上 下
183 / 384
3、変革のシトリン

180、選ばれなかった王兄ともうひとりの預言者

しおりを挟む
 
 空国の王兄ハルシオンの夜は、最近は穏やかだ。

 以前のように夢の中でカントループの孤独と狂気に染められて呪術を暴走させ、周囲に被害を出すこともないし、夢うつつの区別がつかなくなることがない。

 その夜に見たのは、自分がまだカントループの記憶を蘇らせる前のころの夢だ。


 場所は、城の書庫。

 閲覧スペースの椅子に、幼い自分が座っている。

 隣には弟のアルブレヒトがいて、その隣に学友令嬢のミランダがいた。テーブルの上には、絵本がたくさん置いてある。

 ひとつの絵本をみんなで覗き込むようにして、ちいさな声で順番に文字を読み、1ページ1ページ順番にめくっていく。書庫に流れる時間はおだやかで、優しい時間だった。

「よげんしゃが、おうさまに……かんむりを、かぶせました」

 ミランダの声が読み上げると、アルブレヒトが目をきらきらさせる。

「おうさま」
 弟が自分を見て言うので、ハルシオンはにっこりした。

(そうだよ。このページに描かれているように、預言者に王冠をかぶせてもらうのは、私だよ)

 二人は同じ年齢だったけれど、ものの考え方や発語は同じ年齢と思えないほどハルシオンはしっかりしていた。
 自分は弟よりも優れているのだと、ハルシオンは自覚していた。その上で、弟には優しく接しようと思っていた。

「さあ、次のページをにいさまが読むよ」

 おうさまが演説するシーンだもの。私が読むのがいいよね。
 
 ハルシオンはそう思ったが、アルブレヒトはページをおさえて、「ぼくがよむ」と言った。

 ちょうどそのとき、書庫にひとの気配が増えて、空国の預言者ネネイが近づいてきた。

 現在と変わらぬ十代前半の少女の姿をしたネネイは、三人を順番に見た。三人はそろって背筋をのばし、行儀よく挨拶をした。

「絵本を読んでいらしたのですね」
 優しいネネイの視線が最初にハルシオンを見たので、ハルシオンは「ネネイの次の主君は私なのだ」と思った。

「ネネイ、おうかん」
 アルブレヒトが無邪気に絵本をみせている。
「かぶせてくれるの?」

 問いかけに、ネネイが微笑む。

 ハルシオンはなぜだか、弟に微笑むネネイにどきりとした。それで、なんとなく急ぐようにして、言葉を挟んだ。

「そうだよ、アル。ネネイは」
 一瞬だけ「私に」と言いかけて、ハルシオンは喉がつかえたようになった。理由はわからない。
「……おうかんをかぶせてくれるんだよ」

 ハルシオンはそのとき、結局「私に」という言葉をなしにして言った。

 そして、嬉しそうなアルブレヒトの顔をみて「言わなくてよかった」と思ったのだった。

(今なら、理由がわかる。私は自分が選ばれない可能性もあるのだ、と思ったのだ)
 
