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1.種火

だれもわたしを……

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そのこどもは、どこからか持ってきた、マッチを擦って遊んでいる。親の仕草を見よう見まねで覚え、マッチを擦って遊んでいる。火がつき、そのこどもの顔がぽぅっと明るく照らし出される。火をつけることに成功し、笑みが浮かぶ。しかしその喜びもつかの間、左手に持ったマッチ箱の中の頭薬に火が燃え移る。ぼうっと激しく燃え上がった炎は、そのこどもの服の袖を包み込む。そのこどもはマッチ箱を床に落とし、泣き叫ぶ。別の部屋で掃除をしていた母親が飛んでくる

――――――――――――――――――



「おはよう」
「ん……」

ミコは眠たい目をこすりながら、ほとんど聞き取れないぐらいの声で母に挨拶を返した。

「もう、あんたは……挨拶くらいちゃんとしたら?」
「ふあ~……ごめん。まだ眠くって」
「小学生の頃はそんなんじゃなかったでしょ?なんだか中学に入ってからちょっとだらけてない?夜ふかしも増えたみたいだし」
「もー、朝からそんなに言わなくったって……」

母の小言に、いまいち勢いのない反論をした後、ミコは洗面所へと向かった。顔を洗い、鏡を見る。そこにあるのは、いつもと変わりない、自分の顔。同学年の子たちよりも、ちょっと幼い顔。丸顔なせいもあるし、もしかすると、ショートカットの髪がその雰囲気を強めているのかもしれない。中学の制服を切ると、少し滑稽に映ってしまう。黒い瞳の目は、今はまだ眠たさに押さえつけられ、細く鏡をにらんでいるような様だが、日中はくりくりと丸い眼球を輝かせ、人あたりのよさをうかがわせる。血色のよい、柔らかな感じの唇も、彼女の顔に明るさをもたらしている。ミコ自身、自分の顔はそんなに嫌いではなかった。毎朝鏡に向かい、自分の顔を見るたびに、少し明るい気分になれるような気さえした。

ミコがテーブルについたとき、父はもう朝食を食べ終えたところだった。たいてい毎朝、父娘はこうやって入れ違いに朝食をとるのだった。

「おはよう」と言いながら立ちあがる父に、ミコも
「ん、おはよー」と返す。まだ眠たさが残る、間の抜けた声で。

朝食を食べ終え、ミコは制服に着替える。手袋をつけ、鞄を持ち、バッグを肩に掛けて家を出る。

「ミコちゃーん!おはよー!」
「おはよー、シノ!」

近所に住む、幼稚園からの友人のシノと合流し、学校へ向かう。ミコの顔には、普段通りの笑みが満ちていた。

「今日の数学の課題全部やってきた?」
「ううん」
「あれ多すぎじゃない?」

そんな他愛もない話をしながら二人は歩いていく。シノはミコにとって、数少ない、親友と呼べる存在の一人だ。それは単純に家が近所にあったからというだけのことなのだが、結局のところ、趣味嗜好の合う合わないに関係なく、どれだけ長い時間を一緒に過ごしているかということが、友情の度合いを決めるのだろう。

それに、ミコのことを本当にわかってくれる人間というのも限られてくる。シノをはじめとした、少数の人間との付き合いが多くなるのも致し方ないのかもしれない。

「おお!今日も今日とて桜のシャワー!」

ミコが校門へと続く桜並木の下、散る花びらの中両腕を広げ、くるりとターンして見せると、シノはくすくすと笑って、

「もう!恥ずかしいからやめてよ!」

と言った。実際、ミコの突飛な行動は他の登校中の生徒たちの目をひいていた。しかしシノは本気で嫌がっている様子ではなく、ミコの様子を微笑ましいものとして眺めていた。

「いやー、だって、ただ地面に散っていくだけなんて悲しいじゃん!だからこう、私の演出係としてちょっと仕事してもらったというかね」と、ミコが笑いながら駆け寄ってくると、

「もう、ほんとミコっておかしいんだから」
と言いながら、シノはミコの肩を軽く叩いた。

校門で挨拶をしながら生徒たちを迎える先生たちに、二人も挨拶をし、学校の中へ入っていく。別々のクラスのため、校舎内で二人は別れる。教室に入るなり、ミコが「おはよー!」と大きな声で明るく挨拶をする。他の生徒たちは、ぎこちなくこわばった挨拶を返す。入学初日よりは少なくなったとはいえ、何人かはいまだに、あからさまにじろじろとミコの手袋のほうを見てくる。季節を問わずはめられている綿製の白手袋、これがミコのことを、つねに異質な存在として特徴づけてきたのだった。

小学校時代には、手袋を無理やり外され、爛れた火傷跡を晒され、いじめられたこともあった。高学年になって以降、中学に入学してここ一週間までのところは、幸いそのようなあからさまないじめは受けていないが、それでも多くのクラスメートが手袋のことについて恐る恐る尋ね、事情を知るとどことなく距離を置いて、腫れ物に触るみたく接するようになるというのが通例となっていた。

それでもミコは、できるだけ気丈に振舞うよう心掛けていた。そのかいあってか、クラスでも数人はミコに対し、他のクラスメートと同じように接するようになった。

「カノくん、おっはよー。今日もイケメンだねぇ」
と、ミコがにやにやしながら、隣の席で黙々と読書をしている男子に話しかける。

「お前ほんと朝からバカみたいな声でうっせーな」

ある意味このカノという少年も、そういう数少ない「ふつうの」クラスメートにカウントされるのかもしれない。というのも、彼のこの冷淡な態度は他のすべての生徒に対してもそうだからだ。

