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3、変革のシトリン
171、貴婦人たちの不倫事変5~まるで物語に出てくる悪い王族のようですよ
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雲間から漏れる遮光が神秘的な朝。
曇り気味の海景色は、青というより灰色の印象が強い。
カジノでの出来事から数日後、名もなき小島に船を寄せた『ラクーン・プリンセス』から、小舟が何隻も降ろされる。
そのうちの一隻に乗るフィロシュネーは、ひとつに結わえた長い白銀の髪をおさえながら周囲に着水する他の小舟と、船上で手を振る人々を順に見た。
小舟にも船上にも、サロンで仲を深めた貴婦人たちがいる。
ある貴婦人は夫と寄り添い、別の貴婦人は新しい恋人と戯れている。
「アルメイダ侯爵夫妻も小舟を楽しまれるのですね」
あらかじめメッセージを書いてあった紙を鳥の形に折り、フィロシュネーは隣の小舟に放り投げた。手前側にいたシモン・アルメイダ侯爵が紙をキャッチする。
「お手紙ですの」
「さすがフィロシュネー姫殿下、カサンドラ様の目の前で道ならぬ手紙を送られるとは」
周囲からそんな声が聞こえて、小舟に同乗しているサイラスが「ほう」と低く呟くので、フィロシュネーは説明した。
「あら、違いますわ。奥様をお大事にって書いたお手紙ですのよ?」
カサンドラが『夫が誕生日忘れてディオラマ直していた』と愚痴をこぼしていたので、書いてみたのだ。
(お祝いしてもらうといいですわ)
言うのではなく、手紙でそっと教えてあげるのだ。優しいではないか? 目の前で誤解を招くような渡し方をするあたりは、性格が悪いかもしれないが。
「カジノ不倫が流行っているようですが、姫が流行に乗る必要はありませんよ」
サイラスは生真面目な声で説教をしている。
「その流行、わたくしがサロンの貴婦人たちと創り出したのだけど」
ゆらゆらと海面が揺れている。たまに大きな魚が跳ねたのか、肌にちょっとだけかかる水飛沫が気持ちいい。
「悪い遊びです」
きっぱりとしたサイラスの声は、嗜める温度感だった。
「男性に問題があるにしても、もっと別の方法があったのでは? 最近の姫は、お遊び気分で過激な方法を選択なさる傾向があるように思われます。元からかもしれませんが」
「は、はっきり仰るじゃない……」
「意識改革をするのはよいですが、他者をおどかしたり、嘲笑ったりするものではありません。離婚前の身で浮気する不道徳な姿を見せつけて、他者からの批判を許さないというのもよろしくありません」
サイラスは言葉を選ぶように視線を彷徨わせてから、小声になった。
「まるで物語に出てくる悪い王族のようですよ」
「!!」
言われてみれば、そうかもしれない。そして、この様子だと「わたくしは悪役ですの。ふふん!」なんて返事をしたら失望されるに違いない。
周り中が「さすが姫殿下」「いいですね」と言ってくれても、サイラスは違うのだ。フィロシュネーはたじろいだ。
「すでに過去にしてしまったことはやり直しできませんが、今後はもう少し考えますわ」
「それがよろしいかと……楽しいお気持ちに水を差しました。すみません」
「いえ」
フィロシュネーはふるふると首を横に振った。そういえば、ハルシオンも言っていたではないか。
『浮気するなら離婚した後でするべきだと私は考えるのですが』
――と。
「あ……あの。わたくしに、注意してくれてありがとう」
素直に言えば、サイラスは頭を撫でてくれた。そして、「浮気と不倫はいけません」と念押しをするのだった。
「お返事は? 姫?」
「わかりましたわ」
……サイラス、ちょっと偉そう。いいえ、偉くなったのでしたわね。
偉そうというか――保護者のよう。
「口に出ています」
「あっ……そ、それが悪いとは思っていませんわ」
フィロシュネーはあたふたと取り繕い、――聞こえてきた「人魚だ」という声に視線を向けた。
* * *
「あちらの島には、洞窟もあるようなのです。探検してみたいですね。ええ、もちろん遺跡の調査も進んでいます。そうそう、エルフの至宝、希少な黄金林檎入りゼリーの競売をする予定がありまして――人魚だ……?」
近くの小舟から、青王アーサーと冒険心たっぷりに島を見ていた空王アルブレヒトの声が聞こえる。見れば、眩い光が踊る水面に尾ひれがぱしゃりと隠れるところだった。
「人魚?」
人魚というのは、海に住む亜人だ。
上半身が人間で、下半身が魚の姿をしていて、海中で呼吸ができるらしい。
ハルシオンの部屋にも人形の本があった。地上に生きる人々にとって、それはとても珍しくて御伽噺に出てくるような生き物だ。
人間の言葉をしゃべる、という本もあれば、しゃべらない、という本もある。
人間を海に引き摺り込んだり船を沈めたりする、という言い伝えもあれば、海に落ちた王子様を助けてくれたり恋をした、というロマンスもある。
「見た! 女だった」
「下半身が……」
「こっちにいる」
「こっちもだ!」
豪華客船と小舟と、両方から目撃者の声があがる。
ざわざわとしていると、それに釣られてか、人魚は姿を見せた。
「あ、顔を出した……!!」
ぱしゃり、ざぶりと水を跳ねて、あちらこちらから人魚が顔を出す。
「ひとりじゃない。こっちにもいるぞ」
「囲まれている……?」
大丈夫なのだろうか、襲われたりしないだろうか。
人々が不安を覚える中、人魚は姿を消した。
