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2、協奏のキャストライト
116、ご褒美ですよ、とおっしゃい
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それにしても……この姫ときたら、ご自分より馬を気にしろとおっしゃるではないか。
「いいこと? あなたが大切にしないなら、ゴールドシッターはわたくしがもらっちゃいますからね」
可憐な桃色の唇が動く様子に、目が奪われる。吐息を感じて、喜びが胸に湧く。
呼吸に合わせて上下する肩が、いじらしい。
ああ、生きておられる。お元気だ。
白雪のような頬に手をあてて軽く撫でると、朱がさすのが愛らしい。
可愛い。
可愛いのが、困る――、
「姫……」
上気した肌に、口付けをしたい。
――そんなあるまじき渇望をおぼえて、危機感を抱く。
いけない。
俺は、貴族なのだ。荒くれ者のような情動任せの不埒な真似は、いたさぬのだ。
特に、特に、この貴き新雪のような姫君は。
いやらしい男の欲望など、遠ざけて遠ざけて、綺麗に大切に守らねばならぬのだ。
この姫に下卑た欲をむき出しに見せたり、合意なく触れたりしてはいけないのだ。いや、合意があったとしても、未婚の節度は守るのだ。それが年上の男の持つべき理性ではないか。わきまえる、とは、そういうことではないか。
俺は野生の本能で行動する獣ではなく、貴族紳士として姫の世間体や名誉を守り、慈しむのだ。
言葉を待つ瞳があまりにもまっすぐで、眩しい。
愚かしい想いを見透かされそうで、顔を見られたくない。
「き、きいているの? ゴールドシッターを奪っちゃいますからね。わたくし、お馬さんに乗る練習をしちゃいますから――」
愛らしい――堰が切れてあふれて決壊しそうで止まらない情動が、自分の中で荒れ狂う。
きいている、と頷きながら、サイラスは自分の腕をフィロシュネー姫の背中にまわした。月の光を流したような麗しい白銀の髪に触れて、温もりを確かめるように抱き寄せた。
「ン……」
無防備で、無抵抗で、恥ずかしがりながらも喜ぶような気配が高揚を誘う。
この姫は、俺の宝物なのだ。
俺のご褒美なのだ。
俺がいただくのだ。
花の香りを甘やかにまとわせるこの姫君は、やわらかで、綺麗で、汚してはいけない、壊れやすい生命なのだ。
だから、優しく接したいのだ。
汚れた俺はすこしでも綺麗になって、汚さないようにしたいのだ。
いやしい自分を隠して、立派な自分に見せかけて、姫を引き立てて飾るアクセサリーになりたいのだ。自慢してほしいのだ。
理想のヒーローはこんなとき、どう振る舞うんだ?
なんて言うんだ?
考えて、悩んで、わからなくなって。
「――……よかった」
……そんなひとことしか、言えなかった。
本をたくさん読んだのに。
寵姫たちに囲まれて、歯の浮くようなセリフをたくさん練習したのに。
情けないことに、いざというときには素の自分が出てしまうのだ。ボロが出るのだ。
――ああ、俺は結局、ヒーローになんてなれない男なのだ。
きらきらした何かには、ほど遠い。生まれからして、そう定められていたのだ。
どんなに外見を飾っても、上流階級らしく振る舞おうとしても、美辞麗句をおぼえても、こんな風に追い詰められると本質はただのみじめで情けない男で、ぜんぜん『スパダリ』などにはなれていなくて――……格好悪いのだ。
「わたくし、心配をかけたけど、無事でしたわ。ねえ、無事でよかったでしょう?」
愛らしい声が気高くささやく。そんなの、当たり前だ。無事でよかった。
顔を見ることができないまま、抱きしめた手に力をこめて、サイラスは首を縦に動かした。
「あなたは石を見つけてくださったから、助けてくれたことにしてあげます」
何か言っている。
ん? 何を言ってるんだ?
「悪い魔法使いに呪われたお姫様を助けた王子様には、ご褒美を許してあげるの」
俺は今、何を言われているんだ。
「ほら、この前わたくしがしてあげたでしょう。してもらったら、お返しに同じことをするの」
……俺は、何を言われているんだ?
