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幕間のお話
62、不倫した運命の番が正義を執行された日
しおりを挟む「あれっミランダ? なんです、その『運命感じました』みたいなリアクション?」
ハルシオンが首をかしげている。
「殿下! 尻尾がもふもふです!」
青国と空国は、これまで『人形の子孫』以外があまりいなかった。二国を支配する呪術師が外の亜人たちを害虫扱いして防いでいたのである。ハルシオンは「オルーサは働き者だなぁ」としみじみしていた。
こんなもふもふを害虫扱いなんて、とんでもない――ミランダは興奮した。
「孫は獣人なのじゃ。名前はアロイス。三角関係で敗れたばかりの可哀想な男じゃよ」
ダイロスが説明するのを背景に、アロイスが叫んでいる。
「弟弟子シェイドにーっ、妹弟子ツァイナをーっ、取られましたーっ! 私の方が先に好きだったのにーっ」
「専門用語でBSSというやつじゃ!」
ぼくが、さきに、好きだったのに――ダイロスは恋愛物語用語に詳しかった。
「我が君、姫殿下が熱中なさっているものを学ぶのは、黒旗派臣下として当然の務めじゃからな! くわははは!」
聞けば、フィロシュネー姫殿下は『恋愛物語を研究する会』を創設したりもしているらしい。ミランダは可愛い姫を思い出した。初々しい、これから咲き始める風情のつぼみのようなお姫様。あのやわらかな気配。ミランダを頼りない気配で見上げてくる、王族の特徴が濃い瞳。花の唇がちいさくひらいて、笑みをこぼすと嬉しくなった……。
「姫殿下に次にお会いしたとき、会話に織り交ぜてみましょう。BSS、と」
ミランダは重々しく頷いた。きっと姫殿下は喜ぶに違いない。
『姫殿下、お久しぶりですね。本日は商会長と一緒に会いに参りました。BSSです』
『ミランダ、その言葉をご存じなの? わたくしの研究会に混ざる?』
そんな声が聞こえるようだ。幻聴だ。
「ミランダさんがそれ言ったら、フィロシュネー聖女殿下には勘違いされると思うんですが……」
ルーンフォークが何か言っている。その隣でハルシオンは「姫殿下」の単語に心の中の「シュネーさんスイッチ」をぽちっと押されていた。
「はっ、しゅ、シュネーさん? 今誰か、シュネーさんのお話をしましたか? そういえば私、何しに来たのでしたっけ!?」
「商会長は、姫殿下に会いたいと仰り……」
「あああっ!? シュネーさんに会うのをあんなに楽しみにしてたのに寄り道なんて! 私のばか!」
ハルシオンは大慌てで自責の念に駆られている。そんは唐突すぎる感情の変遷にも、ミランダは慣れていた。
「では、この会合のことは忘れて愛しの姫殿下に会いに参りましょうか、可愛い殿下」
「うん……うん……商会長です。でもこの『失恋濃厚会』、気に入ったので買って帰ります」
「へっ、これ、買うんですか?」
ルーンフォークが驚きつつ、スタッフを探して交渉してくれる。彼もまた気まぐれで常識はずれならハルシオンに慣れてきたようで……。
外に出ると、太陽がぎらぎらと地上を照らしていた。
いい天気だ。
「運命の番? それがなんですっ?」
「あえ? 聞き覚えのある可愛い声が……幻聴かな……」
ハルシオンがふらふらと引き寄せられていく。あの声は、フィロシュネー姫殿下の声だ。しかし、王都とはいえ街中であのお姫様の声が聞こえるなんて。
人だかりをかき分けて近づいてみれば、頭から足元までフード付きローブに身を包んだ小柄な少女が騒ぎの中心にいる。
少女は隣に同じようなローブ姿の従者らしき者とくたびれた様子の男を連れており、視線の先には若い男女がいる――少女以外の三者には、獣の耳と尻尾があった。
最近になって紅国から訪れるようになった亜人――もふもふ獣人である。
ここにも、もふもふが。
ミランダはうっとりとした。
開国ばんざい。悪しき呪術師の支配から解放されたおかげで、私たちの日常にもふもふが……!
