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その人は…。

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陛下の寝室の扉がしまり、主君の広い背中はもう見えなくなった。
そして腕の中のもうひとりの主君は…肩を震わせて泣かれている。

こんな泣き方をさせたくない。
まだ…まだ…こんなに幼い姫に、こんな泣き方をさせる輩が許せない!

だが掛ける言葉を見つけられず、私はミランダ姫の背中をそっとさするしかできなかった。

ようやく落ち着かれたのだろうか、小さな寝息が聞こえ、ホッとした時。


「…シリル様。」


大勢の人が陛下の寝室の前でざわつく中、私の名を呼ぶ、その声だけが聞こえた。
周りを見渡すと、ひとり女性が私に向かって来る。

黒髪…?。

誰だろう。黒い髪はこの国ではルシアン王子しかいらっしゃらない…となると…
ローラン国の方?ローラン王とご一緒に来られている方なのだろうか。

でもそんな方が私に用などあるだろうか?

えっ?…
その女性が近くに来られて、私は…息を飲んだ。

…嘘。

黒髪…そして…赤。……赤い瞳。

その赤い瞳が眼を細めて、呆然としている私に微笑み

「城内が混乱しているのに…あの有名なウィンスレット侯爵様のご自慢のシリル様をお見かけして、私ったら、ついお声をかけてしまい…ごめんなさい。」


その女性は…似ていた。


「私は、ローラン国のモンティ伯爵の娘、アデリーナと申します。」


……ローラン国のモンティ伯爵令嬢 アデリーナ嬢…って…。

それって……ルシアン王子の婚約者だ。


声がうまく出なかった。
ルシアン王子の婚約者…いや、それだけじゃない。

似ている……というより…そっくりだ。


ルシアン王子のご生母であられる、スミラ様の肖像画に。


「シリル様?」

「ぁ…す、すみません、アデリーナ嬢。いや…ルシアン殿下の婚約者であらせられるのですから、アデリーナ様。」

私は、うるさく響く心音に負けないように声をあげ、ミランダ姫を抱いたままだったが、騎士の礼を…しようとしたら

「どうぞ、そのままで…」

「ですが…」

「お抱きになっていらっしゃる方は、もしやミランダ姫ですか?」

「はい。」

「ならば尚更です。眠っていらっしゃるようですし、どうかそのままで…」

そう言って、周囲を見渡し
「…ロザリー様はこの場にはいらっしゃらないのですか?」

「…姉は…多分、屋敷のほうにいると思います。」

そう言って、俯いた私の頬を、アデリーナ様は触れると
「双子ならシリル様とそっくりなんでしょう?こんなに可愛い方なら、ぜひお会いしたいわ。」

その手は、ゆっくりと私の頬を触り
「ほんとに、可愛い方。」

「ぁ…」
一瞬、背筋が…震えた。

アデリーナ様は、微笑まれると
「今度、お会いできるときはぜひ…シリル様とロザリー様お二人揃われたところで…。」




何を話したかさえも、覚えていない。
ただ…体がまるで氷付けされたかのように、冷たくなっていた。

怖い。

どんな剣士と戦うときも、これほど体が冷たくなるほど、怯えたことなどない。だが今私の体は、どんなに早く切り裂く剣よりも、アデリーナ様の微笑みに…あの手に…怯えている。


ルシアン王子…。

ルシアン王子はアデリーナ様がスミラ様に…似ていることを仰らなかった。

ご存じなかったのだろうか?
もしそうであったなら…アデリーナ様を見て、どう思われるだろうか?

体が震える。

体の芯まで冷えるようなこの恐怖は、どこからきているのだろうか。


陛下の寝室の扉へと…眼をやり、数時間前の夢のような言葉を思い出した。

『でも、足掻いて見たい。惚れた女が俺を守る為に、命をかけてこの場に来てくれたのだから、俺もこの恋に足掻いてみたい。』

あぁ…そうか。この恐怖にも似た震えは…
そう言ってくださったルシアン王子の心が、変わってしまうかも知れないと思う…怖さからだ。

ふう~と大きく息吐いた。

何を怯えているの。この恋は叶うはずはないと、心のどこかで思っていたことじゃない。
しっかりしろ!ロザリー!

でも…

「夢…もう少し見たかったな。」

でも…

「眼が覚めるのが早すぎでしょう。」

そう口にし、笑ったつもりだった。

でも…
口角は上がらず、眼の前にある扉が…ぼやけて見えた。



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