55 / 384
1、贖罪のスピネル
52、あなたは、わたくしを愛してくださる?
しおりを挟む
優雅な宮廷音楽が流れる紅城クリムゾンフォートの夜会。
バルコニーから見下ろす中庭には、深紅の花が群れ咲いている。
頬を撫でる風は花の香りを含んでいて、少し冷たい。
空には二つの月が寄り添い、白く輝いていた。
「あなたは、わたくしを愛してくださる?」
フィロシュネーは、寄り添うように立つ傍らの騎士サイラスに問いかけた。
呪術師が討伐されてから、紅国が主導して青国と空国は友好関係に戻り、復興に努めている。
神鳥はあれ以来、姿を消している。けれど国土が荒れる気配はなかった。
国土の呪いは解けたらしい。各国の有識者が『解けたと判断してよいのでは』と結論を出したので、今夜はそのお祝いで夜会がひらかれたのだ。
アーサー王太子によりストップがかけられて、フィロシュネーは未だ婚約者が確定していないのだが。
「愛……」
サイラスが身に纏う伝統的な紅国騎士の夜会服の一つであるテールコートは、背中の中央で分かれる「テール」と呼ばれる長い裾が特徴的なジャケットで、前側は短く、後ろ側は長い形状をしている。
上品で清潔感があり白いドレスシャツに赤い宝石をあしらったカフリンクスが華やかでよく映えている。体格がよく、背筋の綺麗な目の前の騎士は非常に洗練された雰囲気を持ち、目を引く存在感があった。耳もとで揺れるのは、赤い耳飾り。
「ねえ、そこで『愛ってなんだっけ』みたいな反応はダメよ。恋愛物語のヒーローはね、『もちろんです。あなたの美しさと優しさに、私は心を奪われています。あなたと共にいることが、私の最大の幸せです』とか言うのよ」
「姫はお美しいですし優しいですし可愛らしいですが、俺には愛というやつがいまいちピンときませんね。歳も離れている俺があまり姫に愛を囁いて誘惑するのも、悪い大人になった気分で好ましく思えません。歯の浮くようなセリフも苦手です」
「あ~……、ある意味、正直でよろしい……のかしら……」
フィロシュネーも、言われて見れば『愛』という感情があまりピンとこない部分はある。
格好良い貴公子に憧れたりする気持ちは、わかるけど。
サイラスの滑らかな褐色の肌が魔法の明かりに照らされて、蠱惑的な色を魅せている。
黒髪黒目は、星の輝きを隠してしまった深い夜のよう。吸い込まれてしまいそうで、少し怖い。
何にも染められないような黒だと思っていた男は、女王の赤に染められてしまった。
その心には、青国への恨みのような念がある。
理不尽の積み重ねで構築された鬱屈した感情や、諦観や、傷がある。
怒りが底深くに沈められている。
(手負いの獣のよう)
フィロシュネーはたまに、この男と接していて、そう感じる。
(けれど、わたくしがかわいそう、いい子いい子ってすると、サイラスはもっと傷付くのかしら)
『俺を愛玩動物やアクセサリー、着せ替え人形のように思っておられるようです』
サイラスが女王に告げた声が心に蘇る。人間扱いしていないって言っているのだ、あれは。
「姫。北方の夜は冷えますから、中へ戻りましょう」
会場へと誘う手は紳士的で、立派な騎士様といった風情で、王子様然とした雰囲気がある。
「わたくし、ダンスを踊りたいの」
絢爛豪華なダンスフロアで、光を浴びて上流階級の一員として、そこにいるのが当たり前みたいな空気感で踊るあなたが見たいの。
甘やかに囁いて上目に様子をうかがえば、サイラスは頷いてくれた。
「わたくし、教えてあげる」
あなたが知らない作法を、ステップを。
貴族社会の常識を。
たくさん、たくさん、教えたかったのだ。
それは全部、『紅国流のではなく、青国流の』という前置きがついてしまうけど。
(あなた、もう「わたくしの国の英雄」ではないのね)
「なんでちょっとしょんぼりなさってるんです」
不思議そうに問いかけるサイラスの声は、優しかった。
バルコニーから見下ろす中庭には、深紅の花が群れ咲いている。
頬を撫でる風は花の香りを含んでいて、少し冷たい。
空には二つの月が寄り添い、白く輝いていた。
「あなたは、わたくしを愛してくださる?」
フィロシュネーは、寄り添うように立つ傍らの騎士サイラスに問いかけた。
呪術師が討伐されてから、紅国が主導して青国と空国は友好関係に戻り、復興に努めている。
神鳥はあれ以来、姿を消している。けれど国土が荒れる気配はなかった。
