182 / 384
3、変革のシトリン
179、再会の人魚と鎮魂歌
しおりを挟む
サイラスは石に願った。
その願いが叶うのだという確信を胸に。
【俺のお姫様は、恋人同士の再会を望まれる。ゆえに、俺はこの死霊を人魚に会わせたい】
恋愛物語を愛するフィロシュネー姫の好みは、把握している。
「この哀れな死霊が、洞窟の外で待つ恋人と再会できるように」
「光が……」
同行していた探検隊の兵たちが騒ぎ出す。
石を光らせたサイラスの胸には彼らを取りに足らない下位存在として軽侮する感情が起きて、そんな自分にぞくりと肌が粟だった。
「あっ、し、死霊が出たぞ」
シトリンの光に導かれるようにして、死霊はもやもやとした灰色の姿で入り口まで漂っていく。
探検隊は、そのあとを追いかけた。
洞窟の外の海で、ちゃぷりちゃぷりと海水をすくっては落とし、すくっては落とししていた十人目の人魚。彼女の目が、死霊と出会う。
死霊はふわふわと漂っていき、その曖昧な煙のような体で愛しい人魚を包み込むようにした。
人魚は、人間の言葉を話さない。
死霊もまた、話せないようだった。
けれど、変わり果てた存在に抱きしめられた人魚は、相手が恋人だとわかったようだった。
人魚は喜びにあふれた綺麗な笑顔を咲かせ、自分の尾ひれをくるりと巻く形にして両腕を伸ばし、実体のない恋人をほわほわと抱きしめた。
きらきらと日差しを浴びて輝く波間で、やわらかな抱擁に溶けるようにして、恋人の死霊は少しずつその魂の存在感を薄くしていった。
そして、消えたのだった。
* * *
「生き返ったとかじゃないのね」
「死んだ人間は、生き返らないのです」
サイラスは事の顛末を語り終え、フィロシュネーのご機嫌を取るように白い貝殻やシーグラスをテーブルの上に並べた。
「お土産です」
「……ありがとう……?」
移り気な空の青の瞳が、綺麗な土産に注がれる。
綺麗な輝きをみせる少女の瞳には、綺麗なものが映るといい――サイラスは保護者感覚でそんな感慨を抱いた。
「十人目の人魚は男の死を受け入れました。浮いて自分から離れていった真相に気付かずにいるより、よかったのでは」
「そういうものかしら」
フィロシュネーはシーグラスをつまみ、光にかざして色を鑑賞している。
そのあどけない仕草が可愛らしくて、サイラスは自然と頬を緩めた。癒されつつ、目の前の姫君と自分との生きた年数の違いを思い出す――しかし、自分は不労症になったのだ。
この年数の差はこれから縮まるのだ。
そう思うと、未来が輝いて見えた。
石に願いを唱えたときに感じた不穏な超越感は、今はどこかへと消えていた。こうしていると、自分がただの男である、というような、地に足がついている心地だ。変わらぬ日常を感じる。
(俺はこんな時間に日常を感じるのだな)
冷静な脳が思ったとき、遠くからオカリナの旋律が聞こえてきた。
優しく、穏やかで、どことなく寂しい。そんな音色だ。
あれは空国の王兄ハルシオンが吹いているのだ――姿を見ずともわかるのが、不思議だった。ハルシオンがオカリナを吹く姿を何度か見たので、印象付けられているのかもしれない。
視線を一瞬だけ音色につられたように彷徨わせてから、フィロシュネーは肩をすくめた。
「わたくしが全知全能の神様だったら、生き返って海の中で生きられるようにしてあげるのに」
フィロシュネーが本気の声色で言うのが、可愛らしい。
しかし、今の一瞬の動きから察するに、その言葉の裏には「ハルシオン様のように」という心情がある。
この姫は、ハルシオンを全知全能の存在として頼りに思っているのだ。
「姫が望まれるなら、俺が代わりに……」
言いかけて、サイラスは自分がいつの間にかあの移ろいの石を取り出していることに気付いてぎくりとした。
「なあに」
「あ……いえ」
今、自分は言いかけたのだ。
【俺が代わりに願いましょう。俺だって、なんでも姫の望みを叶えられますよ】――と。
「ハルシオン様は、鎮魂曲を奏でているのね」
フィロシュネーはすこし音に耳を澄ますようにして、やがて鎮魂歌を歌い始めた。
その澄んだ歌声はオカリナに寄り添うようで、サイラスは「自分にも楽器の心得があれば」とこっそりと嫉妬したのだった。
その願いが叶うのだという確信を胸に。
【俺のお姫様は、恋人同士の再会を望まれる。ゆえに、俺はこの死霊を人魚に会わせたい】
恋愛物語を愛するフィロシュネー姫の好みは、把握している。
