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2、協奏のキャストライト
144、兄さんだったら、もっと殿下のお役に立てるんだろうなあ
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世界の彩が変化する時刻。夕暮れ時。
「す、すみませんねぇ……っくしゅ」
弱々しい声で謝って、主君ハルシオンがベッドにのそのそと潜り込む。その頭の下へと、ルーンフォークは氷の呪術で冷やした枕を差し入れた。
「いえ、俺がいけないので」
「いえいえ」
ハルシオンは、どうも風邪を引いてしまったらしい。そう気付いたときのミランダはかなり怖かった。
「お、お薬をどうぞ、殿下」
「うん」
水の入ったグラスと薬を差し出すと、ハルシオンは従順に頷いた。
何をしでかすかわからない殿下だが、今のようにしていると無害に見える。
幸い、熱は低い。
薬を飲んで寝れば治るだろう、というのが医者の見立てだ。
「ゆっくり休んでください」
薬を飲み干して目を閉じる主君へ声をかけると、ハルシオンはふにゃりと微笑んだ。
「アルは心配性だな。兄様は、大丈夫だよ」
弟陛下と間違われている。これ、大丈夫なのだろうか?
ルーンフォークは心配しつつ、寝室の壁際にさがって夜寝番に就いた。
ハルシオンは、もともと繊細で不安定な青年だ。どうも前世の記憶があるらしい。それも、人類が滅びた後に途方もない時間をひとりで過ごした狂人の記憶だというのだ。想像しただけで恐ろしい話だ。
(あの聖女様がお心の支えになっていたのだろうのに)
――前々から「失恋濃厚会」などと仰って心の準備をする様子だったが、このたび正式に失恋したわけだ。
(堪えますよねえ……)
ルーンフォークはしみじみとした。
ミランダあたりとくっついてしまえばいいのに、なんて思いも湧いたりする。
けれどミランダは主従の一線をわきまえている様子で、こんな時に距離を取ってルーンフォークに慰め役を任せたりするのだ……。慰めろと言われても、気の利いた言葉は出てこないが。
(好きだと思うのになあ。男女関係って難しいよなぁ)
もしここにいるのが兄フェリシエンだったら、ハルシオンのために恋の妙薬を献上しただろうか。そんな考えが湧いてくる。
(兄さんだったら、もっと殿下のお役に立てるんだろうなあ。悲しい思いをさせたりしないのだろうな)
思い出すのは、初めてミランダがブラックタロン家を頼ってきたときの必死な様子だった。
伯爵令嬢であり、王兄の騎士として有名だった彼女が、美しい身をやつして目立たぬようにして、訪ねてきたのだ。
* * *
ブラックタロン家は、空国が建国された時から脈々と続く歴史ある名家だ。
血族は呪術に優れた者が多く、不老症になる確率も高い。異常なほど。
そのためだろうか。一族の才児が拉致される、という事件が過去に何度もあったらしい。
『ルーンフォークは、フェリシエンの影となるように』
物心ついてから最初にルーンフォークが与えられたのは、そんな使命だった。才能あるフェリシエンを守るために、危険が予想される場所で身代りを務めよ、というのだ。
『ぼくが拉致されても、だれも心配しないし助けてもくれないんだろうな。いっそ、拉致されたほうがいいのかも。……ああ、でもぼく、呪術の才能がないからなぁ』
拉致された後の子供たちがどうなったのかは国家の記録では消息不明となっているが、ブラックタロン家は真実を把握している。子供たちの多くは、空国の王城へ。そして、隣国のモンテローザ家に攫われているのだ。
ブラックタロンの一族の集会は、空国の王室やモンテローザ家に対する恨み言でいっぱいだ。
だから、ルーンフォークは知っている。
『国が分かたれる前、ひとつの国であった頃、ブラックタロン家は国王補佐をするべき家系として選ばれた。だが、ある時、王位継承に不満を持つ王族とモンテローザ家の祖先が独立して青国をつくった。モンテローザ家は国王補佐としての特別な素質をもたない凡人の家系であったが、ブラックタロン家の才児を攫い、「この子供はモンテローザ家の者だ」と言い出した……』
それが始まりだと言われている。意味がわからない。少年時代のルーンフォークは首をかしげたものだ。
『とりあえず、才能がないと攫われた先のモンテローザ家でも歓迎されないのは間違いない』
母の形見である指輪を撫でながら、ルーンフォークはしょんぼりとした。
『我がブラックタロン家では、能力が全て。どれほど素行に問題があろうと、次の当主はフェリシエンだ。お前は兄フェリシエンを支えよ』
『はい、当主様』
フェリシエンは優秀であった。そして、ルーンフォークを嫌っていた。
『落ちこぼれの弟と同じ空気を吸いたくない。お前は外に出ろ』
『才能のない弟が視界に入ると吾輩の品位が落ちる心地がする。失せろ』
兄は事あるごとにルーンフォークを家から追い出そうとした。
『まあお兄様。ルーンフォークにも価値はあるのよ』
姉ヤスミールは、そう言って意地悪に笑った。
『出来の悪い子がいると、私たちの引き立て役になるじゃない!』
二人はあやしげな組織に所属して、よく二人にしかわからない悪だくみめいた話をしていた。しまいには、父と母を殺してしまった。
(どれほど素行に問題があろうと能力が全て? そんなことを言っているから……!)
少年だったルーンフォークは青臭い正義感を胸に、「この兄と姉を許していいのか」と反発心を抱いた。けれど、できることはなかった。だって、自分は無力だったから……。
『お願いです、お力を貸してください。診るだけでも』
憔悴した表情で、地味な格好をしたミランダ・アンドラーデがブラックタロン家にすがってきたのは、そんなとき。
「ちょうどいい。お前が行け」
いかなる気紛れか、フェリシエンはそう言ってルーンフォークをミランダに押し付けた。
「え、……に、兄さん。俺……」
無能だよ。このひとを助けたりなんて、できないよ。
「ふん。問題が解決するまで帰ってこなくてよろしい。解決しても別に帰ってこなくていいが」
追い出されたのだ。要するに。出て行って、帰ってくるなと言うのだ。
「お、お世話になります」
「こちらこそ」
呪われて猫になった人を元に戻すなんてできない。
思いつつ、ルーンフォークは猫の世話係みたいになった。そして、ろくに何もしないまま、勝手に猫は王兄殿下に戻ったのだった。
「これ、魔力を封じる指輪ですねえ? ブラックタロン家の魔導具は、よくできてますねえ……!」
母の形見の指輪を外して、ハルシオンは妖しく微笑んだ。
「私には、わかりまぁす……んっふふ。あなたには、才能がある……!」
その声は、ルーンフォークの心を鷲掴みにした。
「う、わ……、でき、る――」
実家から持ってきた呪術書を手に幾つかの呪術をつかってみれば、以前使えなかった術が簡単に使える。
「す、すごい。すごい……」
「ふふ、楽しそうですねえ。嬉しそうですねえ!」
「は、はい。はい……っ」
夢中で頷くルーンフォークの顎を猫を愛でるように撫でて、『カントループ』なハルシオンは命じた。
「気に入りました。私の騎士におなりなさい。カントループが呪術を教えてあげますから、ね」
その日、ルーンフォークの人生は変わった。
才能を見出してくれた『カントループ』へと、ルーンフォークは忠誠を誓った。そして、『ハルシオン』の騎士になった。
ここがミランダとルーンフォークにとって複雑なポイントで、彼らの主君は一人なのだが、カントループ、ハルシオンという二つの人格がころころと変わったり、混ざったりするとても不安定な存在だった。
(戸惑うことも多かったけど、この殿下はいい人だ。カントループでも、ハルシオンでも……俺はこの人のために人生を捧げて、尽くしたい)
――誰かに忠誠心を抱くというのは、このような感覚なのだ。
熱に浮かされるハルシオンを気遣いながら、ルーンフォークはそう思った。
「す、すみませんねぇ……っくしゅ」
弱々しい声で謝って、主君ハルシオンがベッドにのそのそと潜り込む。その頭の下へと、ルーンフォークは氷の呪術で冷やした枕を差し入れた。
「いえ、俺がいけないので」
「いえいえ」
ハルシオンは、どうも風邪を引いてしまったらしい。そう気付いたときのミランダはかなり怖かった。
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「ゆっくり休んでください」
薬を飲み干して目を閉じる主君へ声をかけると、ハルシオンはふにゃりと微笑んだ。
「アルは心配性だな。兄様は、大丈夫だよ」
弟陛下と間違われている。これ、大丈夫なのだろうか?
