上 下
181 / 384
3、変革のシトリン

178、小部屋の死霊とひとつの石版

しおりを挟む
 十人目の人魚をつれた船が、その島に近付いていく。

 青国や空国ができる前から無人島であっただろうといわれている、ちいさな島だ。
 
 空の青さをたっぷり吸いこんだような深い青色の海は、淡い青緑色へと色彩を変えてから、白い地面を海の底に見せて、どんどん浅くなっていった。

 砂浜のきわにはきれいな貝殻やシーグラスが転がっている。
 島を中央に向かって上陸していけば、カラフルで大きな花弁の花や、葉全体がまるで自然のアート作品のような形状をした植物が訪れる人間を歓迎するように微風に揺れていた。
 
 希望する貴族たちが島に上陸して地に足がつく感覚や自然環境を楽しむ中、死霊に導かれた探検隊が洞窟に進んでいる。
 
 自然洞窟は、陸地というよりは半ば海の中にある。

 ぐるりと回り込んだ岩と崖で形成される海と島のさかい
 そこに、波の侵食によってなめらかに削られた岩のアーチで覆われた洞窟の入り口があるのだ。

 洞窟の天井からは鍾乳石が垂れ下がっており、水滴がぽつりぽつりと音を立てて落ちていた……。


 * * *

 
 客船に帰還したサイラスが洞窟探検の様子を物語ると、フィロシュネーは目をきらきらさせた。
 
「わくわくするわ。明日はお兄様と一緒に、わたくしも洞窟に行きます」
「そうおっしゃると思いました。床に赤絨毯でも敷いておきましょうか」
「それは冗談でおっしゃっているのよね? サイラス?」

 肩をすくめて、サイラスは話をつづけた。


 * * *
 

 先導役の死霊と意思疎通できるサイラスは先頭を務めていた。
 
洞窟の中は涼しい空気に満たされており、奥に進むほど暗くなっていく。
 
 小部屋のひとつに入ると、墓がある。
 墓のそばには、文字が書かれた古めかしい石版が置かれてあった。

「いますね」
「わかりませんが……」

 ともに調査する多国籍な兵たちが不思議そうにするが、小部屋には死霊がいた。死霊の正体は、その墓に葬られた男だ。

 彼は、自分が死んだことを受け入れることができず、部屋中をぐるぐると巡って外に出ようとしていた。
 ずっとここに閉じ込められていて、出られないのだと嘆いていた――そんな哀れな死霊だった。

 
 * * *


「死霊にも移動の自由が利く者と、墓や死んだ土地に縛られる者がいるようなのです。彼は後者だったのですね」

「お待ちになって、サイラス。ええと……違和感があります……」
 
 語りをさまたげて、フィロシュネーが人差し指をその可愛らしい唇にあて、疑問をもてあますような表情をした。
 可愛い、と思いながら、サイラスは語りを止めてつづく言葉を待ってあげた。

「海に沈んで、呼吸ができなくて流された男性は、海で亡くなったのではないのかしら? そのあと、なぜ無人島の洞窟の中で墓をつくられて埋葬されているの?」

 サイラスは「疑問はごもっともです」と目を細めた。

「その死霊は、深緑の髪をした男が自分を葬った、と教えてくれました」

 ――それは誰、ときかれても、サイラスにもわからない。

 ただ、死霊の話した内容を信じるならば、死んだあと海を流れていた遺体を誰かが拾い、わざわざ洞窟の奥に運んで、墓をつくったのだ。

 洞窟内の様子や墓の古さから、それは思っていたよりずっと昔の出来事だったと推測されている。

「下手をすると、青国や空国がまだひとつの国だった時代だった可能性まで」
「そんなに昔から、あの人魚は生きているの? そして、この無人島にひとが……?」

「そばに石版がありました」

 山で待ってる。そんな文字が刻まれた石版をフィロシュネーに見せると、目を丸くして見入っている。可愛い。

「こほん――話をつづけます。よろしいですか」

 
 * * *

 
 さて、死霊の話をきいたサイラスは、「この死霊を自分が外に出せる」と思った。

 それは理屈で説明しにくい本能のようなもので、最近はよくあることだった。
 なぜそう思ったのかはわからないが、自分ならば可能だと思ったのである。

「残念ですが、あなたは埋葬されている認識がおありですので、おそらく本当はご自分がどういう存在になっているのか、お気づきでしょう」

 死霊は動きを止めて、墓の前で縮こまった。

「ところで、外にあなたの恋人である人魚がいるのです。彼女との記憶はありますか? 会いたくありませんか」 

 サイラスが問えば、死霊は驚いた様子であった。死霊は恋人を覚えていた。「会いたい」とこたえた。それは魂のすべてを震わせるような、切望のいらえだった。
 
「そうおっしゃっていただけてよかったです。やはり本人の意思は大事ですからね」

 サイラスは懐から魔宝石を取り出した。
 
 大地からの贈り物と呼ぶべき、不思議な石。流通しているものとは異質で、見るからに特別な『移ろいの石』だ。

 現在は、宝石のシトリンに似た上品な黄色の煌めきをみせている。


 * * *


「わたくしがプレゼントした魔宝石ですわね。お役立ていただけて嬉しいですわ」

 フィロシュネーがにこにこと言うので、サイラスはそのあとの言葉をどのように選んで話すか、すこしだけ迷った。

 あの魔宝石は、役に立っている。
 しかし、どことなく危険な感じもするのだ。
 
 婚約者フィロシュネーが贈ってくれたその石を手のひらに置いて光を見つめていると、いつもサイラスのこころには得体の知れない万能感のような感覚が湧く。

 それが、危険なように思われるのだ。
 
 石を入手する前、神師伯になる前後ぐらいから、似た感覚がサイラスの中にはある。
 「自分は特別な存在なのだ」「他者よりも上位に位置する存在なのだ」という感覚だ。
 そこにこの石が追加で傲慢ごうまんな自意識を煽るものだから、油断すると自分が際限なく思い上がっていく気がして、サイラスは慎重になっていた。

「サイラス、どうしたの?」
「いえ。……それで俺は、魔宝石に……」

「魔宝石の魔力を使って、死の神コルテの奇跡……魔法を行使なさったのですの? わたくし、紅国の特殊な魔法文化には興味がありますの。神様に祈って魔法を使うって、どんな感覚なのかしら」

 好奇心いっぱいのフィロシュネーをみて、サイラスは言った。
 
「そうですね。死の神コルテに祈り、奇跡を行使したのです」
 いいえ、真実はそうではありません――俺は魔宝石に願ったのです。なぜだか、魔宝石に願えば、願いが叶う気がしたのです。

 ……真実の言葉は、そっと胸にしまい込んで。
しおりを挟む
感想 60

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

処理中です...