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3、変革のシトリン
187、陛下の預言者は、嘘吐きなのですよ
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預言者の杖を軽く振り、ちいさな光を杖先に燈して、ダーウッドは主君に歩み寄った。
「アーサー陛下。預言をしない私になにかご用ですかな」
「ああ、その言いよう。やはりな、機嫌を損ねていると思ったぞ。お前、案外子どもっぽいところがある……」
(子どもっぽいのは陛下では?)
ダーウッドは言い返しそうになるのを堪えた。
途中で足が止まるのは、アーサーの背後に海が広がっているからだ。
波が足元をさらうようにざぶり、ざぶりと寄せている。
「陛下、おみ足が水に浸かっておいでではありませんか。こちらに……」
懐かしい気分が湧く――アーサーはおぼえているだろうか?
とても幼いころに、夜に部屋を抜け出したやんちゃな彼が暗闇の庭園で迷子になっていたとき、ダーウッドが暗闇を照らして部屋に帰してあげたことを。
『もう、怖くありませんぞ。アーサー様』
あの夜、差し出した手をにぎるアーサーは可愛らしかった。背もダーウッドより低くて、王族の瞳にきらきらと憧憬の情をのぼらせてダーウッドを見上げていたのだ。
……だというのに、現在のアーサーは。
「お前がこちらにこい」
「ひっ」
からかうように言って、いたずらにダーウッドの腕を引くのだ。海の方へ!
「海はいけません、そちらは方角が悪うございます! あ、あ、足が水に!」
「っははは!」
面白がるように笑って、アーサーはダーウッドを抱え上げた。
「俺の預言をしない預言者は、なぜそんなに海をこわがる? 泳げぬからか? 俺は、広大な海をみていると自分も雄大な生き物になったような心地がするぞ。波は眺めているだけで気分がいい。動きのある水に体を浸していると、大自然の一部になったみたいで楽しい」
ざぶ、ざぶと足元で水音を立てて、アーサーは海へと入っていく。足首まで海水に浸かり、歩いて、膝まで浸かり。なおも進んで、腿のあたりまで……。
「へ、陛下! 陛下! 沈みますぞ!? 流されますぞ!? 溺れますぞ!?」
「うむ、うむ。お前は俺から離れると沈むし、流されるし、溺れるであろうな。しがみついているように」
怯え切ったダーウッドが両腕でアーサーの首にしがみついていると、アーサーは上機嫌で海に半身を沈めるようにした。しがみついた姿勢のまま、ダーウッドの体が海水に浸かる。
「っ……!」
これは、なにかの罰であろうか。
震えあがっていると、アーサーは「どうだ、意外と心地よいと思わないか。慣れればそんなに怖くないだろう」などと言う。
「思いません。まったく、ぜんぜん、思いませんっ。即刻、浜辺に戻っていただきましょう」
「もうすこし深く漬かるか? いっそ全身……」
「死にます、死にます!!」
ばしゃり、ばしゃりと波が身体にあたって弾けて、気付けば全身が濡れている。塩辛い水だ。身体に悪そうだ。
「今夜は、人生最悪の夜です」
涙目でふるふると訴えれば、アーサーは意地悪に笑った。
「お前の長い人生で、今夜が最悪か? それは悪くないな」
「……四番目ぐらいに最悪です」
「なんだそれは。預言者なら、言葉に責任をもて。最悪とは最も悪い、という意味なのだぞ」
アーサーはぽんぽんと背中を撫でて、月を見上げた。
なにか言いたいことがあるのだ。
そんな気配を感じて、ダーウッドは呼吸を浅く繰り返した。
「お話は、海からあがってからじゃないと聞きませんぞ」
「なあ、俺はずっと思っていたのだが、俺が預言に逆らったからアレクシアは死んだのだろうか」
この陛下ときたら、ぜんぜん話を聞かない。
そして、罪悪感を感じさせるようなことを言う。
「お前に従っていれば、アレクシアは今も生きていたのだろうか? あの娘、思えばずっと俺のことを避けていて、迷惑そうにしていたが……のぼせあがった俺は、さぞ迷惑だったろうな。……アレクシアは、俺を怨んでいるかな」
痛みを感じさせる声と表情で言うのだ。
夜風は冷たいし、濡れた肌は海水でべたべたの冷え冷えで、口の中は塩辛い。身体は大嫌いな水に浸されていて、自分を抱えている王様はぜんぜん言うことを聞かず、傷付いた様子でしょんぼりしているのだ。
これは、罰だ。間違いない――ダーウッドは泣きたくなった。
「……私は別に――恨んだりなど……」
ぐすぐすと鼻が鳴る。
とにかく、もう海の中は勘弁してほしかった。
自分は確かにこの青年のこころを深く傷つけたし、世界中をあざむいている偽預言者だが、とりあえずこの状況は耐え難い苦痛がある。
「嘘ですよ、陛下。アーサー様はご存じなのではございませんか、私が預言と称して嘘をつくことがあると。あのときのも、嘘です。ですから、アーサー様は悪くありません。あなたさまが気に病むことはないのです……ぜんぶ……ぜんぶが、嘘なのです」
真実だ。
自分は、真実を告げている。
海と夜空の間で、アーサーが自分を見ている。不思議な表情だ。見知らぬ青年とはじめて出会ったような気分で、ダーウッドは泣き笑いのように懺悔した。
「……陛下の預言者は、嘘吐きなのですよ」
けれど、許してほしいのだ。
「お許しください。私のアーサー様」
まっすぐな視線を怖れるように睫毛をふせて言えば、アーサーは頷いてくれた。
「アーサー陛下。預言をしない私になにかご用ですかな」
「ああ、その言いよう。やはりな、機嫌を損ねていると思ったぞ。お前、案外子どもっぽいところがある……」
(子どもっぽいのは陛下では?)
ダーウッドは言い返しそうになるのを堪えた。
途中で足が止まるのは、アーサーの背後に海が広がっているからだ。
波が足元をさらうようにざぶり、ざぶりと寄せている。
「陛下、おみ足が水に浸かっておいでではありませんか。こちらに……」
懐かしい気分が湧く――アーサーはおぼえているだろうか?
とても幼いころに、夜に部屋を抜け出したやんちゃな彼が暗闇の庭園で迷子になっていたとき、ダーウッドが暗闇を照らして部屋に帰してあげたことを。
『もう、怖くありませんぞ。アーサー様』
あの夜、差し出した手をにぎるアーサーは可愛らしかった。背もダーウッドより低くて、王族の瞳にきらきらと憧憬の情をのぼらせてダーウッドを見上げていたのだ。
……だというのに、現在のアーサーは。
「お前がこちらにこい」
「ひっ」
からかうように言って、いたずらにダーウッドの腕を引くのだ。海の方へ!
「海はいけません、そちらは方角が悪うございます! あ、あ、足が水に!」
「っははは!」
面白がるように笑って、アーサーはダーウッドを抱え上げた。
「俺の預言をしない預言者は、なぜそんなに海をこわがる? 泳げぬからか? 俺は、広大な海をみていると自分も雄大な生き物になったような心地がするぞ。波は眺めているだけで気分がいい。動きのある水に体を浸していると、大自然の一部になったみたいで楽しい」
ざぶ、ざぶと足元で水音を立てて、アーサーは海へと入っていく。足首まで海水に浸かり、歩いて、膝まで浸かり。なおも進んで、腿のあたりまで……。
「へ、陛下! 陛下! 沈みますぞ!? 流されますぞ!? 溺れますぞ!?」
「うむ、うむ。お前は俺から離れると沈むし、流されるし、溺れるであろうな。しがみついているように」
怯え切ったダーウッドが両腕でアーサーの首にしがみついていると、アーサーは上機嫌で海に半身を沈めるようにした。しがみついた姿勢のまま、ダーウッドの体が海水に浸かる。
「っ……!」
これは、なにかの罰であろうか。
震えあがっていると、アーサーは「どうだ、意外と心地よいと思わないか。慣れればそんなに怖くないだろう」などと言う。
「思いません。まったく、ぜんぜん、思いませんっ。即刻、浜辺に戻っていただきましょう」
「もうすこし深く漬かるか? いっそ全身……」
「死にます、死にます!!」
ばしゃり、ばしゃりと波が身体にあたって弾けて、気付けば全身が濡れている。塩辛い水だ。身体に悪そうだ。
「今夜は、人生最悪の夜です」
涙目でふるふると訴えれば、アーサーは意地悪に笑った。
「お前の長い人生で、今夜が最悪か? それは悪くないな」
「……四番目ぐらいに最悪です」
「なんだそれは。預言者なら、言葉に責任をもて。最悪とは最も悪い、という意味なのだぞ」
アーサーはぽんぽんと背中を撫でて、月を見上げた。
なにか言いたいことがあるのだ。
そんな気配を感じて、ダーウッドは呼吸を浅く繰り返した。
「お話は、海からあがってからじゃないと聞きませんぞ」
「なあ、俺はずっと思っていたのだが、俺が預言に逆らったからアレクシアは死んだのだろうか」
この陛下ときたら、ぜんぜん話を聞かない。
そして、罪悪感を感じさせるようなことを言う。
「お前に従っていれば、アレクシアは今も生きていたのだろうか? あの娘、思えばずっと俺のことを避けていて、迷惑そうにしていたが……のぼせあがった俺は、さぞ迷惑だったろうな。……アレクシアは、俺を怨んでいるかな」
痛みを感じさせる声と表情で言うのだ。
夜風は冷たいし、濡れた肌は海水でべたべたの冷え冷えで、口の中は塩辛い。身体は大嫌いな水に浸されていて、自分を抱えている王様はぜんぜん言うことを聞かず、傷付いた様子でしょんぼりしているのだ。
これは、罰だ。間違いない――ダーウッドは泣きたくなった。
「……私は別に――恨んだりなど……」
ぐすぐすと鼻が鳴る。
とにかく、もう海の中は勘弁してほしかった。
自分は確かにこの青年のこころを深く傷つけたし、世界中をあざむいている偽預言者だが、とりあえずこの状況は耐え難い苦痛がある。
「嘘ですよ、陛下。アーサー様はご存じなのではございませんか、私が預言と称して嘘をつくことがあると。あのときのも、嘘です。ですから、アーサー様は悪くありません。あなたさまが気に病むことはないのです……ぜんぶ……ぜんぶが、嘘なのです」
真実だ。
自分は、真実を告げている。
海と夜空の間で、アーサーが自分を見ている。不思議な表情だ。見知らぬ青年とはじめて出会ったような気分で、ダーウッドは泣き笑いのように懺悔した。
「……陛下の預言者は、嘘吐きなのですよ」
けれど、許してほしいのだ。
「お許しください。私のアーサー様」
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