ルーンフォークは心配しつつ、寝室の壁際にさがって夜寝番に就いた。
ハルシオンは、もともと繊細で不安定な青年だ。どうも前世の記憶があるらしい。それも、人類が滅びた後に途方もない時間をひとりで過ごした狂人の記憶だというのだ。想像しただけで恐ろしい話だ。
(あの聖女様がお心の支えになっていたのだろうのに)
――前々から「失恋濃厚会」などと仰って心の準備をする様子だったが、このたび正式に失恋したわけだ。
(堪えますよねえ……)
ルーンフォークはしみじみとした。
ミランダあたりとくっついてしまえばいいのに、なんて思いも湧いたりする。
けれどミランダは主従の一線をわきまえている様子で、こんな時に距離を取ってルーンフォークに慰め役を任せたりするのだ……。慰めろと言われても、気の利いた言葉は出てこないが。
(好きだと思うのになあ。男女関係って難しいよなぁ)
もしここにいるのが兄フェリシエンだったら、ハルシオンのために恋の妙薬を献上しただろうか。そんな考えが湧いてくる。
(兄さんだったら、もっと殿下のお役に立てるんだろうなあ。悲しい思いをさせたりしないのだろうな)
思い出すのは、初めてミランダがブラックタロン家を頼ってきたときの必死な様子だった。
伯爵令嬢であり、王兄の騎士として有名だった彼女が、美しい身をやつして目立たぬようにして、訪ねてきたのだ。
* * *
ブラックタロン家は、空国が建国された時から脈々と続く歴史ある名家だ。
血族は呪術に優れた者が多く、不老症になる確率も高い。異常なほど。
そのためだろうか。一族の才児が拉致される、という事件が過去に何度もあったらしい。
『ルーンフォークは、フェリシエンの影となるように』
物心ついてから最初にルーンフォークが与えられたのは、そんな使命だった。才能あるフェリシエンを守るために、危険が予想される場所で身代りを務めよ、というのだ。
『ぼくが拉致されても、だれも心配しないし助けてもくれないんだろうな。いっそ、拉致されたほうがいいのかも。……ああ、でもぼく、呪術の才能がないからなぁ』
拉致された後の子供たちがどうなったのかは国家の記録では消息不明となっているが、ブラックタロン家は真実を把握している。子供たちの多くは、空国の王城へ。そして、隣国のモンテローザ家に攫われているのだ。
ブラックタロンの一族の集会は、空国の王室やモンテローザ家に対する恨み言でいっぱいだ。
だから、ルーンフォークは知っている。
『国が分かたれる前、ひとつの国であった頃、ブラックタロン家は国王補佐をするべき家系として選ばれた。だが、ある時、王位継承に不満を持つ王族とモンテローザ家の祖先が独立して青国をつくった。モンテローザ家は国王補佐としての特別な素質をもたない凡人の家系であったが、ブラックタロン家の才児を攫い、「この子供はモンテローザ家の者だ」と言い出した……』
それが始まりだと言われている。意味がわからない。少年時代のルーンフォークは首をかしげたものだ。
『とりあえず、才能がないと攫われた先のモンテローザ家でも歓迎されないのは間違いない』
母の形見である指輪を撫でながら、ルーンフォークはしょんぼりとした。
『我がブラックタロン家では、能力が全て。どれほど素行に問題があろうと、次の当主はフェリシエンだ。お前は兄フェリシエンを支えよ』
『はい、当主様』
