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4、奪還のベリル

279、わたくしたち、神域のルールに従わなくても済むかもしれません!

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 フィロシュネーが見ている地図には、ちょっと怖いことが書いてある。
 神域では立ち居振る舞いを気を付けなければ、命をかんたんに落としてしまう――という内容だ。
 
「陛下。これから我々は、休憩地点に着地します」
  
 騎士の知らせの後で、飛翔していた馬車隊が高度を下げていく。地上の登山隊が準備した休憩地点は、神域の手前につくられていた。
 
 日没の時刻を迎えた山は、太陽の色に染まっている。天文学者の観測によると、月隠げついんは明日の夜らしい。
  
「ここで野営して明日の朝に出発すれば遺跡には余裕をもって到着できるでしょうね」
 ハルシオンはそう言って馬車から降りるために手を差し出してくれた。 

「ありがとうございます、ハルシオン様」
 フィロシュネーが馬車から降りたとき、登山隊の騎士や魔法使い、呪術師たちの会話が聞こえた。

「間に合いそうでよかった」
「……間に合ってしまいましたなあ」
 
(『よかった』はわかるけど、『間に合ってしまいましたなあ』とは?)
 ……まるで、「間に合ったのが残念だ」と思っているみたい。

 ハルシオンが視線を山頂方向に向けるので、フィロシュネーはつられて視線を動かした。
 
「シュネーさん、夕食前に神域の入り口の石像を見にいきませんか」
「石像……? そういえば、地図の神域付近には、人の絵が描いてありましたわね。あれは石像の絵でしたの?」
「んっふふ。入り口に石像があるらしいですよ」

 ニコニコとはしゃぐように手を引くハルシオンについていくと、進行方向には青国と空国の旗が一定間隔で並んでいる。
 並ぶ旗は「この先は神域なので注意せよ」という目印らしい。

「旗の向こうにある石像です。私も自分の目で見るのは初めてです」
 
 近づいてみると、人間サイズの石像が立っていた。
 背丈はハルシオンと同じくらいで、顔立ちは彫りが深い。身体付きはすらりとしていて、たくましい感じではない。武人よりは文人、風流人といった雰囲気だろうか。

「昔の人って雰囲気ですわね」
「ですねえ! でも、王冠はつけていませんね」
 
 男性の外見をした石像は、古めかしい衣装だ。誰をモチーフにした石像なのかは、はっきりしていない。
 空国の考古学者や神学者は「この石像は過去の空王だ」と主張しているし、青国の考古学者や神学者は「この石像は過去の青王だ」と主張している。
 真相は不明だが、神域の入り口部分に立っていることもあって、レクシオ山の主的な存在、神のような存在だと言われている。

「シュネーさん、ご存じでしょうか、この石像から向こうは、無知が即死につながる領域だと言われています」
 
 ハルシオンが真面目な声でちょっと怖いことを言う。
 地図にも書いてある『神域では立ち居振る舞いを気を付けなければ、命をかんたんに落としてしまう』件だ。
 
「わたくし、実はちょっと怖いと思っておりましたの。気をつけないといけませんわね」
 
 フィロシュネーは石像の台座を見た。
 石像の台座には、古代文字が刻まれている。
 
『登山者は、神域では魔法・呪術を使うことが許されない。
 登山者は、神域では自分の足で歩かなければならない。馬などに騎乗することはできないし、他人に背負ってもらって移動することもできない。
 登山者は、神域では殺生をしてはならない』

 その他にも細々とした「こんなことが許されていません、できません」というルールが、古代の言葉で石像の台座に刻まれている。

「カントループの時代にこんなものはありませんでしたよ。ふしぎですねえ」

 ハルシオンは台座の文字をつついたり、埃をふーっと吹いたりしている。石像への畏敬の念に欠ける振る舞いだが、空国の騎士たちは「我々の陛下は山の神よりも格上であらせられるのだ」などとささやきを交わした。

(ふむん。わたくしも怖がったりする姿は見せてはいけませんわね) 
 つい先ほど「ちょっと怖いと思っておりましたの」と言ってしまったが、フィロシュネーはそれを誤魔化すように微笑んだ。

「こちらの石像さんがどの時代のどちらの国の王をモデルにつくられたのかは知りませんが、遠い子孫であるわたくしたちは、ご先祖さまに礼儀正しく、定められたルールに従いましょう」

 ルールを破るとどうなるかというと、死ぬ。恐ろしいことに、破った瞬間にぱたりと倒れて息絶えるのだ。
 
 青国と空国では国王が神のような存在として信じられているが、過去にはルールを破った王が命を落とした悲劇もあるらしい。

 神が別の神に罰せられて死ぬなんて、醜聞もいいところだ。権威も神格も地に落ちてしまう。

 なので、国家側はそれを隠して単なる事故死だと歴史に残している。

 一方で、長い人生を生きる不老症の人々には神域の存在をこっそりと伝えられる。彼らの多くは、引退後に人生の最期をどこでどう迎えたのかはっきりしないことが多い。
 フィロシュネーは「神域を利用して亡くなる者も多いのではないかしら」と思った。
 
(遺跡を目指す明日の登山行は、魔法生物や馬車に頼ることができず、魔法や呪術も使えない。魔獣に襲われても、逃げることしかできない……)
  
「明日は大変な一日になりそうですわね」
「空国の呪術伯は、神域の外でおとりの隊を用意し、周辺の魔獣を引きつけさせて、本隊をその隙に進ませてはどうかと献策しています」
「青国の竜騎士隊も、そのお仕事に協力させましょう」
 
 フィロシュネーは竜騎士隊に指示を送りつつ、何気なく視線を周囲に向けた。

「有事の際は、我々が身体を張ってお守りします!」
 
 と、護衛の意思を強く見せてくれている両国の騎士たちの中に、頼もしい女騎士のミランダとルーンフォークがいる。

 二人を順に見たフィロシュネーの脳裏に、ルーンフォークが遺跡での体験を語ったときの声が蘇った。

『扉には商業神ルートの「神聖な契約」に似た仕掛けがあり、「あちらへ行った者は自力で戻ってこれない」というルールが定められていたのです。扉をくぐる相手は仕掛けに気付かず、戻ってこれなくなるのでしょう。意地悪ですね』
 
(……あらっ?)

 その瞬間、フィロシュネーの頭の中でなにかがパッと思い浮かんだ気がする。
 
 これまでにも何度かあった「これはこういうもの」という現実がグラッと揺らいで、なんだか違うものだと気付いてしまったときのような感覚。
 それが全身を駆け抜けて、フィロシュネーはまじまじと石像の台座を見た。

「お待ちください、ハルシオン様。わたくしたち、ルールに従わなくても済むかもしれません!」

 フィロシュネーは声を弾ませた。
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