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3、変革のシトリン

175、バルトゥスの子、挑発、 十人目の人魚の恋人

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「楽団がデッキで演奏を始めたようです」
 
 朝食を終えた頃、サロンの外から知らせがもたらされた。
「人魚たちは演奏を気に入った様子で、空王くうおう陛下の友好の挨拶に人間の言葉を返したのだとか」

 危険がないならば、と貴婦人たちが好奇心をあらわにしてデッキに向かうので、フィロシュネーは付いて行った。

 ゆったりとした曲が演奏されていて、デッキに人が集まっている。
 
 画家のバルトュスが小さな男の子を抱っこしていて、「パパ、人魚さんいなくなったぁ!」という声が聞こえる。

(バルトュスには子供がいらしたのね)
 バルトゥスが我が子に注ぐ眼差しには、父親の愛情があふれていた。
 
 集まっていた人の中に、逃げるように距離を取る者たちがいる。先日の騒動で妻と離婚する羽目になった貴族男性たちや、船上での離婚手続きに必要な書類作成に駆り出されて大忙しだった文官たちだ。

「まあ! あたくしの新しいパートナーが小船に乗ってるわ。なにをなさっているのかしら」

 サロンメンバーの貴婦人のひとりが海を見る。気まずそうに逃げていく元夫の存在は目に入らない様子だ。
 海には、客船の男性を乗せた小船があった。小船はどこかへ向かって離れていく……。

「姫、いらしたのですね」

 フィロシュネーの姿を見つけて、サイラスが寄ってくる。 

「船内でよからぬことが起きているようです。護衛を増やして、身の安全を第一になさってください」
「それは昨夜聞きました」
「毎朝繰り返しましょう。申し上げても効果が薄いようなので」

 サイラスは『お見通し』という顔で、この時間までの顛末てんまつを教えてくれた。

「どこかのお姫様が人魚に音楽を聞かせたのだそうで、楽団が演奏を始めたのですよ」
「それはわたくしですわね。身の安全を第一に、自分の部屋のバルコニーで演奏したのですわ」

 危ないことはしていないのだ。フィロシュネーは肩をそびやかした。

「……まあ、いいでしょう」
 サイラスは諦めたように言って、話を続けた。

「まず、人魚は十人いたのです」

 十人はいずれも上半身が美しい女性で、下半身は魚だったと説明してから、サイラスは「もちろん、美しいと言っても姫の美しさにはかないませんのでご安心ください」と付け足した。

「わたくし、自分以外が美しいと褒められて機嫌を損ねるような狭量なお子様に見えますの?」

 『機嫌を取られた』――そう感じて言えば、サイラスは「姫は大人なのでしたね」と、また子供扱いな口調で言う。

(これは、突っかかるほど子供扱いされるわね。よろしい! わたくしは大人ですから、優雅に微笑んでスルーして差し上げてよ……!)

 フィロシュネーは扇を広げ、「そうよ、うふふ。さあつづきをおっしゃい」と猫撫で声で促してあげた。サイラスは残念な生き物を見るような眼をしてから、視線を海に逸らして話をつづけた。
 
「人魚は最初、我々が血や油絵具や残飯で海を汚して挑発した、と怒っていたのです。ですが、空王青王両陛下が歌を歌われまして、人魚はうたを返しました」

 海にあれこれ落としたのは恐らく《輝きのネクロシス》の仕業だ。フィロシュネーは「迷惑な方々」と思いつつ、首をかしげた。

「歌? 歌ったの?」 

 歌というのは、あの歌かしら。らーららー♪ と歌う感じのあれかしら。

「その歌です。お二人は仲良く肩を組み、有名な航海の歌『おれたち海賊、人魚に惚れた』をうたわれたのです」

『おれたち海賊、人魚に惚れた』は、その名の通り海賊が人魚に惚れた歌だ。歌詞は熱烈に人魚を讃え、求愛する内容となっている……。

「それ、『わたくしたちが海賊で、お兄様たちが人魚に懸想している』と誤解されないかしら?」
「陛下たちは『落ちたものは事故で落ちた、害意はなかった』と釈明する歌詞をアドリブで付け加えられまして、その歌が気に入った様子で、人魚は人間の言葉で歌い返したのです」
「どんな歌……?」
「人魚のうち九人は求愛を歓迎する、いとなみの場を用意するので……こほん」

 言いかけてから、サイラスは言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。

「……仲良くする場を設けるので、人魚を愛する男性を連れてこいと……人魚は長命な種族で、女性しかいないらしく、生殖するときは陸地の男に協力いただくのがつねだそうです」

 なるほど、何を言いにくそうにしているのかと思えば生殖の営みの話――
 フィロシュネーは納得しつつ、「残りのおひとりは男性お断りなの?」と問いかけた。

「おひとりはずっと昔に愛を誓い合った想い人がすでにいるのだそうですよ」

 それはとてもロマンチックではないか――目を輝かせるフィロシュネーに、サイラスはちらりと視線を戻して問いかけた。

「空国の港に伝わる昔話を覚えていらっしゃいますか?」
「ええ。恋人の人魚と一緒に海の底に沈んでいって、途中で浮いて流れていってしまった男性のお話ですわね」

 フィロシュネーは昔話を思い出した。

「それです。その男性が十人目の人魚の恋人だったようですよ」

 あのお話は実際にあったお話だったのだ、とフィロシュネーが驚いていると、サイラスは足元を視線で示した。ふわふわと漂う死霊がそこにいる。

「あっ」

 フィロシュネーは目を丸くした。死霊がこんなところに――それも、青国の預言者の部屋付近で見かけたあの死霊では?

「この死霊くんが教えてくれた話によれば、近くの島にその恋人の死霊がいるらしいのです」
 
「ねえ、あのう……あたくしの新しいパートナーは浮気をしにいきますの? ねえ……」

 サロンメンバーの貴婦人がショックを受けた様子で周囲に尋ねている。真実を知った全員が視線を逸らして言葉を濁す船上は、気まずかった。

「シュネー、どうした? 人魚を見にきたのか、ふむふむ」

 そんな現場にやってきた空王アルブレヒトと青王アーサーは「彼らは自分から人魚との関係を望んだのだ」と言って、貴婦人のこころにとどめを刺したのだった。
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