「ハルシオン殿下、おそれいりますが……お時間です……」
 青年の声で覚醒を促されつつ、ハルシオンはもそもそと寝台の上で丸くなった。
 
「殿下……」

 王位に就かなかった自分を呼ぶのは、緑髪のルーンフォーク・ブラックタロンだ。よく仕えてくれている優秀な青年だ。

 善良で気が弱い青年だ。あまり困らせてはいけない。最近は自信らしきものを感じさせるが。

「ふぁい。起きています……」
 のろのろと身を起こすと、ほっとした気配が返ってくる。


 * * *


 停留中の島の浜辺に、美しく上品に飾られた日除けのテントが立ち並んでいる。

 空国の船『ラクーン・プリンセス』の人々は、浜辺でパーティを楽しんでいた。

 砂浜の一角で、大きな焚き火が篝火台に灯され、周りには人々が集まっている。
 美味しい料理と上質なワインが供されて、笑顔と歓声が交わされていた。

 料理は海の幸が中心で、香り高いスパイスで味付けられていた。香りのよいソースが火の明かりに照らされて明るい色を見せていて、食欲が刺激される。
 
「寄せては返す波を見ていると、眠くなるね。のんびり眠っていたよ」

 ゆらめく海の波に砂浜が優しく撫でられている景色に目を細め、ハルシオンは弟である空王アルブレヒトの隣に座った。

 アルブレヒトの隣には、アルブレヒトの伴侶である王妃ラーシャがいる。仲の良い夫婦だ。

「競売用の契約書はできたから安心してね、アル」
「ありがとう存じます、兄上」

 商業神ルートの『神聖な契約』――契約書をつくり、破ったものに神罰を与える奇跡だ。

 ハルシオンは現在、呪術が使えない。
 けれど、聖印に聖句をとなえると『神聖な契約』は行使できることに気付いたのだった。

 それは、ハルシオンの能力ではない。
 ハルシオンの忠実な騎士であるルーンフォークが言ったのだ。

「聖印というのは、どうも魔導具ではないかと思うのです」
 と――知識神の聖印をいじりながら、目をらんらんとさせて。

「知識神の聖句はなんでしょう? 実際に使ってみたいのですが」
 と尋ねられたりもしたのだが、ハルシオンは即答できなかった。

「アル、招待客の中に紅国の知識神の聖印を落とした信徒はいなかったんだよね?」
「兄上。聖印の落とし物があったということですが、落とした方がいないかきいていますが、今のところ名乗り上げる様子がありません」

(他の神様の聖句って尋ねたら教えてもらえるのだろうか)

 ハルシオンは好奇心をおぼえつつ、近づいてきた預言者ネネイに笑顔を向けた。

 ハルシオンとアルブレヒトが成長して青年になっても、ネネイは変わらぬ少女の外見だ。

「陛下。ご挨拶の時間です」
 ネネイが呼びかける相手は、アルブレヒトだ。

 王冠を頭に煌めかせ、威厳をただよわせて、アルブレヒトがパーティを楽しむ王侯貴族たちに今後の予定を語る。

 空国の港から物資を運ぶ船がくるので、そのあと島を離れ、オシクレメ海底火山がある海域を巡り、遺跡調査を終えたら帰還する。
 明日には船内の下層にある競売場で珍しい品々の競売もあるので、楽しんでほしい。
 そう笑ってしめくくるアルブレヒトに、拍手が贈られる。

「ハルシオン様」
「んっ」

 にこにこと拍手をしていたハルシオンに、ネネイがちいさな声で呼びかける。珍しいことなので、ハルシオンはすこし驚いた。

「申し訳、ありませんでした」
「へっ?」

 ネネイがなにかを謝ってきた。
 しかし、ハルシオンには心当たりがない。首をかしげていると、預言者は言葉をつづけた。

「預言を、いたします。明日、競売の会場で……よからぬことが、起きるでしょう」 
 
 ハルシオンはまじまじと預言者の横顔を見た。その耳に、愛らしい歌声が聞こえてくる。

(……シュネーさんだ)

 清らかで、心が洗われるような少女の歌声に、ハルシオンは視線を彷徨わせた。

 その少女は、すぐに見つけられた。
 人々に見守られ、綺麗な髪を潮風にきらきらとなびかせて歌うフィロシュネーがいる。

 微笑ましく好ましくその姿を見守っていたハルシオンは、令嬢らしく着飾ったミランダが青王アーサーと話しているのも発見した。

(こういう宴席でも、ミランダはいつも近くにいてくれたのにな)

 そう思うと、隙間風のような乾いた冷たい感情が吹いて心臓のあたりが痛むから、ハルシオンはそっと胸をおさえた。

「ネネイ。……その預言について、詳しくきくことはできますか?」

 雑念をこころの端に押しやって、ハルシオンは隣にちょこんと座るネネイに問いかけた。

 見上げるようにして自分を映す預言者の移り気な空の青チェンジリング・ブルーの瞳は、美しかった。

「詳しく知る必要は、ありません。会場を、変えればいいだけ……です」

 ネネイは、他者にきかれるのを怖れるように防諜の呪術を使っている。ハルシオンがその事実に気付いたとき、フィロシュネーが歌を終えて歓声を浴びながら、こちらへ近づいてきた。

「ハルシオン様。わたくしの部屋の前に、紅国の預言者を名乗る者からの謎の手紙が落ちていましたの」

 フィロシュネーは挨拶もそこそこに本題を切り出して、その内容でハルシオンを驚かせるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!

友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください。 そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。 政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。 しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。 それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。 よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。 泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。 もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。 全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。 そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

処理中です...