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第五話(最終話) 相称の翼

第二章:二 拒絶と真実

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 なぜ今までその結論に思い至らなかったのだろう。朱桜すおうは長い髪を掴むようにして碧宇へきうに見せる。ひらめいた考えに希望を見て、思わず意気込んでもう一度繰り返した。

「私のまと金色こんじきは、偽物なのかもしれません」

「そんなことは有り得んだろう」

 碧宇へきうは「頭は大丈夫か」と言いたげに、まるで不可解な生き物を眺めるような仕草で、眉間に皺を寄せた。

「陛下の翼扶つばさが偽物? その姿に成って、どんな発想でそうなる? 仮に偽物だとしても、そんなに簡単に金をまとえるなら、誰も苦労しない」

「だけど、私は陛下の翼扶つばさになった覚えはありません」

「ん?」

 碧宇へきうは皆目わからないという反応をする。

「私は、陛下に真実の名を賜っていません。それに、私は陛下に真実の名を語っていない」

 朱桜の声が洞窟内に反響した。その後には、沈黙が満ちる。
 洞窟内にはところどころに地上への隙間があるようだが、それだけでは到底あたりを見分けることはできない。皮肉なことに辺りを照らす光は、朱桜自身の髪が放つ金色の燐光だった。
 柔らかな光が照らす碧宇の表情に、険しい色が差していくのがわかる。朱桜は沈黙に耐えきれず、言い募った。

「本当です。今、私の内に刻まれているのは、陛下の真名じゃないんです。私と陛下の間には、何の証もありません。だから、私の変幻は何かの間違いじゃないかって思うんです」

 碧宇からの返事はない。彼にもどのように受け止めれば良いのか、わからないのかもしれない。金色を纏う。天帝以外には許されないことわり朱桜すおうにも分かっている。けれど自分のこれまでの記憶を辿ってみても、相称の翼に転じるような契機きっかけはない。見つけられない。

 不可欠である筈の儀式が欠落している。
 朱桜は居心地の悪さを感じてうつむいた。自分が身動きするたびに燐光が揺れる。それが得体の知れない成り行きに震える自分の心を映しているようにも見えた。

「陛下は……」

 どのくらいか間があってから、ようやく碧宇の声が小さく響いた。

「陛下は俺達に、翼扶つばさを得たと言った」

「え?」

「心から愛し、愛をって真実の名を捧げた娘がいると」

「じゃあ、私の他に誰かが?」

 やはり自分は偽物なのだと思った刹那、その期待を引き裂くような鋭い声が反響する。

「違う! 陛下は緋国の六の君、朱桜の姫君が相称の翼であると仰せられた!」
「そ、そんな」

「あんたのことだ」
「そんな筈ありません!」

 思わず立ち上がった朱桜を見ながら、碧宇が厳しい目をしたまま問う。

「では、陛下が我々に嘘をついたと言うのか」

 一瞬ひるみそうになったが、朱桜はありのままを伝えようと声を上げる。

「私は陛下の翼扶つばさではありません。きっと、陛下は、何か、思い違いを……」

 思い違いをしている。そう伝えようとしたのに、塞がれたように声が出ない。
 脳裏によぎった。陛下の面影。
 それだけで心が恐慌をきたす。

(「わたしに真実の名を与えよ」)

 突如、無意識から再生された声。できるだけ思い出さないように遠ざけていた光景が、裂けた傷口から血が噴き出すような勢いで脳裏に広がっていく。

「あ……」

 自分の手が小刻みに震えていると気付いた時には、ぞっと血の気の引くような感覚に襲われていた。

(「――そなたは、わたしのものだ」)

 固く目を閉じても、消えることのない情景。自分に向かって伸びてくる陛下の手。
 朱桜は自分を抱くように腕に力を込めた。それでもガタガタと小刻みな震えが全身にまわる。
 容赦のない力で掴まれた感覚。思い出したくないのに、蘇ってくる。
 刻まれた痛みに身が竦んだ。

翼扶つばさじゃない。だけど、もし……)

 胃の腑から何かがこみ上げてきそうになる。朱桜は閃いた考えにさらに絶望を感じた。

(あれが儀式だったら……?)