フェリシエンは優秀であった。そして、ルーンフォークを嫌っていた。
『落ちこぼれの弟と同じ空気を吸いたくない。お前は外に出ろ』
『才能のない弟が視界に入ると吾輩の品位が落ちる心地がする。失せろ』
兄は事あるごとにルーンフォークを家から追い出そうとした。
『まあお兄様。ルーンフォークにも価値はあるのよ』
姉ヤスミールは、そう言って意地悪に笑った。
『出来の悪い子がいると、私たちの引き立て役になるじゃない!』
二人はあやしげな組織に所属して、よく二人にしかわからない悪だくみめいた話をしていた。しまいには、父と母を殺してしまった。
(どれほど素行に問題があろうと能力が全て? そんなことを言っているから……!)
少年だったルーンフォークは青臭い正義感を胸に、「この兄と姉を許していいのか」と反発心を抱いた。けれど、できることはなかった。だって、自分は無力だったから……。
『お願いです、お力を貸してください。診るだけでも』
憔悴した表情で、地味な格好をしたミランダ・アンドラーデがブラックタロン家にすがってきたのは、そんなとき。
「ちょうどいい。お前が行け」
いかなる気紛れか、フェリシエンはそう言ってルーンフォークをミランダに押し付けた。
「え、……に、兄さん。俺……」
無能だよ。このひとを助けたりなんて、できないよ。
「ふん。問題が解決するまで帰ってこなくてよろしい。解決しても別に帰ってこなくていいが」
追い出されたのだ。要するに。出て行って、帰ってくるなと言うのだ。
「お、お世話になります」
「こちらこそ」
呪われて猫になった人を元に戻すなんてできない。
思いつつ、ルーンフォークは猫の世話係みたいになった。そして、ろくに何もしないまま、勝手に猫は王兄殿下に戻ったのだった。
「これ、魔力を封じる指輪ですねえ? ブラックタロン家の魔導具は、よくできてますねえ……!」
母の形見の指輪を外して、ハルシオンは妖しく微笑んだ。
「私には、わかりまぁす……んっふふ。あなたには、才能がある……!」
その声は、ルーンフォークの心を鷲掴みにした。
「う、わ……、でき、る――」
実家から持ってきた呪術書を手に幾つかの呪術をつかってみれば、以前使えなかった術が簡単に使える。
「す、すごい。すごい……」
「ふふ、楽しそうですねえ。嬉しそうですねえ!」
「は、はい。はい……っ」
夢中で頷くルーンフォークの顎を猫を愛でるように撫でて、『カントループ』なハルシオンは命じた。
「気に入りました。私の騎士におなりなさい。カントループが呪術を教えてあげますから、ね」
その日、ルーンフォークの人生は変わった。
才能を見出してくれた『カントループ』へと、ルーンフォークは忠誠を誓った。そして、『ハルシオン』の騎士になった。
ここがミランダとルーンフォークにとって複雑なポイントで、彼らの主君は一人なのだが、カントループ、ハルシオンという二つの人格がころころと変わったり、混ざったりするとても不安定な存在だった。
(戸惑うことも多かったけど、この殿下はいい人だ。カントループでも、ハルシオンでも……俺はこの人のために人生を捧げて、尽くしたい)
――誰かに忠誠心を抱くというのは、このような感覚なのだ。
熱に浮かされるハルシオンを気遣いながら、ルーンフォークはそう思った。
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