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前へと…。
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俺は、去っていく花音の背中を見ることしか出来なかった。
どうして、花音が俺の生活の一端を知っているんだ…真一に目をやると、あいつはさっき花音が入れてくれたお茶を飲んでいた…俺の視線に気がついたのだろう。
真一と目が合ったが、あいつは俺を見ると
「翔太、おまえの自宅での生活を知っていると言うことは…どういうことだかわかるだろう。おまえと一緒にいないとわからないということだ。」
そう言って小さな声で
「名にし負おはば 逢坂山の さかねづら 人に知られで くるよしもがな (三条 右大臣)やっぱり…そうなのか…」と
名にし負おはば 逢坂山の さかねづら 人に知られで くるよしもがな
【逢坂山のさねかづらが、会って一緒に過ごすと言うその名の通りだったら、さかねかづらをたぐるように、こっそりあなたのところへいく方法があればいいのに】
と言う意味だ。それって、花音が俺のところに会いに来たというのか?
だが、俺は花音と自宅で会ったことはない。
(どういうことだかわかるだろう。おまえと一緒にいないとわからないということだ。)
一緒?一緒にいた…と言ったら…まさか…。いや、それは有りえないだろう。そんなことって有り得ない。
俺はまた真一に目をやったが、あいつは…花音が出て行ったドアを見ていた。
*****
2階の自分の部屋に入った途端、涙がぽろぽろと零れてきた。ようやく、翔兄の心と、体を捕まえたと思ったのは、まだ数時間前だと言うのに、いや、心は初めから捕まえてなんかいなかったんだ。
翔兄も…少しは私を…なんて思っていただなんて…恥しい。
翔兄にとっては、私はやっぱり妹と同じなんだ。
だから、離れても不安じゃないんだ。2人の間に距離があれば、心も離れるんじゃないかと私なら思うのに、私のことを妹のように、思っているから、自分がイギリスにいる間に、私に彼氏が出来たらなんて…不安はないんだ。
平気なんだ。
その事実は、かなり私を痛めつけた。
部屋の扉の前で、お兄ちゃんが、そして翔兄が、声をかけてきたが…
「ごめんね、ちょっと頭が痛くて」と言って部屋の扉を開けることは出来なかった。
翔兄…。妹に戻るまでの時間が掛かりそうなの…もう少し待って、お願い。
翔兄を無邪気に慕っていた、5歳の頃の私に戻るから…もう少し、時間をちょうだい。
こんなに…好きだったんだ。涙がこんなに零れるぐらい、こんなに翔兄が好きだったんだ。
*****
「頭が痛い」と言って出てこない花音に、俺はどうしたらいいのかわからなく
て、花音の部屋の前で立ち尽くしていた。そんな俺に真一が
「悪い、さっき渡そうと思ったんだが…タイミングが掴めなくて、でも明後日、松宮さんに会うのなら、今見ていたほうが良いと思うんだ。」
そう言って差し出した。長形3号の封筒。
おそらくそれは、俺が真一に、父親の顧問弁護士を紹介してくれと頼み、母さんのことを調べてもらった報告書だと思った。
「おまえから頼まれていた調査結果だ。黒峰 美鈴さん…おまえの母さんがどう思って生きていたかは、本人しかわからないことだ。だから、このA4の紙に書かれていることは、全部がそうではないが…状況を分析したことによって得られた推測が多い。…どうする?見るか?」
俺は、真一から封筒を受け取った。
数グラムしかないであろう重さが、なぜだか痺れるくらい重く感じた。
母さんの人生が……ここにあると感じた。
どうしても知りたかった。18年前の母さんの気持ちを…。
松宮さんと別れた後、父さん…秋月裕樹と結婚してまもなく知った妊娠の事実を…どう思っていたのか。
そして…どうしてひとりで俺を育てようと思ったことを知りたかった。
今更、母親の過去を探ると言うことは、ひいては松宮家を苦しめることになるかもと、一時は考えたが…俺が、俺であるためには、俺が生まれたきた意味を知りたかった。
「明日、一日あるからよく考えろ。」そう言って、真一は俺に封筒を渡すと、階段を降りていったが、途中で振り返って「……」と何か言って、俺を見たが「いや、いいんだ。」と言いながら、階段を下りていった。
俺はその封筒を握り、前に進むんだと自分に言い聞かせ、扉の向こうにいる花音に言った。
「花音、俺は人生から、松宮さんから、そして君から逃げるんじゃない。君がいつでも、どんな俺でもしっかりと受け止めてくれるとわかったから、前に進もうと思ったんだ。 だから…俺は前に行く。なにがあっても、前に進む。」
だが言っていることとは裏腹に、俺の顔は歪んでいたと思う。
花音の部屋の扉に頭をつけ、心の中で言っていた。
まだ俺の歩む道が見えない。将来が見えないんだ。まだスタートラインさえ見えない。
カッコつけと言われようが、今は…ダメだ。せめて、スタートラインが見えるまでは…ダメだ。
だからまだ言えない。
花音、君が好きだとはまだ言えない。
私は…頷いた。泣きながら頷いた。
何があっても前に進むと言い切った翔兄を、もう止めることが出来ないとわかったから、頷くしかなかった。
どうして、花音が俺の生活の一端を知っているんだ…真一に目をやると、あいつはさっき花音が入れてくれたお茶を飲んでいた…俺の視線に気がついたのだろう。
真一と目が合ったが、あいつは俺を見ると
「翔太、おまえの自宅での生活を知っていると言うことは…どういうことだかわかるだろう。おまえと一緒にいないとわからないということだ。」
そう言って小さな声で
「名にし負おはば 逢坂山の さかねづら 人に知られで くるよしもがな (三条 右大臣)やっぱり…そうなのか…」と
名にし負おはば 逢坂山の さかねづら 人に知られで くるよしもがな
【逢坂山のさねかづらが、会って一緒に過ごすと言うその名の通りだったら、さかねかづらをたぐるように、こっそりあなたのところへいく方法があればいいのに】
と言う意味だ。それって、花音が俺のところに会いに来たというのか?
