上 下
158 / 233
第四話 闇の在処(ありか)

五章:一 闇の地:緋国の姫君

しおりを挟む
 六の君はひたひたと広廂ひろびさしまで歩み出て、ぺたりとその場に座り込んだ。軒廊こんろうが回廊のように内庭を囲んでいる。風回りがよく、居室にあっても心地がよい。内庭は花の盛りなのか、名も知らない木々が花を咲かせていた。ふわりとあるかなしかの香りが漂ってくる。 

 自分を迎えるために、万全の仕度が成された殿舎であることは疑いようもない。 
 闇呪あんじゅの住まう中央の寝殿から、真っ直ぐに軒廊で結ばれた奥の対屋たいのや。 
 妃として受ける当然の待遇なのかもしれないが、六の君はもったいないような気がしてしまう。 

 何もかもが想像よりも穏やかで、明るい。幸せを形にしたらこんな世界になるのではないかと思えるほどだった。 
 闇呪と縁を結ぶため、あんを訪れてから既に一月以上が経っている。 
 あてにならない噂に振り回され恐れていた自分が、今となっては恥ずかしい。 

「姫君」 

 のんびりとした居室に、すっかり打ち解けた笑顔で麟華りんかがやってくる。六の君が寂しくならないように、全てが配慮されていた。申し訳なく思うが、麟華や麒一きいちと過ごす日々は、素直に楽しい。六の君はぱっと笑顔を返す。 

「麟華、そのお花は?」 

 現れた麟華は腕いっぱいに花を抱えていた。内庭では見られないような色鮮やかなものも混ざっている。 

「花吹雪はいかが?」 

「え?」 

 六の君が立ち上がろうとすると、麟華は腕を広げて辺りに花をふりまいた。はらはらと花が舞い落ちて、広廂を埋めつくす。爽やかな花の香りが辺りに満ちた。 

「すごい、とても綺麗です。良い香り」 

 麟華は折に触れて、どこからか珍しいものを手に入れてやってくる。六の君は麟華の振りまいた花を手にとってじっと眺めた。 

「私、こんな綺麗な花は見たことがありません」 

 自然に顔が綻ぶと、麟華は腕を組んでうんうんと満足そうに頷いた。 

「姫君は絶対に気に入ってくれると思ったの。それはね、とっておきの場所にだけ咲く珍しいものなのよ。姫君に見せてあげたいとずっと機会を狙っていたのよね。手に入って良かったわ」 

「私のためにわざわざ?麟華、ありがとうございます。とっても綺麗」 

「姫君が喜んでくれると、私も嬉しいわ」 

 お互いににこにこと笑顔で向き合っていると、ふと内庭で気配を感じた。六の君が振り返る前に聞きなれた声がする。 

「姫君を飾りたい気持ちは分かるけれど、相変わらず行儀の良い行いではないね、麟華は」 

 やれやれと云う顔をして、麒一きいちが内庭を歩いてくる。広欄に手をかけると花に囲まれた六の君を見て微笑んだ。 
 麒一は片腕に抱えていた小さな籠を差し出す。これまた見た事のないような美しい果実が並んでいた。 

「私からは旬の果実をおくりましょう」 

「わぁ、ありがとうございます」 

 六の君は果実の一つを手にとって、何のためらいもなく口に入れた。麒一も麟華りんかも礼儀作法よりは、六の君の素直な行いを喜んでくれる。 
 果実は口の中で弾けて、ふわりと瑞々しい甘さをもたらした。至極の味といっても良いかもしれない。 

「美味しい」 

 思わず声を上げると、麒一の微笑みがさらにくっきりとした笑顔に変化した。 
 二人とも黒麒麟として恐れられている霊獣ではあるが、六の君にとっては既にかけがえのない存在になっている。 
 麒一きいちが広廂に上がってくると、六の君はふと気になって彼を仰いだ。 