「カノくん、そんな朝から暗い顔で憎まれ口叩いてると、せっかくのイケメンが腐っちゃうよ」

「腐るわけねーだろ、つーか読書の邪魔すんなっつーの」

ミコ自身、カノのドライな、しかしなんだかんだで言葉は返してくれる、そんな態度を結構好いていた。

「朝から元気だねー、ミコりんもそんなクールぶってる読書バカ、ほっとけばいいのに」

そう笑いながら話しかけてきたのは、ミコの前の席に座るアリサという生徒。髪を金に染めている。校則では禁止で、入学早々先生に黒染めするよう怒鳴られていたのだが、今のところ毎日怒鳴られながら一週間、金髪を貫く反骨精神の持ち主だ。彼女もまた、ミコに対して気を遣いすぎず、あくまでふつうの友達として接しようとしてくれるクラスメートだった。

「バッ……誰が読書バカだよ、このヤンキー!」
と、カノが少しばかり興奮して反論すると

「ほー、バカって呼ばれるのがよっぽど嫌なようで。さすがインテリ様だねぇ……」
と、アリサが嫌味たっぷりに返す。

「やー、カノくんほんと面白いねー」
と、二人のやりとりを見ていたミコがニコニコ顔で言う。

そんなふうに、少なくはあるけども、互いに気兼ねしない友人もできた。こんな、特に大きな起伏もない、でもそれなりに幸せな中学生活が送れるなら、それだけで十分だな、とミコは考えていた。彼女は表目に見える積極性とは裏腹に、あまり大きな変化を好まない。挑戦よりも、今手元にあるものを楽しむことを優先した。

ミコが学校から帰り、両親と夕食を食べながらテレビのニュースを見ていると、ニュースキャスターが、彼女の住んでいる市の名前を口にした。

『……の、松本リナちゃん、11歳が行方不明……警察は誘拐の可能性も視野に入れ……』

「あら、これうちの市内じゃない!誘拐かもしれないって……ミコ、あんたなんか学校で聞いてたりする?」

「いやー、まだだよ?もしかしたら明日とかあるかもしんないね」

「心配だわ……あんたもこの子と歳近いんだし、行き帰りには気をつけなさいね。お母さんが車で送り迎えしようか?あれだったらパート先に頼んで時間空けてもらったりするから……」

「もー、心配しすぎだよ!市内って言っても、この子はだいぶ遠くみたいだし……」

報道の内容にそれほど気を留めることなく夕食を食べ終え、ミコは部屋に戻っていった。自分が誘拐されるというのはどうにも想像できなかったし、母親に小学生の頃と同じように扱われるのが嫌だった。小学四年生のころ、自分の住む町で怪しい風貌の男(といって手を出したり露出したりという行為があったわけでもないのだが)が出ているという話が回っていて、そのときも母は学校に指示されるでもなく、ミコを車で送り迎えすることを提案した。そのときは、歩かなくていいから楽だし、と思い乗せてもらったのだけれど、中学生になった今、なんだか親に守られるというのが恥ずかしいことのように、そして親が「通学路」という自分たちの世界に入り込んでくることが、煩わしいことに感じられるようになってしまったのだ。

「もー、うちのお母さんったらほんとに大げさなんだー、困っちゃうよ。メルくんもそう思うでしょ?」
ミコは、自分のベッドのわきに置いてあるクマのぬいぐるみ『メル』に、そう問いかける。メルは、ミコにとってシノと同じくらい古くからの友人だった。それは3歳の誕生日に母が買ってくれたもので、就寝前にメルに話しかけるのは、ミコの身体に染み付いた習慣であった。この無表情な友人は、ミコの愚痴を黙って聞いていた。


その夜、ミコは夢を見た。恐ろしい夢を。燃え盛る自分の家。家の外では野次馬と消防士たちが集まるなか、両親が自分の名前を呼んで泣き叫んでいる。ミコの部屋の中はあまりにも熱く、炎に囲まれて橙色に照らされている。その部屋の中でミコは、メルを抱いてしゃがみこんでいた。火の手がどんどん迫り、逃げ場がなくなってゆく。こんな状況にも関わらず、どこか客観的に炎を見ていたミコだったが、突然に自分の置かれた状況が現実味を帯びて襲いかかってきた。言葉にならないような叫びを上げて助けを求めると同時に、その声に驚き目が覚める。全身にいやな汗をかきながら、体を起こし、妙なにおいに気づく。焦げ臭い……?慌ててあたりを見回してみると、ぬいぐるみのメルの頭の部分がわずかに燃えていた。反射的にメルを掴み取り、火の出ている箇所を壁に何度か叩きつけた。

幸い火はすぐに消えたが、焼け焦げた部分から綿が露出しており、なんだか心配だったので、洗面所にいってそこから水を流し込んだ。メルの体はすっかり水を吸い込んで重くなっている。ミコはそのままメルを眺めていた。あの夢のおかげで、この出火に気づくことができた。もしかするとメルが夢の中に入り込んできて知らせてくれたのだろうか。

それにしても不可解なのは、この火の出処だ。思い返してみても、自分の部屋に火の気なんてなかったはずなのに。メルだけが燃えていたというのも、謎を深める要因だった。

ミコは、マッサージをするようにメルの体を数回揉み、水を絞り出した。

「この子、どうしようかな……」

頭の部分には、しっかりと見て取れるほどの焦げができていた。もし親に見つかると、あらぬ誤解を受け、面倒なことになるかもしれない。といって、昔からずっと一緒にいたという愛着もある。簡単にゴミに出せるものでもない。結局ミコは、このあわれなクマを適当な袋に入れ、しばらく自分の机の引き出しに隠しておくことにした。

「ごめんね、メルくん……でもメルくんなら、こうしなきゃいけないこと、きっとわかってくれるよね?」

そう囁いて、ミコはメルを引き出しの中にしまった。
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