 自分が相称の翼となる契機。陛下に陵辱された身体。

「――っ」

 ぐらりと天地が逆転したかのような眩暈めまいに襲われる。うまく呼吸ができない。あの時のように身体に力が入らず、一瞬にして心が凍りつく。
 朱桜すおうは咄嗟に岩肌に手をついて体を支えたが、震えが全身を巡って立っていられなくなる。

「おい! どうした?」

 その場に崩れるように膝をついた朱桜すおうの前に、碧宇へきうが素早く歩み寄った。

「私は、……私は、嘘をついていません」

 うわ言のように、朱桜を言い募る。
 刻まれた光景は悪夢のように凄惨で、愛した者に対する仕打ちだとは思えない。
 もしあれが愛の形であるというのならば、朱桜には理解できない。
 心から愛した娘も、真実の名を捧げた翼扶つばさも、黄帝の描いた幻想ではないのか。

 陛下にだけ許される虚言。何かが狂っている。
 自分は、ただ蹂躙されただけなのだ。
 あれが相称の翼を得るための儀式であったというのだろうか。
 朱桜の内には、黄帝を敬うような気持ちは微塵もない。あの時に跡形もなく失われてしまった。黄帝は慈悲など持ち合わせていない悪鬼に等しい。許されない感情だとしても、どうしようもない。

 心が拒絶する。
 怖くてたまらないのだ。
 恐ろしい。

「姫君。どこか具合が悪いのか? 顔色が真っ青だぞ? おい?」

 碧宇へきうの声が、かろうじて失いそうになっている朱桜の意識をつなぎとめていた。
 朱桜は岩盤に爪を立てて、突然甦った最悪の光景に耐えた。浅くなる呼吸を整えようと努める。

(……大丈夫、大丈夫)

 朱桜すおうは過去の衝撃がもたらした心身の不調をやり過ごそうと足掻く。何としても碧宇に分かってもらわねばならないことがあるのだ。
 陛下の言葉が全て正しいわけではない。
 それだけは、伝えなければならない。
 自分と陛下には美しい想い出などない。事実はいびつな形をしているのだ。

 何かが狂っているという予感。
 それを伝えることに意味があるのかはわからない、けれど、朱桜は黄帝の幻想に従う振りはできない。
 もし自分が本当に相称の翼であるというのなら、天意は一体、何を望んでいるのだろう。

 朱桜は凌辱された記憶の衝撃をやり過ごそうと、蒼ざめた顔のまま固く目を閉じる。指先に血の気がもどらない。冷たい手を組み合わせて深い呼吸を繰り返す。幾度か深呼吸を続けて、やっとの思いで自分を取り戻すと、いつのまにか碧宇が目の前に膝をついていた。

 さっきまでの責めるような気配が消え失せ、戸惑いと心配の色が浮かんでいる。
 朱桜は気持ちを立て直して、「ごめんなさい」と詫びた。

「具合が悪いなら、どこか休める場所に移ろう。話はそれからでも良い」

「いえ、大丈夫です。少し嫌なことを思い出しただけで」

 朱桜はゆっくりと立ち上がると、もう一度岩肌がほどよく隆起している部分を見つけて座った。
 碧宇は朱桜の前で膝を折ったまま、気遣うようにこちらを見ている。

「あの、本当に大丈夫ですから。今は碧宇の王子に聞きたいことがあります。私には、これからどんなふうに振舞えば良いのかもわかりません。とにかく私の知っていることを全てお話します。そして、今がどういう状況なのか教えて下さい」

 まっすぐに碧宇の眼を見つめて、朱桜は訴える。澄んだ海原を思わせる碧の瞳の中に、小さく自分が映っているのが見えた。

「しかし、姫君に無理はさせられない。何かあってからでは手遅れだ。あんたは自覚が薄いのかもしれないが御身は相称の翼だ」

 本当にそうだろうかという思いが浮かんだが、朱桜は疑惑を呑み込んで頷いた。

「……わかっています」

 目を逸らさずにいると、碧宇が深く息をついた。やれやれという素振りで降参したと言いたげに立ち上がると、さっきまで掛けていた場所に戻った。
 碧宇は近くの岩に座ると、裳衣しょういの裾をさばいて足を組む。

「では、姫君の話を聞かせてもらおうか」

 全てを語るためには、血の気の引くような事実を振り返らなければならない。真実をわかってもらうためには、避けて通れない成り行きだった。

(――大丈夫)

 朱桜は覚悟を決める。激しい波はやり過ごした。
 自分がこれから犯された恐れを乗り越えて陛下と歩んでいけるのかは、正直なところ、まだよくわからない。
 自信がない。
 それでも、闇呪あんじゅとの約束は果たさなければならない。

 豊かな世を取り戻す。
 闇呪を失わなくても良い世界は、その先に築かれる筈なのだ。
 朱桜は碧宇にこれまでの成り行きを包み隠さず語った。
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