「麒一さん。闇呪の君には差しあげないのですか。きっと喜ばれると思います」 

「我が君は、姫君のそのお心だけで充分でしょう」 

 優しい答えだったが、六の君はつまらないことを云ってしまったのだと悔いた。妃であると云えども、闇呪と言葉を交わしたのは一度だけである。闇呪は自分との縁については全く興味がないのだ。 
 六の君が快適に過ごせる配慮は感じられるが、特別な想いは何も見えない。 

 当然だろうと思う。自分は緋国ひのくにに疎まれた存在なのだ。特別に美しいわけでもなく、何の取り柄もない。 
 恋人がいるということもはっきりと云われた。六の君はちらと垣間見た、その美しい人の姿を思い出した。闇呪あんじゅの寝殿へと続く軒廊を渡る姿。 
 たおやかな足取り。絶世の美女と謳われるに相応しい女人。 

――華艶かえん美女びじょ。 

 教えられなくとも、その圧倒的な美貌が存在感を訴える。一目見れば、これまでに聞き及んだことから容易にたどり着くことのできる正体。 

 珍しい花や果実を送ってくれる麟華りんかと麒一の気遣いが、六の君の心の裏をちくりと刺した。今日も華艶が訪れているのだろう。 
 二人は妃である自分を慮ってくれているのかもしれない。 
 闇呪あんじゅの美しい恋人。たしかに相応しい。彼の隣に立っても、華艶なら見劣りはしない。自分が叶うはずのない相手だ。 

 六の君は花に囲まれたまま、もう一口果実を含んだ。 
 甘い。傍らには、自分を受け入れてくれる麒一と麟華もいる。 
 緋国にあった頃よりも、何もかもが遙かに満たされて、幸せな日々を送っている。 
 なのに、どうして寂しいと感じてしまうのだろう。 

 今ならあかつきの言葉が分かるような気がする。 
 自分の居場所を感じるのは、誰でもない自分自身なのだと。 
 自分の心の中に在るのだと。 

 こんなに満たされているのに、ちくりと痛む心の裏側。 
 なぜ痛むのか分からない。何が寂しいのかも、わからないのだ。 
 いったいこの幸せな日々の中で、自分は何を求めているのだろう。 

 これ以上、何を欲しがっているのだろう。 
 わからない。 
 答えを見つけられぬまま、六の君はゆっくりと果実の甘みを呑みこんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

見捨てられたのは私

梅雨の人
恋愛
急に振り出した雨の中、目の前のお二人は急ぎ足でこちらを振り返ることもなくどんどん私から離れていきます。 ただ三人で、いいえ、二人と一人で歩いていただけでございました。 ぽつぽつと振り出した雨は勢いを増してきましたのに、あなたの妻である私は一人取り残されてもそこからしばらく動くことができないのはどうしてなのでしょうか。いつものこと、いつものことなのに、いつまでたっても惨めで悲しくなるのです。 何度悲しい思いをしても、それでもあなたをお慕いしてまいりましたが、さすがにもうあきらめようかと思っております。

【完結】今夜さよならをします

たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。 あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。 だったら婚約解消いたしましょう。 シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。 よくある婚約解消の話です。 そして新しい恋を見つける話。 なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!! ★すみません。 長編へと変更させていただきます。 書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。 いつも読んでいただきありがとうございます!

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】私の婚約者(王太子)が浮気をしているようです。

百合蝶
恋愛
「何てことなの」王太子妃教育の合間も休憩中王宮の庭を散策していたら‥、婚約者であるアルフレッド様(王太子)が金の髪をふわふわとさせた可愛らしい小動物系の女性と腕を組み親しげに寄り添っていた。 「あちゃ~」と後ろから護衛のイサンが声を漏らした。 私は見ていられなかった。 悲しくてーーー悲しくて涙が止まりませんでした。 私、このまなアルフレッド様の奥様にはなれませんわ、なれても愛がありません。側室をもたれるのも嫌でございます。 ならばーーー 私、全力でアルフレッド様の恋叶えて見せますわ。 恋情を探す斜め上を行くエリエンヌ物語 ひたむきにアルフレッド様好き、エリエンヌちゃんです。 たまに更新します。 よければお読み下さりコメント頂ければ幸いです。

処理中です...