顔をあげてまじまじとフィロシュネー姫を見つめると、頬を初々しく染めながら期待に満ちた眼差しで、待たれている。
「……は」
贈った爪飾りが煌めく指先が、ご自分の頬を指す。稲妻に打たれたように意思を察して、サイラスは真顔になった。
つまり、頬にキスをしろと言うのだ。
いいのか?
いや、姫がご所望なのだ。
しかし、姫は恋に恋するようなお年頃で、ちょろいのだぞ。
ご所望だからと言って調子に乗って手を出すのは、悪い大人のすることではないか。
とはいえ、頬だぞ。
頬くらい、挨拶ではないか。
おおげさに受け止めて動揺するほうが下心があってよろしくないのでは?
俺ももう貴き者なのだ。堂々と振る舞うべきではないか?
大人の余裕だ。年上の落ち着きだ。それが理想だ――、
ええい……いけ!
「では、遠慮なく」
もっとましなセリフがあるだろう。
「仰せのままに……?」
これも違うな。そう思いながら、サイラスはフィロシュネー姫の頬に掠めるような清らかなキスを捧げた。
触れた瞬間に甘く痺れるような幸福感がふわりと湧いて、頬がゆるむ。
「ごちそうさまです」
十五歳の少女相手に、俺は何を言っているのだ。何を浮かれているのだ。
「ごちそうさまって……なんか、やだ」
ほら、ダメ出しされたじゃないか。気持ち悪がられてしまうではないか。
「ご褒美ですよ、とおっしゃい」
フィロシュネー姫の求めるヒーローは、不遜なのだ。
サイラスは女王の寵姫たちに仕込まれた優美な笑顔をつくり、余裕らしきものをひねりだした。
「……ご褒美ですよ、俺の姫様」
姫がこの日いちばんの輝く笑顔を咲かせて、愛馬がはしゃぐようにいななく。
ああ、よかった。
サイラスは心からの安堵をおぼえて、今度は作り物ではない自然な微笑をうっとりと浮かべたのだった。
「いいこと? あなたが大切にしないなら、ゴールドシッターはわたくしがもらっちゃいますからね」
可憐な桃色の唇が動く様子に、目が奪われる。吐息を感じて、喜びが胸に湧く。
呼吸に合わせて上下する肩が、いじらしい。
ああ、生きておられる。お元気だ。
白雪のような頬に手をあてて軽く撫でると、朱がさすのが愛らしい。
可愛い。
可愛いのが、困る――、
「姫……」
上気した肌に、口付けをしたい。
――そんなあるまじき渇望をおぼえて、危機感を抱く。
いけない。
俺は、貴族なのだ。荒くれ者のような情動任せの不埒な真似は、いたさぬのだ。
特に、特に、この貴き新雪のような姫君は。
いやらしい男の欲望など、遠ざけて遠ざけて、綺麗に大切に守らねばならぬのだ。
この姫に下卑た欲をむき出しに見せたり、合意なく触れたりしてはいけないのだ。いや、合意があったとしても、未婚の節度は守るのだ。それが年上の男の持つべき理性ではないか。わきまえる、とは、そういうことではないか。
俺は野生の本能で行動する獣ではなく、貴族紳士として姫の世間体や名誉を守り、慈しむのだ。
言葉を待つ瞳があまりにもまっすぐで、眩しい。
愚かしい想いを見透かされそうで、顔を見られたくない。
「き、きいているの? ゴールドシッターを奪っちゃいますからね。わたくし、お馬さんに乗る練習をしちゃいますから――」
愛らしい――堰が切れてあふれて決壊しそうで止まらない情動が、自分の中で荒れ狂う。
きいている、と頷きながら、サイラスは自分の腕をフィロシュネー姫の背中にまわした。月の光を流したような麗しい白銀の髪に触れて、温もりを確かめるように抱き寄せた。
「ン……」
無防備で、無抵抗で、恥ずかしがりながらも喜ぶような気配が高揚を誘う。
この姫は、俺の宝物なのだ。
俺のご褒美なのだ。
俺がいただくのだ。
花の香りを甘やかにまとわせるこの姫君は、やわらかで、綺麗で、汚してはいけない、壊れやすい生命なのだ。
だから、優しく接したいのだ。
汚れた俺はすこしでも綺麗になって、汚さないようにしたいのだ。
いやしい自分を隠して、立派な自分に見せかけて、姫を引き立てて飾るアクセサリーになりたいのだ。自慢してほしいのだ。
理想のヒーローはこんなとき、どう振る舞うんだ?
