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第四話 闇の在処(ありか)

九章:三 金域:蹂躙

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(――そんなこと……) 

 そんなことが出来るはずがない。自分は黄帝を愛していないのだ。 
 そして黄帝に愛されているとも思えない。彼が欲しているのは、いずれ禍となる闇呪あんじゅ真名いのちを捧げられた相称そうしょうつばさであり、自分ではないのではないか。そんな気がしてならない。 

「陛下は、本当に私を愛しておいでなのですか。ただこの世の為に、私を望まれているだけではないのですか」 

 無礼な発言だと判っていても言わずにはいられなかった。 
 いずれ禍となる闇呪に真実の名を与えられたこと。黄帝にとっては、この世の為にただその事実だけが重要なのではないか。 

「仮に……」 

 黄帝は金色の髪を翻しながら、朱桜すおうが半身を起こしている寝台に腰掛けた。ぎしりと反動が朱桜の体に伝わる。 

「仮に、もしそうだとすればどうだと云うのだ」 

 もしそうだとすれば。 
 朱桜はこらえるように固く目を閉じた。 
 もしそうだとしても、どうにもならない。黄帝が自分を望むことに変わりはないのだ。 

「もう一度云う。わたしに真実の名を与えよ」 

「陛下」 

 朱桜は不調をこらえて声に力をこめる。 

「陛下は素晴らしい方だと思います。――ですが、私は……」 

 打ち明けたい想い。けれど朱桜は言葉をのみこむ。その先を伝えることができない。何といえば良いのかわからない。身動きできずにいると、ふっと黄帝が笑う。 

「たしかにそなたはわたしのことをまだ良く知らぬ。いきなり真実の名を求めるのも酷であるのかもしれない」 

 やはり黄帝にも思うところがあるのだと、朱桜はほっと力が抜ける。 

「幼さゆえに怖気づくところもあるのだろう。しかし、わたしはもう永くは待てぬ」 

「――陛下」 

 体の前で組み合わせていた手に、黄帝の手が触れた。朱桜はぞっとする。なにか得体の知れない不快なものが流れ込んでくるかのようだった。 
 目前に迫る金色の瞳が、まるで作り物のような光沢をもって煌めいている。闇呪あんじゅの闇色の瞳に宿る、澄み切った深さとは対照的な光。 

「そなたは、わたしのものだ」 

 愛を語る声ではなかった。まるで何かに言わされているような空しい響き。朱桜の胸にぞくりと恐れが込みあげてくる。
 
 何かが違う。 

「真実の名に戸惑うならば、まずは純潔の体、次に心。そなたはすぐにわたしを理解する」 

 何かが違う。何かが狂っている。 
 逃げなければいけないという思いに支配され身動きすると、黄帝の手が朱桜の頬を掴んだ。 

「へ、陛下」 

 浅ましいものに憑かれたような勢いで、黄帝が朱桜にのしかかって来る。大きな手が頭を抱え込み、悲鳴をあげる間もなく強引に唇が重ねられた。ぞっと肌が粟立つ。もがくように動かした手は、たやすく押さえ込まれた。 

 朱桜は失いそうになる意識を必死に繋ぎとめて逃れようとするが、体が鉛のように重たく、力を込めたところが熱に触れたような痛みに襲われる。胸が苦しい。 
 うまく呼吸ができない。 
 今にも意識を手放してしまいそうだった。 

「陛下、このようなことは」 

 何の意味もない。嫌悪が増すばかりの行い。いつも自分を労わってくれた闇呪あんじゅとは比べようもない残酷な行為。 

「どうか、ご容赦を――……」 

 振り絞った声も乱暴な行いによってかき消された。どんな懇願も届かない。掴まれた手首は痣になる程の力で締め上げられている。 
 今にも骨が砕けそうだった。 

「た、……助けて、――、」 

 闇呪あんじゅきみと叫びそうになるのを、朱桜は何とかこらえた。 

(「――何か在ったときは、私を呼んで欲しい」)
 
 金域こんいきへと送り出してくれる時の、闇呪あんじゅの声が蘇る。 
 けれど。 
 呼べない。 
 彼に金域こんいきへのみちを開かせてはならない。黄帝への謀反むほんを疑われるようなことをさせてはならないのだ。 

 絶対に彼を呼ぶことはできない。 
 たとえ、ここで全てを失うのだとしても。 
 決して彼にはすがらない。縋ってはいけないのだ。 

「誰か、……誰か助けて――」 

 思うように動かない体を、何か得体の知れないものが這い回るような感覚。不快な熱。せめて自身の護りである剣を掴みとろうとするが、どうしても輪郭かたちにならない。 
 溢れ出た涙で何もかもが明瞭に見えない。ぼやけた光景がぐるりぐるりと回り始める。 
 大きな波に飲み込まれたような、眩暈。 

「全て、……に与えよ」 

 恐ろしい声が耳元で何かを囁いている。もう何かを聞き取ることもできない。全てが遠ざかる。 
 蹂躙される身体を他人事のように感じながら。 
 ただ祈りのように繰り返すのは。 

(――絶対に、呼んではいけない)

 それだけ。 
 まるで心に刻みつけるように。 
 何があろうとも、彼に助けを求めてはいけない。 
 目の前が暗転するまで、ただ――かたくなに。 
 最後までそれだけを思いながら、朱桜すおうは意識を手放した。
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