「念のため、客船に引き上げましょうか」
海に降りた小舟は残らず引き上げることになり、その日の冒険はお預けになったのだった。
曇り気味の海景色は、青というより灰色の印象が強い。
カジノでの出来事から数日後、名もなき小島に船を寄せた『ラクーン・プリンセス』から、小舟が何隻も降ろされる。
そのうちの一隻に乗るフィロシュネーは、ひとつに結わえた長い白銀の髪をおさえながら周囲に着水する他の小舟と、船上で手を振る人々を順に見た。
小舟にも船上にも、サロンで仲を深めた貴婦人たちがいる。
ある貴婦人は夫と寄り添い、別の貴婦人は新しい恋人と戯れている。
「アルメイダ侯爵夫妻も小舟を楽しまれるのですね」
あらかじめメッセージを書いてあった紙を鳥の形に折り、フィロシュネーは隣の小舟に放り投げた。手前側にいたシモン・アルメイダ侯爵が紙をキャッチする。
「お手紙ですの」
「さすがフィロシュネー姫殿下、カサンドラ様の目の前で道ならぬ手紙を送られるとは」
周囲からそんな声が聞こえて、小舟に同乗しているサイラスが「ほう」と低く呟くので、フィロシュネーは説明した。
「あら、違いますわ。奥様をお大事にって書いたお手紙ですのよ?」
カサンドラが『夫が誕生日忘れてディオラマ直していた』と愚痴をこぼしていたので、書いてみたのだ。
(お祝いしてもらうといいですわ)
言うのではなく、手紙でそっと教えてあげるのだ。優しいではないか? 目の前で誤解を招くような渡し方をするあたりは、性格が悪いかもしれないが。
「カジノ不倫が流行っているようですが、姫が流行に乗る必要はありませんよ」
サイラスは生真面目な声で説教をしている。
「その流行、わたくしがサロンの貴婦人たちと創り出したのだけど」
ゆらゆらと海面が揺れている。たまに大きな魚が跳ねたのか、肌にちょっとだけかかる水飛沫が気持ちいい。
「悪い遊びです」
きっぱりとしたサイラスの声は、嗜める温度感だった。
「男性に問題があるにしても、もっと別の方法があったのでは? 最近の姫は、お遊び気分で過激な方法を選択なさる傾向があるように思われます。元からかもしれませんが」
「は、はっきり仰るじゃない……」
「意識改革をするのはよいですが、他者をおどかしたり、嘲笑ったりするものではありません。離婚前の身で浮気する不道徳な姿を見せつけて、他者からの批判を許さないというのもよろしくありません」
サイラスは言葉を選ぶように視線を彷徨わせてから、小声になった。
「まるで物語に出てくる悪い王族のようですよ」
「!!」
言われてみれば、そうかもしれない。そして、この様子だと「わたくしは悪役ですの。ふふん!」なんて返事をしたら失望されるに違いない。
周り中が「さすが姫殿下」「いいですね」と言ってくれても、サイラスは違うのだ。フィロシュネーはたじろいだ。
「すでに過去にしてしまったことはやり直しできませんが、今後はもう少し考えますわ」
「それがよろしいかと……楽しいお気持ちに水を差しました。すみません」
「いえ」
フィロシュネーはふるふると首を横に振った。そういえば、ハルシオンも言っていたではないか。
『浮気するなら離婚した後でするべきだと私は考えるのですが』
――と。
「あ……あの。わたくしに、注意してくれてありがとう」
素直に言えば、サイラスは頭を撫でてくれた。そして、「浮気と不倫はいけません」と念押しをするのだった。
「お返事は? 姫?」
「わかりましたわ」
……サイラス、ちょっと偉そう。いいえ、偉くなったのでしたわね。
偉そうというか――保護者のよう。
「口に出ています」
「あっ……そ、それが悪いとは思っていませんわ」
フィロシュネーはあたふたと取り繕い、――聞こえてきた「人魚だ」という声に視線を向けた。
* * *
「あちらの島には、洞窟もあるようなのです。探検してみたいですね。ええ、もちろん遺跡の調査も進んでいます。そうそう、エルフの至宝、希少な黄金林檎入りゼリーの競売をする予定がありまして――人魚だ……?」
近くの小舟から、青王アーサーと冒険心たっぷりに島を見ていた空王アルブレヒトの声が聞こえる。見れば、眩い光が踊る水面に尾ひれがぱしゃりと隠れるところだった。
「人魚?」
人魚というのは、海に住む亜人だ。
上半身が人間で、下半身が魚の姿をしていて、海中で呼吸ができるらしい。
ハルシオンの部屋にも人形の本があった。地上に生きる人々にとって、それはとても珍しくて御伽噺に出てくるような生き物だ。
人間の言葉をしゃべる、という本もあれば、しゃべらない、という本もある。
人間を海に引き摺り込んだり船を沈めたりする、という言い伝えもあれば、海に落ちた王子様を助けてくれたり恋をした、というロマンスもある。
「見た! 女だった」
「下半身が……」
「こっちにいる」
「こっちもだ!」
豪華客船と小舟と、両方から目撃者の声があがる。
ざわざわとしていると、それに釣られてか、人魚は姿を見せた。
「あ、顔を出した……!!」
ぱしゃり、ざぶりと水を跳ねて、あちらこちらから人魚が顔を出す。
「ひとりじゃない。こっちにもいるぞ」
「囲まれている……?」
大丈夫なのだろうか、襲われたりしないだろうか。
人々が不安を覚える中、人魚は姿を消した。
「念のため、客船に引き上げましょうか」
海に降りた小舟は残らず引き上げることになり、その日の冒険はお預けになったのだった。
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