なんて言うんだ?
考えて、悩んで、わからなくなって。
「――……よかった」
……そんなひとことしか、言えなかった。
本をたくさん読んだのに。
寵姫たちに囲まれて、歯の浮くようなセリフをたくさん練習したのに。
情けないことに、いざというときには素の自分が出てしまうのだ。ボロが出るのだ。
――ああ、俺は結局、ヒーローになんてなれない男なのだ。
きらきらした何かには、ほど遠い。生まれからして、そう定められていたのだ。
どんなに外見を飾っても、上流階級らしく振る舞おうとしても、美辞麗句をおぼえても、こんな風に追い詰められると本質はただのみじめで情けない男で、ぜんぜん『スパダリ』などにはなれていなくて――……格好悪いのだ。
「わたくし、心配をかけたけど、無事でしたわ。ねえ、無事でよかったでしょう?」
愛らしい声が気高くささやく。そんなの、当たり前だ。無事でよかった。
顔を見ることができないまま、抱きしめた手に力をこめて、サイラスは首を縦に動かした。
「あなたは石を見つけてくださったから、助けてくれたことにしてあげます」
何か言っている。
ん? 何を言ってるんだ?
「悪い魔法使いに呪われたお姫様を助けた王子様には、ご褒美を許してあげるの」
俺は今、何を言われているんだ。
「ほら、この前わたくしがしてあげたでしょう。してもらったら、お返しに同じことをするの」
……俺は、何を言われているんだ?
顔をあげてまじまじとフィロシュネー姫を見つめると、頬を初々しく染めながら期待に満ちた眼差しで、待たれている。
「……は」
贈った爪飾りが煌めく指先が、ご自分の頬を指す。稲妻に打たれたように意思を察して、サイラスは真顔になった。
つまり、頬にキスをしろと言うのだ。
いいのか?
いや、姫がご所望なのだ。
しかし、姫は恋に恋するようなお年頃で、ちょろいのだぞ。
ご所望だからと言って調子に乗って手を出すのは、悪い大人のすることではないか。
とはいえ、頬だぞ。
頬くらい、挨拶ではないか。
おおげさに受け止めて動揺するほうが下心があってよろしくないのでは?
俺ももう貴き者なのだ。堂々と振る舞うべきではないか?
大人の余裕だ。年上の落ち着きだ。それが理想だ――、
ええい……いけ!
「では、遠慮なく」
もっとましなセリフがあるだろう。
「仰せのままに……?」
これも違うな。そう思いながら、サイラスはフィロシュネー姫の頬に掠めるような清らかなキスを捧げた。
触れた瞬間に甘く痺れるような幸福感がふわりと湧いて、頬がゆるむ。
「ごちそうさまです」
十五歳の少女相手に、俺は何を言っているのだ。何を浮かれているのだ。
「ごちそうさまって……なんか、やだ」
ほら、ダメ出しされたじゃないか。気持ち悪がられてしまうではないか。
「ご褒美ですよ、とおっしゃい」
フィロシュネー姫の求めるヒーローは、不遜なのだ。
サイラスは女王の寵姫たちに仕込まれた優美な笑顔をつくり、余裕らしきものをひねりだした。
「……ご褒美ですよ、俺の姫様」
姫がこの日いちばんの輝く笑顔を咲かせて、愛馬がはしゃぐようにいななく。
ああ、よかった。
サイラスは心からの安堵をおぼえて、今度は作り物ではない自然な微笑をうっとりと浮かべたのだった。
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