国土の呪いは解けたらしい。各国の有識者が『解けたと判断してよいのでは』と結論を出したので、今夜はそのお祝いで夜会がひらかれたのだ。
アーサー王太子によりストップがかけられて、フィロシュネーは未だ婚約者が確定していないのだが。
「愛……」
サイラスが身に纏う伝統的な紅国騎士の夜会服の一つであるテールコートは、背中の中央で分かれる「テール」と呼ばれる長い裾が特徴的なジャケットで、前側は短く、後ろ側は長い形状をしている。
上品で清潔感があり白いドレスシャツに赤い宝石をあしらったカフリンクスが華やかでよく映えている。体格がよく、背筋の綺麗な目の前の騎士は非常に洗練された雰囲気を持ち、目を引く存在感があった。耳もとで揺れるのは、赤い耳飾り。
「ねえ、そこで『愛ってなんだっけ』みたいな反応はダメよ。恋愛物語のヒーローはね、『もちろんです。あなたの美しさと優しさに、私は心を奪われています。あなたと共にいることが、私の最大の幸せです』とか言うのよ」
「姫はお美しいですし優しいですし可愛らしいですが、俺には愛というやつがいまいちピンときませんね。歳も離れている俺があまり姫に愛を囁いて誘惑するのも、悪い大人になった気分で好ましく思えません。歯の浮くようなセリフも苦手です」
「あ~……、ある意味、正直でよろしい……のかしら……」
フィロシュネーも、言われて見れば『愛』という感情があまりピンとこない部分はある。
格好良い貴公子に憧れたりする気持ちは、わかるけど。
サイラスの滑らかな褐色の肌が魔法の明かりに照らされて、蠱惑的な色を魅せている。
黒髪黒目は、星の輝きを隠してしまった深い夜のよう。吸い込まれてしまいそうで、少し怖い。
何にも染められないような黒だと思っていた男は、女王の赤に染められてしまった。
その心には、青国への恨みのような念がある。
理不尽の積み重ねで構築された鬱屈した感情や、諦観や、傷がある。
怒りが底深くに沈められている。
(手負いの獣のよう)
フィロシュネーはたまに、この男と接していて、そう感じる。
(けれど、わたくしがかわいそう、いい子いい子ってすると、サイラスはもっと傷付くのかしら)
『俺を愛玩動物やアクセサリー、着せ替え人形のように思っておられるようです』
サイラスが女王に告げた声が心に蘇る。人間扱いしていないって言っているのだ、あれは。
「姫。北方の夜は冷えますから、中へ戻りましょう」
会場へと誘う手は紳士的で、立派な騎士様といった風情で、王子様然とした雰囲気がある。
「わたくし、ダンスを踊りたいの」
絢爛豪華なダンスフロアで、光を浴びて上流階級の一員として、そこにいるのが当たり前みたいな空気感で踊るあなたが見たいの。
甘やかに囁いて上目に様子をうかがえば、サイラスは頷いてくれた。
「わたくし、教えてあげる」
あなたが知らない作法を、ステップを。
貴族社会の常識を。
たくさん、たくさん、教えたかったのだ。
それは全部、『紅国流のではなく、青国流の』という前置きがついてしまうけど。
(あなた、もう「わたくしの国の英雄」ではないのね)
「なんでちょっとしょんぼりなさってるんです」
不思議そうに問いかけるサイラスの声は、優しかった。
0
お気に入りに追加
280
あなたにおすすめの小説
お姉様と私の婚約者が駆け落ちしたので、お姉様の代わりに辺境伯に嫁ぎます。
山葵
恋愛
ある晴れた日の朝、何やら部屋の外が騒がしい。
「だ、旦那様ぁー!!大変で御座います。カトリーヌお嬢様が駆け落ちされました!」
お姉様付きの侍女のリンが青い顔してリビングで寛ぐお父様に報告に走っている。
「お姉様が駆け落ち?」
慌てて着替えを済ませ、私もリビングへと急いだ。
【完結】婚約破棄の危機に怯える王女様。痩せて見返すことを決意する
上下左右
恋愛
『太った貴様を愛することはできない! 婚約を破棄させてもらう!』
隣国の姫が太ったからと婚約破棄された知らせを聞き、第二王女のリーシャは焦りを覚える。彼女は絶世の美女として有名だったが、婚約してから美味しい食事を堪能し、太ってしまったのだ。
一方、リーシャの婚約者であるケイネスは、その見目麗しい容貌から、王国中の女性たちを虜にしていた。彼は彼女の事を溺愛してくれていたが、いつか捨てられるのではと不安に感じてしまう。
このままでは彼の隣に立つ資格はないと、リーシャはダイエットを決意する。だが彼女は知らなかった。太ってしまった原因は友人のアンが裏で暗躍していたからだと。