ちなみに、ハルシオンは悪しき呪術師のことも「我が子」と呼んでいるが、ミランダにとっては単なる邪悪である。それはもう悪である。なんといっても、ミランダが崇拝するハルシオンになりすまして悪事を働いたりしていたのだ。ハルシオンが許すと言っても許さない。
さて、騒ぎの中心ではもふもふ男女が獣耳をぴんっとさせ、尻尾を逆立てて何か言っている。
「に、人間にはわからない! 運命の番は、理屈じゃないんだ! 本能なんだ! 抗えないんだ! むらっとしたんだ! 種付け衝動だ!」
「ええ、ええ! 私は確かにシフォンと先に結婚して夫婦の営みもしていたけれど、運命に出会ってしまったので仕方ないのです! 主人はお金持ちでしたけど、夜は下手で……ずっと欲求不満だったんです」
どうも話を聞くところによると、獣人ならではの発情期が原因で旦那持ちの妻が初対面の別の男にビビッと運命を感じて交尾してしまったらしい。
「衝動的に不倫したのもどうかと思いますけど、わたくしが気になるのはその後です。……それで、なぜあなたたちはシフォン執政官が不能だなんて噂をばら撒こうとしたのです? わたくし、聞きましたわよ」
二人は不倫した後、旦那であるシフォン執政官とやらの悪評を広めようとしたらしい。なかなかどろどろした話だ。ミランダはハルシオンの顔色を窺った。あまり主君に聞かせたくない類の醜聞である――。
「発情期の雄と雌がいたら、衝動的に交尾することもありますよね」
ハルシオンは学者めいた気配で淡々と分析していた。冷静だ……色っぽい話として認識しているかどうかあやしい。
「妻を満足させられない主人が悪いんです。私ってなんてかわいそうな妻……そしてこのダーリンは、かわいそうな私を悪い主人から助けてくれたスーパーダーリンなんです!」
「運命の人よ、泣かないでおくれ。俺が悪い旦那をやっつけてやる……旦那の身体的欠陥を全世界に広めて、君を幸せにする資格のない奴だと主張しよう」
ローブ姿のフィロシュネーが傍らの『悪い旦那』に視線を向ける。彼がシフォン執政官なのだろう。
「言いがかりです。真実だとしても、わが国の法では身体的欠陥があるからという理由で不倫された被害者の側が罪に問われるいわれはありません」
シフォン執政官は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。
「そもそも、シフォンはなぜあんな女性と結婚しちゃったのよう」
「姫、それは外交的な理由です。紅国と我が国はこれから友好的に……」
「外交問題にできますわよ、これっ」
「外交問題にしましょうか……できますかね。我が国のほうが正直、立場が弱いのですが」
不穏なやり取りをしている。空国も青国も、呪術師の一件以来、紅国にいろいろとお世話になっているのだ。
ところで、そろそろ民が「あの少女は立場がかなり高い方なのでは?」とざわめき始めているが。
「シフォン執政官には、わたくしが兄王太子から治めよといわれた領地を管理していただいているの。妙な言いがかりで彼の心身に負担をかけないでくださる?」
フィロシュネーは、ここでフードを払って素顔を見せた。
「不倫は不倫よ! 運命だのなんだの言っても、結婚していた相手を裏切って謝りもせずに相手を貶めようとしたのは悪い行いよ!」
凛とした声が青空の下で響き渡る。
「せめて離婚してから交尾しなさい! 我慢できなかったんですぅ~、じゃ、ないのっ! 性的な衝動を我慢できないからと交尾されて正当化されたのでは、社会が成り立ちませんっ!」
群衆が大きくどよめく。
白銀の髪に移り気な空の青。どう見ても王族――、一緒にいたもうひとりのローブ姿の者もフードを払い、預言者ダーウッドという身分を名乗った。
「ここにおわすのをどなたと心得る。フィロシュネー殿下であらせられるぞ」
白銀の髪をした預言者ダーウッドが面白がるように大声を響かせると、周囲の民が次々と頭を垂れ、膝をつく。
「フィロシュネーが正義を執行しますわ。不倫はいけませぇん! めっ!」
「せ、聖女様が交尾とか性的衝動とか……」
ルーンフォークがちょっとショックを受けて頬を赤くしている。ミランダはルーンフォークよりハルシオンの反応が気になって視線を向けた。
「……シュネーさぁぁぁん!!」
ハルシオンは勢いよく飛び出して、止める暇もなく疾風のように人垣をかき分け、フィロシュネーに抱きついた。
「えっ! きゃぁ!? ハルシオン様ぁっ?」
「なんて可愛い! なんて格好良い! パパ嬉しい……! 娘可愛い……」
あっ、喜んでおられる――これはパパモード。
いけませんハルシオン殿下、恋する青年ではなくなっています――ミランダは薔薇色に頬を染め、「そんな殿下も可愛い」と呟いてルーンフォークに呆れた目を向けられるのだった。
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