恋するクロネコ🐾

秋野 林檎 

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花音のそばで…。

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この春間からJRで40分ぐらいのところに住んでいたのに、春間に来るのは11年振りだった。

ここは真一と花音に出会った町でもあり、父さんと母さんの思い出が色濃く残る町。でも、それは事故があったあの日も、色濃く残っているということでもあり、足が遠のく要因でもあった。


あれは、1998年から始まった春間駅北口土地画整理事業の中のひとつ、駅前広場が完成した年だった。駅から続く県道401号線で事故は起こった。それは飲酒運転の車が逆走し、俺達三人が乗っていた車に、突っ込んできた事故だった。

あれから10年以上もが月日が流れ、駅はもう、あの頃と違っているのに、俺の心は、そして体は、あの日に戻ったように動かなかった。


車の中に閉じ込められ動かない両親…。
救急車がサイレンを鳴らし…。
パトカーの赤色灯が回っている…。

そして骨折した腕を支え、両親の前に立ち尽くす幼い俺に、婦人警官が何か言っている。
それはまるで今、目の前で起きていることのように、はっきりと見えた。


もういい、もう見たくないと俺は、あの日に引き戻されることを抗い、いろんなことを遮断したくて、目を瞑り、そして耳を押さえようと手を動かそうとした時…。


「にゃぁ~」
と猫の鳴き声が聞こえ、ハッとして、俺は目を開けたが…猫はいなかった。

だが、小さな手が、俺の冷えきった右手を握っていることに気がついた。

小さな手は…11年前の花音。
 
…わかっている。これは幻。


花音は繋いだ手を大きく上下に振り、にっこり笑い
「翔兄、行こう。」と俺を誘った。
 
君は幻でも、俺を助けてくれるんだね。

11年前のあの日に、止まってしまった俺の心を動かすように現れた花音に微笑むと、足は自然と動き、幼い頃に離れた町だったのに、俺は迷うことなくアパートに辿り着いた。

鉄筋三階建て14戸のアパートは、11年前と何一つ変わらないように見え、月日が流れたことをどこで確認したらいいのかわからないくらいだった。

アパートを見上げ、記憶の引き出しのひとつ目を開けると、俺が住んでいた二階の右端の角部屋に向かって、三階の右から二番目の部屋から叫ぶ花音が見える。

「翔兄~!あのね!」

そう言って花音は、ベランダからよく斜め下の俺の家に向かって、話しかけていたなぁ。

「翔兄!花音ねぇ、ニンジン食べれたよ!」とか…

「〇レンジャーが始まるよ!!」とか…

今、考えると、近所迷惑だったろうなぁ…だけど楽しかった。




引き出しの二つ目は…

「「広い~!!」」

と叫ぶ、真一と花音の幼い声。

毎回、うちに来る度に「広~い」と叫ぶ2人を
「いや、真一君のところと変わんないって。」と父さんは苦笑気味に言っていたが…。

あの日、荷物が出て行くのを見ていた時、ぼんやりと俺も思った…広いなぁ…と。

父さんや母さんがいない家は…広いなぁと思った。
           
あれが両親の死を自覚した瞬間だったのかもしれない。




引き出しの三つ目には…

「翔兄…。」

心配そうに俺に問いかける舌足らずの声。

そうだ、これは…あの時の花音の声。

何が起こっているのかわからなかった。茫然と、片付けられてゆく荷物、その荷物のひとつひとつに染み込んだ思い出も、次々と部屋から出て行く様を見ていたんだ。

悲しい、寂しい、怖い…いろんな感情が心の中で溢れているのに、上手く出せない俺を、温かい手がギュッと握ってきた。俺は繋がれていた手を、そしてその手の持ち主の花音を見たら、言葉が…縋るように出たんだ。

「ひとりぼっちになっちゃった…。」と…。

小さな手が、翔兄、私がそばにいるからと言っていた。

涙がポロポロと零れていったが、でも声が出なくて、そんな俺の手を花音は強く握って、そしてうまく泣けない俺の代わりに大声で泣いてくれたんだ。



過去へと意識を持っていかれていた俺の手を、幻の幼い花音が、あの時のように俺の手を強く握ってきた。

俺は慌てて、今自分がいる場所を確認するかの様に見回し
「なにやってんだ。」
と苦笑すると、幻の幼い花音は俺の手を、さらに強く握って
「花音がずっと一緒にいるから。翔兄はひとりじゃないから。」と言ってくれる。

だが、その姿が…だんだん薄くなり、消えて行きそうだ。

幻とわかっていても、だんだんと消えて行くその手を離せなくて、俺は握ったその手を見つめ、そして幻の幼い花音を見つめた。

舌足らずの声が励ますように「翔兄。」と言って笑った。
その姿が、その声が…消えていく…翔兄と言いながら…。



翔兄……
翔兄!…
翔兄!!!

だが突然、その声は、大きくなり…俺の背中が温もりに包み込まれ


「翔 兄 の バ カ !!!!!」


と、その温もりが叫び、俺の腹に震える手を回してきた。


「…ほんとにひとりじゃない。…今も…そばには君がいる。」

そこまで言って、その温もりを噛み締め、俺は…16歳になった花音のそばで、11年前のあの時のように声をあげて泣けた。
            

それは、7歳だった頃と違って、18歳の男らしくない、カッコ悪い泣き方だった。
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