「この哀れな死霊が、洞窟の外で待つ恋人と再会できるように」
「光が……」
同行していた探検隊の兵たちが騒ぎ出す。
石を光らせたサイラスの胸には彼らを取りに足らない下位存在として軽侮する感情が起きて、そんな自分にぞくりと肌が粟だった。
「あっ、し、死霊が出たぞ」
シトリンの光に導かれるようにして、死霊はもやもやとした灰色の姿で入り口まで漂っていく。
探検隊は、そのあとを追いかけた。
洞窟の外の海で、ちゃぷりちゃぷりと海水をすくっては落とし、すくっては落とししていた十人目の人魚。彼女の目が、死霊と出会う。
死霊はふわふわと漂っていき、その曖昧な煙のような体で愛しい人魚を包み込むようにした。
人魚は、人間の言葉を話さない。
死霊もまた、話せないようだった。
けれど、変わり果てた存在に抱きしめられた人魚は、相手が恋人だとわかったようだった。
人魚は喜びにあふれた綺麗な笑顔を咲かせ、自分の尾ひれをくるりと巻く形にして両腕を伸ばし、実体のない恋人をほわほわと抱きしめた。
きらきらと日差しを浴びて輝く波間で、やわらかな抱擁に溶けるようにして、恋人の死霊は少しずつその魂の存在感を薄くしていった。
そして、消えたのだった。
* * *
「生き返ったとかじゃないのね」
「死んだ人間は、生き返らないのです」
サイラスは事の顛末を語り終え、フィロシュネーのご機嫌を取るように白い貝殻やシーグラスをテーブルの上に並べた。
「お土産です」
「……ありがとう……?」
移り気な空の青の瞳が、綺麗な土産に注がれる。
綺麗な輝きをみせる少女の瞳には、綺麗なものが映るといい――サイラスは保護者感覚でそんな感慨を抱いた。
「十人目の人魚は男の死を受け入れました。浮いて自分から離れていった真相に気付かずにいるより、よかったのでは」
「そういうものかしら」
フィロシュネーはシーグラスをつまみ、光にかざして色を鑑賞している。
そのあどけない仕草が可愛らしくて、サイラスは自然と頬を緩めた。癒されつつ、目の前の姫君と自分との生きた年数の違いを思い出す――しかし、自分は不労症になったのだ。
この年数の差はこれから縮まるのだ。
そう思うと、未来が輝いて見えた。
石に願いを唱えたときに感じた不穏な超越感は、今はどこかへと消えていた。こうしていると、自分がただの男である、というような、地に足がついている心地だ。変わらぬ日常を感じる。
(俺はこんな時間に日常を感じるのだな)
冷静な脳が思ったとき、遠くからオカリナの旋律が聞こえてきた。
優しく、穏やかで、どことなく寂しい。そんな音色だ。
あれは空国の王兄ハルシオンが吹いているのだ――姿を見ずともわかるのが、不思議だった。ハルシオンがオカリナを吹く姿を何度か見たので、印象付けられているのかもしれない。
視線を一瞬だけ音色につられたように彷徨わせてから、フィロシュネーは肩をすくめた。
「わたくしが全知全能の神様だったら、生き返って海の中で生きられるようにしてあげるのに」
フィロシュネーが本気の声色で言うのが、可愛らしい。
しかし、今の一瞬の動きから察するに、その言葉の裏には「ハルシオン様のように」という心情がある。
この姫は、ハルシオンを全知全能の存在として頼りに思っているのだ。
「姫が望まれるなら、俺が代わりに……」
言いかけて、サイラスは自分がいつの間にかあの移ろいの石を取り出していることに気付いてぎくりとした。
「なあに」
「あ……いえ」
今、自分は言いかけたのだ。
【俺が代わりに願いましょう。俺だって、なんでも姫の望みを叶えられますよ】――と。
「ハルシオン様は、鎮魂曲を奏でているのね」
フィロシュネーはすこし音に耳を澄ますようにして、やがて鎮魂歌を歌い始めた。
その澄んだ歌声はオカリナに寄り添うようで、サイラスは「自分にも楽器の心得があれば」とこっそりと嫉妬したのだった。
0
お気に入りに追加
279
あなたにおすすめの小説
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします
天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。
側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。
それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる