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第五話(最終話) 相称の翼
第十章:三 重なる想い
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黒麒麟と入れ替わるように、朱桜の居室に闇呪が現れる。
自分の鼓動で耳が遠くなっているのではないかと思うほど、朱桜は狼狽えていた。心臓が打つと同時に、視界も収縮しているのではないかという錯覚すら覚える。
久しぶりに見る闇呪は、金域に相応しい装いのせいか、想像よりも威厳に満ちている気がした。辺りがけぶるような豪奢な金髪。緩い癖のある頭髪が不規則に光を反射して、見つめているのが苦しくなるほど美しかった。
けれど、朱桜の記憶にある闇呪とは馴染まない。本当に彼が黄帝であるのだと思い知らされると同時に、存在を遠く感じた。
「朱桜、私の姿が恐ろしいのなら、無理をしなくても良い」
どっどっと高くなる鼓動に身が震えるが、記憶のままの聞き慣れた声を聞いて、朱桜は少し安堵する。
闇呪は緊張が最高潮に達して固まっている朱桜の様子を気遣っているのか、決して視線を合わせることはなく、距離を保ったまま身近な榻牀に腰掛けた。
いつもなら、この状況ですでに闇呪は退出していた。けれど今日は立ち去る気配がない。朱桜はさらに自分が落ち着くのを感じる。
同時に、自分の想いをきちんと伝える機会なのだと考えると、新たな緊張感に包まれる。結局、鼓動は鎮まってくれないままだった。
(――落ち着け)
朱桜は身体中が心臓になったのではないかと思うほどの強烈な動悸を乗り越えようと、深呼吸をする。背を向けるように榻牀にかけている闇呪に向かって、一歩を踏み出す。
(「朱桜。闇呪の君を信じなさい」)
闇呪に放たれた光景に自分までが呑まれそうになっていた時、緋桜が引き止めてくれた。
(「陛下の輝きは、このようなことでは奪えません。自信を持ってください」)
厳然とした緋桜の声が脳裏に蘇る。自分の手を握って導いてくれたぬくもり。
(――母様)
ひとときの記憶にこれ以上はない勇気をもらって、朱桜は輝きを纏う闇呪の後ろ姿を見つめる。
そう、自分は何も変わっていない。
闇呪への想いだけが、いつでも真実だった。昔も今も変わらない。
どのように思われていても、彼を比翼に望む気持ちが変わるはずがなかった。
素直に気持ちを語ることに、いったい何を躊躇う必要があるだろう。
そして、陛下を信じることに、何を戸惑う必要があるだろう。
「陛下」
朱桜は榻牀にかける闇呪と向かい合う位置に進み出ると、そっとその場に膝をついた。
伏せていた顔をあげて、まっすぐに闇呪の顔を仰ぐ。彼はわずかに身じろぎしたが、立ち去ることはなく朱桜と視線を交わす。
世の真実を知らず、異界で決別を覚悟してから、こんな風にしっかりと見つめ合うことはなかった。馴染みのある漆黒の色は消え失せ、輝きのある金に変化した瞳。誰と似ていても、どんな色を纏っていても、闇呪を恐ろしいと感じることはない。
労わりを宿す闇呪の眼差しに、朱桜は初めて彼と出会った時のことを思い出す。
変わらない様子を感じると、自然と微笑むことができた。
「陛下もご存知の通り、私は陛下に捧げるべき美徳を失いました。それでも、変わらず陛下のことをお慕いしております。どうか愛を以って真実の名を語ることをお許しください」
もう何も迷うことはない。朱桜はゆっくりと虚空に手を這わせ、自身の刀剣を引き抜く。掲げるように持ち直し、闇呪に捧げる。
「――……」
初めて口にした真名は旋律のように空気を震わせ、闇呪に届く。黄緋剣が朱桜の想いを彩るように、眩い輝きを放った。
「朱桜」
名を呼ばれて顔をあげると、闇呪が悠闇剣を手に佇んでいる。どんな色彩も叶わない美しい闇色の刀剣。朱桜は久しぶりに見る艶やかな色に魅入ってしまう。掲げ持った黄緋剣に悠闇剣が触れた。刀剣の重みを受け止めると、よく通る声が問う。
「私はこれからも君を黄后に望むが、後悔はしないか」
混じり合う刀剣の輝きに照らされながら、朱桜は闇呪の顔を仰ぐ。すぐに視界が揺らめき、彼の顔が滲む。
「はい。――陛下が望んで下さるのなら」
闇呪が同じように膝をついて、朱桜と同じ目線でこちらを見つめる。そっと差し出された彼の指先が、頰を伝う涙に触れた。
「これまでのように庇護欲だけで君の傍にいる自信がない。……それでも、後悔はしないか」
もう出会った頃とは違い、自分が幼いだけの姫君ではないと伝えてくれる。朱桜がずっと焦がれていた立場。ようやく少女の恋が終わる。いつからか互いに愛を語り合うことを望んでいた。
「陛下を、愛しています」
はっきりと伝えると、朱桜は涙が散る勢いで強い力に引き寄せられた。悠闇剣が床に落ちる音が響く。闇呪に抱きすくめられて、朱桜も黄緋剣から手を離す。力を込めて彼にしがみ付いた。
「陛下、私は――」
純潔を失った失態を詫びようとすると、穏やかに通る声が、朱桜の言葉を遮る。
「朱桜、……私が恐ろしいか」
朱桜は闇呪の胸の中で、何度も横に首を振った。
「陛下を、闇呪の君を恐ろしいと感じたことはありません」
「――では、私はもう迷わない」
「陛下――」
ゆっくりと啄ばむように唇が重なる。まるで点火したように頰を染めた朱桜を見て、闇呪が笑った。朱桜は再び鼓動が響きはじめるが、ふと視界の端で天帝の加護が黄昏を経て夜に移行するように、色彩を移す闇呪の頭髪に気づく。
「へ、陛下。髪の色が……」
見る間に闇呪の輝くような金髪が、漆黒に染まった。馴染みのある、美しく艶やかな闇色。
朱桜の驚きに、彼は何でもないことのように呟く。
「ああ、守護の血の効力が切れただけだ。どうやら、私の本性は変わらない」
自嘲するような声を聞いて、朱桜は思わず口を開く。
「闇を纏う陛下も素敵です」
至近距離にある眼差しも、いつの間にか漆黒に彩られている。澄んだ闇が優しく歪むのがわかって、朱桜はさらに鼓動が早くなり、かぁっと頰に熱が巡る。
「あの、私はこちらの方が好きで――」
恥ずかしさを誤魔化す声は、不自然に途切れる。
激しく触れた唇で、朱桜はそれ以上何かを語ることができなかった。
「君が恐れないのなら、私には躊躇う理由がない。どうする? 朱桜」
からかうような声にも、朱桜は何も答えられない。闇呪は頰に唇を寄せると、肩を抱きながら朱桜の膝裏に片腕を回して、たやすく身体を抱え上げた。
咄嗟に闇呪の首にしがみつくと、彼は足音もなく天蓋のある寝台に歩み寄り、朱桜を横たえる。闇呪が小柄な体を挟むように手をつくと、寝台がわずかに上下した。
間近に闇呪の端正な顔を仰ぎながら、朱桜は自身の鼓動を全身で聞いていた。柔らかな癖を持つ長い髪が頰に落ちかかってきて、肌をくすぐる。
「あ、あの、陛下……」
戸惑う朱桜の唇に、彼の長い指が触れた。耳元に吐息を感じる近さで、闇呪の囁きが聞こえる。低い囁きは胸に響き、戸惑いを掻き消す勢いで心を占めた。痛みにも似た喜びが熱を孕んで巡り、込み上げると、すぐに涙となってあふれ出す。朱桜の頬を伝ってとめどなく流れ出た。
視界で揺れる闇呪の眼差しに労わりの色が浮かぶのを見て、朱桜は慌てて胸の内を語る。
「これは、嬉しくて涙が――」
袖で拭おうとすると、さらりと彼の肩から漆黒の髪が流れる気配がした。朱桜の涙に唇を寄せて、彼がそっと触れる。壊れ物を扱うような優しい仕草に、ぬくもりが滲んでいるようだった。
胸が締め付けられるような切なさを伴って、彼への気持ちが心を埋め尽くす。
もう何も恐れることはない。
全てが愛しさに染まる。
翼扶と比翼。
想いが重なって、満たされていくのがわかる。
どんな風に伝えるのが相応しいのかわからず、朱桜は頰に触れた大きな手に掌を重ねた。彼の熱を感じながら、目を閉じる。
緩やかに帯が解かれ、重ねた衣装が合わせ目から開かれてゆく。
「朱桜」
愛しげに自分の名を語る声を聞きながら、朱桜は身を委ねた。
外では天帝の加護が光を納め、空は澄明な夜の装いをはじめていた。
自分の鼓動で耳が遠くなっているのではないかと思うほど、朱桜は狼狽えていた。心臓が打つと同時に、視界も収縮しているのではないかという錯覚すら覚える。
久しぶりに見る闇呪は、金域に相応しい装いのせいか、想像よりも威厳に満ちている気がした。辺りがけぶるような豪奢な金髪。緩い癖のある頭髪が不規則に光を反射して、見つめているのが苦しくなるほど美しかった。
けれど、朱桜の記憶にある闇呪とは馴染まない。本当に彼が黄帝であるのだと思い知らされると同時に、存在を遠く感じた。
「朱桜、私の姿が恐ろしいのなら、無理をしなくても良い」
どっどっと高くなる鼓動に身が震えるが、記憶のままの聞き慣れた声を聞いて、朱桜は少し安堵する。
闇呪は緊張が最高潮に達して固まっている朱桜の様子を気遣っているのか、決して視線を合わせることはなく、距離を保ったまま身近な榻牀に腰掛けた。
いつもなら、この状況ですでに闇呪は退出していた。けれど今日は立ち去る気配がない。朱桜はさらに自分が落ち着くのを感じる。
同時に、自分の想いをきちんと伝える機会なのだと考えると、新たな緊張感に包まれる。結局、鼓動は鎮まってくれないままだった。
(――落ち着け)
朱桜は身体中が心臓になったのではないかと思うほどの強烈な動悸を乗り越えようと、深呼吸をする。背を向けるように榻牀にかけている闇呪に向かって、一歩を踏み出す。
(「朱桜。闇呪の君を信じなさい」)
闇呪に放たれた光景に自分までが呑まれそうになっていた時、緋桜が引き止めてくれた。
(「陛下の輝きは、このようなことでは奪えません。自信を持ってください」)
厳然とした緋桜の声が脳裏に蘇る。自分の手を握って導いてくれたぬくもり。
(――母様)
ひとときの記憶にこれ以上はない勇気をもらって、朱桜は輝きを纏う闇呪の後ろ姿を見つめる。
そう、自分は何も変わっていない。
闇呪への想いだけが、いつでも真実だった。昔も今も変わらない。
どのように思われていても、彼を比翼に望む気持ちが変わるはずがなかった。
素直に気持ちを語ることに、いったい何を躊躇う必要があるだろう。
そして、陛下を信じることに、何を戸惑う必要があるだろう。
「陛下」
朱桜は榻牀にかける闇呪と向かい合う位置に進み出ると、そっとその場に膝をついた。
伏せていた顔をあげて、まっすぐに闇呪の顔を仰ぐ。彼はわずかに身じろぎしたが、立ち去ることはなく朱桜と視線を交わす。
世の真実を知らず、異界で決別を覚悟してから、こんな風にしっかりと見つめ合うことはなかった。馴染みのある漆黒の色は消え失せ、輝きのある金に変化した瞳。誰と似ていても、どんな色を纏っていても、闇呪を恐ろしいと感じることはない。
労わりを宿す闇呪の眼差しに、朱桜は初めて彼と出会った時のことを思い出す。
変わらない様子を感じると、自然と微笑むことができた。
「陛下もご存知の通り、私は陛下に捧げるべき美徳を失いました。それでも、変わらず陛下のことをお慕いしております。どうか愛を以って真実の名を語ることをお許しください」
もう何も迷うことはない。朱桜はゆっくりと虚空に手を這わせ、自身の刀剣を引き抜く。掲げるように持ち直し、闇呪に捧げる。
「――……」
初めて口にした真名は旋律のように空気を震わせ、闇呪に届く。黄緋剣が朱桜の想いを彩るように、眩い輝きを放った。
「朱桜」
名を呼ばれて顔をあげると、闇呪が悠闇剣を手に佇んでいる。どんな色彩も叶わない美しい闇色の刀剣。朱桜は久しぶりに見る艶やかな色に魅入ってしまう。掲げ持った黄緋剣に悠闇剣が触れた。刀剣の重みを受け止めると、よく通る声が問う。
「私はこれからも君を黄后に望むが、後悔はしないか」
混じり合う刀剣の輝きに照らされながら、朱桜は闇呪の顔を仰ぐ。すぐに視界が揺らめき、彼の顔が滲む。
「はい。――陛下が望んで下さるのなら」
闇呪が同じように膝をついて、朱桜と同じ目線でこちらを見つめる。そっと差し出された彼の指先が、頰を伝う涙に触れた。
「これまでのように庇護欲だけで君の傍にいる自信がない。……それでも、後悔はしないか」
もう出会った頃とは違い、自分が幼いだけの姫君ではないと伝えてくれる。朱桜がずっと焦がれていた立場。ようやく少女の恋が終わる。いつからか互いに愛を語り合うことを望んでいた。
「陛下を、愛しています」
はっきりと伝えると、朱桜は涙が散る勢いで強い力に引き寄せられた。悠闇剣が床に落ちる音が響く。闇呪に抱きすくめられて、朱桜も黄緋剣から手を離す。力を込めて彼にしがみ付いた。
「陛下、私は――」
純潔を失った失態を詫びようとすると、穏やかに通る声が、朱桜の言葉を遮る。
「朱桜、……私が恐ろしいか」
朱桜は闇呪の胸の中で、何度も横に首を振った。
「陛下を、闇呪の君を恐ろしいと感じたことはありません」
「――では、私はもう迷わない」
「陛下――」
ゆっくりと啄ばむように唇が重なる。まるで点火したように頰を染めた朱桜を見て、闇呪が笑った。朱桜は再び鼓動が響きはじめるが、ふと視界の端で天帝の加護が黄昏を経て夜に移行するように、色彩を移す闇呪の頭髪に気づく。
「へ、陛下。髪の色が……」
見る間に闇呪の輝くような金髪が、漆黒に染まった。馴染みのある、美しく艶やかな闇色。
朱桜の驚きに、彼は何でもないことのように呟く。
「ああ、守護の血の効力が切れただけだ。どうやら、私の本性は変わらない」
自嘲するような声を聞いて、朱桜は思わず口を開く。
「闇を纏う陛下も素敵です」
至近距離にある眼差しも、いつの間にか漆黒に彩られている。澄んだ闇が優しく歪むのがわかって、朱桜はさらに鼓動が早くなり、かぁっと頰に熱が巡る。
「あの、私はこちらの方が好きで――」
恥ずかしさを誤魔化す声は、不自然に途切れる。
激しく触れた唇で、朱桜はそれ以上何かを語ることができなかった。
「君が恐れないのなら、私には躊躇う理由がない。どうする? 朱桜」
からかうような声にも、朱桜は何も答えられない。闇呪は頰に唇を寄せると、肩を抱きながら朱桜の膝裏に片腕を回して、たやすく身体を抱え上げた。
咄嗟に闇呪の首にしがみつくと、彼は足音もなく天蓋のある寝台に歩み寄り、朱桜を横たえる。闇呪が小柄な体を挟むように手をつくと、寝台がわずかに上下した。
間近に闇呪の端正な顔を仰ぎながら、朱桜は自身の鼓動を全身で聞いていた。柔らかな癖を持つ長い髪が頰に落ちかかってきて、肌をくすぐる。
「あ、あの、陛下……」
戸惑う朱桜の唇に、彼の長い指が触れた。耳元に吐息を感じる近さで、闇呪の囁きが聞こえる。低い囁きは胸に響き、戸惑いを掻き消す勢いで心を占めた。痛みにも似た喜びが熱を孕んで巡り、込み上げると、すぐに涙となってあふれ出す。朱桜の頬を伝ってとめどなく流れ出た。
視界で揺れる闇呪の眼差しに労わりの色が浮かぶのを見て、朱桜は慌てて胸の内を語る。
「これは、嬉しくて涙が――」
袖で拭おうとすると、さらりと彼の肩から漆黒の髪が流れる気配がした。朱桜の涙に唇を寄せて、彼がそっと触れる。壊れ物を扱うような優しい仕草に、ぬくもりが滲んでいるようだった。
胸が締め付けられるような切なさを伴って、彼への気持ちが心を埋め尽くす。
もう何も恐れることはない。
全てが愛しさに染まる。
翼扶と比翼。
想いが重なって、満たされていくのがわかる。
どんな風に伝えるのが相応しいのかわからず、朱桜は頰に触れた大きな手に掌を重ねた。彼の熱を感じながら、目を閉じる。
緩やかに帯が解かれ、重ねた衣装が合わせ目から開かれてゆく。
「朱桜」
愛しげに自分の名を語る声を聞きながら、朱桜は身を委ねた。
外では天帝の加護が光を納め、空は澄明な夜の装いをはじめていた。
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