「お、おそ……」

 これは、間違いない。
 アーサーは女性経験を積んできたのだ。本人は覚えていない様子だが、きっとそうなのだ。

(わ、私のアーサー様が、女性慣れしてしまった!)
 アレクシアは雷に打たれたような気分でアーサーの頬をふにっとつねった。

「ウッ、いちゃいぞ」
 ぐにっと強く頬をひっぱると、アーサーはちょっと嫌そうに眉を寄せた。

「……わ、わ、私は」
 頬から手を放して、アレクシアは思い浮かぶままに想いを吐いた。

「お会いしたかったです。心配していたのです」
「おおっ! お前、そんな可愛いことが言えるのか!」

 アーサーが喜んでいる。
 しかし、アレクシアの心は晴れない。むしゃくしゃとしていて、ぐつぐつしていて、嫌な気分だ。

「私が眠れぬ夜を過ごして必死にお探ししていたのに、アーサー様は、アーサー様は!」

 ……女神とお楽しみだったのか!

 と、悔しがっていると、アーサーは「俺は記憶がないが」と言いながらアレクシアを抱っこしてベッドに転がった。

 間近に見つめてくる青年の瞳は、きらきらと輝いていた。

「俺を心配していたのか」
「は……」
「俺に会いたかったのだろう」

 完全に理解したぞ! というような顔をされると、恥ずかしくなる。

「お前は、俺が好きだな」
「なっ!」

 確信をもって言われて、アレクシアは真っ赤になった。

「す、す、す……」
「うん、うん」

 好きではない、と返しかけて思い出すのは、目の前の青年がいなくなったときに感じた自覚と後悔の記憶だった。
 ……自分は間違いなく「想いを伝えておけばよかった」と思ったのだ。

「――す、……すき、です」

 これが、困ったことに本心なのだ。
 涙目で口にすると、アーサーは幸せいっぱいの満面の笑みを咲かせた。

 自分のたったひとことの言葉で、大切な青年がこんなに嬉しそうにするのだ。
 そう思うとアレクシアは胸がいっぱいになった。

「俺も、好きだ!」
 
 アーサーはありったけの好意を濃縮した元気な声で言って、満足した様子で「ふう」と息をついた。

「俺はずっとこうしてお前を抱っこしたかったように思う。一緒に昼寝するか」
「は……っ?」
「実は頭に情報を詰めすぎて、俺は疲労が限界だったのだ。よし、寝るぞ!」

 なでなでと頭を撫でて「おやすみ」とささやいて、アーサーは目を閉じた。
 
 そして、おそるべき寝つきの早さをみせて、三秒後にはすーすーと健やかな寝息を立てて眠ってしまったのだった。 
 
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