だが、俺は花音と自宅で会ったことはない。
(どういうことだかわかるだろう。おまえと一緒にいないとわからないということだ。)
一緒?一緒にいた…と言ったら…まさか…。いや、それは有りえないだろう。そんなことって有り得ない。
俺はまた真一に目をやったが、あいつは…花音が出て行ったドアを見ていた。
*****
2階の自分の部屋に入った途端、涙がぽろぽろと零れてきた。ようやく、翔兄の心と、体を捕まえたと思ったのは、まだ数時間前だと言うのに、いや、心は初めから捕まえてなんかいなかったんだ。
翔兄も…少しは私を…なんて思っていただなんて…恥しい。
翔兄にとっては、私はやっぱり妹と同じなんだ。
だから、離れても不安じゃないんだ。2人の間に距離があれば、心も離れるんじゃないかと私なら思うのに、私のことを妹のように、思っているから、自分がイギリスにいる間に、私に彼氏が出来たらなんて…不安はないんだ。
平気なんだ。
その事実は、かなり私を痛めつけた。
部屋の扉の前で、お兄ちゃんが、そして翔兄が、声をかけてきたが…
「ごめんね、ちょっと頭が痛くて」と言って部屋の扉を開けることは出来なかった。
翔兄…。妹に戻るまでの時間が掛かりそうなの…もう少し待って、お願い。
翔兄を無邪気に慕っていた、5歳の頃の私に戻るから…もう少し、時間をちょうだい。
こんなに…好きだったんだ。涙がこんなに零れるぐらい、こんなに翔兄が好きだったんだ。
*****
「頭が痛い」と言って出てこない花音に、俺はどうしたらいいのかわからなく
て、花音の部屋の前で立ち尽くしていた。そんな俺に真一が
「悪い、さっき渡そうと思ったんだが…タイミングが掴めなくて、でも明後日、松宮さんに会うのなら、今見ていたほうが良いと思うんだ。」
そう言って差し出した。長形3号の封筒。
おそらくそれは、俺が真一に、父親の顧問弁護士を紹介してくれと頼み、母さんのことを調べてもらった報告書だと思った。
「おまえから頼まれていた調査結果だ。黒峰 美鈴さん…おまえの母さんがどう思って生きていたかは、本人しかわからないことだ。だから、このA4の紙に書かれていることは、全部がそうではないが…状況を分析したことによって得られた推測が多い。…どうする?見るか?」
俺は、真一から封筒を受け取った。
数グラムしかないであろう重さが、なぜだか痺れるくらい重く感じた。
母さんの人生が……ここにあると感じた。
どうしても知りたかった。18年前の母さんの気持ちを…。
松宮さんと別れた後、父さん…秋月裕樹と結婚してまもなく知った妊娠の事実を…どう思っていたのか。
そして…どうしてひとりで俺を育てようと思ったことを知りたかった。
今更、母親の過去を探ると言うことは、ひいては松宮家を苦しめることになるかもと、一時は考えたが…俺が、俺であるためには、俺が生まれたきた意味を知りたかった。
「明日、一日あるからよく考えろ。」そう言って、真一は俺に封筒を渡すと、階段を降りていったが、途中で振り返って「……」と何か言って、俺を見たが「いや、いいんだ。」と言いながら、階段を下りていった。
俺はその封筒を握り、前に進むんだと自分に言い聞かせ、扉の向こうにいる花音に言った。
「花音、俺は人生から、松宮さんから、そして君から逃げるんじゃない。君がいつでも、どんな俺でもしっかりと受け止めてくれるとわかったから、前に進もうと思ったんだ。 だから…俺は前に行く。なにがあっても、前に進む。」
だが言っていることとは裏腹に、俺の顔は歪んでいたと思う。
花音の部屋の扉に頭をつけ、心の中で言っていた。
まだ俺の歩む道が見えない。将来が見えないんだ。まだスタートラインさえ見えない。
カッコつけと言われようが、今は…ダメだ。せめて、スタートラインが見えるまでは…ダメだ。
だからまだ言えない。
花音、君が好きだとはまだ言えない。
私は…頷いた。泣きながら頷いた。
何があっても前に進むと言い切った翔兄を、もう止めることが出来ないとわかったから、頷くしかなかった。
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