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3、変革のシトリン

174、星をのぞむテントウムシ、海のあなたへ

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 フィロシュネーの部屋のバルコニーからは、海面に肩から上を出して槍を見せる人魚が見えた。
 
「姫様。身の安全を第一になさってくださいと言われたのではなかったでしたか……」
 侍女のジーナが震え声で袖を引く。
「槍を投げそうだと思ったら部屋に逃げ込めばいいんじゃないかしら」
 フィロシュネーは人魚に手を振った。高さ的には、建物の二階ほどの高さから見下ろす格好となっている。

「手を振りかえしてくれないけど、わたくしをずっと見ているわ」
 人魚は槍を手にじーっと見上げているだけだ。
「ねえジーナ、わたくしのミニハープを持ってきてくださる?」

 ジーナに頼んでミニハープを持ってきてもらったフィロシュネーは、試しに曲を奏でてみた。

「海のあなたへ、フィロシュネーが陸の心を届けます。どんなに高く飛んでも決して届かない綺麗なお星様に恋い焦がれる虫さんの曲なの」
 
 選んだのは、『星をのぞむテントウムシ』という可愛らしくも少し切ない曲だ。

 ほろほろと綺麗にハープを歌わせれば、人魚は表情を柔らかくして音色に聞き入る。首が左右にゆらゆら揺れて、リズムを取るような仕草も見える。

 一曲を終わらせると、人魚は尾ひれをパシャパシャさせている。表情は、笑顔を浮かべている?
「好評なのではなくて?」
 フィロシュネーが言えば、ジーナは興奮気味で拍手した。
「素晴らしいです、姫様!」
「この情報をお兄様にお知らせしてくださる? わたくし、もう少しあの人魚さんに演奏を披露いたしますから」
 ジーナは指示に従い、部屋の外を守る兵士に『青王に情報を伝えるように』と手配を依頼して戻ってきた。

「姫様、朝食はいかがなさいますか?」
「そうね……人魚さんは食事はお済みですの?」
 言葉は通じるかしら? どきどきしながら海へ言葉を送ってみれば、人魚は無言で槍を左右に振り、海中に姿を消した。

「帰ってしまいました?」
「……そうかも?」
 ジーナと海の様子を見守ること数分、もう人魚が顔を見せないらしいと判断したフィロシュネーは婦人専用サロンで朝食をいただくことにした。

 * * *

 婦人専用サロンでは、物騒な現実から目を逸らすようにして貴婦人たちが楽しい話題を提供しあっていた。
 
 カサンドラ・アルメイダ侯爵夫人が惚気話をしている。
「空国の画家バルトュスに姿絵を描いていただいたのです! ご覧になって、夫の表情を……不器用でシャイなあの方の内面がありありと描かれていて可愛いったら」
 
 カサンドラ・アルメイダ侯爵夫人はツヤツヤとした顔で絵を自慢している。
 
「あの方、姿を描かれるのがお好きではないの。絵に付き合ってくださったのは、私が誕生日だったからなのですよ。でもおめでとうの一言も仰らないの。くすくす……あら。フィロシュネー姫殿下」

 フィロシュネーに気づいたカサンドラが眉を寄せる。
 
「姫殿下が殿方に厳しいのは存じていましたが、画家のバルトュスの油彩絵具を海に捨てるなんて驚きましたわ」
「え?」
 寝耳に水だ。フィロシュネーは一瞬、何を言われているのかわからなかった。

「姫殿下がバルトュスの油彩絵具を海に捨てているところを目撃なさった方がいますのよ。ねえ、ウィスカ様」
 
「え、……はい。アルメイダ侯爵夫妻の絵を描き終えて『自室に戻る』と言った画家バルトュスを見て、私の旦那様が『我々も描いてくれないかきいてみようか』と仰せになりまして、彼の部屋に使いをったのです……」
 
 ――不倫騒動のときも嫉妬する素振りを見せなかったソラベル・モンテローザ公爵がそんなことを?
 貴婦人たちが興味津々に耳を傾ける。ウィスカは躊躇いながら詳細を話した。
 
「報酬をはずむと仰って、旦那様は画家バルトュスを部屋に招いたのです。待っていたら、部屋の外で悲鳴があがって……」
 
 扉をあけると、倒れ込むバルトュスと、駆け去るフィロシュネーの後ろ姿が見えたのだという。

(ええっ? いえいえ、おかしいでしょ!)
 
「警備は何をしていましたの」
「それが、直前に付近で他の招待客が騒いだので、そちらに注意を引かれていたようなのです」
「ええ……?」
「バルトュスは後ろから殴られたと言っていて、殴った犯人は見ていないというのです」
 
 ウィスカの目が悪人を見るような感情をちらりと覗かせていたので、フィロシュネーは胸を突かれた。
 
「お待ちになって」
 フィロシュネーは慌てて否定した。
「画家が油絵具を海に捨てられたお話はわたくしも聞きましたけれど、そのお話が出たときは『誰が捨てたかはわからない』と言われていませんでした?」
「夫が、『もし犯人が姫殿下であれば私がお諫めする。この件は内密にするように』と……あの、ですから……ついお話してしまったのですけれど、このお話はサロンメンバーだけの内緒にしてください」

 ウィスカがそう言った瞬間、壁際で見守っていたネネイがサロンを暗闇に閉ざす。
「きゃー!!」
 悲鳴が一斉にあがって、ネネイは少し慣れた様子で宣言した。
「あの……人の口に、戸は、立てられない……、という言葉が……あります。責任問題になりますので、危険な話題は……ご遠慮願いますと……嬉しいです」
「もう遅いと思いますの!」
 貴婦人たちから不服の声があがり、明かりが戻される。

「口を滑らせてしまい、すみませんでした」
 ウィスカは罪悪感を瞳にのぼらせた。話してはいけないことを話してしまった、とその表情に書いてある。
 
「おかしなお話ですわ。わたくしはずっと周囲を人に囲まれていて、婚約者とも一緒でしたのに」
 フィロシュネーが言えば「それもそうね」とサロンのメンバーたちが首をかしげている。
「ウィスカ様、夢でもご覧になられたのでは」
「そ、そうでしょうか」
 もともと大人しい性格をしているウィスカは、それ以上「でも見たのです」と主張することはなく、サロンを出て行く。カサンドラはその背中を見送り、「あらあら」と笑い、優雅に扇をひろげた。口元を隠しているが、意地の悪い微笑みを浮かべているに違いない。
 
(ははあん。さてはあなたの仕業ね)
 フィロシュネーはピンときた。
 
 恐らくカサンドラが移ろいの術を使ってウィスカを騙したのだ。移ろいの術を使ったに違いない。フィロシュネーが犯人として糾弾されても、ウィスカが嘘を吐いたと白い目で見られても、カサンドラはノーダメージだ。
 フィロシュネーはむかむかとした。
(わたくしがアルメイダ侯爵にあなたの誕生日を教えてあげたおかげで、楽しい時間を過ごせたのでしょうに)

「ウィスカ様も慣れない環境でお疲れなのですわ。わたくしは気にしませんので、皆さまも忘れて差し上げてくださいませ」
 対抗するように扇をひろげて、フィロシュネーはサロン中に視線を巡らせた。

 貴婦人たちが頷くので、フィロシュネーはにっこりとした。
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