この物語はリーシャがケイネスと共にハッピーエンドを迎えるまでの物語である。
このパーティーは国民の血税で開催しています。それを婚約破棄という個人的な理由で台無しにした責任は取ってもらいますわ。
蓮
恋愛
アリティー王国の王太女であるフランチェスカの誕生祭にて、パーティーの場に相応しくない声が響く。
「ステラ・フィオレンツァ・ディ・モンフェラート! お前との婚約を破棄する!」
フランチェスカの友人であるモンフェラート侯爵令嬢ステラが婚約者のカノッサ公爵令息アントーニオから婚約破棄を告げられてしまう。アントーニオの隣にはソンニーノ男爵令嬢ベアータがいた。ステラはアントーニオからベアータを不当に虐げたなど冤罪をでっち上げられていた。フランチェスカは友人であるステラを助ける為に動き出した。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
【完結】王女に婚約解消を申し出た男はどこへ行くのか〜そのお言葉は私の価値をご理解しておりませんの? 貴方に執着するなどありえません。
宇水涼麻
恋愛
コニャール王国には貴族子女専用の学園の昼休み。優雅にお茶を愉しむ女子生徒たちにとあるグループが険しい顔で近づいた。
「エトリア様。少々よろしいでしょうか?」
グループの中の男子生徒が声をかける。
エトリアの正体は?
声をかけた男子生徒の立ち位置は?
中世ヨーロッパ風の学園ものです。
皆様に応援いただき無事完結することができました。
ご感想をいただけますと嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
妹に婚約者を寝取られた令嬢、猫カフェで癒しのもふもふを満喫中! ~猫カフェに王子と宮廷魔法使いがいて溺愛はじまりました!
朱音ゆうひ
恋愛
男爵令嬢シャルロットは、妹に婚約者を寝取られた。妹は「妊娠した」と主張しているが、シャルロットは魔眼持ちなので、妹のぽってりお腹が脂肪だと見抜いている。
別サイトにも投稿してます(https://ncode.syosetu.com/n0955ip/)
わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますの。
みこと。
恋愛
義妹レジーナの策略によって顔に大火傷を負い、王太子との婚約が成らなかったクリスティナの元に、一匹の黒ヘビが訪れる。
「オレと契約したら、アンタの姿を元に戻してやる。その代わり、アンタの魂はオレのものだ」
クリスティナはヘビの言葉に頷いた。
いま、王太子の婚約相手は義妹のレジーナ。しかしクリスティナには、どうしても王太子妃になりたい理由があった。
ヘビとの契約で肌が治ったクリスティナは、義妹の婚約相手を誘惑するため、完璧に装いを整えて夜会に乗り込む。
「わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますわ!!」
クリスティナの思惑は成功するのか。凡愚と噂の王太子は、一体誰に味方するのか。レジーナの罪は裁かれるのか。
そしてクリスティナの魂は、どうなるの?
全7話完結、ちょっぴりダークなファンタジーをお楽しみください。
※同タイトルを他サイトにも掲載しています。
優しい家族は私が護ります!
山葵
恋愛
「俺は、シャロン・グラベルドとの婚約を破棄し、ここに居るライナと婚約すると宣言する!」
バーロック王太子は、私ライナの腰を抱き寄せると、シャロン・グラベルドに婚約破棄を告げた。
シャロンは、震える声で「王太子殿下、婚約の破棄をお受け致します。」と了承した。
やった!やりましたわ♪
私は、バーロック殿下の横でニヤリと微笑んだ。
フリーターは少女とともに
マグローK
キャラ文芸
フリーターが少女を自らの祖父のもとまで届ける話
この作品は
カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/1177354054891574028)、
小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n4627fu/)、
pixiv(https://www.pixiv.net/novel/series/1194036)にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる